ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
トキワの森を抜けてから、サトシたちはしばらく街道を歩き続けていた。
つい先ほどまで視界を埋め尽くしていた木々は次第に少なくなり、代わりに道の先には灰色を基調とした建物がいくつも見え始めている。森の中とは違って空も広く、遠くまで続く街並みを目にしたサトシは、自然と足取りを速めた。
「見えてきたな」
「ピカ!」
肩に乗っていたピカチュウも待ちきれないように身を乗り出す。
ニビシティ。
旅立ってから初めて訪れる、ポケモンジムのある街だ。
上空ではピジョンとバタフリーが並んで飛んでいた。進化してからまだそれほど時間が経っていないバタフリーも、少しずつ新しい身体に慣れてきたらしく、森を出た頃より羽ばたきはずっと安定している。
もっとも、野生の頃から空を飛び続けてきたピジョンと比べれば、まだ動きには差があった。急旋回すると身体が外側へ流れ、速度を落とす時にも余計に何度か羽ばたいてしまう。
そんなバタフリーの様子に気づいたのか、少し先を飛んでいたピジョンが速度を落とした。
「ピジョ」
「フリィ?」
ピジョンが翼を傾けながら緩やかに旋回すると、バタフリーもそれを真似するように身体を傾ける。一度目は少し膨らんだものの、二度目は先ほどより綺麗に曲がることができた。
「ピジョ!」
「フリィ!」
褒めるように鳴いたピジョンに、バタフリーも嬉しそうに応える。
その様子を見上げ、サトシは自然と笑みを浮かべた。
「仲良くなったな」
「ピカピカ」
「あの二匹、同じ空を飛ぶポケモンだものね」
隣を歩いていたカスミも空を見上げる。
確かにそれもあるだろう。
だがサトシには、ただ仲が良くなっただけではないように思えた。
ピジョンは野生時代から自分の翼だけで生きてきた。飛び方に関してなら、今のバタフリーにとってこれ以上ない先輩だ。いずれバタフリーがもっと強くなれば、今度はバタフリーからピジョンへ何かを返せることもあるかもしれない。
自分がすべてを教える必要はない。
仲間同士で学び合い、一緒に強くなっていく。
そんな関係を作っていければいい。
「とりあえず、最初はポケモンセンターだな」
「賛成。あたしもちゃんとしたベッドで休みたい」
「昨日も寝ただろ」
「森の中と街のベッドは別なの!」
迷いなく言い切ったカスミに、サトシは苦笑する。
「はいはい」
「返事が適当!」
「分かったって。俺だって森を歩きっぱなしで疲れてるよ」
そんなやり取りをしながら街へ入っていく。
旅立ってから初めてのジムが、もうすぐそこまで迫っていた。
◇
ニビシティのポケモンセンターへ到着すると、サトシは何より先に三匹をジョーイへ預けた。
トキワの森では何度も戦闘があった。特にバタフリーはキャタピーからトランセル、そしてバタフリーへと短期間で二度も進化している。本人が元気そうにしているからといって、それだけで問題ないと判断するつもりはなかった。
しばらくして診察を終えたジョーイが戻ってくる。
「三匹とも大丈夫ですよ。ピカチュウとピジョンは少し疲れが残っていますけど、休めば問題ありません」
「ありがとうございます。それで、バタフリーは?」
サトシが真っ先に尋ねると、診察台の上にいたバタフリーが元気よく翼を広げた。
「フリィ!」
「進化したばかりですけど、身体に異常はありません。ただ、まだ新しい身体には完全には慣れていないと思います。しばらくは無理な特訓をさせないでくださいね」
「はい」
サトシは素直に頷いた。
強くすることと、無茶をさせることは違う。
覚えさせたい技はいくつもある。サイケこうせん、どくどく、ギガドレイン、サイコキネシス――前世の知識を使えば、これから目指したい方向はいくらでも考えられる。
だが、それを一日や二日ですべて身につける必要などない。
昨日まで地面を這っていたキャタピーが、今は自分の翼で空を飛んでいる。それだけでも大きな変化なのだ。
バタフリーを受け取ると、サトシはその頭を優しく撫でた。
「今日は軽めにしような。飛ぶ練習くらいにしておこう」
「フリィ」
バタフリーも素直に頷く。
一方で、ピカチュウはサトシの肩へ戻ってくるなり、自分の尻尾へちらりと視線を向けた。
「ピカ」
その仕草だけで何を言いたいのか分かり、サトシは苦笑した。
「……分かってるって。お前はあれだろ?」
「ピカ!」
『アイアンテール』。
トキワの森へ入ってから続けてきた特訓は、すでにかなり進んでいる。
最初は尻尾の先を一瞬だけ輝かせるのが精一杯だった。それが今では、尻尾全体へ力を集め、その状態を数秒維持できる。ゆっくりであれば、輝きを保ったまま動かすこともできるようになった。
残っている問題は一つ。
攻撃として勢いよく振り抜こうとすると、その瞬間に光が消えてしまうことだ。
あと一歩。
その一歩を越えられれば、『アイアンテール』は本当の意味でピカチュウの技になる。
そしてこの先に待っているニビジムは、いわタイプを得意としている。
もちろん、そのためだけに覚えさせているわけではない。『アイアンテール』はこの先、カントーを出て別の地方へ向かってからも使える大きな武器になる。
それでも、最初のジム戦を前に完成させられるのなら心強い。
「少し休んだら練習するか?」
「ピカ!」
即答だった。
その目を見れば、ピカチュウ自身も今日こそ完成させるつもりなのが分かる。
「よし。じゃあ休憩してからな」
「ピカ!」
◇
ポケモンセンターで身体を休めたあと、サトシたちは街の外れへ向かっていた。
さすがに街中で『アイアンテール』の練習をするわけにはいかない。人の少ない場所を探しながら歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。
「お前さん、旅のトレーナーか?」
足を止めて振り返る。
そこには、無精髭を生やした中年の男が立っていた。
どこかくたびれた雰囲気を漂わせているが、その目はサトシたちをしっかり観察している。
「そうですけど」
「マサラタウンから?」
「はい」
男はサトシの肩にいるピカチュウへ視線を移し、少し興味深そうに顎を撫でた。
「なら、ニビジムに挑戦するつもりか?」
「そのつもりです」
「ほう」
その顔を見ながら、サトシは記憶の中にある人物と重ね合わせていた。
ムノー。
ニビジムのジムリーダー、タケシの父親。
もちろん、初対面の今、それを知っているはずがない。余計なことは口にせず、サトシは相手の次の言葉を待った。
「ニビジムのタケシは手強いぞ。いわタイプのポケモンを鍛え上げている」
「知ってます」
「調べてきたのか?」
「ジムに挑むなら、そのくらいは」
本当は前世から知っているのだが、そう答えておく。
ムノーは意外そうに眉を上げ、それから少し笑った。
「最近の新人にしては準備がいいな」
「勝ちたいですから」
「自信は?」
その問いには、サトシもすぐには答えなかった。
絶対に勝てる。
そう言い切るのは簡単だ。
だが、知識として知っているタケシと、この世界で実際にポケモンを育て、ジムリーダーとして戦っているタケシは同じではない。
原作を知っているから勝てるわけではない。
ポケモンバトルは、相手がいて初めて成立する。
「あります。でも、やってみないと分かりません」
そう答えると、ムノーはしばらくサトシを見つめていた。
やがて小さく頷き、近くの岩場を指差す。
「……そうか。練習場所を探してるなら、あっちが空いてるぞ。街からも離れてるから、多少派手にやっても問題ない」
「ありがとうございます」
「ピカ!」
礼を言って歩き出す。
後ろからムノーがこちらを見ている気配はしたが、サトシは振り返らなかった。
今はまず、やるべきことがある。
◇
教えられた岩場へ着くと、サトシはピジョンとバタフリーを自由に飛ばした。
バタフリーには激しい特訓をさせず、ピジョンと一緒に旋回や上昇、下降、着地を繰り返して新しい身体へ慣れてもらう。ピジョンもそれを理解しているらしく、時折速度を落としながらバタフリーの隣を飛んでいた。
二匹を確認してから、サトシはピカチュウへ向き直る。
「よし。始めよう」
「ピカ!」
少し離れた場所には、倒れた太い枯れ木がある。
最終的にはあれへ攻撃を当てる。
だが、いきなりそこから始めるつもりはなかった。
「まずはいつも通り。尻尾に集中」
「ピカ……!」
ピカチュウが腰を落とし、意識を尻尾へ集めていく。
数秒後、尻尾の表面を硬質な輝きが包んだ。
以前のように一瞬で消えることはない。光は安定して尻尾へ留まっている。
「そのまま、ゆっくり動かしてみて」
「ピカ」
左右へ振る。
光は消えない。
「もう少し速く」
振る速度が上がる。
まだ大丈夫。
「そのまま――もっと速く!」
「ピカ!」
ピカチュウが一気に尻尾を振り抜いた。
その瞬間。
今まで維持されていた光が、ふっと消えた。
「……やっぱりか」
「ピカァ……」
ピカチュウが悔しそうに自分の尻尾を見つめる。
「もう一回やろう」
二度目。
同じだった。
三度目も、やはり全力で振り抜こうとした瞬間に光が消える。
ただ失敗を繰り返しても意味はない。
サトシは一度練習を止め、しゃがみ込んだ。
「ちょっと待って」
「ピカ?」
これまでの動きを頭の中で並べる。
力を集めることはできる。
維持もできる。
ゆっくりなら動かせる。
速度を上げても、途中までは問題ない。
なら、何が違う?
三回の失敗を思い返し――ある共通点に気づいた。
「……振る瞬間か」
「ピカ?」
「ピカチュウ。全力で振る時、尻尾にもう一回力を入れてないか?」
ピカチュウが自分の尻尾を見る。
何度か小さく振ってから、少し考えるように首を傾げ――やがて頷いた。
「ピカ」
「やっぱり」
強く当てようとするあまり、振り抜く瞬間にさらに力を込めようとしている。
そのせいで、それまで保っていた力の流れそのものが崩れているのかもしれない。
「だったら、尻尾だけで振ろうとしなくていい」
サトシは立ち上がると、自分の身体を使って見本を見せた。
「最初に作った状態はそのまま。尻尾に余計なことをさせないで、足と腰を使って身体ごと回す。こんな感じ」
腰を捻り、その回転へ腕をついてこさせる。
「ピカ……」
ピカチュウが真剣な顔で見ている。
「尻尾を振るんじゃなくて、身体を回した結果として尻尾がついてくる感じかな」
「ピカ!」
もう一度構える。
尻尾が輝く。
「焦らなくていい。今作ってる状態を崩さないことだけ考えろ」
「ピカ……!」
ピカチュウは右足を踏み込み、腰を捻った。
肩が動き、身体全体が回る。
最後に、その勢いへ引かれるように尻尾が振り抜かれた。
サトシは尻尾を凝視する。
光は――。
「消えてない!」
「ピカ!」
ピカチュウも振り返り、自分の尻尾を見る。
まだ輝いている。
初めて、全力に近い速度で振り抜いたあとまで維持できた。
「今の感覚、忘れるなよ」
「ピカ!」
次はいよいよ標的だ。
枯れ木の前へ立ち、もう一度尻尾へ力を集める。
硬質な輝き。
踏み込み。
身体の回転。
「行け!」
「ピカァ!」
輝く尻尾が枯れ木へ叩きつけられた。
バキッ!
乾いた音が岩場へ響き、木の表面が大きく抉れる。
ピカチュウは振り抜いた姿勢のまま止まった。
自分でできたことが信じられないのか、ゆっくりと尻尾を振り返る。
「ピカ……!」
サトシの顔にも笑みが広がった。
「やったな!」
「ピカピカ!」
嬉しさを抑えきれなくなったピカチュウが、そのままサトシへ飛びついてくる。
「っと!」
抱き止めながら、サトシもその頭を撫でた。
何日も続けてきた練習が、ようやく形になった。
ただし――これで終わりではない。
「でも、まだ一回だぞ」
「ピカ?」
「一回できただけで覚えたことにはしない。もう一度、同じようにできるか確かめよう」
「ピカ!」
ピカチュウもすぐに表情を引き締めた。
二度目は失敗した。
振り抜く途中で光が消え、ピカチュウが悔しそうに声を漏らす。
「ピカァ……」
「気にするな。さっきできたんだから、感覚は掴み始めてる」
三度目は成功。
四度目は途中で光が弱くなった。
五度目は成功した。
そこでサトシは一度休憩を入れる。
技を覚えることに夢中になって疲労を見落としたら、本末転倒だ。水を飲ませ、呼吸が完全に整うまで待ってから練習を再開する。
今度は静止状態だけではない。
数歩走ってから止まり、身体を回して振る。
成功。
次は走った勢いを残したまま。
「ピカ!」
バキッ!
再び枯れ木に傷が刻まれた。
「いいぞ。その感覚!」
少しずつ成功率が上がっていく。
失敗した時も、何が違ったのかをサトシとピカチュウで確かめ、すぐ次へ繋げる。
やがてピカチュウは、枯れ木から十分な距離を取って立った。
「これで最後にしよう」
「ピカ!」
ただ当てるだけではない。
今度は、すでに覚えている技と組み合わせる。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
地面を蹴った瞬間、ピカチュウの身体が加速した。
白い軌跡を残しながら、一気に枯れ木との距離を詰めていく。
「今だ!」
走りながら足を踏み込み、身体を捻る。
尻尾へ硬質な輝きが集まった。
消えない。
「アイアンテール!」
「ピッカァ!」
一閃。
バキィッ!
これまでで一番大きな音が響いた。
衝撃を受けた枯れ木が大きく傾き、その表面には先ほどまでとは比べものにならないほど深い跡が残っている。
ピカチュウは勢いを殺しながら着地した。
振り抜いた尻尾には、まだ光が残っていた。
数秒後。
役目を終えたように、輝きが自然と消える。
「……よし」
サトシは拳を握った。
最初の一度だけなら偶然だったかもしれない。
だが、もう違う。
静止状態。
移動してから。
そして『でんこうせっか』からの連携。
失敗もしたが、そのたびに修正し、何度も成功させた。
これなら技として使える。
「ピカチュウ」
「ピカ?」
「『アイアンテール』――覚えたな!」
「ピッカァ!」
ピカチュウが両手を上げて飛び跳ねる。
その声を聞きつけ、上空を飛んでいたピジョンとバタフリーも戻ってきた。
「ピジョー!」
「フリィ!」
二匹がピカチュウの周囲を飛び回り、ピカチュウも得意そうに尻尾を掲げる。
「ピカピカ!」
その姿を見ながら、サトシも笑った。
これでピカチュウが身につけた技は、『でんきショック』『でんこうせっか』『ほっぺすりすり』『エレキボール』、そして新しく加わった『アイアンテール』。
五つ目だ。
もちろん、これで終わりではない。
技を四つしか覚えられないなんて制限は、この世界には存在しない。覚えた技を忘れさせる必要もない。
これからもっと増やしていく。
ただ数を増やすだけではなく、それぞれを磨き、状況に応じて使い分けられるようにする。
それがサトシの目指している戦い方だった。
「よし。今日はここまで」
「ピカ?」
まだやりたい、と顔に書いてある。
サトシは笑いながら首を横に振った。
「駄目。ジム戦前に疲れ切ったら、何のために練習したのか分からないだろ」
「ピカァ……」
「休んで、それでも身体に問題なかったらジムに行こう」
「ピカ」
渋々ながらも納得したらしい。
サトシは水を差し出しながら、ニビシティの方角へ目を向けた。
準備は整った。
あとは――実戦で通用するかどうかだ。
◇
十分な休憩を取ったあと、サトシたちは夕方になる前にニビジムへ向かった。
街の一角に建つ大きな石造りの建物。
その前まで来ると、サトシは一度足を止めた。
ついに来た。
最初のジム。
ここで勝ってグレーバッジを手に入れれば、セキエイ大会へ続く最初の一歩になる。
前世では何度も見た場所。
それでも今は画面の向こう側ではない。
自分自身が挑戦者として、この扉の前に立っている。
「緊張してる?」
隣からカスミに聞かれ、サトシは少し考えてから頷いた。
「少しな」
「意外。もっと『絶対勝つ!』って勢いで突っ込むかと思ってた」
「勝つつもりだよ」
サトシは笑った。
「でも相手はジムリーダーだ。油断する理由はない」
勝つつもりで挑む。
だからこそ、相手を甘く見ることはしない。
サトシは扉へ手をかけた。
ゆっくりと開く。
中は外より薄暗く、ひんやりとした空気が流れていた。
広がっているのは、岩と土で作られたバトルフィールド。
その奥に、一人の少年が立っている。
細い目。
落ち着いた表情。
腕を組み、こちらを待っていた。
タケシ。
知っている。
だが、今ここで向き合っているのは、物語の登場人物ではない。
これから自分と戦う、一人のポケモントレーナーだ。
「挑戦者か?」
「ああ」
サトシは一歩前へ出た。
「マサラタウンのサトシ。ニビジムに挑戦しに来た」
タケシの視線がサトシを捉える。
次に肩のピカチュウ。
さらに後ろのピジョンとバタフリーへと移った。
一匹ずつ、状態まで確認するような視線だった。
「旅立って間もないようだな」
「そうだよ」
「それでも俺に挑むか?」
「そのためにニビシティまで来た」
迷いなく答える。
タケシの口元がわずかに動いた。
「いい目だ」
腕を解き、フィールドへ立つ。
「ニビジム、ジムリーダーのタケシだ。挑戦を受けよう」
「よろしく」
サトシも反対側へ移動した。
カスミはフィールドの端まで下がり、ピジョンも近くの岩へ降りる。ピカチュウはサトシの肩に残り、バタフリーはその隣を飛んでいた。
ルールは二対二。
タケシの使用ポケモン二匹を倒せば、サトシの勝利。
挑戦者であるサトシには、戦闘可能なポケモンへの交代が認められている。
説明を終えたタケシが、一つ目のモンスターボールを手に取った。
「俺の一匹目は――こいつだ!」
ボールを投げる。
「行け、イシツブテ!」
白い光がフィールドへ飛び、岩の身体を持つポケモンが姿を現した。
「イシツブテ!」
サトシは相手を観察する。
イシツブテ。
いわ・じめんタイプ。
ピカチュウの電気技は通らない。
だが、だからといって最初からピカチュウを温存することだけが理由ではなかった。
「バタフリー」
「フリィ?」
「行けるか?」
声をかけられたバタフリーはイシツブテを見たあと、迷うことなく前へ飛び出した。
「フリィ!」
タケシがわずかに眉を動かす。
「バタフリーか」
「進化したばかりだけど、こいつも戦いたがってる」
「なら遠慮はしない」
「もちろん」
初めてのジム戦。
その最初の一匹を任せる。
サトシは息を整え、イシツブテを見る。
「始め!」
先に動いたのはタケシだった。
「イシツブテ、たいあたり!」
「イシ!」
イシツブテが地面を蹴る。
岩の身体から想像するより速い。
だが、空を飛べるバタフリーには届かない。
「上だ!」
「フリィ!」
バタフリーが翼を広げ、一気に高度を上げる。
イシツブテが真下を通過した。
「かぜおこし!」
「フリィー!」
旋回したバタフリーが翼を振り抜く。
狙った方向へ風が走り、イシツブテへ正面からぶつかった。
昨日覚えたばかりの技。
それでも狙いは外していない。
「イシ!」
イシツブテが両腕を前に出し、足を踏ん張る。
風をまともに受けながらも、ほとんど後退しなかった。
「やっぱり硬いな」
「イシツブテはその程度の風では倒れない」
タケシの声は落ち着いている。
当然だ。
『かぜおこし』だけを撃ち続けて倒せるとは、サトシも思っていない。
「なら、動かす。バタフリー、低く!」
「フリィ!」
高度を落とす。
地面すれすれ。
あえてイシツブテの手が届く位置へ入った。
「近づいてきたか。イシツブテ、捕まえろ!」
「イシ!」
太い腕が伸びる。
「上!」
掴まれる寸前、バタフリーが急上昇した。
空振り。
イシツブテの腕だけが前へ伸びる。
「今だ、いとをはく!」
「フリィ!」
白い糸が飛んだ。
狙いは伸ばされた腕。
絡みつく。
「何?」
タケシが初めて明確な反応を見せた。
「続けろ!」
バタフリーが旋回しながら糸を吐く。
反対の腕。
身体。
さらに近くの岩へ。
キャタピーだった頃に使っていた技は、進化したからといって消えたわけではない。
完全に拘束するには、イシツブテの力が強すぎる。
それでも十分だった。
「イシツブテ、引きちぎれ!」
「イシ!」
両腕へ力を込める。
糸が軋む。
少しずつ伸び、何本かが切れ始めた。
「その前に、かぜおこし!」
「フリィー!」
強風が再びフィールドを駆け抜けた。
今度の狙いはイシツブテへダメージを与えることだけではない。
地面に積もっていた砂と細かな石が巻き上げられる。
「イシッ!」
イシツブテが目を閉じた。
「今だ!」
バタフリーが風の外側へ回り込む。
その姿を見ながら、サトシの頭に一つの選択肢が浮かんだ。
昨日。
スピアーの群れを相手に、バタフリーが初めて発現させた技。
『ねむりごな』。
まだ狙った範囲へ正確に撒くことはできない。
それでも――実戦で試さなければ分からないこともある。
「バタフリー、『ねむりごな』!」
「フリィ!」
翼が大きく羽ばたいた。
淡い粉が舞い上がる。
しかし、サトシはすぐに眉を寄せた。
「……広がりすぎだ!」
狙ったイシツブテだけではない。
粉は周囲へ大きく拡散してしまっている。
タケシも見逃さなかった。
「イシツブテ、今だ! 抜け出せ!」
「イシ!」
腕へ力を込め、残っていた糸を一気に引きちぎる。
そのまま粉の範囲から転がるように離れた。
「たいあたり!」
「イシツブテ!」
「バタフリー、避けろ!」
「フリッ!」
反応が一瞬遅れた。
『ねむりごな』を制御しようと意識を向けすぎていたのだろう。
イシツブテの身体が正面からぶつかる。
「フリィ!」
軽い身体が弾き飛ばされた。
「バタフリー!」
サトシの声に反応し、バタフリーが必死に翼を広げる。
地面へ落ちる寸前で浮き上がり、どうにか空中で体勢を立て直した。
「フリ……!」
苦しそうではある。
それでも目はまだ死んでいない。
「まだ行けるか?」
「フリィ!」
返ってきた声は力強かった。
なら戦いは続ける。
ただし、同じ失敗を繰り返すつもりはない。
「ねむりごなはもう使わない」
「フリ?」
「まだ練習中だ。無理に使いこなそうとしなくていい。今できる技で勝とう」
一瞬だけバタフリーがこちらを見る。
やがて大きく頷いた。
「フリィ!」
そのやり取りを見ていたタケシが口を開いた。
「一度使えた技を、あっさり捨てるのか」
「捨ててないよ」
サトシはイシツブテから目を離さず答えた。
「今は使わないだけだ。使いこなせない技に頼って負けたら意味ないからな」
「……なるほど」
短い言葉。
だが、タケシの雰囲気がわずかに変わった。
「なら、その判断が正しいか試してみろ。イシツブテ、もう一度たいあたり!」
「イシ!」
再びイシツブテが突進する。
「いとをはく!」
白い糸が飛ぶ。
だが今度はタケシも警戒している。
「避けろ!」
イシツブテが横へ動いた。
糸が地面へ張りつく。
「続けろ!」
二発目。
これも避ける。
三発目。
イシツブテがさらに横へ移動する。
カスミには、バタフリーが闇雲に糸を吐いているように見えたかもしれない。
だが、サトシの狙いはイシツブテそのものだけではない。
「そこ!」
四本目の糸。
避けようとしたイシツブテの片腕へ絡みつき、その先が先ほど地面へ張られた糸と繋がった。
「イシ!?」
身体が引かれ、動きが一瞬止まる。
「かぜおこし!」
「フリィー!」
強風が横から叩きつけられた。
イシツブテの身体が傾く。
「踏ん張れ!」
「イシ!」
耐える。
だが今度は片腕の自由が利かない。
「まだだ!」
バタフリーがさらに強く羽ばたく。
「フリィー!」
真正面から押すだけではない。
「横へ回れ!」
「フリィ!」
バタフリーが飛ぶ。
それに合わせて、風を受ける方向が変わった。
片腕を糸で引かれたままのイシツブテは、身体の向きを合わせきれない。
「イシッ!」
重心が崩れる。
横倒しになった。
「決めろ! たいあたり!」
「フリィー!」
バタフリーが一気に高度を取る。
翼を畳み気味にして急降下。
自分の体重だけでは足りないなら、速度を乗せればいい。
「イシツブテ、受け止めろ!」
イシツブテが両腕を上げようとする。
しかし片方は糸に引かれ、十分な位置まで動かせない。
そこへ――。
「フリィーッ!」
バタフリーが突っ込んだ。
鈍い衝撃音。
「イシィッ!」
イシツブテが地面を転がる。
一度。
二度。
やがて止まった。
「イシツブテ!」
タケシの声。
イシツブテは身体を起こそうとした。
腕が動く。
だが、そこで力が抜けた。
再び地面へ沈む。
しばらく待っても起き上がらない。
判定が下った。
「イシツブテ、戦闘不能!」
「よし!」
サトシが拳を握る。
「フリィ!」
バタフリーが嬉しそうに舞い上がった。
「やったな、バタフリー!」
「フリィー!」
観戦していたピカチュウも飛び跳ねる。
「ピカピカ!」
岩の上にいたピジョンも大きく翼を広げた。
「ピジョー!」
初めてのジム戦。
その最初の一戦を、バタフリーが勝ち取った。
タケシは倒れたイシツブテをしばらく見たあと、モンスターボールを向ける。
「よくやった。休め」
赤い光に包まれ、イシツブテが戻っていく。
それからタケシは改めてサトシを見た。
「旅立ったばかりだと聞いたが……ずいぶん鍛えているな」
「旅立つ前から、ずっと準備してきたから」
「そのバタフリーもか?」
「こいつは仲間になったばかりだよ」
「何?」
「昨日キャタピーを捕まえて、今日バタフリーになった」
それまでほとんど表情を崩さなかったタケシが、初めてはっきりと驚いた。
「今日?」
「うん」
タケシは空中のバタフリーを見る。
「……そうか」
短い沈黙のあと、静かに頷いた。
「なら、なおさら大したものだ」
「フリィ!」
褒められたことが分かったのか、バタフリーが嬉しそうに鳴く。
サトシも笑ったが、すぐにその呼吸へ目を向けた。
少し荒い。
イシツブテの『たいあたり』も受けている。
まだ戦おうと思えば戦えるだろう。
けれど、ここで無理をさせる必要はない。
「バタフリー、戻ってくれ」
「フリ?」
「十分だ。初めてのジム戦で一勝したんだからな」
バタフリーは一度、タケシの方を見る。
まだ戦いたい。
そんな気持ちがあるのは、表情を見れば分かった。
それでもサトシを見返すと、最後には素直に飛んで戻ってきた。
「フリィ……」
「よく頑張った」
両腕で受け止め、頭を撫でる。
「本当に強くなったな」
「フリィ!」
満足そうに鳴いたバタフリーを、サトシは観戦場所にいるカスミへ預けた。
「ちょっと見ててくれる?」
「任せて。お疲れさま、バタフリー」
「フリィ」
そして――。
フィールドの空気が変わった。
タケシが二つ目のモンスターボールを手にしている。
「では、俺の最後の一匹だ」
ボールを構える。
「行け、イワーク!」
白い光がフィールドへ飛んだ。
先ほどのイシツブテとは比べものにならないほど、大きな光。
次の瞬間。
「グオオオオッ!」
咆哮とともに、巨大な身体がフィールドへ姿を現した。
岩がいくつも連なったような長大な身体。
天井近くまで伸びた頭。
イワークが身体を動かすだけで地面が低く震え、足元の小石が跳ねる。
カスミが思わず息を呑んだ。
「やっぱり大きい……」
サトシも目の前のイワークを見上げる。
知識としては知っていた。
前世では画面越しに何度も見ている。
それでも、実際に目の前に立たれるとまるで違った。
大きい。
重い。
そして――強い。
「……いいな」
思わず口元が上がる。
怖くないわけではない。
あれと戦うのだと思えば、身体には自然と緊張が走る。
けれど、それ以上に胸が高鳴っていた。
強い相手と戦える。
自分と相棒が積み重ねてきたものを、試すことができる。
「ピカチュウ」
「ピカ!」
呼ばれる前から、ピカチュウはサトシの隣へ来ていた。
サトシが見下ろす。
ピカチュウもこちらを見上げる。
長い言葉はいらなかった。
「行けるな?」
「ピッカ!」
ピカチュウがフィールドへ飛び出した。
小さな黄色い身体と、巨大な岩の蛇。
並べば体格差は圧倒的だ。
タケシがわずかに眉を動かす。
「ピカチュウか」
「ああ」
「相性は分かっているのか?」
「もちろん」
イワークはいわ・じめんタイプ。
普通に電気技を撃つだけでは通らない。
だが、サトシはそれを知らずにピカチュウを選んだわけではない。
ピカチュウの強さは電気技だけではない。
これまで磨いてきた速さ。
『でんこうせっか』。
接近戦で使える『ほっぺすりすり』。
状況次第では『エレキボール』も使える。
そして今日。
ようやく完成させた、新しい武器がある。
「ピカチュウ」
「ピカ!」
「さっき覚えたばかりだけど――実戦で試すぞ」
「ピカ!」
ピカチュウが腰を落とした。
尻尾へ意識を集中する。
数時間前まで、勢いよく振ろうとすれば消えていた輝き。
それが今は、はっきりと尻尾を包んでいる。
硬質な光を見たタケシの表情が変わった。
「その技は……!」
サトシはイワークを見上げる。
最初のジムバッジまで、あと一勝。
だが、ここからが本番だ。
「行くぞ、ピカチュウ!」
「ピカ!」
サトシが腕を振り抜く。
「アイアンテール!」
「ピッカァァ!」
輝く尻尾を構えたピカチュウが地面を蹴る。
巨大なイワークも迎え撃つように身体を持ち上げた。
ニビジム最後の一戦。
ピカチュウとイワークの戦いが――始まった。