ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
ピチューがサトシの家で暮らすようになってから、二人で過ごすことはすっかり日常になっていた。
朝は一緒に起きて食事を取り、それからオーキド研究所へ向かう。研究所ではポケモンたちの世話を手伝い、時間があれば森へ出て野生ポケモンを観察し、午後になると庭で身体を動かす――そんな毎日を繰り返すうちに、最初はまだ幼さの目立っていたピチューも少しずつ逞しくなっていた。
その日も研究所の庭では、サトシとピチューがいつもの訓練に励んでいた。
「ピチュー、右!」
「ピチュ!」
合図を聞いたピチューが勢いよく地面を蹴り、置かれていた目印の手前で身体を傾けると、小さな身体が鋭く方向を変えて次の目印へ向かう。
「次は左! そのまま前に抜けろ!」
「ピチュ!」
速度を落とさずに切り返した先には練習用の的が置かれており、サトシはピチューが正面を捉えた瞬間に腕を振った。
「止まらないで――でんきショック!」
「ピッチュウ!」
頬の電気袋から黄色い電撃が迸り、走りながら放たれた一撃が的の中央近くへ命中する。
バチッ、と乾いた音が響いた。
「よし、今のいいぞ!」
「ピチュ!」
嬉しそうに振り返ったピチューへ、サトシも笑顔を返す。
以前なら、走りながらのでんきショックは狙いが大きく逸れていた。それが今ではかなり安定するようになり、立ち止まった状態なら狙った場所へほとんど外さず撃てるだけでなく、電気を溜めてから放つまでの時間も明らかに短くなっている。
だからといって、サトシはすぐに新しい技を覚えさせようとはしなかった。
前世の知識があるため、ピチューがこれから覚えられる技はいくつも知っている。それでも、技の数を増やすことだけが強さではないと、実際にポケモンと触れ合うようになってから強く感じるようになっていた。
今はまず、でんきショックを徹底的に磨く。
狙いを正確にすることはもちろん、動きながら撃つ、素早く発動する、必要以上の電気を使わず威力を調節するなど、同じ一つの技でも練習できることはいくらでもある。
「もう一回いけるか?」
「ピチュ!」
元気いっぱいの返事を聞いて、サトシは笑いながら次の目印を指差した。
「じゃあ今度はさっきより速くするぞ!」
「ピッチュ!」
ピチューが再び走り出す。
少し離れた場所では、オーキド博士がその様子を興味深そうに眺めていた。
「ずいぶん上達したのう」
「うん。最初は止まった的にもなかなか当たらなかったんだけどね」
「技を覚えるだけで満足せず、使い方を覚えさせるのは大切なことじゃ。実際のバトルでは、相手も同じ場所に立ち続けてはくれんからの」
「だからもっと動きながら使えるようにしたいんだ」
サトシが答えている間にも、ピチューは一人で目印の間を走っている。
どうやら休むつもりはないらしい。
「ほんと、バトルの練習好きだよな」
「ピチュ!」
聞こえていたのか、遠くから元気な返事が返ってきた。
その姿を見ながらサトシは笑う。
強くなることを無理強いする必要がないのはありがたかった。サトシ自身がバトル好きなのと同じように、ピチューも身体を動かし、新しいことができるようになるのを楽しんでいる。
だからこそ、二人での訓練は厳しいだけの時間にはならなかった。
◇
訓練以外の時間も、二人はほとんど一緒だった。
森へ出れば追いかけっこをし、研究所でサトシが本を読んでいる時には、ピチューが隣で丸くなって眠っている。研究所のポケモンたちとも少しずつ仲良くなり、気づけばサトシより先に庭へ飛び出して遊んでいることさえあった。
家へ帰ってからも、それは変わらない。
「サトシ! ピチューと一緒に泥だらけで入ってこないの!」
玄関を開けた瞬間、ハナコの声が飛んできた。
自分の服を見ると、森を走り回ったせいであちこちに泥がついており、隣にいるピチューも似たような状態だった。
「ご、ごめん!」
「ピチュ!」
「ピチューも元気よく返事して誤魔化さないの」
「ピチュ……」
耳を下げたピチューを見て、サトシは笑いを堪える。
すると今度はハナコから睨まれたので、慌てて口元を押さえた。
そんなやり取りも、いつの間にかサトシの家では当たり前になっていた。
最初こそハナコを警戒していたピチューも、今ではすっかり懐いている。特に食事の時間になると分かりやすく、ハナコが名前を呼べばサトシを置いて真っ先に飛んでいくほどだった。
「ピチュー、ご飯よ」
「ピッチュ!」
「……おい」
猛然と走っていく後ろ姿を見送りながら、サトシは思わず声を漏らす。
「俺が呼んだ時より速くない?」
「ピチュ?」
振り返ったピチューが、何のことか分からないという顔で首を傾げる。
「絶対分かってるだろ」
「ピチュ~」
そのままハナコのところへ逃げていったピチューを追いかけると、食卓から楽しそうな笑い声が上がった。
それでも夜になれば、ピチューは必ずサトシの部屋へ戻ってくる。
ベッドの隣に用意した場所で眠る日もあれば、夜中にこっそり布団へ潜り込んでくる日もあり、朝起きた時に枕の横で丸くなっていることも珍しくなかった。
そんな毎日を繰り返すうちに、サトシにとってピチューが隣にいることは、いつしか特別ではなく当たり前のことになっていた。
◇
ピチューが成長する一方で、サトシの波導も着実に磨かれていた。
ある日、森の中でサトシは目を閉じたまま立っていた。
「もう隠れた?」
遠くから小さく鳴き声が聞こえる。
「ピチュ!」
「じゃあ探すぞ」
視界を閉ざし、ゆっくり呼吸を整える。
以前のサトシなら、ここから必死に集中しなければ何も感じられなかったが、今では力みすぎる方がかえって分からなくなると理解していた。
森の音を消そうとするのではなく、そのまま受け入れながら意識だけを周囲へ広げていく。
すると、ぼんやりと生命の存在が感じられた。
木の枝にいるポッポ、草むらを移動しているコラッタ、さらに少し離れたところにはナゾノクサらしき気配もある。
その中から、サトシは一番よく知っている波導を探していった。
「……見つけた」
目を閉じたまま身体の向きを変え、少し離れた大きな木を指差す。
「そこだろ!」
しばらく何も起こらなかったが、やがて木の陰から黄色い耳が少しだけ覗いた。
「ピチュ……?」
「やっぱり!」
「ピッチュ!」
見つかったことが悔しかったらしく、ピチューが勢いよく飛び出してくる。
そのままサトシへ飛びついたため、二人揃って草の上へ転がった。
「はははっ! 今度はもっと上手く隠れろよ!」
「ピチュ!」
胸の上で抗議するピチューを見ながら笑っていると、不意にサトシの内側へ温かなものが流れ込んできた。
楽しい、嬉しい、もっと一緒に遊びたい――言葉そのものではないのに、それがピチューの気持ちなのだと自然に理解できる。
そして同時に、自分の気持ちも伝えられるのではないかと思った。
サトシはピチューの頭へ手を置き、波導を通じて自分の中にある温かな感情を意識する。
――俺も楽しいよ。
声には出さず、ただその気持ちを相手へ届けるように思い描いた。
「……ピチュ?」
ピチューが不思議そうにサトシを見る。
届いたのか、それとも単に雰囲気を感じ取っただけなのか、まだ分からない。
それでもピチューはすぐに嬉しそうな顔になり、サトシの胸へ頬を寄せてきた。
「……少しは伝わったのかな」
答えは分からない。
だからこそ、もっと練習してみようと思えた。
◇
そんな毎日が続き、ピチューの身体にも少しずつ成長が現れていった。
最初に森で出会った頃よりも身体はしっかりし、走る速度も上がっている。でんきショックの扱いも上手くなり、何よりサトシとの意思疎通は日に日に自然なものになっていた。
変化が訪れたのは、そんなある日の夕方だった。
特別な事件が起きたわけではない。
激しいバトルをしたわけでもなければ、危険な目に遭ったわけでもない。
いつものように研究所で訓練を終え、二人で家へ帰る途中だった。
夕焼けに染まった道を、サトシとピチューが並んで歩いている。
「今日のでんきショック、かなり良かったな。走りながらでもほとんど外さなくなったし」
「ピチュ!」
「でも明日はもっと難しくするぞ。今度は俺が的を動かすから、それに当てるんだ」
「ピチュ!」
望むところだ、と言わんばかりの返事にサトシは笑った。
「絶対当てるって?」
「ピッチュ!」
「じゃあ俺も本気で動かすからな」
そう言って歩き出そうとしたところで、隣にいたピチューが突然足を止めた。
「ん?」
振り返ると、ピチューは自分でも何が起きたのか分からない様子で身体を見下ろしている。
「どうした?」
「ピチュ……?」
怪我をしているようには見えず、苦しんでいる様子もない。
しかし次の瞬間、サトシは別の変化に気づいた。
ピチューから感じる波導が、急激に大きくなっている。
これまで何度も触れてきた温かな波導が全身から溢れるように膨らみ、それと同時にピチューの身体が白い光に包まれた。
「……!」
サトシは息を呑む。
この光を知らないはずがなかった。
前世で何度も見た、ポケモンが新しい姿へ変わる瞬間。
「進化……!」
光の中で、小さかった身体の輪郭が変わっていく。
身体が一回り大きくなり、耳が長く伸び、尻尾も見慣れた稲妻の形へ変化していった。
知識としてなら、どんな姿になるのか最初から分かっている。
それなのに、サトシは目を離せなかった。
画面越しに見る進化とはまるで違う。
ずっと一緒に過ごしてきたポケモンが、自分の目の前で成長し、新しい姿へ変わっていく。その光景を見ているだけで、胸の奥から言葉にできないほどの喜びが込み上げてきた。
やがて白い光が収まる。
「……ピカ」
そこに立っていたのは、黄色い身体に長い耳、赤い頬と稲妻型の尻尾を持ったポケモンだった。
「ピカチュウ……!」
サトシが思わず名前を呼ぶ。
ずっと知っていた姿だった。
けれど、今目の前にいるピカチュウは、前世で画面越しに見ていた存在とは違う。
森で初めて姿を見つけ、少しずつ距離を縮め、ガルーラたちとの別れを見届けた。家族になってからは一緒に暮らし、遊び、でんきショックを練習しながら成長してきた。
そのピチューが、自分の目の前でピカチュウになったのだ。
「ピカ……?」
一方のピカチュウは、自分に何が起こったのかまだ完全には理解していないらしい。
大きくなった前足を眺めたあと、長くなった耳を動かし、最後に自分の尻尾を追いかけるように身体を回す。
そんな姿がおかしくて、サトシは笑った。
「進化したんだよ。ピチューから、ピカチュウに」
「ピカ……チュウ?」
自分の新しい名前を確かめるように鳴いたあと、ピカチュウはサトシの顔を見つめる。
そして次の瞬間――。
「ピカ!」
「うわっ!」
勢いよく飛びつかれ、サトシは受け止めきれずに尻もちをついた。
以前より明らかに重くなっている。
「痛ってぇ……進化したなら、飛びつく時くらい加減しろよ」
「ピカピ!」
嬉しそうな鳴き声とともに、温かな感情が波導を通じて伝わってくる。
進化できたことが嬉しい。
サトシと一緒にいることが嬉しい。
そして、これからも一緒にいたい。
「……おめでとう、ピカチュウ」
サトシは笑いながら、その身体を抱きしめた。
「これからもよろしくな」
「ピカチュウ!」
姿は変わった。
それでも、サトシの腕の中にいるのは間違いなく、ずっと一緒に過ごしてきた相棒だった。
◇
「まあ! 進化したの!?」
家へ帰った途端、ハナコは目を丸くした。
「ピカ!」
「すごいじゃない。おめでとう、ピカチュウ!」
ハナコがしゃがみ込むと、ピカチュウは嬉しそうにその胸へ飛び込んでいく。
「ピカチュウ!」
「あらあら」
その様子を見ていたサトシは、少しだけ眉を寄せた。
「……俺の時より優しく飛びついてない?」
「ピカ?」
「何でもないみたいな顔するなよ」
「ふふっ。サトシより私の方が優しいからじゃない?」
「それ関係ある!?」
「ピカピ!」
「お前まで同意するな!」
三人の笑い声が家の中へ広がる。
ピチューからピカチュウへ進化しても、こういうところは何も変わらないらしい。
◇
翌日、研究所へ連れていくと、オーキド博士もピカチュウの姿を見るなり驚いた。
「おお、ついに進化したか!」
「昨日、帰る途中で急にね」
「ピカチュウ!」
オーキド博士はピカチュウの様子を確認し、体調にも問題がないことを確かめると満足そうに頷いた。
「進化すれば身体の大きさだけでなく、電気を扱う力にも変化が出てくるじゃろう。今までと同じ感覚で動けるとは限らんから、しばらくは新しい身体に慣れることを優先するとよい」
「俺もそう思ってた」
サトシは隣のピカチュウを見る。
進化したからといって、すぐに強力な技を詰め込むつもりはない。
まずは走って、跳んで、今まで使っていたでんきショックを撃ってみる。その中で新しい身体の感覚を覚えてから、次の段階へ進めばいい。
ただ――その先にやりたいことは、すでに決まっていた。
「身体に慣れたら、新しい技の練習を始めたいんだ」
「ほう?」
「ピカチュウの速さをもっと活かせる技も欲しいし、でんきショックとは違う電気の使い方も覚えたい。覚えられそうな技は色々あるから、一つずつ試してみたいんだ」
サトシが楽しそうに話していると、隣にいたピカチュウも目を輝かせた。
「ピカ!」
どうやら本人も乗り気らしい。
「もっと強くなろうぜ、ピカチュウ」
サトシが拳を差し出すと、ピカチュウは迷わず小さな前足を重ねた。
「ピカチュウ!」
ピチューだった頃に交わした約束は、姿が変わっても何一つ変わらない。
世界最強のポケモントレーナーを目指すサトシと、その隣を歩くと決めたピカチュウ。
二人が次に挑むのは、新しい技。
これまで磨き続けてきたでんきショックに加えて、ピカチュウの強みを活かす技を身につけるための、本格的な特訓が始まろうとしていた。