ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
ピカチュウの森を後にしたサトシたちは、次の街を目指して緩やかな丘陵地帯を歩いていた。
木々の間を抜ける風は穏やかで、空には薄い雲が流れている。
「ピカ!」
「ミニュ!」
少し先では、ピカチュウとミニリュウが競うように進んでいた。
「また競争してるわよ」
カスミが呆れたように言う。
「元気なのはいいことだろ」
サトシは笑いながら二匹を追う。
ミニリュウが仲間になってから、ピカチュウは何かと世話を焼いていた。もっとも、ミニリュウの方は世話をされているというより、新しくできた競争相手だと思っている節がある。
「ミニュ!」
ミニリュウが一気に前へ出る。
「ピカ!?」
負けじとピカチュウも加速した。
「遠くまで行くなよー!」
サトシが声を飛ばした、そのとき。
「ピカ?」
ピカチュウが急に足を止めた。
追いついたミニリュウも、その隣で首を傾げる。
「どうした?」
サトシたちが近づく。
道から少し外れた木の下。
そこに、一匹のポケモンがいた。
茶色い身体。
首元を覆う白い毛。
大きな耳。
「イーブイだ!」
サトシの表情が明るくなる。
「ブイ……」
だが、すぐに違和感へ気づいた。
野生ではない。
イーブイの身体には紐が結ばれており、木の幹へ繋がれている。
「誰かのポケモンみたいね」
カスミが近づこうとすると、イーブイが少し身を引いた。
「ブイ……!」
「待って」
サトシがカスミを止める。
自分もその場にしゃがみ、距離を残したままイーブイを見る。
「大丈夫。無理に触らないよ」
「ピカ」
ピカチュウもサトシの横へ座った。
イーブイは警戒しながらも、逃げようとはしない。
タケシが首元を確認する。
「何か付いてるぞ」
小さな札。
そこには持ち主につながる情報が記されていた。
「近くの町みたいだな」
「だったら届けよう」
サトシは立ち上がる。
「こんなところに一匹で置いておけないし」
「そうね」
「ブイ?」
イーブイがサトシを見上げる。
「飼い主のところに帰ろう」
「ピカ!」
◇
札に記された場所へ向かうと、やがて大きな屋敷が見えてきた。
だが。
「何、この騒ぎ?」
屋敷の庭には大勢の人。
テーブルには料理。
そして何より目につくのは。
「シャワーズ!」
「サンダースもいる!」
「ブースターまで!」
三種類のポケモンたちだった。
水を思わせる身体のシャワーズ。
逆立った毛と鋭い姿のサンダース。
豊かな毛を持つブースター。
庭のあちこちには、同じ三種類のポケモンを連れたトレーナーたちがいる。
「進化パーティーか」
サトシが呟く。
イーブイにはいくつもの進化先がある。
そして目の前にいる三匹は、進化石によってイーブイから進化する代表的な姿だ。
「おーい!」
こちらに気づいた青年が走ってくる。
「そのイーブイ!」
「知ってるんですか?」
「もちろんだ!」
青年の後ろから、さらに二人がやってきた。
一人の傍らにはシャワーズ。
もう一人にはサンダース。
最初に来た青年のところにはブースターが寄ってくる。
「よかった。見つかったのか」
だが。
三人の表情を見たイーブイは。
「ブイ……」
サトシの後ろへ隠れた。
「ん?」
「どうしたんだ?」
「タイチのイーブイだろ?」
「タイチ?」
サトシが聞き返した。
そのとき。
「イーブイ!」
屋敷から一人の少年が飛び出してきた。
「ブイ!」
イーブイの表情が一変する。
サトシの横を抜け。
「イーブイ!」
「ブイ!」
少年――タイチの胸へ飛び込んだ。
「よかった……!」
タイチがぎゅっと抱きしめる。
「どこに行ったのかと思ったよ」
サトシはその姿を見て。
少しだけ眉を寄せた。
――どこに行った?
イーブイは自分でどこかへ行ったのだろうか。
それとも。
「タイチ!」
兄の一人が声を上げる。
「ちょうどよかったじゃないか!」
「え?」
「今日こそイーブイを進化させよう!」
タイチの身体が固まった。
「……」
サトシはそれを見逃さなかった。
◇
庭の中央。
三つの石が並べられた。
みずのいし。
かみなりのいし。
ほのおのいし。
「さあ、タイチ!」
兄たちが笑顔で言う。
「どれにする?」
「シャワーズなら水の中でも自由自在!」
「サンダースなら素早さと電気の力!」
「ブースターの炎も強力だぞ!」
タイチは何も言わない。
腕の中。
「ブイ……」
イーブイも落ち着かない。
周囲では参加者たちが盛り上がっている。
「どれに進化するんだ?」
「シャワーズか?」
「サンダースもいいぞ!」
「ブースターだろ!」
タイチの腕に力が入る。
「……僕は」
小さな声。
「僕は、進化させたくない」
空気が止まった。
「何?」
兄たちが顔を見合わせる。
「何言ってるんだ、タイチ」
「イーブイは進化してこそもっと強くなれるんだぞ」
「せっかく三種類の石を用意したんだ」
「でも!」
タイチが顔を上げる。
「僕はイーブイのままがいいんだ!」
「ブイ!」
兄たちが困った顔になる。
「怖がってるだけだろ?」
「違う!」
「なら、どれか選べばいいじゃないか」
「……」
タイチが言葉に詰まる。
その様子を見ていたサトシは。
ふと。
自分の腰へ手をやった。
今は持っていない。
だが、忘れるはずがない。
クチバシティ。
ライチュウに敗れたあと。
差し出された、かみなりのいし。
そして。
それを拒んだピカチュウ。
「ピカ」
ピカチュウも同じことを思い出したのか、サトシを見上げた。
「……なあ」
サトシが口を開く。
兄たちが振り返る。
「進化しないと駄目なの?」
「え?」
「シャワーズも、サンダースも、ブースターも格好いいと思うよ」
サトシは三匹を見る。
どの進化も。
間違いではない。
「でも、イーブイのままじゃ駄目ってことにはならないだろ」
「だけど進化すれば強くなれる!」
「それは分かる」
サトシは否定しない。
「進化して、新しい力を手に入れたいポケモンだっている」
フシギソウの姿が頭に浮かぶ。
自分の意思で立ち上がり。
自分の意思で進化した。
あれも一つの答えだ。
「でも」
サトシの隣。
ピカチュウが一歩前へ出る。
「こいつは進化しないって自分で決めた」
「ピカ!」
兄たちがピカチュウを見る。
「ライチュウになれるのに?」
「ああ」
「どうして?」
「ピカチュウがそうしたかったから」
それだけ。
サトシにとっては。
それで十分だった。
「進化するのも、しないのも、本人が決めればいいと思う」
「……」
タイチがサトシを見る。
少し。
安心したような顔。
しかし。
サトシは続けた。
「でも、タイチ」
「え?」
「一つだけ聞いていい?」
「う、うん」
「進化したくないのは、タイチ?」
少年の表情が止まる。
「それとも、イーブイ?」
「……!」
「タイチがイーブイのままでいてほしいって思うのと、イーブイ自身がどうしたいかは、同じとは限らないだろ」
「ブイ……」
タイチは腕の中のイーブイを見る。
「僕……」
今まで。
進化させたくない。
そのことばかり考えていた。
でも。
「イーブイは……どうしたい?」
「ブイ?」
タイチはイーブイを地面へ下ろす。
三つの石。
シャワーズ。
サンダース。
ブースター。
イーブイは順番に見る。
兄たちも黙っていた。
やがて。
イーブイは三つの石へ近づいた。
タイチが息を呑む。
「……」
イーブイは。
石の匂いを嗅ぎ。
少し眺め。
そして。
くるり。
「ブイ!」
タイチのところへ戻った。
「イーブイ……」
「ブイ!」
足元へ身体を寄せる。
「進化……したくないの?」
「ブイ!」
今は。
この姿で。
タイチと一緒にいたい。
言葉ではなくても。
その意思は伝わった。
タイチの顔が明るくなる。
「そっか……!」
しゃがみ。
抱きしめる。
「僕もだよ!」
「ブイ!」
サトシは笑った。
「それなら決まりだな」
「ピカ!」
◇
だが。
兄たちはまだ完全には納得できていなかった。
「気持ちは分かったけど……」
「本当にイーブイのままで大丈夫なのか?」
「バトルだってあるんだぞ」
タイチが少し俯く。
「大丈夫だよ」
サトシが言った。
「え?」
「進化しないから弱いって決まってるわけじゃない」
「ピカ!」
ピカチュウが胸を張る。
「説得力あるわね」
カスミが笑う。
「まあな」
サトシも笑った。
そのとき。
「なんて素敵な石なのかしら!」
庭の向こうから。
聞き覚えのある声。
「……」
サトシたち全員の表情が止まる。
「まさか」
ドォン!
煙。
「な、何だ!?」
「せっかくの進化パーティー!」
「ならば我々も参加して差し上げましょう!」
「やっぱり!」
煙の中から。
ムサシ。
コジロウ。
ニャース。
「ロケット団!」
「今日は大収穫よ!」
ムサシが進化石を指差す。
「みずのいし!」
「かみなりのいし!」
「ほのおのいし!」
コジロウが続ける。
「さらにシャワーズ!」
「サンダース!」
「ブースター!」
ニャースがイーブイを見る。
「ついでに進化前のイーブイまで全部いただきニャ!」
「誰が渡すか!」
サトシが前へ出る。
「ピカ!」
だが。
ロケット団はすでに準備していた。
「そんなこと言うと思ったわ!」
ムサシが装置のスイッチを押す。
巨大な網が飛び出す。
「危ない!」
網が庭へ広がる。
シャワーズ。
サンダース。
ブースター。
そして兄たちまで巻き込まれる。
「うわっ!」
「シャワーズ!」
「サンダース!」
「ブースター!」
「タイチ、下がれ!」
サトシが叫ぶ。
「ピカチュウ!」
「ピカ!」
『10まんボルト』を撃とうとする。
「おっと!」
コジロウが別の装置を向ける。
絶縁素材。
「電気対策も完璧だ!」
「ピカ!?」
「だったら!」
サトシがボールへ手を伸ばす。
その前に。
「待って!」
タイチ。
「え?」
「僕たちがやる!」
その横。
イーブイが前へ出る。
「ブイ!」
「タイチ」
「進化してなくても戦えるって……」
タイチが兄たちを見る。
「僕とイーブイで証明する!」
「ブイ!」
サトシは。
一瞬だけタイチを見る。
そして笑った。
「分かった」
「サトシ!?」
カスミが驚く。
「ただし」
サトシはピカチュウを見る。
「危なくなったら俺たちも入る」
「ピカ!」
「うん!」
タイチが頷く。
◇
イーブイが走る。
「捕まえなさい!」
機械のアームが伸びる。
「イーブイ、避けて!」
「ブイ!」
小さな身体を低くし。
アームの下へ潜る。
「右!」
「ブイ!」
今度は横。
素早くかわす。
「ちょこまかと!」
ムサシが苛立つ。
「まとめて捕まえるニャ!」
別の網。
「イーブイ!」
タイチの声。
イーブイは走りながら。
地面を蹴った。
「ブイ!」
網を飛び越える。
そのまま機械へ体当たり。
ガン!
「効かないわよ!」
「もう一回!」
「ブイ!」
「正面からだけじゃ駄目だ!」
サトシが叫ぶ。
タイチが振り返る。
「機械を倒すんじゃなくて、捕まってるみんなを助けるんだ!」
「……!」
タイチが網を見る。
兄たち。
三匹の進化ポケモン。
「イーブイ!」
「ブイ!」
「網を留めてるところだ!」
イーブイが方向を変える。
機械の側面。
網を巻き上げている装置。
「行け!」
「ブイ!」
身体ごと飛び込む。
ガン!
一度。
壊れない。
「もう一回!」
「ブイ!」
ガン!
ひび。
「もう少し!」
「ブイィ!」
三度目。
バキッ!
留め具が壊れる。
「何!?」
網が緩んだ。
「今だ!」
兄たちが抜け出す。
「シャワーズ!」
「サンダース!」
「ブースター!」
三匹も自由になる。
「やった!」
タイチが拳を握る。
「ブイ!」
兄たちは。
イーブイを見る。
「タイチ……」
「お前たち……」
だが。
ロケット団は諦めない。
「だったら力ずくよ!」
アーボック。
マタドガス。
二匹が飛び出す。
「アーボック!」
「マタドガース!」
「ピカチュウ」
「ピカ!」
サトシも前へ。
「援護するぞ!」
「うん!」
タイチとイーブイ。
その左右へ。
シャワーズ。
サンダース。
ブースター。
「行くよ、イーブイ!」
「ブイ!」
イーブイが駆ける。
兄たちも指示を飛ばす。
水。
電気。
炎。
三つの力がアーボックとマタドガスを追い込んでいく。
そして。
「ピカチュウ!」
「ピカ!」
サトシが笑う。
「仕上げだ!」
『エレキボール』。
「ピカ――チュウ!」
電撃の球が飛ぶ。
ロケット団の機械へ直撃。
ドォン!
「ぎゃあああ!」
「進化石がぁ!」
「また失敗ニャー!」
「やな感じ――!」
空の彼方へ消えていった。
◇
騒ぎが収まった庭。
タイチのイーブイは。
少し疲れながらも。
しっかり立っていた。
「ブイ!」
「イーブイ!」
タイチが抱き上げる。
「やった!」
「ブイ!」
兄たちが近づく。
「タイチ」
「……」
タイチが少し緊張する。
兄の一人がイーブイを見る。
「強かったな」
「え?」
「進化してないのに、じゃない」
もう一人が笑う。
「イーブイとして、強かった」
「……!」
「俺たち、進化させることばかり考えてたみたいだ」
三人はそれぞれ自分のパートナーを見る。
「シャワーズ」
「サンダース」
「ブースター」
どの進化も。
彼らとパートナーが選んだ道。
だからこそ。
タイチとイーブイが別の道を選んでもいい。
「好きに育てろよ」
「お前とイーブイのペースでな」
タイチの目が潤む。
「うん!」
「ブイ!」
◇
出発の時間。
「ありがとう、サトシ」
タイチが言った。
「俺は大したことしてないよ」
「でも、イーブイに聞いてみろって言ってくれた」
タイチは腕の中のイーブイを見る。
「僕、自分が進化させたくないってことしか考えてなかった」
「ブイ」
「これからはちゃんと、この子がどうしたいかも考える」
「それでいいと思う」
サトシが笑う。
「ピカ!」
ピカチュウも頷いた。
「じゃあな、イーブイ」
「ブイ!」
サトシたちは歩き出す。
少し進んだところで。
サトシはふと仲間たちのことを考えた。
フシギソウ。
自分で進化を選んだ。
ピカチュウ。
進化しない道を選んだ。
そして。
ヒトカゲ。
ゼニガメ。
ゴースト。
ミニリュウ。
いつか。
それぞれにも選ぶ時が来るかもしれない。
サトシが決めることではない。
「ピカ?」
隣を歩くピカチュウが見上げる。
「いや」
サトシは笑う。
「みんな、違っていいんだなって思っただけ」
「ピカ!」
その横。
「ミニュ!」
ミニリュウが元気よく前へ飛び出す。
「おい、また先に行くのか!」
「ミニュ!」
「ピカ!」
ピカチュウまで追いかける。
「待てって!」
サトシも走り出した。
進化する者。
今の姿を選ぶ者。
まだ答えを知らない者。
選ぶ道は違っても。
一緒に目指すものは変わらない。
もっと強く。
もっと遠くへ。
それぞれが選んだ姿のまま。
サトシたちの旅は、これからも続いていく。