一晩ぐっすり眠ったラルトスは、翌朝にはすっかり元気になっていた。
「ラルトス、もう大丈夫?」
「らる!」
元気よく返事をするラルトスを見て、ほっと息をつく。
昨日の雨もすっかり上がり、今日は朝から気持ちのいい青空が広がっていた。
「よーし! じゃあ出発しよっか!」
「ぶい!」
「らる!」
「きゅ!」
宿を出て、次の町へと続く道を歩き始める。
しばらくして、ラルトスがふと足を止めた。
「ん?」
視線の先には、民家の軒先に咲いた小さな花があった。
昨日の雨粒を残した白い花びらが、朝の光を受けて輝いている。
ラルトスはしばらく、その花をじっと眺めていた。
「ラルトス?」
「らる!」
呼びかけると、ラルトスは小走りで私たちのところへ戻ってきた。
町を抜けると、道は少しずつ上り坂が増えてきた。
遠くには、いくつもの山が重なって見える。
昨日の雨の名残で、道の脇の草にはまだ小さな雫が残っていた。
そのうち、草むらから二匹のビッパが顔を出した。
「あ、ビッパ!」
「ぶい!」
イーブイが足を止める。
こちらに気づいたビッパも動きを止めた。
「…………」
「…………」
しばらく見つめ合う。
やがてビッパは興味をなくしたように、また草むらへ戻っていった。
「なんだったんだろうね」
「ぶい?」
道の途中では、濡れた葉っぱの上をケムッソが這っていた。
草むらのどこかからはコロボーシの鳴き声が聞こえてくる。
昨日とは打って変わって、穏やかな朝だった。
しばらく歩いていると、道いっぱいに大きなぬかるみができていた。
「うわ。まだこんなところもあるんだ」
端のぬかるみが少ない部分を見つけ、少し勢いをつけて飛び越える。
「よいしょっ」
イーブイも私の後を追って、ぴょんと軽々飛び越えた。
ラルトスも少し助走をつけて、こちら側へ着地する。
「よし、みんな……あれ?」
振り返ると、ミミッキュだけがぬかるみの向こう側に残っていた。
「ミミッキュ?」
「きゅ……」
ミミッキュは足元のぬかるみをじっと見つめている。
「飛べそう?」
「…………きゅ」
その視線が、自分の身体を覆う布の裾へ落ちた。
「あ。もしかして、濡れるの嫌?」
「きゅ……」
「そっかぁ。じゃあ――」
迎えに戻ろうとすると、ラルトスが一歩前へ出た。
「らる」
ミミッキュの身体が、ふわりと宙に浮く。
「きゅっ!?」
そのままゆっくりとぬかるみの上を移動して、私たちの隣へ着地した。
ミミッキュはすぐに自分の布の裾を確認する。
「きゅ!」
「らる!」
「ラルトス、ありがと! 助かった〜」
ラルトスは嬉しそうに笑った。
再び四人で歩き始める。
「……あれ?」
しばらく進んでいくと、道の先が土と石で塞がれているのが見えた。
「昨日の雨かなぁ……」
あまり広くはない道いっぱいに、崩れた土や石が広がっている。
斜面を見上げると、不安定な木や岩が残っているのが見えた。
「うーん……迂回した方がよさそうだね」
鞄から紙の地図を取り出して広げる。
載っているのは、今歩いてきた道だけだった。
今度はスマホロトムで地図を開く。
「あ」
少し戻ったところから、更に細い道が一本だけ伸びている。
先へ進めば、またこの道へ合流できそうだ。
「これなら行けそう!」
来た道を少し引き返し、地図に表示された細い道へ入った。
さっきまでの道よりずっと狭く、かろうじて人が踏みならした跡が残っているような道だ。
水たまりやぬかるみが多く、ところどころに草も伸びている。
「ミミッキュ、大丈夫?」
振り返ると、ミミッキュは濡れた草を避けながら、慎重に歩いていた。
ラルトスはその様子を心配そうに見ている。
「……きゅ」
「そっか。ボールに戻りたくなったらいつでも言ってね」
「きゅ!」
先頭を歩いていたイーブイも足を止めて振り返る。
少しだけペースを落とし、私たちは一列になって道なりに進んでいった。
*
「……ん?」
しばらく歩いたところで、道が二つに分かれていた。
「分かれ道なんてあったっけ?」
スマホロトムを取り出して、地図を確認する。
「えーっと、今いるのが……あれ?」
画面には地図が表示されているが、現在地を示す印がどこにもない。
「……現在地、どこ?」
少し待ってみるが、画面は変わらなかった。
裏返してみると、ロトムは目を瞑っていて動かない。
「えぇ……」
念のため紙の地図も取り出してみる。
「……そもそも、この道が載ってないんだった」
二つの道を見比べる。
「うーん……」
どちらも同じような細い道に見える。
「…………こっち!」
特に根拠はない。
何となく片方の道を選んで、歩き始めた。
しばらくすると、さっきまで青かった空に少しずつ雲が増えてきた。
「……なんか曇ってきたね」
「ぶい」
さらに進んでいくと、空の向こうから低い音がした。
「……雷?」
さっきまであんなに晴れていたのに、進むにつれて雲はどんどん厚くなっていく。
もう一度、スマホロトムを見る。
やはり現在地は表示されない。
「……本当にこっちで合ってる?」
「らる……」
最初は確かに道だったはずなのに、いつの間にか足元には草が増えていた。
「道……だよね?」
さらに少し進む。
木々の間を抜けると、急に視界が開けた。
「わ……」
目の前に、広い草原が広がっている。
「……やっぱり道じゃない気がする」
引き返した方がいいだろうか。
そう思ったとき、遠くに何かが見えた。
「……ん?」
緑色の小さな影が、二つ。
何かが、ものすごい勢いでこちらへ向かってくる。
「え、ポケモン……?」
近づくにつれて、輪郭がはっきりしてきた。
緑の身体に黄色く縁取られた模様が見える。
「あれ、ラクライ!?」
二匹のラクライが、草を蹴り上げながら一直線にこちらへ走ってきていた。
よく見ると、一匹はもう一匹よりひと回り身体が大きい。
「ちょ、ちょっと待って!」
小さい方のラクライが、唸り声と共にイーブイへ飛びかかった。
「イーブイ! つぶらなひとみ!」
「ぶい!」
イーブイがラクライをまっすぐ見つめる。
一瞬、ラクライの勢いが鈍った。
小さい方のラクライが、一歩退がる。
その横から、今度は大きい方のラクライが、ラルトスの方に向かって飛び込んできた。
「ラルトス、テレポート!」
ラルトスの姿が消える。
ラクライの攻撃が空を切った。
「ミミッキュ、かげぶんしん!」
「きゅ!」
ミミッキュの姿がいくつにも増える。
大きい方のラクライが、一瞬足を止めた。
「イーブイ、スピードスター!」
「ぶいっ!」
いくつもの星が飛び出し、ラクライへ向かっていく。
星は逃げるラクライを追いかけ、その身体にぶつかった。
「ライッ!」
大きい方のラクライが後ろへ退がる。
「よし、このまま――」
「きゅっ!」
「ミミッキュ!」
小さい方のラクライが、今度は分身したミミッキュたちへ向かっていた。
「ラルトス、ねんりき!」
「らる!」
飛びかかろうとしたラクライの身体が、空中でぴたりと止まる。
「今! ミミッキュ、ひっかく!」
「きゅっ!」
分身の中から本物のミミッキュが飛び出した。
布の下から伸びた手が、ラクライを引っかく。
「イーブイ、でんこうせっか!」
「ぶい!」
イーブイが地面を蹴った。
勢いよくぶつかったラクライが吹き飛び、草の上へ転がる。
「……やった!」
小さい方のラクライは、起き上がってこない。
「あと一匹!」
大きい方のラクライは、威嚇をするように唸りながら、こちらを睨んでいる。
「そのまま、イーブイ! でんこうせっか!」
イーブイは勢いを落とさず、そのままラクライへ向かっていく。
「ぶいっ!」
ラクライへぶつかった、その瞬間。
ばちっ。
「え?」
ラクライの毛並みが、青白く弾けた。
イーブイはそのままこちらへ着地する。
「……ぶ、い」
突然、足が止まった。
「イーブイ?」
「ぶい……っ」
身体が小さく震えている。
「……えっ、これって……まひ!?」
イーブイの身体に、ばち、ともう一度小さな電気が走った。
「ぶつかったから……?」
額から汗が流れ落ちる。
リュックに入っているまひなおしを取り出そうとしたところで、ラクライが再び走り出した。
「待って、今は――!」
「きゅ……!」
ミミッキュの分身が、一つ、また一つと消えていく。
「ミミッキュ?」
「きゅ……」
さっきから技を使い続けていたせいか、息が上がっている。
ラクライが、こちらへ迫る。
その瞬間、ラクライの足元から、黒い影がさっと伸びた。
「……!」
影がラクライの身体を弾く。
しかし、ラクライはすぐに体勢を立て直し、再びこちらへ向かってくる。
「ラルトス、ねんりき!」
「らるっ!」
ラクライの身体が止まる。
「……よし!」
しかし、歯を食いしばったラクライは再び動きだした。
一歩。
また一歩。
ねんりきに逆らうように、じりじりとこちらへ近づいてくる。
「ら……る……っ」
ラルトスの身体が震えていた。
額には汗が滲み、今にも力が途切れてしまいそうだ。
「ラルトス、無理しないで!」
「らる……っ!」
それでも、ねんりきは解けない。
ラルトスは私たちとラクライの間に立ったまま、一歩も退こうとしなかった。
その後ろには、身体の動かないイーブイ。
疲れ切ったミミッキュ。
「ラルトス……!」
ラルトスがもう一度、ぎゅっと力を込める。
「らる……っ!」
ラクライの足が、ほんの少し止まった。
それでも、長くはもちそうにない。
どうしよう。
このままじゃ、ラルトスまで――。
そのとき、ラルトスの身体が眩しい光に包まれた。
「……え?」
光が強くなる。
「ラルトス……?」
小さかった身体の輪郭が、光の中で変わっていく。
「……まさか」
光が弾ける。
そこに立っていたのは、さっきまでのラルトスではなかった。
白い身体。
すらりと伸びた脚。
頭の両側にあった赤い角は、位置も形も変わっている。
「……進化した……?!」
じっくりと見ている暇はなかった。
「ライッ!」
ラクライが再びこちらへ踏み込む。
「ね、ねんりき!」
思わず、先ほどと同じ指示を出す。
次の瞬間、ラクライの身体が勢いよく宙へ持ち上がった。
「えっ!?」
そのまま大きく放り出され、草の上へ転がる。
「すご……」
ラクライが起き上がろうとする。
「さいみんじゅつ!」
赤い瞳が、ラクライを捉える。
「ら…い……」
ラクライの身体から力が抜け、そのまま草の上へ倒れ込んだ。
「……寝た?」
さっきまで響いていた足音と唸り声が途絶え、辺りが急に静かになった。
遠くの雷の音と、風に揺れる草の音だけが聞こえてくる。
「……そうだ、イーブイ!」
急いでリュックを開ける。
「ごめんね、ちょっと待ってね!」
まひなおしを取り出して、イーブイに使う。
身体に走っていた小さな電気が消え、イーブイの震えも少しずつ収まっていった。
「どう? 動ける?」
「ぶい……!」
イーブイがゆっくりと立ち上がった。
伸びをして、ぶるぶると身体を震わせる。
ほっと胸を撫で下ろすと、眠っているラクライを確認して、それから倒れているもう一匹を見る。
「……ここ、たぶんこの子たちの縄張りだよね」
辺りを見回す。
道だと思って進んできたものは、もうどこにも見当たらない。
「ごめん! すぐ出るから!」
疲れ切ったミミッキュを抱き上げる。
「イーブイ、走れる?」
「ぶい!」
「戻ろう!」
来た方へ、一気に走り出した。
何度も後ろを振り返りながら、草原を離れる。
木々の間へ入り、さらに走る。
「……あった!」
さっきの分かれ道まで戻ってきた。
「はぁ……はぁ……」
少しだけ息を整える。
「……こっちじゃなかったってことは」
もう一方の道を見る。
「今度はこっち!」
「ぶい!」
今度は迷わず、反対側の道へ進んだ。
*
しばらく歩くと、いつの間にか雷の音は聞こえなくなっていた。
厚かった雲も薄くなり、青空が少しずつ戻ってくる。
「……晴れてきた」
スマホロトムを取り出す。
「あ」
画面の上には、いつの間にか現在地を示す印が戻っていた。
「……なんで今さら戻るの?」
振り返ると、遠くの空にはまだ黒っぽい雲が残っていた。
「……まあ、いっか」
今度こそ地図を確認して、道を進む。
しばらくすると、細い道の先が少しずつ広くなってきた。
道の端は草が刈られ、地面も歩きやすいように均されている。
「あ……!」
スマホロトムで地図を確認すると、現在地が最初に歩いていた道と重なっていた。
「戻ってきたぁ……」
ようやく人の手で整えられた道に戻ってきて、一気に身体の力が抜けた。
さっきまで夢中で走っていたせいか、足も少し重い。
「ちょっと休もう……」
道の脇に腰を下ろすと、イーブイも隣に座り込んだ。
抱いていたミミッキュをそっと下ろし、三人の様子を確かめる。
「みんな大丈夫?」
「ぶい」
「きゅ……」
「ラルトスも――」
目の前のポケモンを見て、はっとする。
「……じゃなくて! 進化したんだった!」
思わず身体を起こし、慌ててスマホロトムを取り出した。
目の前のポケモンへ向けると、画面に見慣れない名前が表示される。
「……キルリア」
改めてその姿をまじまじと見る。
頭の緑色の部分が左右に広がり、まるで髪が伸びたようだ。
「キルリア!」
「きる!」
呼びかけると、いつもと変わらない様子で返事が返ってきた。
「うわぁ……! 進化したんだ……!」
イーブイもキルリアの周りをくるくる回る。
「ぶい! ぶい!」
ミミッキュも、すぐそばから新しくなった姿を見上げていた。
スマホロトムに表示された図鑑の説明を読む。
進化はしたものの、使えるわざは変わっていないようだ。
「へぇ……」
すらりと背が伸びて、すっかり姿が変わっているのに、こちらに向ける表情はいつものラルトスのままだった。
「……キルリア」
「きる?」
「さっきはありがとう。本当に助かったよ」
キルリアは嬉しそうに笑った。
「イーブイもミミッキュも、ありがとう。みんな頑張ったね」
「ぶい!」
「きゅ!」
ひとしきり新しい姿を眺めてから、ここ最近はわざの確認をしていなかったことを思い出す。
「せっかくだし、確認しとこっか!」
イーブイにスマホロトムを向ける。
「えーっと、イーブイは……」
画面に表示された技を確認して、思わず声を上げた。
「あ! スピードスター、ちゃんと覚えてる!」
「ぶい!」
「その代わり……しっぽをふるがなくなってる」
「ぶい?」
「……まあ、それが自然だよね!」
イーブイが何度もスピードスターの練習をしていた姿を思い出し、口元がゆるむ。
「じゃあ、ミミッキュも見とこっか」
そのままミミッキュにもスマホロトムを向ける。
「ひっかく、かげぶんしん、おどろかす……」
指を止める。
「…………」
もう一つ。
「……かげうち?」
「きゅ?」
「いつ覚えたの!?」
「きゅ……?」
ミミッキュは首を傾げる。
どうやら本人もよく分かっていないようだ。
「えぇ……」
イーブイが隣で楽しそうに尻尾を振っている。
キルリアも笑っていた。
「まあ、いっか!」
スマホロトムをしまって、立ち上がる。
「よし。今度こそ次の町に向かおう!」
「ぶい!」
「きる!」
「きゅ!」
歩き始めようとしたところで、イーブイが道の端へ駆けていった。
「ぶい!」
「ん?」
イーブイが見つめていたのは、道端に咲いた小さな白い花だった。
「お花?」
「ぶい!」
イーブイは花を見て、それからキルリアを見る。
「……これ、ラルトスに――」
言いかけて、慌てて首を振る。
「じゃなくて! キルリアにあげたいの?」
「ぶいっ!」
「そっか。ちょっと待ってね」
道端にしゃがみ込み、白い花を一輪摘む。
朝に見かけた花とよく似た、小さな花だった。
「キルリア、ちょっとこっち来て」
「きる?」
近づいてきたキルリアの頭に、そっと花をつけてあげる。
「はい。どう?」
「きる!」
キルリアは嬉しそうに笑うと、その場でくるりと回った。
頭につけた白い花も、一緒に小さく揺れた。
「ふふ。似合うじゃん!」
「ぶい!」
イーブイも満足そうに尻尾を振る。
「よし。それじゃ、行こっか!」
「ぶい!」
「きる!」
「きゅ!」
白い花をつけたキルリアが、軽やかな足取りで私たちの少し前を歩き出す。
今までよりずっと背が高くなって、歩くたびに白い身体がふわりと揺れる。
道の先には、いくつもの山が重なっているのが見えた。
まだ少し見慣れないその後ろ姿を追いかけて、私たちも次の町へ向かって歩き始めた。