あれから数日、イーブイは、暇さえあればスピードスターの練習をしている。
小さな星が気持ち程度に飛び出す日もあれば、どれだけ頑張っても何も起こらない日もあった。
それでもイーブイは諦める様子もなく、道端で休憩するたびに、少し離れた木や岩に向かって体を構えている。
「イーブイ、そろそろ出発するよー!」
「ぶいっ!」
呼ぶと元気よく駆け戻ってくる。
何度失敗しても、その目は期待に輝いていた。
*
今日は湖のほとりでキャンプをすることにした。
水辺から少し離れた平らな場所にテントを張り、その手前で焚き火を起こす。
湖に向かう小川の流れる音が、ぱちぱちと薪のはぜる音に混じっていた。
夕食は、いつものカレーだ。
「ミミッキュの分だけ、少し取り分けて辛くしたよ!」
小さなお皿を差し出すと、ミミッキュがぴくりと顔を上げた。
「きゅっ」
「ふふ。いっぱい食べてね」
ミミッキュはお皿を受け取ると、少し離れたところで、いつものように背中を向ける。
ミミッキュは基本的に少食だが、辛いものを出すと普段よりもたくさん食べるということが分かってきた。
イーブイは自分の分をあっという間に食べ終えたものの、追加の練習をする元気は残っていなかったらしい。
今は焚き火の横で丸くなって、すっかり眠っている。
ラルトスも焚き火の前の丸太に腰掛け、こくり、こくりと頭を揺らしていた。
揺れる炎の向こうには、静かな水面が広がっている。
火の光が映るたび、細かな波がきらきらと光った。
テントの前に座り、そんな光景を眺めていると、家族でキャンプに行ったときのことを思い出す。
夏になるとキャンプに行くのが、我が家の恒例行事だった。
なんだか家族が恋しくなり、胸元のペンダントを手に取る。
出発の日に父がくれたペンダント。
イーブイの首にも、お揃いのチャームがある。
そういえば、イーブイとこの石を見つけたのも、いつかのキャンプのときだった。
あのときは、こんなふうに旅をすることになるなんて、考えてもいなかった。
焚き火の明かりにかざすと、石が小さく光った。
「…………」
とん、とん。
「ぎゃあっ!?」
「きゅっ!?」
思わず飛び上がって振り返ると、暗がりにミミッキュが立っていた。
ミミッキュも驚いたらしく、ぴんと体を伸ばしたまま固まっている。
「ご、ごめん! びっくりした……!」
「きゅ……」
ミミッキュも申し訳なさそうに小さく返事をする。
「ごめんね、急に大きな声出しちゃって。……あれ? もしかして、おどろかすってこういうわざ?」
ミミッキュが、こてんと首を傾げた。
「いや、違うか。今のは私が勝手に驚いただけか……」
そう言って笑うと、ミミッキュの視線が私の手元に向いた。
「ん? これ?」
ペンダントを持ち上げて見せる。
「出発するときに、お父さんがくれたんだ。イーブイともお揃いなの」
眠っているイーブイの方を指さすと、ミミッキュはそちらを見て、それからもう一度、私のペンダントに目を戻した。
「イーブイとは、旅に出るずっと前から一緒にいるんだ。この石も、子どもの頃にみんなでキャンプに行ったときに見つけたんだよ」
「きゅ」
「ミミッキュとも、これからいろんな思い出を作ろうね」
私はミミッキュをそっと抱き上げ、膝の上に乗せた。
一瞬、ぴしっと固まった気がしたけれど、降りようとはしなかった。
「……あったかいねえ」
「きゅ……」
焚き火の向こうで、ラルトスの頭がまたこくりと揺れた。
イーブイは相変わらず、気持ちよさそうに眠っている。
川の音を聞きながら、私たちはしばらく、そのまま夜が更けていくのを眺めていた。
*
「……どうする?」
「ぶい……?」
私たちは今、山を通り抜ける洞窟の前にいる。
入口の脇には、少し古びた看板が立っていた。
『野生ポケモンに注意!』
「うーん……」
紙の地図を広げ、洞窟を通らないルートを指でなぞってみる。
山を大きく迂回する道は、ずいぶん遠回りだ。
今からそちらに向かえば、次の町に着くのは早くても明日のお昼以降になりそうだった。
「でも、この洞窟なら向こう側までそんなに遠くないんだよね……」
入口の奥を覗いてみる。
中は薄暗く、どこまで続いているのかは見えなかった。
うまく通り抜けられれば今日のうちに次の町に着けるはずだ。
「……まぁ無理そうだったら、ここまで逃げてくればいっか! ラルトスのさいみんじゅつもあるしね!」
「ぶいっ!」
「らる!」
二人の返事を聞いて、私は地図を畳んだ。
「よし、行ってみよう!」
それから、足元のミミッキュに目を向ける。
「ミミッキュはどうする? ボールに入っててもいいよ?」
「きゅ」
ミミッキュは小さく首を振り、そのまま私の後ろについてきた。
「そっか。じゃあ、一緒に行こう!」
先頭にイーブイ、私の後ろからラルトスとミミッキュという並びで、暗い洞窟に向かって歩き出した。
*
洞窟の中には、一定の間隔でランプが設置されていた。
真っ暗ではないけれど、外と比べるとずいぶん薄暗い。
頭上は高く、ランプの光が届かないところは黒く沈んでいる。
「足元、気をつけてね」
「ぶい!」
ばさ、ばさっ。
「……ん?」
どこかで、羽ばたくような音がした。
見上げた瞬間、暗がりから青い影が飛び出してくる。
「わっ、ズバット!?」
「ブイッ!」
イーブイが素早く飛び出し、ズバットを弾き飛ばした。
「ありがとう、イーブイ!」
しかし、羽音はそれだけではなかった。
少し進むと、今度は二匹のズバットがこちらへ向かってきた。
「ラルトス、ねんりき!」
「らる!」
一匹が空中で動きを止め、もう一匹はミミッキュのすぐ近くまで飛んでくる。
「きゅっ!」
ミミッキュが布の下から手を出して追い払う。
その後も、ズバットは時折、暗がりから飛び出してきた。
イーブイがでんこうせっかで追い払い、ラルトスがねんりきやさいみんじゅつで動きを止める。
少し離れたところからミミッキュに向かってきたズバットは、その足元からさっと伸びた黒い影に弾き飛ばされた。
「よし、今のうちに進もう!」
私たちは立ち止まらず、洞窟の奥へと歩いていった。
*
「そろそろ半分は過ぎたかな……?」
地図を見ようかと考えたところで、通路が少し広くなった。
それまでより天井も高い。
そして、その暗がりから、今までよりも大きな羽音が響いた。
ばさっ、ばさっ!
「……え?」
ランプの光の中に、青紫色の大きなポケモンが姿を現す。
口を大きく開け、鋭い牙を見せながら、私たちの頭上を旋回していた。
「ゴルバット!? あれが親玉!?」
「ブイッ!」
ゴルバットがこちらに向きを変えた瞬間、イーブイが地面を蹴った。
けれど、ゴルバットはそのままひらりと上昇し、でんこうせっかをかわしてしまう。
「うわっ、届かない! ラルトス、さいみんじゅつ!」
「らる!」
ラルトスがゴルバットを見上げる。
しかし、相手は天井近くを飛び回り、狙いが定まらない。
「じゃあ、ねんりき!」
今度はゴルバットの動きが一瞬止まった。
「よし!」
そう思ったのも束の間、ゴルバットは大きく羽ばたいて、再び飛び始めた。
「ええっ!? もう!?」
「らるっ……!」
「ドレインキッスは!?」
ラルトスからゴルバットに向かってピンク色の光が飛んでいく。
ゴルバットにぶつかった光がラルトスの方へ戻ってくるが、ゴルバットはほとんどひるまず、また頭上へと舞い上がってしまった。
「あんまり効いてない……?!」
イーブイは何度も飛びかかろうとするものの、相手はそのたびに高く飛んでしまう。
ミミッキュは少し離れたところで、じっと固まったままゴルバットを見上げていた。
「ミミッキュ! だいじょ……」
そのときだった。
「――っ!」
ゴルバットの方から、耳をつんざくような音が響いた。
「うわあっ!?」
思わず両耳をふさぐ。
イーブイもラルトスも、ミミッキュも、その場で身をすくめた。
次の瞬間、ゴルバットが勢いよく急降下してくる。
「危ないっ!」
大きな翼が三匹をまとめてなぎ払い、イーブイたちは地面に投げ出された。
「イーブイ! ラルトス! ミミッキュ!」
駆け寄ろうとした私の前に、ゴルバットが回り込む。
「え……」
大きく開いた口が、こちらを向いた。
動けない。
ゴルバットが羽ばたき、まっすぐ私に向かってくる。
「――ブイッ!」
「イーブイ!?」
先ほど弾き飛ばされたイーブイが瞬時に立ち上がり、私の前に飛び出した。
「イーブイ、危ない!」
その体が、かすかに光った。
きらっ。
きらきらっ。
小さな星が、いくつか飛び出した。
星はゴルバットにぶつかり、相手を少し後ろへ押し戻す。
「…………え?」
イーブイも、目を丸くしていた。
「……もしかして!?」
「ぶい!?」
ゴルバットが距離を取った隙に、私はイーブイのそばへ駆け寄った。
「今の! 星、出たよね!?」
「ぶいっ!」
イーブイがこちらを見上げる。
「よし! もう一度やってみよう!」
「ブイッ!」
イーブイがゴルバットに向き直った。
私も大きく息を吸う。
「イーブイ! スピードスター!」
「ブイーッ!」
イーブイの体が光った。
今度は、ひとつやふたつではなかった。
いくつもの星がきらきらと飛び出し、暗い洞窟の中を駆け抜けていく。
ゴルバットが上へ逃れようとするが、星はその動きを追いかけるように飛んでいった。
次々と星を受けたゴルバットは、ついに地面へ落ち、そのまま動かなくなった。
「…………」
「ぶい……?」
「……やった」
私はイーブイを見た。
イーブイも、私を見上げている。
「やったーーーっ!! イーブイ!!」
「ブイーーッ!!」
思わずイーブイを抱き上げる。
「できた! できたね! スピードスター!」
「ぶいっ! ぶいっ!」
「ラルトスもミミッキュも、ありがとう! みんな大丈夫!?」
「らる!」
「きゅっ」
ばさ、ばさっ。
頭上から、また羽音が聞こえた。
「……あっ」
私たちは一斉に天井を見上げた。
「喜ぶのは外に出てからにしよう! 急いで通り抜けるよ!」
「ブイッ!」
反対側には道が続いている。
四人でその道を走り抜けた。
*
洞窟を抜けたのは、空が少しずつ暗くなり始めた頃だった。
ここからなら、次の町はもうすぐそこだ。
「はあーっ! 出られたー!」
私は大きく伸びをした。
外の空気が、なんだかいつもよりおいしい。
夕暮れの空も、さっきまでの洞窟に比べればずっと明るく感じられた。
「……あっ、そうだ! イーブイ!」
「ぶい?」
「さっきの! スピードスター! もう一回やってみて!」
「ぶいっ!」
イーブイは少し離れたところへ駆けていき、こちらに向き直った。
「いくよー!」
「ぶいっ!」
イーブイが体を構える。
きらきらきらっ!
いくつもの星が飛び出し、夕暮れの空の下を駆け抜けた。
「わあっ!」
今度は、ちゃんと見えた。
小さな星たちが、暗くなり始めた景色の中できらきらと輝いている。
「すごいすごい! イーブイ、かっこいい!」
「ブイッ!」
イーブイは得意げに胸を張った。
ラルトスがぱちぱちと手を叩き、ミミッキュもその隣で星の飛んでいった方を見つめていた。
私はイーブイのそばにしゃがみ、頭を撫でた。
「いっぱい練習したもんね。頑張ったねえ」
「ぶい……!」
「……私たち、またひとつ成長したね」
イーブイが嬉しそうに、私の手に頬を寄せた。
「よし! 町に着いたらみんなでお祝いしよう!」
「ぶいっ!」
「らる!」
「きゅ!」
元気よく立ち上がると、四人で並んで歩き出す。
やっとのことで洞窟を抜けて、みんなへとへとなはずなのに、足取りは軽い。
見上げた空には、一番星が輝き始めていた。