朝。
昨日まで二人だった旅は、今日から三人になった。
宿を出て最初に向かったのは、町のパン屋だった。
扉を開けると、焼きたてのパンの匂いがふわっと鼻に届く。
「いい匂い!」
「ぶい!」
店の中には、いろいろなパンが並んでいた。
きのみのジャムがたっぷり乗ったパン。
クリームの入ったパン。
チーズを焼き込んだパン。
イーブイは迷うことなく、甘い匂いのするパンの前へ向かった。
「イーブイはそれ?」
「ぶいっ!」
「やっぱりね」
これはもう、聞くまでもなかった。
それから、隣にいるラルトスを見る。
「ラルトスはどれにする?」
「らる?」
ラルトスは、並んだパンをじっと見た。
ひとつ見て、その隣を見て、またその隣。
「ゆっくり選んでいいよ」
しばらくして、ラルトスが一つのパンの前で足を止めた。
砕いたくるみが練り込まれた、素朴なパンだった。
「これ?」
「らる」
「じゃあ、これにしよ!」
私も自分のパンを選んで、三人分を買った。
町の広場にあるベンチに並んで座る。
「いただきまーす!」
「ぶい!」
「らる」
イーブイはさっそく自分のパンにかぶりついた。
分かりやすく嬉しそうだ。
隣では、ラルトスがくるみパンを両手で持っている。
まず一口。
もぐもぐ。
私はなんとなく気になって、その様子を横から眺める。
もう一口。
「……おいしい?」
ラルトスがこちらを見た。
「らる」
「そっかぁ」
なんだか嬉しくなった。
考えてみれば、私はラルトスのことをまだほとんど知らない。
昨日、一緒にお昼を食べた。
一緒におやつを食べた。
そして、一緒に行くことになった。
でも、何が好きなのか。
何が嫌いなのか。
どんなことが得意なのか。
まだ、全然知らない。
「ラルトスの好きなもの、私まだ全然知らないね」
ラルトスが私を見る。
「これから、どんどん教えてね」
「らる」
「あ、嫌いなものもね!」
「ぶい」
「イーブイのはだいたい知ってる」
「ぶいっ!」
三人で朝ごはんを食べ終えると、荷物を背負って町を出た。
見上げると、すっきりとよく晴れた青空が広がっていた。
遠くには白い雲がもくもくと膨らんでいる。
今日も、いい天気だった。
*
町を離れるにつれて、家の数が少しずつ減っていった。
代わりに道の両側には草や木が増えていく。
葉っぱの上では、コフキムシが朝ごはんの途中だった。
少し先の枝には二羽のヤヤコマが並んでいる。
「あ、見てイーブイ」
「ぶい!」
イーブイはすぐにコフキムシへ近づいた。
コフキムシはしばらくイーブイを見ていたけれど、顔が近づくと葉っぱの裏へ隠れてしまった。
「逃げられたね」
「ぶい……」
その直後、今度はヤヤコマが枝から飛び立った。
「ぶい!」
イーブイも走る。
「あ、待って!」
私も追いかける。
もちろんヤヤコマには追いつかない。
やがてイーブイが止まり、私も追いついた。
「速いねー」
「ぶい!」
また歩き出す。
「ねえイーブイ、次の町までどのくらいだっけ」
「ぶい?」
ポケットに触れると、スマホロトムがふわりと出てくる。
旅に出たばかりのころはいちいちリュックの中から探していたのに、今ではすっかりここが定位置になった。
「この道で合ってるね」
スマホロトムをしまい、また歩く。
イーブイが道端の何かを見つける。
私も見る。先へ行く。追いつく。また二人で歩く。
「この調子なら、お昼より前に――」
ふと、隣を見る。
イーブイがいる。
その向こうには、誰もいない。
「……あれ?」
振り返ると、ずっと後ろ。
小さなラルトスが、とぼとぼとこちらへ歩いていた。
「ラルトスーーー!?」
慌てて来た道を戻る。
「わー!ごめんごめん!大丈夫!?」
ラルトスは立ち止まった。
「らる……」
具合が悪そうではない。
でも、明らかに朝より足取りが重い。
「疲れちゃった?」
「らる……」
「ごめん!私たち、いつもの速さで歩いちゃった!」
イーブイも戻ってきて、ラルトスを覗き込んだ。
「ぶい……」
昨日は、ラルトスが後ろからついてきていることが分かっていた。
だから、いつもより少しだけゆっくり歩いていた。
なのに今日は、一緒に出発したことに安心して、すっかりいつもの調子に戻っていた。
「ごめんね。ボールで休もっか」
ラルトスが頷いた。
ボールを向けると、小さな体が光に包まれる。
手の中のボールを見つめる。
「……そっか、ずっと一緒に歩かなくてもいいんだよね」
イーブイは、ずっと外にいる。
旅に出るずっと前からそうだった。
同じ歩幅で一緒に歩いて、疲れたらふざけてリュックに乗って、たまに甘えたいときには抱っこをする。
だから私は無意識のうちに、ポケモンと一緒に旅をするというのはそういうものだと思っていた。
でも。
ラルトスは、イーブイじゃない。
ボールを大切にしまう。
今度は少しだけゆっくりと、イーブイと歩き出した。
*
しばらく歩くと、道の脇にきのみの木が見えてきた。
枝の間には、淡い桃色の実がいくつもなっている。
「あ!」
スマホロトムを向ける。
「モモンのみだ!」
「ぶい!」
「ここでちょっと休もっか」
木の近くには腰を下ろせそうな場所もあった。
リュックを下ろすと、ラルトスのボールを取り出す。
「ラルトスも出てくる?」
少し待つ。
ボールが小さく揺れた。
光に包まれて、ラルトスが外に出てくる。
「ちょっとは休めた?」
「らる」
「さっきは気づかなくてごめんね」
ラルトスの前にしゃがんで目線を合わせる。
「きのみ食べよう!」
「らる!」
イーブイはもう木の前でスタンバイしていた。
「じゃあイーブイ、お願い!」
「ぶいっ!」
少し下がって助走をつける。
そのまま木の幹へたいあたり。
どんっ。
枝が大きく揺れた。
モモンのみがいくつも落ちてくる。
「わ、いっぱい――」
べちゃ。
「あ」
ぐしゃ。
「…………」
ぼとっ。
「…………あー」
地面を見ると、落ちたモモンのみはほとんど潰れていた。
一つ拾ってみる。柔らかい実が崩れて、甘い果汁が指についた。
「これじゃ上手に食べられないねぇ……」
「ぶい……」
「せっかく甘くておいしいのにね」
草むらが、がさっと動いた。
顔を出したのは、一匹のホシガリスだった。
辺りを見回してから、比較的潰れていないモモンのみを一つ拾う。
「あっ」
そのまま抱えて、草むらへ戻っていった。
「…………まあ、食べてくれるならいっか」
「ぶい」
それでも、地面には潰れた実がいくつも残っている。
「もったいないよねぇ」
そのとき。
ちょん、ちょん。
「ん?」
ズボンの裾が引っ張られた。
ラルトスだった。
「どうしたの?」
ラルトスは何も言わず、木を見上げた。
私もつられて見上げる。
枝に残ったモモンのみ。
その一つが、ふる、と揺れた。
「……?」
ゆっくりと枝を離れる。
でも、落ちない。
モモンのみは宙に浮いたまま、ふわふわとこちらへやってくる。
「えっ」
思わず両手を出した。
ぽすっ。
手のひらに、きれいなモモンのみが乗る。
「…………」
「ぶい……」
もう一つ。
ふる。ふわふわ。
今度も、傷一つついていない。
「すごい!」
ラルトスを見る。
「一個も潰れてない!」
「らる」
「ラルトス、こんなことできるんだ!」
ラルトスは少しだけ嬉しそうに見えた。
「これなら食べられるね!」
ラルトスの様子を見て、私も思わず笑みがこぼれる。
「…………あ!忘れてた!」
ラルトスが不思議そうに首を傾げる。
「らる?」
「ラルトスの技、まだ見てない!!」
昨晩は宿に着いて、一緒にごはんを食べて、三人ともあっという間に寝てしまった。
仲間になってくれたのが嬉しくて。
ボールに入ってくれたのが嬉しくて。
完全に忘れていた。
「ごめん!今見る!」
ポケットからスマホロトムを出す。
ラルトスをスキャンすると、画面に情報が表示された。
「えーっと……ねんりき、なきごえ、かげぶんしん、テレポート」
なきごえ以外は、初めて見る技だ。
「やっぱり、イーブイとは全然違うんだね」
それから、さっきのモモンのみを見る。
「これが、ねんりき?」
「らる」
「へぇー!」
画面へ視線を戻す。
「かげぶんしん……分身できるの?」
ラルトスの方を見ると、む!と顔をしかめた。
すると、同じ顔をしたラルトスが一体、二体、三体……最終的に六体まで増えた。
「わー!すごいすごい!ちゃんと見てないと、どれが本物か分からないね!」
「ぶい!」
イーブイも感心しているようだ。
ラルトスは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「それで、最後はテレポート……あ!」
いきなり声を上げた私を見て、ラルトスはきょとんとしている。
「昨日のやつ、これかぁ!」
昨日初めて会ったとき、ラルトスは私に気づいた途端、岩の陰に消えた。
「あれがテレポートだったんだね!」
「らる」
「すごかったよね!どのくらい遠くまで行けるの?」
「らる?」
「やってみて!」
ラルトスの姿が消える。
「おお!」
辺りを見回す。
「どこ!?」
「ぶい!」
イーブイが少し先を見る。
そこにラルトスがいた。
「…………」
走れば、すぐに追いつけそうな距離だった。
「……けっこう近いかも」
「らる……」
「いやいや、でもすごいよ!一瞬だもん!」
何度か試してみる。
やっぱり、今のラルトスが移動できるのはそれほど遠くないらしい。
それでも。
「これ、危ないときにも使えるよね」
ラルトスを見る。
「私もちゃんと見るし、危なくならないように頑張って指示するけど」
少し考えながら、ゆっくりと話を続ける。
「でも、本当に危なくなったら」
そのまましゃがんでラルトスと目を合わせる。
「私が何か言うの、待たなくていいからね」
「らる?」
「自分でテレポート使って逃げるんだよ」
ラルトスはしばらく私を見ていた。
やがて、小さく頷いた。
「うん」
私は笑った。
「じゃ、モモンのみ食べよ!」
*
モモンのみを食べ終えて、また三人で歩き出した。
今度はときどき横を見る。ラルトスはいる。
歩く速さも、さっきより少しだけ落とした。
イーブイが先へ行きすぎると、
「イーブイ、ちょっと待ってー」
と呼ぶ。
「ぶい!」
イーブイも、そうだった!という様子で戻ってくる。
そしてまた、三人で並んで歩く。
そんなことを繰り返しているうちに、さっきまで枝の間を飛び回っていたヤヤコマの姿がいつの間にか見えなくなっていた。
朝、葉っぱを食べていたコフキムシも、今は葉の裏に隠れている。
そんなことには気づかず、私は空を見上げた。
「なんか暗くなってきたね」
「ぶい?」
青かった空に、灰色の雲が広がっている。
「雨降るかな」
スマホロトムを取り出そうとした、そのとき。
ぽつ。
鼻の頭に何かが当たった。
「……降ってきた」
ぽつ。
ぽつぽつ。
次の瞬間。
ざあっ。
「うわ!」
一気に雨脚が強くなった。
「ラルトス、おいで!」
ラルトスを抱き上げる。
「イーブイ、走るよ!」
「ぶいっ!」
容赦なく顔に当たる雨粒に目を細めながら、小さなラルトスを抱えて走る。
イーブイは私の横を、自分の足で走る。
「どっかない!?」
辺りを見回すと、道の先、岩壁の一部が少し内側へえぐれている。
洞窟というほど深くはない。
でも、三人なら雨をしのげそうだった。
「あそこ!」
そのままの勢いで駆け込む。
イーブイも同時に飛び込んだ。
「はぁ……!」
外では雨が地面を叩いている。
「濡れたぁ……」
抱えていたラルトスを小さな岩の上に座らせる。
リュックを下ろして、タオルを取り出した。
「ラルトス、こっち向いて」
頭から、そっと水滴を拭いていく。
「よし」
次はイーブイ。
「イーブイも――」
ぶるぶるぶるぶるっ!!
「ちょっとーーー!!」
全身に勢いよく水滴が飛んできた。
私が壁になり、ラルトスにはほとんどかからなかったことだけが幸いだった。
「今から拭こうと思ってたのに!」
「ぶいっ!」
「ぶいっ!じゃないの!」
ラルトスを見る。
「ラルトス、今の見た?」
「らる」
「ひどくない?」
「ぶい!?」
ラルトスが少し笑った。
「あ、笑ったなー!」
「らる?」
「はい、イーブイもちゃんと拭くよ!」
「ぶい」
タオルを持って近づく。
イーブイが下がる。
「おいで」
「ぶい」
また下がる。
「なんで逃げるの!」
一歩。一歩。
狭い岩陰の中で追いかける。
イーブイはするりと私の横を抜けて、ラルトスの後ろへ隠れた。
「…………」
「ぶい」
ラルトスがイーブイを見る。
それから私を見る。
「あー!ラルトスを盾にした!」
「ぶいっ!」
「ラルトス、そいつ捕まえて!」
「ぶい!?」
「らる……」
ラルトスはイーブイを捕まえなかった。
二人の顔をゆっくりと交互に見る。
そして、また笑った。
「ほら、ラルトスもイーブイが悪いって!」
「ぶい!?」
そんなこと言った!?とも言いたげな表情でイーブイが目を見開く。
その隙にようやくイーブイを捕まえて、タオルでわしゃわしゃと拭いた。
「最初からこうすればいいの!」
「ぶいー」
「はい、おしまい!」
タオルで自分の頭と顔を拭いながら、スマホロトムを取り出した。
天気を確認する。
「あ、通り雨みたい」
岩陰の外では、まだ雨が降っている。
「雨が止むまでここで待とう」
三人で岩陰に座る。
目の前で、雨が降っている。
さっきより少しだけ勢いが弱くなったようだ。
そのまましばらく、三人でぼんやり雨を眺めていた。
「…………」
「ぶい」
「らる」
そのとき、雨の向こうを何かが歩いてきた。
「……あ」
ウパーだ。
私たちが雨から逃げ込んだ道を、ウパーはのんびり歩いている。
雨が降っていることなんて、まるで気にしていないみたいだった。
「……あの子は雨でも平気そうだね」
「ぶい」
「らる」
三人で、その後ろ姿を見送る。
ウパーは一度も急ぐことなく、そのまま雨の向こうへ消えていった。
「…………」
また、することがなくなった。
私は隣のイーブイを見る。
イーブイも私を見る。
「…………」
「ぶい」
「なに」
「ぶい」
「だからなに」
イーブイが私の膝に前足を乗せる。
「重い」
「ぶい!」
「うそ。重くない」
もう片方の前足も乗ってきた。
「近い近い」
顔が近づく。
「なにー?」
イーブイが、私を見上げた。
目を丸くして。
きゅるん。
「…………」
「ぶい?」
「…………かわいすぎる」
笑ってしまった。
「なにその顔!」
ラルトスを見る。
「ねえラルトス、今の見た?」
「らる」
「ずるくない?」
ラルトスが楽しそうに笑う。
「それ敵にやったら?」
「ぶい?」
「その顔。攻撃する気なくなるんじゃない?」
イーブイが首を傾げる。
「ぶい……」
少し考える。
「ぶいっ!」
「できる?」
「ぶい!」
イーブイがスマホロトムを前足でちょんちょんと触った。
「なに?」
ちょんちょん。
「調べろってこと?」
イーブイをスキャンして、画面を見る。
「たいあたり、しっぽをふる……」
そこで止まった。
「……つぶらなひとみ?」
「ぶい?」
「なきごえなくなってる!」
驚いた顔でイーブイを見る。
「えー!技覚えたの!?」
「ぶいっ!」
「いつ!?」
「ぶい?」
「いま!?」
横を見る。
ラルトスがまた笑っている。
「今度使ってみよう!」
「ぶいっ!」
*
しばらくすると、本当に雨は止んだ。
岩陰から出ると、木々の葉からまだ水滴が滴っている。
雲の間から差し込んできた光が、キラキラと反射した。
さっきまで姿の見えなかったヤヤコマが枝に戻っていた。
濡れた羽を、ぱたぱたと震わせている。
葉の裏からは、コフキムシがゆっくり顔を出していた。
「晴れたね」
「ぶい!」
「らる」
「行こっか!」
三人で、雨上がりの道を歩き出す。
イーブイはすぐに元気を取り戻した。
道端に転がっていた小さな石を見つける。
石のところまで走っていくと、前足で器用に石を転がした。
ころっ。
転がった石を、イーブイが追いかける。
追いつくとまた、前足を使って転がす。
ころっ。
「なにしてんの?」
「ぶい」
ころころ。
「サッカーしてるの?」
もちろん通じているのかは分からない。
でも楽しそうだった。
ラルトスも、少し後ろからその様子を見ている。
イーブイが石を追いかける。
蹴る。
追いかける。
また蹴る。
だんだん楽しくなってきたらしい。
少し助走をつけた。
「ぶいっ!」
がっ。
「おー、飛んだ――」
石は思っていたより勢いよく飛んだ。
道を外れて、草むらの中へ。
ごつっ。
「…………」
「…………ぶい?」
がさっ。
草むらが揺れる。
一匹のマンキーが出てきた。
頭を押さえている。
「…………」
マンキーがイーブイを見る。
イーブイがマンキーを見る。
私もマンキーを見る。
「…………当たった?」
「ぶい……」
「キィィィィィ!!」
「わーーー!!」
マンキーが怒っている。
たぶん、ものすごく怒っている。
「ごめん!わざとじゃないの!」
「キィィ!!」
「イーブイも謝って!」
「ぶいぶいっ!」
「キィィィィ!!」
だめだった。
まあ、休んでいたらいきなり石が当たったのだから、怒るのも当然である。
マンキーがこちらへ向かってくる。
イーブイが私の前へ出た。
「ぶいっ!」
「イーブイがやったんだけどね!?」
「ぶい!」
「……でも来るよ!」
マンキーが地面を蹴った。
「あ!」
その瞬間、さっきの顔を思い出した。
「イーブイ、つぶらなひとみ!」
「ぶい!」
イーブイがマンキーを見る。
きゅるん。
「…………キ?」
マンキーの勢いが、ほんの少し鈍った。
イーブイがひらりと攻撃をかわす。
「効いた!」
「ぶいっ!」
それでも、マンキーはまだ怒っている。
もう一度向かってくる。
「もう一回!」
きゅるん。
「キ……!」
今度は分かりやすく、拳の勢いが鈍った。
その脇をイーブイがすり抜ける。
「すごいすごい!」
でも、マンキーはまだ帰らない。
当然かもしれない。
「じゃあ――しっぽをふる!」
「ぶい!」
イーブイがくるりと背を向ける。
ふりふり。
マンキーがまた踏み込む。
「今!」
私の声に合わせてイーブイが振り返る。
「たいあたり!」
「ぶいっ!」
勢いよく地面を蹴った。
どんっ。
マンキーの体が後ろへ押し戻された。
「キ……!」
マンキーが立ち上がる。
イーブイも構える。
「ぶい!」
次の指示を出すために私も体勢を整える。
するとマンキーは動きを止めて、しばらくイーブイを睨んだ。
「…………キィ」
そして、小さくため息のような声をあげると、ぷい、と顔を背ける。
そのまま草むらへ入っていった。
「…………」
「ぶい?」
「……帰った」
「ぶいっ!」
「やったー!」
イーブイがぴょこぴょこと跳ねながらこちらへ駆けてくる。
「できたできた!つぶらなひとみ使えたじゃん!」
「ぶいー!」
「しっぽをふるもちゃんと使えた!」
「ぶいっ!」
「すごい!」
イーブイを抱え上げると、くるくる回りながら一緒になって喜ぶ。
「…………あ」
そしてまじまじとイーブイを見る。
「そもそもマンキー怒らせたの、イーブイだからね?」
「ぶい?」
「とぼけた顔しないの!」
後ろから、小さな声がした。
「らる」
振り返ると、ラルトスが笑っていた。
「ラルトスも笑ってる!」
「らる」
「ね!」
イーブイの頭を撫でながら、ラルトスを見る。
「わたしたち、すごくない?」
ラルトスは私を見て、イーブイを見て、また笑った。
「らるっ」
その返事が、なんだか嬉しかった。
*
また、三人で歩き出す。
雨上がりの道は、少しだけ涼しくなっていた。
まだ葉っぱの上に残る水滴が、日の光を受けて光っている。
イーブイが私の左を歩く。
ラルトスは、その少しだけ後ろをちょこちょことついてくる。
朝よりも、ゆっくり歩く。
ときどき横を見る。
ちゃんといる。
イーブイが何かを見つける。
私も見る。
ラルトスも見る。
そして、また歩く。
ラルトスの足取りも、なんとなく軽くなったように感じた。
今朝、私はラルトスに、好きなものをどんどん教えてほしいと言った。
今日だけでも、少し分かった。
くるみの入ったパンが好きなこと。
私たちより、少しゆっくり歩くこと。
疲れたら、ボールで休めること。
ねんりきできのみをきれいに取れること。
テレポートは、今のところ思っていたよりちょっと近いこと。
それから。
私とイーブイがふざけていると、楽しそうに笑うこと。
きっと、まだ知らないことはたくさんある。
でも。
それは、ラルトスも同じなのかもしれない。
私がどんな人なのか。
イーブイがどんなポケモンなのか。
二人でいると、どんなことをするのか。
今日だけでも、少しは伝わっただろうか。
石を蹴ったらマンキーに当たることまで伝わってしまったけれど。
思い出して、少し笑った。
「……ねえ、イーブイ」
「ぶい?」
「三人も楽しいね」
「ぶいっ!」
ラルトスがこちらを見る。
「ね、ラルトス」
「らる」
三人で歩く。
同じ速さじゃなくてもいい。
ずっと外を歩かなくてもいい。
好きなものも、できることも、きっとそれぞれ違う。
まだ知らないことは、これから知っていけばいい。
朝より少しだけ近くなった三人で、雨上がりの道をゆっくりと歩いていった。