ポケットモンスター ―君と目指す頂―   作:あああああ

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第5話 家族と、これから

森へ行けば、ピチューに会える。

 

いつの間にか、それはサトシの日常の一部になっていた。

 

もちろん毎日ではない。

 

オーキド研究所の手伝いもあれば、別の野生ポケモンを観察する日もある。ハナコとの時間だって大切だったし、波導の練習も欠かしていない。

 

それでも何日か姿を見せないでいると、次に森へ行った時には――。

 

「ピチュ!」

 

「うわっ!」

 

茂みから勢いよく飛び出してきたピチューが、サトシの足元まで駆けてくるようになった。

 

「いきなり出てくるなよ。びっくりするだろ」

 

「ピチュ、ピチュ!」

 

抗議するような鳴き声。

 

その瞬間、胸の奥に小さな感情が伝わってくる。

 

遅い。

 

待っていた。

 

以前なら、それが本当にピチューの感情なのか自信を持てなかった。

 

今は少し違う。

 

「もしかして、もっと早く来いって言ってる?」

 

「ピチュ!」

 

「やっぱりか」

 

サトシが笑う。

 

言葉そのものが聞こえるわけではない。

 

「遅かった」と日本語で頭の中に響いているわけでもなかった。

 

けれど、ピチューの鳴き声や表情とは別に、その奥にある感情が自然と伝わってくる。

 

波導。

 

まだ遠くの相手を自由に探せるわけではないし、細かな意思まで完全に読み取れるわけでもない。

 

それでも、近くにいる相手なら以前よりずっと分かるようになっていた。

 

特にピチューは分かりやすい。

 

単純に表情が豊かだからなのか。

 

それとも、一緒に過ごす時間が増えたからなのか。

 

サトシにもまだ分からない。

 

「今日は何する?」

 

「ピチュ!」

 

ピチューが森の奥へ走る。

 

途中で振り返った。

 

「ついてこいって?」

 

「ピチュ!」

 

「はいはい」

 

サトシも後を追った。

 

最近はこんなことが増えた。

 

最初はサトシがポケモンを観察し、その様子をピチューが眺めているだけだった。

 

それがいつしか、一緒に森を歩くようになった。

 

木の実を探したり、野生ポケモンを眺めたり。

 

時にはただ走り回る。

 

ピチューが突然木へ登り、サトシが下から見守ることもある。

 

「無茶するなよ!」

 

「ピッチュ!」

 

「この前転んだの忘れたのか?」

 

「ピチュ!」

 

忘れてはいないらしい。

 

だからやる。

 

そんな感情が伝わってきて、サトシは苦笑した。

 

「負けず嫌いだなあ」

 

もっとも、それは嫌いではなかった。

 

むしろ――。

 

「俺と似てるかもな」

 

「ピチュ?」

 

「なんでもない」

 

サトシが笑う。

 

◇

 

交流を重ねていたのは、ピチューとだけではなかった。

 

「こんにちは」

 

サトシが声をかける。

 

「ガルー」

 

親のガルーラがこちらを見る。

 

以前なら緊張が走っていた距離。

 

今ではサトシが近くにいても、すぐ警戒されることはなくなっていた。

 

もちろん完全に気を許されたわけではない。

 

サトシも勝手にガルーラの子供へ触ったりはしない。

 

けれど、ピチューと遊ぶことは認めてもらえている。

 

少なくともサトシ自身はそう感じていた。

 

「ピチュ!」

 

ピチューがガルーラの子供と一緒に走ってくる。

 

「ガルー!」

 

「競争してたのか?」

 

二匹とも元気に鳴いた。

 

「じゃあ次、あの木までな!」

 

サトシが少し離れた木を指差す。

 

「よーい――」

 

ピチューが身構える。

 

ガルーラの子供も身体を前へ傾けた。

 

「スタート!」

 

二匹が一斉に飛び出した。

 

「ピチュ!」

 

「ガルー!」

 

「速っ!」

 

サトシも追いかける。

 

当然、競争相手はポケモンだ。

 

簡単に勝てるはずがない。

 

それでも全力で走った。

 

やがて三人で地面に座り込み、息を整える。

 

「はぁ……はぁ……俺が一番遅いじゃん」

 

「ピチュ!」

 

ピチューが得意そうに胸を張る。

 

「その顔ムカつくな!」

 

「ピチュー!」

 

笑うような鳴き声。

 

サトシも笑った。

 

少し離れたところから、親のガルーラがこちらを見守っている。

 

穏やかな時間だった。

 

そして、そんな日々がずっと続くような気さえした。

 

けれどサトシは知っていた。

 

ピチューは、いつまでもこの群れと一緒にいるわけではない。

 

いつかガルーラ親子と別れる。

 

そして一人で生きるようになり、その中でピカチュウへ進化する。

 

未来を知っているからこそ、そのことを考えてしまう。

 

ただ――。

 

サトシは、その未来を無理に早めるつもりはなかった。

 

ましてや、自分がピチューと一緒にいたいという理由でガルーラたちから引き離すつもりもない。

 

別れを決めるのは自分ではない。

 

ピチュー自身だ。

 

◇

 

ある日の夕方。

 

サトシは少し離れた場所から、ガルーラ親子を眺めていた。

 

日が傾き、森の中が橙色に染まり始めている。

 

親のガルーラのお腹には子供がいる。

 

そして、その隣にはピチュー。

 

以前と変わらない光景。

 

そう思った。

 

だが、よく見ると少し違った。

 

「……ピチュー?」

 

ピチューは親のガルーラを見上げていた。

 

その視線の先。

 

ガルーラは自分の子供を大切そうに抱えている。

 

子供も母親へ身体を寄せていた。

 

ピチューは静かにそれを見つめている。

 

寂しい。

 

胸の奥に、そんな感情が触れた。

 

だが、それだけではなかった。

 

嬉しい。

 

大好き。

 

そして――。

 

迷い。

 

いくつもの感情が混ざっている。

 

サトシは声をかけなかった。

 

これは自分が割り込んでいい時間ではない。

 

ピチューはガルーラの親子を見る。

 

やがて小さく笑うように鳴いた。

 

「ピチュ……」

 

その夜。

 

サトシはいつもより遅くまで研究所に残っていた。

 

観察記録を書きながらも、頭からピチューの表情が離れない。

 

「気になるか?」

 

声をかけられ、顔を上げる。

 

オーキド博士だった。

 

「博士」

 

「今日はずいぶん静かじゃの」

 

サトシは少し迷った後、尋ねた。

 

「博士。ポケモンって、自分から家族と離れることもある?」

 

「もちろんある」

 

博士はサトシの隣へ座った。

 

「種類にもよるが、成長すれば親元を離れるポケモンは珍しくない。群れを離れ、新しい場所へ向かう者もおる」

 

「寂しくないのかな」

 

「寂しいじゃろうな」

 

オーキド博士は即答した。

 

「じゃが、寂しいことと、離れてはいけないことは同じではない」

 

サトシは黙って聞く。

 

「大切だからこそ離れることもある。自分の道を見つけることも、成長の一つじゃ」

 

「……そっか」

 

サトシは窓の外を見る。

 

暗くなった森。

 

その向こうに、ピチューがいる。

 

◇

 

翌日。

 

サトシが森へ向かうと、いつもの場所にピチューはいなかった。

 

「ピチュー?」

 

少し待つ。

 

返事はない。

 

嫌な予感がしたわけではない。

 

ただ、胸の奥が妙に落ち着かない。

 

目を閉じる。

 

呼吸を整える。

 

意識を広げる。

 

以前よりも自然にできるようになっていた。

 

草木の向こう。

 

いくつもの生命の気配。

 

その中に、知っている感覚を探す。

 

――いた。

 

遠くない。

 

サトシは目を開けた。

 

「こっちか」

 

走らない。

 

森の中を慎重に進む。

 

やがて木々の間からガルーラたちが見えてきた。

 

そして――。

 

「ピチュー……」

 

ピチューが親のガルーラの前に立っていた。

 

いつもとは様子が違う。

 

ガルーラも静かにピチューを見つめている。

 

サトシは木の陰で足を止めた。

 

近づかない。

 

ピチューが何かを伝えるように鳴く。

 

「ピチュ……ピチュ」

 

親のガルーラが答える。

 

「ガルー……」

 

言葉は分からない。

 

けれど、波導を意識しなくても伝わってくるものがあった。

 

感謝。

 

愛情。

 

寂しさ。

 

そして――送り出そうとする気持ち。

 

サトシは息を呑んだ。

 

――今日なのか。

 

未来の記憶が頭をよぎる。

 

けれど、目の前で起きていることは映像ではない。

 

本当に生きてきた家族の別れだ。

 

ピチューが親のガルーラへ飛びついた。

 

「ピチュ……!」

 

ガルーラも、小さな身体を優しく抱きしめる。

 

子供のガルーラも寄っていく。

 

三匹が身体を寄せ合う。

 

サトシは動けなかった。

 

胸が苦しくなる。

 

自分の感情なのか。

 

それとも、彼らの感情まで波導を通して感じているのか。

 

もう分からなかった。

 

長い時間が過ぎた。

 

やがてピチューが離れる。

 

「ピチュ」

 

親のガルーラが、優しく背中を押した。

 

ピチューは数歩進む。

 

振り返る。

 

「ガルー」

 

もう一度前を向く。

 

それでも、また振り返った。

 

何度も。

 

何度も。

 

やがてガルーラの群れが、ゆっくり森の奥へ歩き始める。

 

ピチューはその場に残った。

 

姿が見えなくなっても、ずっと見つめていた。

 

サトシはすぐには近づかなかった。

 

一人にしておく。

 

今はそれが必要だと思った。

 

どれほど時間が経っただろう。

 

ピチューが小さく鳴いた。

 

「……ピチュ」

 

そこで初めて、サトシは木の陰から出た。

 

足音に気づいたピチューが振り返る。

 

「ピチュ……」

 

「……よっ」

 

いつもと同じように声をかける。

 

それ以上は何も言わなかった。

 

励まさない。

 

「寂しくない」とも言わない。

 

寂しいに決まっているからだ。

 

サトシは少し離れた場所に座った。

 

ピチューも動かない。

 

二人で静かに森を見る。

 

やがて――。

 

小さな足音がした。

 

ピチューが歩いてくる。

 

一歩。

 

また一歩。

 

サトシの隣まで来る。

 

そして、何も言わず身体を寄せた。

 

サトシは少しだけ迷ってから、優しく頭を撫でた。

 

「ピチュ……」

 

胸の奥へ感情が流れ込んでくる。

 

寂しい。

 

悲しい。

 

大好きだった。

 

でも――。

 

自分も進みたい。

 

サトシは目を閉じた。

 

完全な言葉ではない。

 

それでも今までで一番はっきりと、ピチューの気持ちが分かった。

 

「そっか」

 

それだけ答える。

 

しばらくして、サトシは立ち上がった。

 

「俺、そろそろ帰るよ」

 

ピチューが顔を上げる。

 

「ピチュ?」

 

「また明日な」

 

手を振り、歩き出す。

 

ピチューはその場に残っていた。

 

サトシも振り返らない。

 

自分についてこいとは言わない。

 

ガルーラと別れた直後に、その場所へ自分が入り込むようなことはしたくなかった。

 

今日、ピチューがどこへ行くのか。

 

何を選ぶのか。

 

それはピチュー自身が決めることだ。

 

森を抜ける道を歩く。

 

やがて――。

 

小さな足音が聞こえた。

 

サトシは立ち止まる。

 

振り返った。

 

「……ピチュー?」

 

そこにいた。

 

少し離れた場所で、ピチューがサトシを見上げている。

 

「ピチュ」

 

サトシが一歩進む。

 

ピチューも進む。

 

「俺についてくるの?」

 

「ピチュ!」

 

今度は力強い返事だった。

 

胸へ伝わってくる感情も、はっきりしている。

 

一緒に行きたい。

 

サトシは嬉しかった。

 

今すぐ抱き上げたいくらいに。

 

それでも、一つだけ確認した。

 

「俺のところに来るってこと?」

 

自分を指差す。

 

それから森の外を指す。

 

「俺と一緒に行く?」

 

ピチューは森を見る。

 

ガルーラたちが去っていった方向を、しばらく見つめた。

 

そして――。

 

サトシへ向き直る。

 

「ピチュ!」

 

駆け出した。

 

サトシの足元まで来ると、勢いよく身体へ飛びつく。

 

「うわっ!」

 

慌てて受け止める。

 

小さな身体。

 

温かい。

 

「……そっか」

 

サトシは笑った。

 

「じゃあ、一緒に帰ろう」

 

「ピチュ!」

 

モンスターボールは使わない。

 

今はまだ正式なトレーナーですらない。

 

そんなものがなくてもいい。

 

ピチューは自分の意思でサトシについてきた。

 

それだけで十分だった。

 

「驚くだろうなあ」

 

「ピチュ?」

 

「俺の母さん。帰ったら紹介するよ」

 

「ピチュ!」

 

サトシの腕から肩へ登ろうとして、途中で服に爪を引っかける。

 

「痛っ! ちょ、待て待て!」

 

「ピチュ!」

 

「そこから登るなって!」

 

森に二人の声が響いた。

 

泣いたばかりのピチューが笑うように鳴く。

 

サトシも笑った。

 

別れはなくならない。

 

ガルーラたちが家族だったことも変わらない。

 

その思い出を消して、新しい家族になる必要もない。

 

大切なものを胸に残したまま、新しい出会いへ進めばいい。

 

サトシは肩へどうにか収まったピチューを見る。

 

「これからよろしくな、ピチュー」

 

「ピッチュ!」

 

こうして――。

 

まだピカチュウではない小さな相棒が、サトシの隣を歩き始めた。

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