ポケットモンスター ―君と目指す頂―   作:あああああ

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第37話 でんげきたいけつ!クチバジム

海沿いに広がる港町、クチバシティ。

 

大きな船が行き交う港を中心に多くの建物が並び、これまで訪れたニビシティやハナダシティとはまた違った賑わいを見せている。

 

ようやく辿り着いた街を前に、サトシは自然と足を止めていた。

 

「ここがクチバシティか……!」

 

「ピカ!」

 

肩の上のピカチュウも、初めて見る港町へ興味津々といった様子で周囲を見回している。

 

「とりあえずポケモンセンターへ行きましょ。昨日からずっと歩きっぱなしなんだから」

 

「そうだな。ジム戦の前にみんなの体調も確認してもらった方がいい」

 

カスミとタケシの意見にサトシも頷いた。

 

昨日は新しい『10まんボルト』の特訓までしている。ピカチュウ自身は元気そうだが、だからといって確認を怠る理由はない。

 

三人は街の人に場所を尋ねながらポケモンセンターへ向かった。

 

ところが――。

 

自動ドアを抜けたサトシたちが最初に目にしたのは、予想していたものとは違う光景だった。

 

「急いで! この子も治療室へ!」

 

ジョーイの声が響き、ラッキーが担架を押していく。

 

その上には、傷ついてぐったりとしたポケモンが横たわっていた。

 

さらに待合室にも、包帯を巻かれたポケモンと、その傍らで心配そうに治療を待つトレーナーたちがいる。

 

「何があったの……?」

 

カスミが思わず声を落とす。

 

一匹や二匹ではない。

 

何匹ものポケモンが、明らかに激しいバトルをした後の状態で運び込まれている。

 

サトシには、この光景に覚えがあった。

 

(やっぱり……原作と同じか)

 

クチバジム。

 

そのジムリーダーであるマチスと、彼のライチュウ。

 

前世で見たアニメでも、マチスへ挑んだ多くのトレーナーが強烈な電撃の前に敗れていた。

 

もっとも、記憶だけで今の状況を決めつけるつもりはない。

 

サトシは近くにいたトレーナーへ声をかけた。

 

「そのポケモン、ジム戦で?」

 

「ああ……」

 

少年が悔しそうに頷く。

 

「クチバジムだよ。あのライチュウ、強すぎるんだ。こっちの攻撃なんてほとんど通らなかった」

 

やはり。

 

サトシの目が細くなる。

 

「ピカ……」

 

肩の上のピカチュウも、治療を受けているポケモンたちを真剣な表情で見ていた。

 

「サトシ」

 

タケシが隣へ来る。

 

「挑むのか?」

 

「ああ」

 

迷いはなかった。

 

相手が強いからこそ戦いたい。

 

それに、ここまで旅を続けてきた目的の一つが各地のジムへ挑戦し、セキエイ大会への出場権を得ることなのだ。

 

ただし、勢いだけで突っ込むつもりもない。

 

サトシはジョーイに手持ち全員の健康状態を確認してもらった。

 

ピカチュウも昨日の特訓による疲労はほとんど残っておらず、バトルに問題はない。

 

それを確認してから、サトシはポケモンセンターを出た。

 

目指す場所は一つ。

 

クチバジムだ。

 

◇

 

クチバジムの扉を開けると、サトシたちを出迎えたのは、これまでのジムとは違う独特な空気だった。

 

内部にはトレーニング器具が並び、何人もの屈強な男たちが身体を鍛えている。

 

「なんか……ポケモンジムっていうよりトレーニングジムみたいね」

 

カスミが呟く。

 

「確かにな」

 

タケシも周囲を見回す。

 

その時だった。

 

「おいおい、またベイビーが来たのか?」

 

奥から豪快な声が響いた。

 

サトシが顔を上げる。

 

大柄な男がこちらへ歩いてくる。

 

短い金髪。

 

鍛え上げられた身体。

 

そして、その足元には一匹のポケモンがいた。

 

橙色の身体。

 

長く伸びた耳。

 

太く長い尻尾の先には、雷を思わせる形。

 

ライチュウ。

 

「ピカ……」

 

ピカチュウがサトシの肩から相手を見つめる。

 

ライチュウもこちらに気づき、鼻を鳴らした。

 

「ライ」

 

サトシは男へ向き直った。

 

「あなたがジムリーダーのマチス?」

 

「そういうお前は?」

 

「マサラタウンのサトシ。クチバジムへ挑戦しに来た」

 

マチスはサトシを見る。

 

続いて肩のピカチュウへ視線を移した。

 

一瞬の沈黙。

 

そして豪快に笑い始める。

 

「HAHAHA! なんだ、そのベイビーは!」

 

「ベイビー?」

 

「ピカ?」

 

「そんなちっこいピカチュウで、俺のライチュウと戦うつもりか?」

 

マチスがライチュウの肩へ手を置く。

 

「強くなりたいなら進化させる! それが一番早いのさ!」

 

サトシは黙ってライチュウを見る。

 

マチスの言っていることがすべて間違っているとは思わない。

 

進化によって身体能力や扱える力が大きく伸びるポケモンは多い。

 

だが――。

 

「進化するかどうかは、ポケモン自身が決めることだろ」

 

マチスの眉が動いた。

 

「俺が強くしたいからって、無理やり進化させるつもりはない」

 

「甘いな、ベイビー」

 

「そうかな」

 

サトシは肩のピカチュウを見る。

 

「少なくとも、俺はこいつと今までそれでやってきた」

 

「ピカ!」

 

ピカチュウが肩から飛び降りる。

 

戦闘フィールドへ着地すると、ライチュウへ真っ直ぐ向き合った。

 

マチスが口元を吊り上げる。

 

「いいぜ。その自信がどこまで通じるか試してやる」

 

◇

 

フィールドの両端へ、サトシとマチスが立つ。

 

カスミとタケシは観客側へ回っていた。

 

「使用ポケモンは一体。どちらかが戦闘不能になった時点で終了だ!」

 

審判の宣言が響く。

 

サトシの前にはピカチュウ。

 

マチスの前にはライチュウ。

 

同じ進化系統に属する二匹が向かい合う。

 

体格差は大きい。

 

だが、サトシはそれだけで勝敗が決まるとは思っていなかった。

 

「ピカチュウ、いけるな?」

 

「ピカ!」

 

「ライチュウ、ベイビーに本物の電撃ってやつを教えてやれ!」

 

「ライ!」

 

審判が腕を振り下ろす。

 

「始め!」

 

先に動いたのはサトシだった。

 

「ピカチュウ、『でんこうせっか』!」

 

「ピカ!」

 

地面を蹴ったピカチュウの姿が一気に加速する。

 

一直線には行かない。

 

左右へ細かく軌道を変えながら、ライチュウとの距離を詰める。

 

マチスが僅かに眉を上げた。

 

「思ったより速いじゃねえか! ライチュウ、迎え撃て!」

 

「ライ!」

 

ライチュウが身体を捻る。

 

太い尻尾が横薙ぎに振るわれた。

 

「跳べ!」

 

ピカチュウが地面を蹴る。

 

尻尾が足元を通り抜けた直後、ピカチュウは空中で身体を捻った。

 

「『アイアンテール』!」

 

「ピカァ!」

 

白く輝いた尻尾がライチュウの肩へ叩き込まれる。

 

「ライッ!」

 

ライチュウの身体が横へ揺れた。

 

「よし!」

 

カスミが声を上げる。

 

しかしライチュウは倒れない。

 

すぐに踏み止まり、目の前のピカチュウを睨んだ。

 

「ライ……!」

 

「捕まえろ!」

 

「ライチュウ!」

 

ライチュウが腕を伸ばす。

 

「離れろ!」

 

ピカチュウもすぐ後ろへ跳ぶが、ライチュウの指先が身体を掠めた。

 

その僅かな接触で姿勢が崩れる。

 

マチスは逃さない。

 

「いけ! 電撃だ!」

 

「ライチュウゥゥ!」

 

眩い電撃がフィールドを走る。

 

「ピカチュウ、横へ!」

 

「ピカッ!」

 

ピカチュウが転がるように避ける。

 

電撃が地面へ直撃し、焦げ跡を残した。

 

サトシの表情が引き締まる。

 

(やっぱり出力が高い)

 

昨日覚えた『10まんボルト』も強力だ。

 

だが、目の前のライチュウが持つ電力は明らかに大きい。

 

進化した身体で、強い電気を無理なく扱っている。

 

「どうしたベイビー! 逃げてるだけじゃ勝てないぜ!」

 

「言われなくても!」

 

サトシはライチュウを見る。

 

正面から電撃の威力比べをする必要はない。

 

「ピカチュウ、もう一度『でんこうせっか』!」

 

「ピカ!」

 

ピカチュウが駆ける。

 

今度はライチュウの周囲を大きく回り込む。

 

「追え、ライチュウ!」

 

ライチュウが身体の向きを変える。

 

だが、ピカチュウはその瞬間に逆方向へ切り返した。

 

「なに!?」

 

「今だ、『アイアンテール』!」

 

ピカチュウが低い姿勢から飛び込み、輝く尻尾を振り抜く。

 

今度は腹部。

 

「ライッ!」

 

まともに受けたライチュウが数歩後退した。

 

「当たってる!」

 

カスミが身を乗り出す。

 

タケシはそれでも表情を緩めなかった。

 

「いや……ライチュウもまだ余裕がある」

 

その言葉通りだった。

 

ライチュウは腹部を押さえながらも、すぐに立ち直る。

 

マチスの顔から、先ほどまでの軽い笑みが消えていた。

 

「なるほどな」

 

「?」

 

「ただのベイビーじゃねえらしい」

 

マチスが歯を見せて笑う。

 

「だったらこっちも少し本気でいくぜ!」

 

ライチュウが頬から激しく火花を散らす。

 

サトシは息を整えた。

 

ここからだ。

 

◇

 

「ライチュウ、電撃で動きを止めろ!」

 

強烈な電気が広い範囲へ放たれる。

 

ピカチュウは走る。

 

一発目をかわす。

 

二発目も横へ跳んで避ける。

 

だが、ライチュウの電撃は単純に一点だけを狙ったものではない。広く撒き散らされた電気が地面を走り、逃げ道そのものを狭めていく。

 

「ピカッ!」

 

一本がピカチュウの足を掠めた。

 

動きが一瞬鈍る。

 

「今だ!」

 

「ライ!」

 

ライチュウが一気に距離を詰めた。

 

「ピカチュウ!」

 

太い腕が振り抜かれる。

 

ピカチュウは直撃寸前で身体を沈めた。

 

「『ほっぺすりすり』!」

 

「ピカ!」

 

すれ違いざまにライチュウへ身体を寄せ、小さな電気を流し込む。

 

「ライッ!?」

 

ライチュウの身体が一瞬硬直した。

 

「そこだ! 『アイアンテール』!」

 

「ピカァ!」

 

振り向きざまの一撃が脇腹へ叩き込まれる。

 

ライチュウが大きく後退した。

 

「やった!」

 

カスミが拳を握る。

 

今度は明らかに効いた。

 

ライチュウも少し息を荒くしている。

 

「……やるじゃねえか」

 

マチスが低く呟く。

 

サトシはピカチュウを見る。

 

「いけるか?」

 

「ピカ!」

 

まだ動ける。

 

ならば――。

 

「試すぞ」

 

昨日、二人で完成させたばかりの技。

 

「ピカチュウ、『10まんボルト』!」

 

「ピィィカァァァ――チュウゥゥッ!!」

 

全身へ巡らせた電気が、一気に解放される。

 

黄色い閃光がフィールドを貫く。

 

マチスの目が見開かれた。

 

「10まんボルトだと!?」

 

ライチュウへ直撃。

 

激しい電撃がその巨体を包み込む。

 

「ライチュウゥッ!」

 

爆ぜる電気。

 

床を走る火花。

 

攻撃が収まった時、ライチュウは片膝をついていた。

 

「よし!」

 

サトシは思わず拳を握る。

 

だが。

 

「ピカ……」

 

ピカチュウの呼吸も乱れていた。

 

昨日覚えたばかりの技。

 

安定して放てるようにはなったが、まだ最大出力を何度も連続で使えるほど身体に馴染んではいない。

 

一方、ライチュウがゆっくりと立ち上がる。

 

「ライ……チュウ……!」

 

「まだ立つのか」

 

サトシは驚きながらも笑った。

 

強い。

 

やはり強い。

 

それでこそジムリーダーのエースだ。

 

マチスも同じように笑っていた。

 

「いい電撃だ。だがな――」

 

ライチュウの頬から、先ほどまで以上の電気が溢れ出す。

 

「電気のパワー勝負なら、俺たちは負けねえ!」

 

「ライチュウ!」

 

フィールド全体を照らすほどの光。

 

「ピカチュウ、避けろ!」

 

ピカチュウが駆け出す。

 

だが疲労が出始めている。

 

序盤ほどの速度はない。

 

ライチュウの電撃が追いかける。

 

一度はかわした。

 

二度目もぎりぎりで避ける。

 

三度目。

 

「ピカッ!」

 

ついに直撃した。

 

「ピカチュウ!」

 

小さな身体が地面を転がる。

 

それでもピカチュウは前脚をつき、立ち上がった。

 

「ピカ……!」

 

「まだやるか、ピカチュウ?」

 

「ピカ!」

 

迷いのない返事。

 

サトシも頷く。

 

「だったら最後まで行くぞ!」

 

「ピカ!」

 

ピカチュウが再び走り出す。

 

「『でんこうせっか』!」

 

残った力を振り絞り、ライチュウへ迫る。

 

「真正面から潰せ!」

 

「ライ!」

 

ライチュウも前へ出た。

 

「直前で横だ!」

 

ピカチュウが切り返す。

 

ライチュウの攻撃を避け、その脇へ滑り込む。

 

「『アイアンテール』!」

 

「ピカァ!」

 

輝く尻尾が振り抜かれる。

 

だが――。

 

「ライ!」

 

ライチュウの太い尻尾がそれを受け止めた。

 

金属音のような衝撃が響く。

 

「止めた!?」

 

一瞬、力が拮抗する。

 

しかし体格ではライチュウが圧倒的に上だった。

 

「押し返せ!」

 

「ライチュウ!」

 

ライチュウが力任せに尻尾を振り抜く。

 

「ピカッ!」

 

ピカチュウの身体が宙へ浮いた。

 

「まずい!」

 

タケシが声を上げる。

 

着地するより早く、マチスが叫んだ。

 

「決めろ!」

 

ライチュウの全身から電気が溢れ出した。

 

空中。

 

避ける場所がない。

 

サトシの目が見開かれる。

 

「ピカチュウ――!」

 

電撃が直撃した。

 

「ピカァァァッ!」

 

小さな身体が光に包まれる。

 

やがて電撃が消え、ピカチュウが地面へ落ちた。

 

「ピカ……」

 

立とうとする。

 

前脚へ力を込める。

 

身体が震えながらも、ピカチュウは顔を上げた。

 

「ピカ……チュ……」

 

まだ戦おうとしている。

 

だが、その足はまともに立てていない。

 

サトシは一瞬だけ拳を握った。

 

勝ちたい。

 

ピカチュウも勝ちたい。

 

それでも――。

 

「そこまでだ」

 

審判より先に、サトシが声を上げた。

 

「……ピカ?」

 

「もういい、ピカチュウ」

 

サトシはフィールドへ入り、ピカチュウの前へしゃがむ。

 

「今は俺たちの負けだ」

 

「ピカ……」

 

悔しそうな声。

 

サトシはそっとピカチュウを抱き上げた。

 

「勝ちたいからって、お前が立てなくなるまで戦わせるつもりはない」

 

ピカチュウがサトシを見る。

 

「次だ」

 

「ピカ?」

 

「負けたなら、次に勝てばいい」

 

サトシは笑った。

 

「俺たちならできる」

 

少しの沈黙の後、ピカチュウは悔しさを残しながらも頷いた。

 

「……ピカ」

 

審判が腕を上げる。

 

「サトシ選手の棄権により、勝者――ジムリーダー、マチス!」

 

初めてのクチバジム挑戦。

 

結果は敗北だった。

 

◇

 

ポケモンセンターへ戻ると、ピカチュウはすぐに治療室へ運ばれた。

 

幸い、深刻な怪我ではなかった。

 

しっかり休めば問題なく回復する。

 

その言葉を聞き、サトシはようやく肩の力を抜いた。

 

「惜しかったわね」

 

隣に座ったカスミが言う。

 

「あそこまで追い詰めたんだから、もう少しだったのに」

 

「いや」

 

サトシは首を振った。

 

「最後はちゃんと負けたよ」

 

『10まんボルト』は通用した。

 

『でんこうせっか』も『アイアンテール』も十分に戦えた。

 

だからこそ見えたこともある。

 

ライチュウの電撃出力。

 

進化した身体の頑丈さ。

 

そして、ピカチュウとの速度差。

 

「次は勝つ」

 

「もう作戦があるのか?」

 

タケシが尋ねる。

 

「少しな」

 

前世の記憶には答えがある。

 

原作では、マチスがピカチュウを早くライチュウへ進化させたことで、進化前に覚える素早い技を十分に身につけさせていなかった。

 

そのため再戦では、ピカチュウの速度が大きな武器になった。

 

ただし――。

 

(本当に同じかどうかは、今日のバトルで見た)

 

ライチュウは強い。

 

体格も、電撃の威力も上。

 

だが急な方向転換への反応は遅かった。

 

ピカチュウが『でんこうせっか』で大きく回り込んだ時も、身体の向きを変えるまでに僅かな間があった。

 

記憶だけを信じるのではなく、実際に戦ったことで確認できた。

 

そこなら突ける。

 

「サトシ君」

 

ジョーイの声に顔を上げる。

 

治療を終えたピカチュウが、ジョーイに抱かれて戻ってきた。

 

「ピカ!」

 

「ピカチュウ!」

 

サトシが立ち上がる。

 

ピカチュウは腕から飛び降り、そのままサトシの胸へ飛び込んだ。

 

「元気になったな」

 

「ピカ!」

 

「よかった……」

 

カスミも安心したように笑う。

 

だが、ジョーイはその場を離れなかった。

 

「サトシ君。少し考えてみる?」

 

「何を?」

 

ジョーイが取り出したものを見て、サトシはすぐに理解した。

 

手のひらほどの大きさをした、黄色い石。

 

内部に雷のような模様が走っている。

 

「かみなりのいし……」

 

ピカチュウも石を見る。

 

「ピカ……」

 

「そう。これを使えば、ピカチュウはライチュウへ進化できるわ」

 

カスミとタケシが黙る。

 

サトシは石を見つめた。

 

前世で見た光景と同じだった。

 

原作のサトシも、この石を前に悩んだ。

 

ライチュウへ進化すれば、純粋な身体能力や電力は上がる可能性が高い。

 

今日の敗北を考えれば、分かりやすい強化手段でもある。

 

けれど。

 

サトシは石を手に取ると、ピカチュウの前へしゃがんだ。

 

「ピカチュウ」

 

「ピカ?」

 

「俺は決めない」

 

「……ピカ?」

 

「これはお前の進化だから」

 

サトシはかみなりのいしを差し出した。

 

「ライチュウになりたいなら使おう。ピカチュウのままでいたいなら使わない。どっちを選んでも、俺はお前と一緒に戦う」

 

静かになった。

 

誰も口を挟まない。

 

ピカチュウは黄色い石を見る。

 

次に、自分の身体を見る。

 

そして――。

 

今日戦ったライチュウの姿を思い出すように、しばらく目を閉じた。

 

やがて目を開く。

 

「ピカ」

 

小さな前脚が動いた。

 

かみなりのいしへ触れる――ことはなかった。

 

ピカチュウはゆっくり首を横へ振った。

 

「ピカ、ピカチュウ」

 

サトシには、その意思が十分に伝わった。

 

「このまま勝ちたいんだな」

 

「ピカ!」

 

即答だった。

 

ライチュウになって勝つのではない。

 

今の自分のまま。

 

ピカチュウとして、あのライチュウを超えたい。

 

サトシの口元に笑みが浮かぶ。

 

「分かった」

 

かみなりのいしを握る。

 

「じゃあ、進化はしない」

 

「ピカ!」

 

「その代わり――」

 

サトシは拳を前へ出した。

 

「次は勝つぞ」

 

ピカチュウも小さな前脚をそこへ合わせる。

 

「ピカ!」

 

ジョーイは微笑みながら、かみなりのいしをサトシへ預けた。

 

今使わないからといって、捨てる必要はない。

 

いつかピカチュウの気持ちが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

 

答えは、その時にまた決めればいい。

 

◇

 

その日の夕方。

 

サトシたちは街外れの広場にいた。

 

ピカチュウの身体にはまだ少し疲労が残っているため、激しい特訓はしない。

 

今日の目的は身体を鍛えることではなく、戦い方を整理することだった。

 

地面へ小石を並べ、サトシは簡単なフィールドを作る。

 

「ライチュウの強いところは分かりやすい」

 

ピカチュウが隣で聞いている。

 

カスミとタケシも少し離れた場所に座っていた。

 

「電撃の威力。身体の大きさ。それに一発一発の攻撃の重さ」

 

「ピカ」

 

「正面から全部受けたら、俺たちが不利だ」

 

ピカチュウは悔しそうにしながらも頷く。

 

「でも、逆もある」

 

サトシは小石の一つをライチュウに見立てる。

 

「今日、お前が横へ回り込んだ時、ライチュウは追い切れてなかった」

 

「ピカ?」

 

「特に急に方向を変えた時だ」

 

タケシも頷いた。

 

「俺も見ていた。直線的な攻撃への反応は速かったが、細かく動かれると身体の向きを変えるのに少し時間がかかっていたな」

 

「そう」

 

サトシは前世の記憶を思い返す。

 

早く進化したライチュウ。

 

ピカチュウ時代に身につけるはずだった速度を活かす戦い。

 

原作では、それが勝敗を分けた。

 

そして今日、自分の目でも確認した。

 

「俺たちが勝つなら――速さだ」

 

ピカチュウの耳が立つ。

 

「電撃の威力だけで勝とうとしない。『10まんボルト』だって、真正面から撃ち合うためだけに覚えたんじゃない」

 

「ピカ!」

 

「『でんこうせっか』で翻弄して、『アイアンテール』で崩す。『エレキボール』も使える。俺たちが今まで身につけてきた全部を使う」

 

サトシは拳を握る。

 

初戦では新しく覚えた『10まんボルト』を試したい気持ちもあった。

 

だが、それだけでは足りなかった。

 

一つの強い技に頼るのではない。

 

ピカチュウがこれまで積み上げてきたものすべてで戦う。

 

「明日は無理だ」

 

サトシが言う。

 

「今日はちゃんと休む。身体が完全に戻ってから再戦する」

 

「ピカ」

 

そこだけは譲らない。

 

ピカチュウも分かっているのか、素直に頷いた。

 

◇

 

そして翌日。

 

ジョーイから問題なく戦えるまで回復したと確認してもらったサトシたちは、再びクチバジムの前へ立っていた。

 

昨日と同じ建物。

 

昨日と同じ扉。

 

しかし、サトシとピカチュウの表情は違っていた。

 

「準備はいいか?」

 

「ピカ!」

 

扉を開ける。

 

奥では、マチスとライチュウが待っていた。

 

「ん?」

 

マチスがサトシたちに気づく。

 

そして笑った。

 

「HAHAHA! 昨日のベイビーじゃねえか!」

 

「昨日はどうも」

 

「またやられに来たのか?」

 

サトシは首を横へ振る。

 

肩からピカチュウが飛び降り、昨日と同じフィールドへ歩いていく。

 

「違う」

 

サトシも一歩前へ出た。

 

「今度は勝ちに来た」

 

「ピカ!」

 

ピカチュウの頬から電気が弾ける。

 

ライチュウも前へ出て、太い尻尾を持ち上げた。

 

「ライ!」

 

マチスの笑みが深くなる。

 

「面白え」

 

昨日敗れた相手。

 

圧倒的な電撃と身体能力を持つライチュウ。

 

それでも、もう迷いはない。

 

進化ではなく。

 

自分たちが積み重ねてきた力で超える。

 

サトシとピカチュウの、クチバジム再戦が始まろうとしていた。

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