ポケットモンスター ―君と目指す頂―   作:あああああ

4 / 53
第4話 少しずつ、友達に

ガルーラの群れの中に、ピチューがいる。

 

その事実を知ったからといって、サトシは毎日そこへ通うことはしなかった。

 

オーキド博士から任されているのは、野生ポケモンの観察だ。

 

ポッポの群れを追う日もあれば、コラッタがどんな場所で餌を探すのか調べる日もある。研究所へ戻ればポケモンたちの世話を手伝い、空いた時間には波導の練習も続ける。

 

そんな日々の中で、何日かに一度、ガルーラの群れを観察する。

 

それがサトシの新しい楽しみになっていた。

 

「……今日も元気そうだな」

 

木の根元に座り、ノートへ記録する。

 

少し離れた場所では、ガルーラたちがのんびりと過ごしていた。

 

そして、その中を小さな黄色い影が走り回っている。

 

「ピチュ!」

 

ピチューだ。

 

ガルーラの子供と追いかけっこをしている。

 

転んでもすぐに立ち上がり、今度はガルーラの尻尾へ飛びつこうとして失敗していた。

 

「元気すぎるだろ」

 

思わず笑ってしまう。

 

その声が聞こえたのか。

 

「ピチュ?」

 

ピチューがこちらを見た。

 

目が合う。

 

サトシは何もしなかった。

 

ただ軽く手を上げる。

 

「よっ」

 

「ピチュ……」

 

ピチューはしばらくこちらを見つめていたが、すぐにガルーラのところへ戻っていった。

 

それだけ。

 

最初は、それで十分だった。

 

◇

 

次に観察へ来た時も、ピチューはこちらに気づいた。

 

さらにその次も。

 

サトシが木の下でノートを書いていると、遠くからじっと見ている。

 

サトシも気づいていたが、呼び寄せることはしなかった。

 

未来を知っている自分にとって、ピチューは特別な存在だ。

 

けれどピチューにとって、サトシはまだ「時々森に現れる人間」でしかない。

 

ならば、急ぐ必要はない。

 

むしろサトシが気になったのは、ピチューだけではなかった。

 

ガルーラたちも、以前ほど自分を警戒しなくなっている。

 

最初はサトシが少し動くだけでもこちらを確認していた。

 

今では、遠くで座っている程度なら気にしない。

 

それはきっと、何度来てもサトシが何もしてこなかったからだ。

 

近づかない。

 

追いかけない。

 

触ろうとしない。

 

群れの邪魔をしない。

 

それを繰り返した結果なのだろう。

 

信頼というにはまだ早い。

 

ただ、「危険ではない」と認識され始めている。

 

サトシはそれで十分だと思った。

 

◇

 

ある日のこと。

 

サトシはガルーラの群れから少し離れた場所で、一匹のナゾノクサを観察していた。

 

「葉っぱの向きが……」

 

ノートに書き込みながら、ナゾノクサの周囲を確認する。

 

しばらくすると、背後から小さな物音がした。

 

カサッ。

 

サトシは振り返らない。

 

音は止まった。

 

少し待つ。

 

再び――。

 

カサッ。

 

今度はさっきより近い。

 

――なんだ?

 

波導を使おうとはせず、耳だけで様子を探る。

 

やがて、木の陰から小さな耳が覗いた。

 

サトシは思わず笑いそうになった。

 

「……見えてるぞ」

 

「ピチュ!?」

 

ピチューが慌てて頭を引っ込めた。

 

「別に隠れなくても何もしないって」

 

返事はない。

 

サトシもそれ以上構わず、再びナゾノクサの観察へ戻った。

 

数分後。

 

また気配を感じる。

 

ちらりと横を見る。

 

今度は別の木の陰からピチューが顔を出していた。

 

目が合う。

 

「ピチュ」

 

サトシは何も言わず、ノートへ視線を戻した。

 

すると今度は逃げなかった。

 

ピチューは木の陰から出てくる。

 

まだ距離はかなりある。

 

それでも、これまでより明らかに近い。

 

サトシがノートへ何かを書く。

 

ピチューが首を傾げる。

 

サトシがナゾノクサを見る。

 

ピチューもナゾノクサを見る。

 

「……もしかして、何してるのか気になるのか?」

 

「ピチュ?」

 

通じているかは分からない。

 

それでもピチューは逃げなかった。

 

しばらくするとナゾノクサが歩き始めた。

 

サトシは少し距離を取りながら観察を続ける。

 

すると――。

 

「ピチュ!」

 

なぜかピチューまで後ろをついてきた。

 

「お前も来るのかよ」

 

サトシが笑う。

 

ピチューは答えるように鳴いた。

 

もちろん、まだ隣を歩くほど近くはない。

 

サトシが数歩進めば、ピチューも少し離れて進む。

 

サトシが止まれば、ピチューも止まる。

 

そんな奇妙な時間がしばらく続いた。

 

やがてナゾノクサが茂みの奥へ消えていく。

 

「今日はここまでかな」

 

サトシがノートを閉じた。

 

その時だった。

 

「ピチュ!」

 

突然、ピチューが横へ走った。

 

「ん?」

 

少し先に、小さな木の実が落ちている。

 

ピチューは嬉しそうに駆け寄ろうとして――。

 

足元の蔓に引っかかった。

 

「ピチュ!?」

 

身体が前へ傾く。

 

その先には、地面から飛び出した太い木の根があった。

 

「危ない!」

 

サトシは反射的に駆け出した。

 

間に合う。

 

倒れかけたピチューの身体を、両手で受け止めた。

 

「っと!」

 

勢いのままサトシも尻餅をつく。

 

「痛っ……」

 

腕の中を見る。

 

「大丈夫か?」

 

「……ピチュ?」

 

ピチューが目を丸くしていた。

 

サトシに抱かれている。

 

これまで一度も触れたことがない人間に。

 

サトシはすぐに腕を緩めた。

 

「ごめん。びっくりしたよな」

 

逃げられるように手を離す。

 

ピチューは地面へ降りた。

 

そしてサトシから少し離れる。

 

「怪我してない?」

 

「ピチュ……」

 

サトシは近づかず、その場に座ったまま様子を見る。

 

歩き方に異常はない。

 

どうやら怪我はしていないようだ。

 

「よかった」

 

ほっと息を吐いた。

 

その瞬間。

 

胸の奥に、何かが伝わってきた。

 

驚き。

 

戸惑い。

 

そして、その奥にある小さな安心。

 

サトシは何も言わなかった。

 

これはまだ、自分が勝手にそう感じているだけかもしれない。

 

波導で本当にピチューの感情を感じ取っているのか、確信はない。

 

だから決めつけない。

 

ただ、今の感覚を覚えておく。

 

ピチューは少し離れたところから、サトシを見ていた。

 

「ピチュ……」

 

「もう大丈夫そうだな」

 

サトシが立ち上がる。

 

服についた土を払う。

 

「じゃあ、俺は戻るから」

 

荷物を持ち上げる。

 

ピチューへ背を向けて歩き始めた。

 

数歩進む。

 

後ろから音がする。

 

トッ。

 

トッ。

 

サトシは立ち止まった。

 

音も止まる。

 

振り返る。

 

「……」

 

「ピチュ」

 

ピチューがいた。

 

少し離れたところに。

 

「どうした?」

 

「ピチュ」

 

ピチューは動かない。

 

サトシが再び歩く。

 

後ろから小さな足音がついてくる。

 

「……もしかして」

 

振り返る。

 

やっぱりいる。

 

サトシはしゃがんだ。

 

「俺についてきてる?」

 

「ピチュ?」

 

首を傾げられた。

 

サトシは笑った。

 

「まあ、いいか」

 

しばらく二人で歩いた。

 

正確には、一緒に歩いているというより、サトシの後ろをピチューが勝手についてきているだけだ。

 

それでも以前とは違う。

 

やがて森の奥から鳴き声が響いた。

 

「ガルー!」

 

ピチューが立ち止まる。

 

耳がぴんと立った。

 

「家族が呼んでるぞ」

 

サトシが森の方を指差す。

 

ピチューはそちらを見る。

 

それからサトシを見る。

 

「ピチュ……」

 

「また会えるよ」

 

意味が通じるかは分からない。

 

それでもサトシは笑った。

 

「俺、またこの辺に来るからさ」

 

ピチューはしばらくその場にいた。

 

やがて――。

 

「ピチュ!」

 

元気よく鳴くと、ガルーラの声がした方へ走っていった。

 

途中で一度振り返る。

 

サトシが手を振ると、ピチューは再び走り出した。

 

その姿が見えなくなるまで、サトシはその場に立っていた。

 

「……ちょっとは仲良くなれたかな」

 

嬉しかった。

 

でも、まだ相棒ではない。

 

友達と呼んでいいのかも分からない。

 

それでいい。

 

昨日より今日。

 

今日より次。

 

少しずつ知っていけばいい。

 

◇

 

それから、二人の距離は少しずつ変わっていった。

 

サトシが森で観察していると、いつの間にかピチューが近くにいる。

 

最初は十数歩離れていた。

 

それが数歩になった。

 

やがて、サトシが地面へ座ってノートを書いていても、ピチューは近くの木の根で遊ぶようになった。

 

サトシから触ろうとはしなかった。

 

ピチューも必要以上には近づかない。

 

ただ、同じ場所で別々のことをして過ごす。

 

そんな日が増えていった。

 

ある日。

 

サトシがノートへ記録を書き終え、身体を伸ばしていると――。

 

「ピチュ」

 

「ん?」

 

すぐ隣から声がした。

 

見ると、ピチューが座っていた。

 

これまでで一番近い。

 

サトシが手を伸ばせば簡単に届く距離だ。

 

けれど、手は出さない。

 

「今日は近いな」

 

「ピチュ」

 

ピチューはサトシを見る。

 

サトシも見返す。

 

しばらくして、ピチューがほんの少し身体を寄せた。

 

小さな身体が、サトシの腕に触れる。

 

「……!」

 

サトシは動かなかった。

 

胸の奥に、柔らかな感覚が広がる。

 

警戒はほとんど感じない。

 

穏やかで。

 

温かくて。

 

この場所にいても大丈夫。

 

そんな感覚だった。

 

サトシはようやく、ゆっくりと手を動かした。

 

途中で一度止める。

 

ピチューが嫌がらないことを確認してから、頭へそっと触れた。

 

「ピチュ……」

 

逃げない。

 

小さな頭を撫でる。

 

柔らかな毛の感触が掌へ伝わってきた。

 

ずっと会いたかった相棒。

 

けれど、今触れているのは「未来のピカチュウ」ではない。

 

目の前にいる、一匹のピチューだ。

 

「俺、サトシ」

 

自分の胸を指差す。

 

何度か繰り返す。

 

「サトシ」

 

ピチューは不思議そうに見つめていた。

 

「ピチュ?」

 

「そう。俺がサトシ」

 

今度はピチューを指す。

 

「お前はピチュー」

 

「ピチュ!」

 

「ははっ。それは分かってるみたいだな」

 

意味を完全に理解しているかは分からない。

 

それでもいい。

 

「よろしくな、ピチュー」

 

「ピチュ!」

 

その日、サトシとピチューは初めてゆっくり触れ合った。

 

捕まえてはいない。

 

一緒に暮らしてもいない。

 

ガルーラたちのところから連れ出すこともない。

 

それでも、もう互いを知らない存在ではなかった。

 

森へ来れば会いたい相手。

 

姿を見つければ、自然と近づきたくなる相手。

 

二人の関係は、そんな小さなところから始まっていた。

 

そしてサトシは知らなかった。

 

自分が森から帰った後。

 

ピチューが以前より少し長く、サトシの去った方向を見つめるようになっていたことを。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。