カーテンの隙間から差し込んでくる光で、目が覚めた。
「…………ん」
ぼんやりと目を開ける。
見慣れない天井。
一瞬だけ、ここがどこなのか分からなかった。
「……あ」
そうだ。
昨日、旅に出たんだった。
身体を起こして隣を見ると、イーブイはまだベッドの上で丸くなっていた。
「ぶぃ……」
耳が少しだけ動いたけれど、起きる気配はない。
昨日はいっぱい歩いたし、ヤングースから全力で逃げたりもした。
疲れているのかもしれない。
「今何時だろ……」
いつものように、枕元を見る。
「……目覚まし時計、持ってこなかったな……」
「えーっと……」
手を伸ばして、枕元を探る。
指先がスマホロトムに触れると、ふわりと手元にやってきた。
そのまま画面をつけると、すぐに時間が表示される。
「あ、まだ大丈夫だ」
思っていたよりも早い時間だった。
少しほっとしつつ、ふと思う。
「……これって、目覚ましにもなるのかな」
昨日会ったトレーナーに言われたことを思い出す。
スマホロトムはいろいろなことができるから、使い方を覚えておいた方がいい。
「えーっと……」
画面をいくつか開いてみる。
違う。これも違う。
「あ」
時計の画面に、小さな目覚ましのマークがあった。
「……できるじゃん!」
アイコンをタップすると、時間を設定する画面が出てきた。
「イーブイ、これ目覚ましになるよ!」
「……ぶぃ」
「これからはこれ使おう!」
「ぶいぃ……」
目を閉じたまま、イーブイがもぞもぞと丸くなる。
「……聞いてないな」
まあいいか。
私はもう一度画面を見る。
昨日よりひとつ、できることが増えた。
*
宿を出ると、昨日とは少し違って見える街が広がっていた。
昨日ここへ着いたときには、もう夕方だった。
疲れ切っていて、わくわくする余裕もなかった。
今日は朝。
開き始めた店の前を人が行き交い、どこかから焼きたてのパンの匂いが漂ってくる。
「…………いい匂い」
「ぶい!」
イーブイの耳がぴんと立った。
「行ってみよっか」
「ぶいっ!」
匂いを辿っていくと、小さなパン屋があった。
店の中には、丸いパンや長いパン、木の実の入ったパンまで、いろいろな種類が並んでいる。
ふたりで散々迷った末にいくつか買って、近くの広場へ向かった。
ベンチに座り、紙袋を開く。
「いただきまーす」
「ぶいっ!」
昨日のサンドイッチのことが一瞬頭をよぎって、思わず周りを見回す。
空。
屋根。
木の上。
「……今日はキャモメいないね」
「ぶい」
「よし。食べよ!」
昨日より、少しだけ警戒することを覚えた。
パンを食べ終わっても、すぐには街を出ないことにした。
せっかく初めて来た街だ。
「ちょっとだけ見て回ろうよ!」
「ぶい!」
細い路地へ入ってみたり、店先に並んでいる知らない木の実を眺めたり。
この辺りでよく見かけるポケモンの置物が並んでいる店もあった。
どれも、昨日は気づかなかったものばかりだ。
歩いているうちに、小さな店の前で足が止まった。
「わぁ……!」
窓の向こうに、色とりどりの布小物が並んでいる。
「イーブイ、このお店寄ろう!」
「ぶい!」
中へ入ってみると、ハンカチや巾着、小さなポーチが棚いっぱいに並んでいた。
花。木の実。ポケモン。
どれも糸で細かく刺繍されていた。
「すごーい」
「ぶい」
ひとつひとつ眺めながら歩いていたとき。
「あっ!」
棚の端に置かれていた、小さながま口を見つけた。
「見てイーブイ!これ!」
「ぶい?」
そこには、花の間を歩くイーブイの姿が刺繍されていた。
小さな花と、澄ました様子でその隣を歩く小さなイーブイ。
「イーブイだ!かわいい〜!」
「ぶいっ!」
手に取って、裏返して、もう一度表を見る。
「…………」
「ぶい?」
「これ、お財布にしよう!」
「ぶい!」
手に取ってカウンターに向かうと、店員の女性ががま口とイーブイを交互に見て、「素敵な相棒ね」と微笑んだ。
私とイーブイは思わず顔を見合わせる。
「ありがとうございます!」
なんだか嬉しくなって、顔がにやけた。
店の外に出るなり、受け取ったばかりの袋を開ける。
買ったばかりのがま口を開いて、今まで使っていた財布からお金を移した。
「よし!」
空になった財布はリュックにしまい、新しいがま口をぱちんと閉じる。
「今日からこっちね!」
「ぶいっ!」
その後も気になるものを見つけるたびに寄り道していたら、いつの間にか太陽はずいぶん高いところまで昇っていた。
ふと広場の時計を見ると、既に正午を回っている。
「…………もうお昼じゃん」
「ぶい」
「さすがに寄り道しすぎたね」
「ぶい」
「まあ、楽しかったからいっか」
昼食を買って、今度は地図を広げられそうな場所を探した。
食べながら、テーブルの上に地図を広げる。
「さて」
「ぶい?」
「今日はどこ行こっか」
この街からは、いくつかの道が伸びている。
海沿いを進む道。少し大きな街へ向かう道。山の方へ続いている道。
「ここは……遠いなぁ」
指で道をなぞる。
「こっちも今からだと着くのが遅くなりそう」
昨日、父に言われたことを思い出す。
暗くなる前に、泊まる場所へ着くこと。
「んー……」
地図の上で指を動かしていく。
「あ」
一番近くに、小さな町があった。
地図に載っている中でも、かなり小さい。
「ここ!」
「ぶい?」
「ここなら今からでも着けるんじゃない?」
イーブイが地図を覗き込む。
「よし。今日はここにしよ!」
「ぶいっ!」
目的地が決まった。
*
街を出て、また知らない道を歩く。
昨日よりも、少しだけ足取りは軽かった。
地図を見る回数も、ほんの少しだけ減った気がする。
たぶん。
「つかれた〜」
「ぶい〜」
しばらく歩いた頃、ちょうど木陰を見つけて足を止める。
「休憩しよっか」
「ぶい!」
元気よく返事をしたイーブイが、私の周りをくるくると回りだす。
「……おやつ?」
「ぶいっ!!」
「まだ何も言ってないんだけど」
リュックを下ろすと、イーブイはすぐ隣に座った。
「じゃあ、おやつにしよっか」
「ぶい!」
「やっぱり分かってたんじゃん」
リュックからおやつを取り出す。
昨日みたいに誰かに取られないように、一応周りも確認した。
「今日は大丈夫そうかな」
「ぶい」
「はい、イーブイの分」
「ぶいっ!」
私も自分の分を手に取る。
そのとき。
――がさっ。
「…………」
「ぶい」
二人で同時に、音のした方を見る。
草が揺れた。
その中から、灰色の小さなポケモンが姿を現す。
「……ポチエナ?」
「ぶい」
ポチエナはこちらをじっと見ていた。
正確には、私の手元を見ている。
「…………」
おやつを見る。
ポチエナを見る。
「……もしかして、おやつ欲しい?」
「ぶい?」
ポチエナが、ぐるる、と低く唸った。
背中の毛が逆立つ。
「…………違いそう」
「ぶい」
ポチエナが一歩、こちらへ近づく。
思わず立ち上がりかけて――止まった。
「……待って」
「ぶい?」
昨日のことを思い出す。
ヤングースに威嚇されて。
怖くなって逃げて。
追いかけられた。
「昨日さ、急に逃げると追いかけてくることがあるって言ってたよね」
「ぶい」
「落ち着いて、ゆっくり……」
おやつをしまう。
イーブイも立ち上がった。
二人で、少しずつ後ろへ下がる。
「ゆっくりね」
「ぶい」
一歩。
もう一歩。
ポチエナも、一歩。
「…………」
さらに下がる。
ポチエナも、さらに近づく。
「…………来るね」
「ぶい」
「来るよねぇ……」
ぐるるるる。
唸り声が大きくなった。
次の瞬間。
ポチエナが地面を蹴った。
「イーブイ!」
「ぶいっ!」
イーブイが私の前へ飛び出す。
「えっと……たいあたり!」
「ぶいっ!」
真正面からぶつかった。
ポチエナの身体が後ろへよろめく。
イーブイも少し押し戻された。
「イーブイ、大丈夫!?」
「ぶいっ!」
すぐに立ち上がる。
「よし!」
効いてる。
ちゃんと戦えてる。
「じゃあ……」
昨日の夜に見た技を思い出す。
「しっぽをふる!」
「ぶい!」
イーブイがくるりと向きを変える。
ふさふさのしっぽが、左右に揺れた。
「…………」
揺れるしっぽをポチエナが見る。
「…………」
私も見る。
「…………効いた?」
「ぶい?」
ポチエナが飛びかかってきた。
「わーー!!分かんない!!」
イーブイが横へ跳ぶ。
完全には避けきれず、身体がぶつかった。
「イーブイ!」
「ぶいっ!」
まだ大丈夫。
「じゃ、じゃあ……なきごえ!」
「ぶいーーっ!」
イーブイがポチエナに向かって鳴く。
ポチエナが一瞬、足を止めた。
「…………」
「ぶい」
「……今のは効いたんじゃない!?」
「ぶい!」
ポチエナが再び向かってくる。
「やっぱり分かんない!!」
今度はイーブイも正面から受ける。
少し押される。
でも。
「……あれ?」
さっきより、飛ばされていない。
「今の、さっきより痛くなかった?」
「ぶい……?」
「なきごえ効いてる?」
「ぶい?」
「……分かんないよね!」
考えている暇はなかった。
ポチエナがもう一度身構える。
「えっと、あとは……」
昨日見た技。
「すなかけ!」
「ぶいっ!」
イーブイが地面を蹴り上げる。
砂がポチエナの顔にかかった。
ポチエナが目を閉じ、顔を振る。
「あっ、これは分かる!!」
「ぶい!」
「今!たいあたり!」
「ぶいっ!!」
イーブイが走る。
勢いよくぶつかると、ポチエナの身体が地面を転がった。
そのまま、動かなくなる。
「…………」
「…………ぶい」
イーブイと一緒にポチエナを見る。
それから、ゆっくりと顔を見合わせた。
「…………勝った?」
「ぶい?」
「勝ったよね!?」
「ぶいっ!」
「やったーーーー!!」
「ぶいーーー!!」
「すごいすごい!イーブイすごい!!」
「ぶいっ!ぶいっ!」
駆け寄ってきたイーブイを抱き上げる。
「私たちだけで勝ったよーー!!」
「ぶいーー!」
昨日は、ヤングースから逃げた。
知らないトレーナーに助けてもらった。
でも今日は、自分たちだけで戦った。
「やったねー!」
「ぶいっ!」
「イーブイ強いじゃん!」
「ぶい!」
「しっぽ振ってたのもかわいかったし!」
「ぶい!?」
「あれが効いたのかは分かんないけど!」
ひとしきり二人で喜んで、ふとあることに気づく。
「…………あ!」
「ぶい?」
倒れているポチエナを見る。
「……こういうときって、ゲットするんだっけ?」
「ぶい?」
「あっ、モンスターボール!」
リュックへ飛びつく。
「持ってる持ってる!」
確か、ちゃんと持ってきた。
「えーっと……どこだっけ」
ごそごそ。
「違う、これ薬」
ごそごそ。
「こっちはタオル……」
「ぶい」
「……あれ!?ボールどこ!?」
「ぶい!?」
「待って待って、絶対持ってきたから!」
リュックの奥へ手を突っ込む。
「このポケットじゃなくて……」
ごそごそ。
「あ、おやつ」
「ぶい!」
「今おやつじゃない!!」
焦ってリュックを漁る私の後ろで、ポチエナの耳が、ぴくりと動いた。
「えーっと、確か……」
ポチエナが目を開ける。
「……あっ!」
手に丸いものが触れた。
「あった!!」
モンスターボールをひとつつかんで、振り返る。
「…………あれ?」
起き上がったポチエナと、目が合った。
「…………」
「…………」
「ぶい……」
ポチエナは少しふらついていた。
それでもこちらを睨んで、低く唸る。
「……怒ってる?」
「ぶい」
「わんっ!!」
「わっ!」
ポチエナは一声吠えると、くるりと背を向けた。
そのまま草むらへ走っていく。
「あっ!えっ?!」
「待って!」
がさがさがさ――。
「…………」
もう姿は見えない。
「…………行っちゃった」
「ぶい」
手元には、出番のなかったモンスターボールだけが残った。
「…………まあ、いっか」
「ぶい?」
肩をすくめて、そのままリュックのポケットにモンスターボールをしまう。
今度は、どこに入れたか分かるところに。
「おやつ、食べよ!」
「ぶいっ!」
*
気を取り直してしっかりとおやつを食べた後、もう一度リュックを背負って歩き出す。
さっきまでより、足が軽い。
「ねえねえ、イーブイ」
「ぶい?」
「最後のたいあたり、最初よりすごい効いてなかった?」
「ぶい!」
「やっぱりそうだよね!」
さっきのバトルを思い返す。
最初のたいあたり。
しっぽをふる。
なきごえ。
すなかけ。
最後のたいあたり。
「……しっぽ振ったからかな?」
「ぶい?」
「分かんないよねぇ」
歩くたびに揺れるイーブイのしっぽを見る。
「なきごえも、効いてたのかな」
「ぶい」
「途中からちょっと攻撃弱くなった気もするんだけど……」
「ぶい?」
「気のせいかなぁ」
歩きながら、スマホロトムを取り出す。
「あとでもう一回調べてみよ」
昨日は、知らないことばかりだった。
今日も、やっぱり知らないことばかりだ。
でも、知らなかったら調べればいい。
やってみたら、分かることもある。
「…………」
スマホロトムをしまう。
代わりに、さっき使わなかったモンスターボールのことを思い出した。
「……ねえ、イーブイ」
「ぶい?」
「さっきのポチエナさ」
「ぶい」
「もしボールがすぐ出てきてたら、私、投げてたんだよね」
それが普通だと思っていた。
野生のポケモンとバトルをして、勝ったらモンスターボールを投げる。
そういうものだと教わってきた。
「…………でもさ」
歩きながら、少し考える。
「バトルして、勝ったとしてさ」
「それでそのまま『今日から仲間ね』って……」
「…………」
なんだろう。
「なんか、違う気がする」
「ぶい?」
隣を歩くイーブイを見る。
「だって、イーブイは自分でうちに来たじゃん」
「ぶい?」
「……まあ、おやつ目当てだったかもしれないけど」
「ぶいっ!」
「違うの?」
「ぶい!」
「ほんとかなぁ」
少し笑う。
イーブイが先へ走って、振り返った。
「次に仲間になる子もさ」
「ぶい?」
「その子が一緒に来たいって思ってくれたら、その方がいいな」
イーブイの耳が動く。
「ぶい」
「……うん」
それがいい。
「私は、そうしよっかな」
別に、誰かに言われたわけじゃない。
それが正しいのかも、まだ分からない。
ただ。
私は、その方がいいと思った。
「ぶい!」
イーブイがまた先へ走っていく。
「ちょっと待ってよー!」
イーブイよりもずいぶん長く伸びた影を追いかける。長い耳の影がぴょこぴょこと揺れる。
坂をひとつ上ったところで、イーブイが立ち止まった。
「ぶい!」
「ん?」
追いついて、その先を見る。
「あ!」
坂の向こう、生い茂る緑の間に小さな家々が見える。
地図で選んだ、今日の目的地。
「次の町、あれだね!」
「ぶいっ!」
思っていたよりも小さな町だった。
ここからなら暗くなる前に着けそうだ。
「よーし、行こっか!」
「ぶい!」
イーブイと並んで、坂を下り始める。
今日の朝には、まだ知らなかった町へ向かって。