ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
「ベットォォ!」
「待て待て待て!」
朝の街道にサトシの声が響いた。
グンジョウシティを出発してしばらく。せっかく新しい仲間になったのだからと、サトシはベトベトンをボールから出して歩かせていたのだが――少し前から、状況は散歩どころではなくなっていた。
「ベットォ!」
「だから抱きつくならせめて勢いを落としてくれ!」
大きな身体を揺らしながら迫ってくるベトベトンから、サトシが必死に逃げる。
その肩からピカチュウはとっくに飛び降りていた。
「ピカピカ!」
「笑ってないで助けてくれ!」
「ピカ!」
嫌だ、とでも言いたげにピカチュウが首を振る。
「ベットォ!」
「うわっ!」
とうとう追いつかれた。
背中から抱きつかれ、そのまま地面へ押し倒される。
「重いって……!」
「ベットォ~」
ベトベトンはそんなサトシの苦労など知らず、幸せそうに頬ずりしている。
「すっかり懐かれたわね」
少し離れたところでカスミが笑った。
「コダ」
隣ではコダックまで頷いている。
「お前ら……」
「ゴースト!」
ベトベトンの身体から、ぬっとゴーストが顔を出した。
「ベット?」
ベトベトンが振り返る。
「ゴースト!」
ゴーストは楽しそうに笑うと、そのまま反対側へ抜けていった。
「ベットォ!」
追いかけようとするが、当然捕まらない。
「ベット?」
「ゴースト!」
また身体をすり抜ける。
それを見ていたタケシが苦笑した。
「相性がいいのか悪いのか分からないな」
「遊び相手としてはちょうどいいんじゃない?」
カスミが言う。
その横ではロコンが少し距離を取っていた。
「コン……」
どうやらベトベトンに抱きつかれるのは遠慮したいらしい。
一方、フシギソウは旅をしながらも『つるのムチ』を伸ばし、道端の石や枝を狙って触れる練習を続けている。
「ソウ!」
右の石。
続いて左の枝。
以前のように勢い余って弾き飛ばすこともない。
「かなり安定してきたな」
ようやくベトベトンから抜け出したサトシが声をかける。
「ソウ!」
フシギソウが嬉しそうに振り返った。
進化した直後は、身体の変化そのものが課題だった。
けれど今では、以前より長く、強くなったつるを自分の力として使い始めている。
「この調子なら、もう普段の動きで困ることはなさそうだな」
タケシも頷く。
「細かい技術はこれからでも、身体にはだいぶ馴染んでる」
「ソウ!」
フシギソウが胸を張る。
そんな穏やかな時間は、街道の先から響いてきた轟音によって終わった。
ドォン――!
「何!?」
カスミが振り返る。
もう一度。
今度は地面まで震えた。
サトシはピカチュウと顔を見合わせる。
「行ってみよう」
「ピカ!」
ポケモンたちを連れ、音のした方向へ向かった。
◇
山間部を抜けた先。
サトシたちの前に広がっていたのは、大規模な工事現場だった。
重機。
大量の資材。
切り開かれた山肌。
多くの作業員が行き交っている。
「ダムを造ってるみたいだな」
タケシが周囲を見回す。
だが、妙だった。
これだけ多くの人や機械が集まっているのに、工事がほとんど進んでいない。
むしろ。
「あっ!」
カスミが指差す。
積み上げられていた資材の下から、小さな頭が飛び出した。
「ディグ!」
一匹。
「ディグ!」
二匹。
「ディグ、ディグ!」
三匹。
次々とディグダが地面から顔を出す。
「あれはディグダだ」
サトシが呟いた直後、さらに大量のディグダが現れた。
「ディグ!」
「ディグ!」
「ディグダ!」
資材が動く。
作業員が置いたはずの道具が、いつの間にか別の場所へ運ばれていく。
「また出たぞ!」
「資材を守れ!」
「重機を動かせ!」
作業員たちが慌ただしく走り回る。
ところが重機を動かそうとした瞬間、その進行方向の地面から一斉にディグダが飛び出した。
運転手が慌てて機械を止める。
「危ない!」
サトシたちが見守る中、ディグダはまた地面へ潜っていった。
「工事を邪魔してるの?」
カスミが首を傾げる。
「みたいだな」
タケシも難しい顔をする。
サトシは工事現場を見渡した。
ダム。
大量のディグダ。
この光景には覚えがある。
けれど、だからといって最初から答えだけを口にするつもりはなかった。
実際にこの場所を見れば、それだけでも分かることがある。
「ピカ」
肩のピカチュウも、切り開かれた山を見つめていた。
「まず話を聞こう」
◇
「困ってるんだ!」
工事関係者の男は頭を抱えた。
「工事を始めてからずっとあの調子でな。掘った場所を埋める、資材を運ぶ、機械の前へ出てくる……これじゃ仕事にならない!」
「それでトレーナーを集めてるんですか?」
「ああ。ディグダを追い払ってもらうためだ。もちろん報酬も出す!」
周囲には、すでに多くのトレーナーが集まっていた。
報酬を聞いて目を輝かせている者もいる。
サトシはもう一度、工事現場を見る。
「……追い払う、か」
「どうしたの?」
カスミが聞く。
「いや」
まだ決めつけるには早い。
そのとき。
「よーし、出てこい!」
一人のトレーナーがモンスターボールを投げた。
光。
しかし。
「……あれ?」
何も出てこない。
ボールが開かない。
「おい、どうしたんだよ!」
もう一度。
反応しない。
別のトレーナーも同じだった。
「なんで出てこないんだ?」
「俺のもだ!」
あちこちから戸惑いの声が上がる。
サトシは自分のポケモンたちを見る。
「……フシギソウ」
「ソウ」
フシギソウは工事現場ではなく、その先に残っている森を見ていた。
「戦いたくない?」
「ソウ」
迷わず頷く。
「ピカ」
ピカチュウも同じ。
タケシが周囲のポケモンたちの様子を見て呟いた。
「みんな、何か分かってるのかもしれないな」
「そうみたいだ」
サトシは腰のボールから手を離した。
「だったら無理に戦わせる必要はない」
「じゃあどうするの?」
「調べる」
サトシはディグダが消えていった方向を見る。
「どうしてここまでして工事を止めたいのか。それが分からないまま追い払うのは違うだろ」
「ピカ!」
◇
サトシたちは工事現場から離れ、ディグダたちが移動した方向へ向かった。
フシギソウも一緒だ。
進むにつれて、工事現場とは景色が変わっていく。
木々。
草。
低い茂み。
まだ人の手が入っていない土地。
「ソウ……」
フシギソウが足を止めた。
鼻先を地面へ近づける。
「何かあるのか?」
「ソウ」
つるを伸ばし、柔らかな土へ触れる。
その近くから。
「ディグ」
一匹のディグダが顔を出した。
サトシたちは動かない。
「ディグ」
ディグダはフシギソウを見る。
「ソウ」
しばらく二匹が見つめ合う。
やがてディグダは地面へ潜った。
少し先。
土が動く。
さらにその先。
また動く。
「ついてこいってことか?」
サトシたちはその跡を追った。
そして。
「……そういうことだったのね」
カスミが呟く。
そこには多くのディグダ。
そして。
「ダグ、ダグ!」
三つの頭を持つダグトリオたちもいた。
土を掘る。
柔らかくする。
地中を移動する。
その周囲には木々が育ち、植物が根を張っていた。
タケシがしゃがみ込む。
「ディグダたちが地面を耕してるんだ」
「それで植物が育ちやすくなってるのね」
「ああ。それだけじゃない」
タケシが工事現場の方向を見る。
「ダムが完成すれば、この辺りの環境そのものが大きく変わる」
「ソウ……」
フシギソウが一歩前へ出た。
つるで小さな芽のそばの土へ触れる。
工事現場の荒れた土とは違う。
ここにはたくさんの命がある。
サトシは静かに息を吐いた。
知っていた出来事でも。
実際に目の前で見ると、感じるものは違う。
「ディグダたちは、ただ邪魔してたんじゃない」
「ピカ」
「自分たちの住んでる場所を守ってたんだな」
「ディグ!」
一匹のディグダが鳴いた。
サトシは頷く。
「だったら俺は戦わない」
「ソウ!」
フシギソウも強く鳴いた。
◇
その頃。
工事現場には三人の怪しい影がいた。
「報酬ですって?」
ムサシの目が輝く。
「ディグダを追い払うだけで?」
コジロウも身を乗り出す。
「こんなおいしい話、見逃す手はないニャ!」
ニャースが笑う。
もちろん。
ロケット団だった。
「アーボ、出てきなさい!」
「ドガース、お前もだ!」
二人がボールを投げる。
「アーボ!」
「ドガース!」
二匹が姿を現す。
「さあ、あのディグダをまとめて追い払いなさい!」
「アーボ!」
「ドガース!」
二匹はディグダを見る。
「ディグ」
「ディグダ」
アーボとドガースが顔を見合わせた。
「……アーボ」
「ドガース……」
動かない。
「何してるのよ!」
ムサシが叫ぶ。
「早く行け!」
コジロウも急かす。
それでも二匹は困ったようにディグダたちを見ていた。
「なんで言うことを聞かないのよ!」
「ニャー……」
ニャースが腕を組む。
「ポケモンだって、何でもかんでもやりたいわけじゃないニャ」
「どっちの味方よ!」
「一般論を言っただけニャ!」
そのとき。
地面が盛り上がった。
「ディグ!」
「うわっ!」
ロケット団の足元から大量のディグダが飛び出す。
「な、何するのよ!」
「ドガース、何とかしろ!」
「ドガース!」
「アーボも!」
「アーボ!」
自分たちのトレーナーを守るため。
今度は二匹が前へ出た。
次々と現れるディグダ。
さらに。
「ダグダグ!」
ダグトリオまで姿を現す。
「負けるんじゃないわよ、アーボ!」
「頑張れ、ドガース!」
ムサシとコジロウの声が響く。
「もっと強く!」
「負けるな!」
「アーボ……!」
「ドガース……!」
二匹の身体が輝いた。
「え?」
「何だ!?」
光が大きくなる。
アーボの身体が伸び、広がっていく。
ドガースの身体も形を変え、もう一つの顔が現れる。
そして。
光が弾けた。
「アーボック!」
「マータドガース!」
「進化した!」
ムサシが目を輝かせる。
「やったぞ!」
コジロウも飛び上がった。
「アーボック!」
「マタドガース!」
二匹は新しい身体を確かめるように鳴いた。
「これなら勝てるわ!」
「行け、マタドガス!」
「やっちゃいなさい、アーボック!」
勢いづくロケット団。
しかし。
「ディグ!」
地面が崩れた。
「え?」
三人の身体が沈む。
「ちょっと待って!」
「進化したばっかりなのに!」
「地面を掘られたら関係ないニャー!」
どさっ!
三人まとめて穴へ落ちた。
「なんでよー!」
◇
サトシたちが工事現場へ戻ると、ちょうど穴から這い上がろうとしているロケット団が見えた。
「またお前たちか」
「その声は!」
ムサシが顔を上げる。
「サトシ!」
「ピカ」
ピカチュウが肩の上から呆れた目を向ける。
その直後。
穴から大きな紫色の身体が飛び出した。
「アーボック!」
続いて。
「マタドガース!」
「……進化したのか」
サトシが少し目を見開く。
以前までのアーボとドガースとは明らかに違う。
身体も大きくなり、放つ圧力も増している。
「ふふん!」
ムサシが得意げに胸を張る。
「見なさい!」
「俺たちだって成長してるんだ!」
コジロウも胸を張る。
「ニャー!」
「そこはお前が威張るところじゃないだろ」
「細かいことはいいニャ!」
アーボックとマタドガスは、以前より確実に強くなっている。
けれど。
「アーボック!」
「マタドガース!」
二匹はディグダたちへ攻撃するより先に、穴からムサシとコジロウを引き上げようとしていた。
サトシはそれを見て少しだけ笑う。
「なんだかんだ、大事にされてるんだな」
「誰がよ!」
「お前たちが」
「当然でしょ!」
ムサシは即答した。
その返事に、サトシはそれ以上何も言わなかった。
ロケット団はロケット団。
悪いこともする。
それでも。
ポケモンとの間にあるものまで全部偽物というわけではない。
◇
その後。
サトシたちは工事関係者へ、自分たちが見たものを話した。
ディグダとダグトリオが土地を耕していること。
その土地に植物が根づいていること。
そしてダム建設が、この周辺の環境を大きく変えてしまうこと。
最初は難しい顔をしていた工事関係者たちも、実際に現地を確認すると何も言えなくなった。
ディグダたちが意味もなく工事を邪魔していたわけではない。
自分たちの土地を守ろうとしていただけだった。
やがて。
工事の中止が決まった。
重機が止まる。
作業員たちが撤収を始める。
それを遠くから見ていたディグダたちが、一匹、また一匹と地面から顔を出した。
「ディグ!」
「ディグダ!」
「ダグダグ!」
「良かったわね」
カスミが笑う。
「ソウ!」
フシギソウが駆け出した。
「どうした?」
追いかけると、フシギソウは荒れた地面の一角で止まった。
「ソウ!」
つるが示す先。
小さな芽。
工事で荒れた土の中から、ほんの少しだけ緑が顔を出している。
「……あったな」
サトシがしゃがみ込む。
触れないように。
ただ見る。
「ソウ」
フシギソウもその隣に座った。
少し先ではディグダたちが再び土を掘り始めている。
「ちゃんと戻っていくさ」
「ソウ!」
サトシは立ち上がった。
「俺たちも行こう」
「ピカ!」
◇
夕暮れ。
サトシたちは次の街を目指して歩き始めた。
工事現場は少しずつ遠ざかっていく。
「結局、今日は一回もバトルしなかったわね」
カスミが言った。
「そうだな」
「物足りない?」
サトシは少し考えてから笑った。
「いや」
肩のピカチュウを見る。
「戦わなくていいなら、それが一番だろ」
「ピカ!」
その後ろをフシギソウが歩く。
「ソウ!」
さらにヒトカゲ、ゼニガメ。
少し離れたところでは。
「ベットォ!」
「ゴースト!」
ベトベトンがゴーストを捕まえようとして、何度も身体をすり抜けられている。
「ベット?」
「ゴースト!」
「まだやってる……」
カスミが呆れた。
タケシの隣ではロコンが尻尾を揺らす。
「コン」
いつもの旅。
けれど。
今日もまた一つ。
ポケモンたちから教えられた。
言葉がなくても。
戦わなくても。
相手が何を守ろうとしているのか、見ようとすることはできる。
◇
そして。
サトシたちが去ったあとの山。
「やっと出られた……」
穴からムサシが這い上がる。
「ひどい目に遭った……」
コジロウも続く。
「ニャー……」
最後にニャース。
その後ろから。
「アーボック!」
「マタドガース!」
新しい姿となった二匹が現れる。
ムサシは一瞬で元気を取り戻した。
「そうよ!」
「俺たちには進化したアーボックとマタドガスがいる!」
「次こそピカチュウを捕まえるニャ!」
三人が勢いよく立ち上がる。
「アーボック!」
「マタドガース!」
「まずはサトシたちを追いかけるわよ!」
一歩。
「ディグ」
足元から顔。
「……え?」
「ディグ!」
二匹。
「ディグダ!」
三匹。
地面が沈んだ。
「ちょっと待って」
「まさか……」
「嫌な予感しかしないニャ」
ずぼっ。
「やな感じー!」
山の向こうへ。
三人の声が響き渡った。