ポケットモンスター ―君と目指す頂― 作:あああああ
でんこうせっか、ほっぺすりすり、エレキボール。
新しく三つの技を身につけたからといって、サトシはすぐに次の技へ手を出そうとはしなかった。
第8話の特訓を終えた時に決めた通り、しばらくはでんきショックを含めた四つの技を磨き、それぞれを状況に応じて使い分けられるようにするつもりだった。
実際、練習用の的へ当てることと、動いている相手へ技を当てることはまったく違う。
そのことを確かめる機会は、思っていたより早く訪れた。
「サトシ、今日は少し違うことをやってみるか?」
研究所の庭でピカチュウと準備運動をしていたサトシは、オーキド博士の言葉に振り返った。
「違うこと?」
「うむ。技を覚えたのなら、そろそろ相手のいる練習も経験しておいた方がよかろう」
その言葉を聞いた瞬間、サトシの目が輝いた。
「バトル!?」
「いきなり本格的な勝負をさせるつもりはないぞ」
興奮するサトシを見て、オーキド博士が苦笑する。
「相手も攻撃してくる中で、どう動くのかを経験するための練習じゃ。お前もまだ正式なポケモントレーナーではないからの」
「それでもやりたい!」
即答だった。
隣にいたピカチュウも同じらしく、サトシの肩から飛び降りると前足を握るように構えた。
「ピカ!」
「ピカチュウもやる気じゃな」
「俺たち、ずっと練習してきたからね。実際にどこまでできるのか試してみたい」
「それなら相手は――」
オーキド博士が研究所の方へ顔を向ける。
少しすると、一匹のポケモンが庭へ出てきた。
茶色い身体に、大きな前歯。
何度も研究所で顔を合わせているポケモンだった。
「ラッタ!」
「ラッタか」
サトシはすぐに表情を引き締める。
相手がどんなポケモンなのかは知っている。
だが、目の前にいるラッタがどれほど強いのかまでは、名前を見ただけでは分からない。
ゲームならレベルや能力値で考えられる。
この世界では違う。
体格、動き、経験、性格、得意な戦い方。
実際に向き合って初めて分かることの方が多い。
サトシがラッタを観察していると、その隣へオーキド博士が立った。
「今日はわしがラッタへ指示を出そう。危険だと判断すればすぐ止めるから、サトシはピカチュウへ指示を出してみなさい」
「分かった」
胸が高鳴る。
前世では何度もポケモンバトルを見た。
ゲームでも数え切れないほど戦った。
けれど、自分が実際にポケモンの隣へ立ち、指示を出すのは初めてだった。
サトシはピカチュウを見る。
「いける?」
「ピカ!」
迷いのない返事。
それを聞いたサトシも笑った。
「よし。やろう、ピカチュウ!」
「ピカチュウ!」
◇
向かい合ったラッタが低く身構える。
ピカチュウも腰を落とした。
風が庭の草を揺らしていく。
「始めるぞ」
オーキド博士が手を上げる。
サトシはラッタから目を離さなかった。
体格ではピカチュウより大きい。
正面から力比べをする必要はない。
ピカチュウの武器は速さだ。
「始め!」
「ラッタ、たいあたり!」
「ラッタ!」
いきなり来た。
ラッタが地面を蹴り、一直線に突っ込んでくる。
速い。
画面越しで見ていた技とは違い、実際に目の前で見ると迫力があった。
それでも――。
「ピカチュウ、右へ避けろ!」
「ピカ!」
ピカチュウが横へ跳ぶ。
ラッタの身体がすぐ脇を通過した。
「今だ、でんきショック!」
「ピカチュウ!」
振り向きざまに電撃を放つ。
しかしラッタも止まってはいなかった。
「左へ!」
オーキド博士の指示に反応し、ラッタが身体を捻る。
電撃が地面へ弾けた。
「外した!」
練習用の的とは違う。
相手はこちらの技を避ける。
分かっていたはずなのに、実際に経験するとまるで感覚が違った。
「ラッタ、もう一度たいあたり!」
「来るぞ!」
ラッタが迫る。
サトシは一瞬、でんこうせっかで迎え撃とうとした。
だが、すぐに考えを変える。
体格差がある。
正面衝突は必要ない。
「でんこうせっかで避けろ!」
「ピカ!」
白い光を纏ったピカチュウが一気に加速した。
ラッタとぶつかる直前で横へ抜け、そのまま背後へ回り込む。
「そのままでんきショック!」
「ピカ――チュウ!」
今度は近い。
振り返ろうとしたラッタへ電撃が命中した。
「ラッ!」
ラッタがよろめく。
「当たった!」
喜びかけた、その時だった。
「まだじゃぞ。ラッタ、でんこうせっか!」
「ラッタ!」
「えっ――」
予想以上に早く立て直したラッタが飛び出した。
「ピカ!」
ドンッ!
今度は避けきれない。
体当たりを受けたピカチュウが地面を転がった。
「ピカチュウ!」
駆け寄りたくなる。
けれど、ピカチュウはすぐに立ち上がった。
「ピカ……!」
痛みはある。
それでもまだ戦える。
波導を意識すると、その意思が以前よりはっきり伝わってきた。
――まだやれる。
サトシは足を止めた。
「……分かった」
ピカチュウがこちらを見る。
「続けよう!」
「ピカ!」
ここでサトシはようやく理解した。
自分はこれまで、ピカチュウが技を使うことばかり考えていた。
けれどバトルでは、相手もこちらを倒そうとしてくる。
攻撃する。
避ける。
相手を見る。
次の動きを予測する。
その全部を同時に考えなければならない。
「ラッタ、たいあたり!」
再びラッタが来る。
今度は技だけを見ない。
足の向き。
身体の傾き。
視線。
ラッタがピカチュウの正面へ狙いを定めている。
「ピカチュウ、ギリギリまで待って!」
「ピカ!」
ラッタが迫る。
まだ。
もう少し。
「今!」
ピカチュウが横へ跳んだ。
ラッタが通り過ぎる。
「追いかけろ、でんこうせっか!」
「ピカ!」
今度は逃げるためではない。
白い光を纏ったピカチュウが一気に距離を詰め、方向転換しようとしていたラッタへ追いつく。
「ラッ!?」
「そのままぶつかれ!」
「ピカ!」
ドンッ!
でんこうせっかが直撃した。
ラッタの身体が前へ押し出される。
それでも倒れない。
「ピカチュウ、離れろ!」
追撃したい気持ちを抑え、いったん距離を取らせる。
これまでなら技が当たったことに喜んでいたかもしれない。
だが、相手がまだ動けるなら終わっていない。
ラッタがこちらへ向き直った。
サトシの頭の中で、覚えた技が浮かぶ。
でんきショックは遠距離。
でんこうせっかは高速移動と接近。
ほっぺすりすりは接触する必要がある。
エレキボールは強力だが、今のピカチュウでは作るまでに少し時間がかかる。
なら――。
「ピカチュウ、走れ!」
「ピカ!」
技を使わずに走らせる。
右へ、左へ。
ラッタの周囲を回りながら距離を測る。
「ラッタ、追うんじゃ!」
「ラッタ!」
ラッタが方向を変えた。
その瞬間、サトシは声を上げる。
「でんこうせっか!」
「ピカ!」
一気に加速する。
だが狙いは攻撃ではない。
ラッタの横をすり抜ける。
「ラッ!?」
「今、ほっぺすりすり!」
ピカチュウが急停止すると、振り向いたラッタへ身体を寄せた。
「ピカチュウ!」
バチバチッ!
至近距離から電気が流れる。
「ラッタ!」
ラッタの身体が硬直した。
ピカチュウがすぐに距離を取る。
「よし!」
練習してきた動きが、初めて相手のいる状況でつながった。
しかしオーキド博士はまだ止めない。
ラッタも苦しそうではあるものの、戦意を失ってはいなかった。
「なら最後は――」
サトシがピカチュウを見る。
「やれる?」
「ピカ!」
「エレキボール!」
ピカチュウの頬から電気が溢れる。
黄色い光が一ヶ所へ集まり、少しずつ球を形作っていく。
練習より時間がかかっている。
疲れているのだ。
それでも形は崩れない。
「ラッタ、でんこうせっか!」
オーキド博士も待ってはくれなかった。
ラッタが走り出す。
「ピカチュウ、まだだ!」
電気の球が大きくなる。
ラッタが迫る。
「まだ!」
距離が縮まる。
ピカチュウは逃げない。
サトシも目を逸らさない。
そして――。
「今だ!」
「ピカァ――チュウ!」
エレキボールが放たれた。
真正面から迫っていたラッタへ黄色い球が命中し、大きな音とともに電気が弾ける。
「ラッ!」
ラッタの身体が地面へ転がった。
しばらくして起き上がろうとしたものの、足へ力が入らず再び身体を伏せる。
そこでオーキド博士が手を上げた。
「そこまでじゃ!」
サトシは一瞬動かなかった。
終わった。
その意味を理解した途端、顔が明るくなる。
「勝った……?」
「ピカ……?」
オーキド博士が笑う。
「うむ。ピカチュウの勝ちじゃ」
「やったあああ!」
「ピカチュウ!」
サトシが両腕を広げると、ピカチュウが勢いよく飛び込んできた。
今度は重さにも負けず、しっかり抱き止める。
「やったな、ピカチュウ!」
「ピカ! ピカチュウ!」
嬉しい。
楽しい。
もっと戦いたい。
波導を使わなくても分かりそうなほど、ピカチュウは喜んでいた。
サトシも同じだった。
前世から憧れ続けたポケモンバトル。
その初めての勝利を、最初の相棒と一緒に手にした。
けれど、喜んでいるだけでは終わらない。
サトシはピカチュウを降ろすと、ラッタのところへ向かった。
「ラッタ、大丈夫?」
「ラッタ……」
疲れてはいるが、大きな怪我はない。
オーキド博士が状態を確認し、サトシもほっと息を吐いた。
「ありがとう、ラッタ」
サトシが頭を下げる。
「俺たちの練習に付き合ってくれて」
「ラッタ」
ラッタが少しだけ頭を上げた。
ピカチュウも隣へ来る。
「ピカ」
二匹が顔を合わせる。
そしてラッタが前足を上げると、ピカチュウもそれへ自分の前足を合わせた。
それを見たサトシは、自然と笑っていた。
「サトシ」
オーキド博士が声をかける。
「勝てたのはよかった。しかし、反省するところも多かったのう」
「うん」
今度はすぐに頷いた。
「最初、技を当てることばっかり考えてた。ラッタが何をしてくるか、ちゃんと見られてなかった」
「それに気づけたなら十分じゃ」
「あと、エレキボールはまだ時間がかかる。近い相手に何も考えず使ったら、撃つ前に攻撃される」
「うむ」
「でんこうせっかも、ただ攻撃に使うだけじゃなくて、避けたり距離を詰めたりするのに使える。ほっぺすりすりも単独より、他の動きからつないだ方が当てやすかった」
オーキド博士が目を細めた。
「初めてのバトルでそこまで分かれば上出来じゃ」
サトシはピカチュウを見る。
技は四つ。
けれど、使い方は四つではない。
同じ技でも、状況によって役割を変えられる。
前世では知っていたはずのことだった。
実際に自分が戦って、ようやくその意味が分かった気がした。
「もっと強くなれるな」
「ピカ!」
サトシが拳を出す。
ピカチュウも前足を重ねた。
「次はもっと上手く戦おうぜ」
「ピカチュウ!」
◇
その日の夜。
夕食と風呂を済ませたサトシは、自分の部屋でピカチュウと一緒に机の前へ座っていた。
もっとも、ピカチュウは机ではなくサトシの肩の上だ。
目の前にあるのは、セレナと連絡を取るための画面だった。
サマーキャンプで別れて以来、二人は何度も連絡を取り合っている。
毎日というわけではない。
それでも研究所であったことや、セレナの近況などを話しているうちに、最初の頃よりずっと自然に会話できるようになっていた。
呼び出し音が止まる。
画面にセレナが映った。
『サトシ!』
「久しぶり、セレナ」
『久しぶり! ……あれ?』
セレナが画面へ顔を近づける。
その視線はサトシではなく、肩の上へ向いていた。
『その子……!』
「ピカ?」
「気づいた?」
サトシは少し得意そうに笑った。
「ピチューが進化したんだ」
『やっぱり! ピカチュウになったの!?』
「うん」
「ピカチュウ!」
画面へ向かってピカチュウが鳴く。
セレナの表情が一気に明るくなった。
『すごい! おめでとう、ピカチュウ!』
「ピカ!」
『前に見せてもらった時より大きくなったね』
「進化してから肩に乗られると重くてさ」
「ピカ!?」
「痛っ!」
頬を叩かれた。
画面の向こうでセレナが笑う。
『そんなこと言うからだよ』
「本当に重くなったんだって」
「ピカァ……」
「分かった、分かった。悪かったって」
ピカチュウの頭を撫でると、ようやく機嫌を直してくれた。
その様子を見ていたセレナは、どこか嬉しそうだった。
『本当に仲良しなんだね』
「もちろん。俺の相棒だから」
何気なく答えた瞬間、ピカチュウがサトシの頬へ頭を寄せた。
胸の奥へ温かな感情が伝わってくる。
嬉しい。
その気持ちに、サトシも笑った。
「それで今日、初めてちゃんとポケモンバトルしたんだ」
『えっ、本当!?』
「博士のラッタと練習試合。俺たちが勝った!」
「ピカ!」
そこからサトシは今日の出来事を話した。
最初は相手の動きを見られなかったこと。
でんこうせっかでラッタの攻撃を避けたこと。
ほっぺすりすりへつないだこと。
最後はエレキボールで勝負を決めたこと。
セレナは途中で口を挟まず、楽しそうに聞いていた。
『サトシ、本当にポケモントレーナーになるための練習してるんだね』
「十歳になったらすぐ旅に出るからね」
『そっか……』
ほんの少しだけ、セレナの表情が変わった。
以前のサトシなら気づかなかったかもしれない。
けれど今は、画面越しでも分かる。
「セレナ?」
『な、なに?』
「また会えるよ」
『え?』
「旅に出たら色んな場所に行くつもりだし、いつかカロスにも行ってみたい。だからその時は会おう」
カロスへ行くことは「いつか」ではない。
ヒトカゲを仲間にしてリザードンへ進化させた後、メガシンカについて調べるために必ず向かうつもりだ。
ただ、それを今のセレナへ詳しく説明することはできない。
『……うん!』
セレナが笑った。
『約束だよ?』
「約束」
サトシが小指を画面へ向ける。
少し遅れて、セレナも同じように小指を差し出した。
直接触れることはできない。
それでも二人は笑った。
その間へピカチュウが顔を突っ込む。
「ピカ!」
「あ、お前も?」
「ピカチュウ!」
『ふふっ。じゃあピカチュウとも約束』
「ピカ!」
三人の約束が一つ増えた。
◇
通話を終えたあと、サトシはベッドへ寝転がった。
ピカチュウも隣へ飛び乗ってくる。
今日、初めてポケモンバトルをした。
そして初めて勝った。
たった一度の練習試合でしかない。
それでも、サトシにとっては大きな一歩だった。
これから先には、自分より強いトレーナーがいくらでもいる。
ジムリーダー。
ポケモンリーグへ挑むトレーナーたち。
四天王。
チャンピオン。
そして、まだ見ぬ世界中の強者たち。
そのすべてを越えなければ、世界最強には届かない。
「楽しみだな、ピカチュウ」
「ピカ?」
「早く旅したい」
「ピカ!」
「でも、その前にやれること全部やろう」
サトシが天井へ拳を伸ばす。
技だけではない。
ポケモンについてもっと学ぶ。
バトルを経験する。
自分自身も鍛える。
そして波導も――旅立ちまでに必ず使いこなせるようになる。
隣を見ると、ピカチュウはすでに目を閉じかけていた。
「……寝るの早くない?」
「ピカァ……」
「まあ、今日は疲れたか」
サトシが頭を撫でると、ピカチュウはその手へ頬を寄せた。
初めてのバトルは終わった。
けれど、二人の挑戦は始まったばかりだ。
世界最強を目指す少年とピカチュウは、旅立ちの日へ向けて、また一歩ずつ前へ進んでいく。