その街が見えてきたとき、私は思わず足を止めた。
「……大きい」
「ぶい……」
隣を歩いていたイーブイも、同じように足を止める。
旅に出てから、いくつかの町を通ってきた。
私の生まれ育った町だって観光地だから、お土産屋さんや食べ歩きのできるお店が並ぶ通りもあるし、人で賑わっている景色そのものは珍しくない。
それでも、目の前にある街は今まで見てきた町とはどこか違っていた。
街へ近づくにつれて、行き交う人やポケモンが増えていく。
大きな荷物を背負ったトレーナーもいれば、買い物袋をいくつも抱えて歩く人もいる。
街の中へ入ると、道の両側にはずっと先まで建物が続いていた。
大きな通りから横を覗くと細い路地がいくつも伸びていて、そのひとつからヤブクロンがひょこっと顔を出す。
「あ、ヤブクロン」
私たちをちらりと見たヤブクロンは、特に気にした様子もなく路地の奥へ歩いていった。
「街の中にも普通にいるんだね」
「ぶい」
イーブイも珍しそうにその後ろ姿を眺めている。
地元でも、人と一緒に暮らしているポケモンなら街中でいくらでも見かける。
でも、誰のポケモンでもないらしいヤブクロンが路地を歩いている光景は、私には少し新鮮だった。
それからしばらく街を歩いていると、もっと驚くものが次々に見つかった。
「……わざマシン専門店?」
思わず看板を二度見する。
「わざマシンだけでお店になるの?」
「ぶい?」
イーブイに聞いても分かるはずはない。
その少し先には、いろいろな石を専門に扱う店があった。
きれいに磨かれたものから、何に使うのかまったく分からないものまで、見たことのない石が店先にいくつも並んでいる。
さらに進むと、今まで見たことがないくらい大きな本屋もあった。
入口の案内を見ると、ポケモンの生態や育成、技、バトルについての専門書だけでも、いくつもの売り場に分かれているらしい。
「すご……。こんなに本あるんだ」
全部見てみたい気もするけれど、入ったらしばらく出てこられない気もする。
その隣には、トレーナー向けと書かれた道具を扱う店がある。
外から少し覗いてみたものの、並んでいるものの半分くらいは何に使うのか分からなかった。
「これ、何に使うんだろ」
「ぶい?」
「分かんないよね」
「ぶい」
分からない者同士で頷き合って、その店は通り過ぎた。
知らない道や町を見ることには、少しずつ慣れてきたつもりだった。
でも、この街にあるのは、それまでとはまた違う知らないものばかりだった。
地元にもたくさんのお店はある。
でも、こんなお店はなかった。
「都会って、なんでもあるんだねぇ……」
感心しながら歩いていると、またひとつ、気になる看板が目に入った。
何匹かのポケモンと、色とりどりのきのみの絵が描かれている。
「……手作りポケモンフード専門店?」
足が止まる。
隣を見ると、イーブイも同じ看板を見上げていた。
「行ってみる?」
「ぶいっ!」
返事は早かった。
扉を開けると、店の中からふわっと香ばしい匂いがした。
*
「わ……!」
店内には、見たことのないポケモンフードが所狭しと並んでいた。
大きなもの、小さなもの。
固そうなものもあれば、柔らかそうなものもある。
きのみや木の実が入っているらしいものから、私には材料の想像もつかないものまで、種類もずいぶん多い。
スーパーで売っていたポケモンフードとは、見た目からして違っていた。
「いらっしゃい」
店の奥から出てきたのは、たっぷりと髭を蓄えたおじさんだった。
私のリュックを見て、すぐに旅の途中だと分かったらしい。
「旅の途中か?」
「はい!」
「そりゃ大変だな。ゆっくり見ていきな」
「ありがとうございます!」
さっそく棚を見て回る。
「イーブイ、これおいしそうじゃない?」
「ぶい!」
「こっちは?」
「ぶい?」
棚を見てはイーブイに聞き、また別の棚へ移動する。
そんな私たちを見ていたおじさんが、少し笑った。
「ずいぶん楽しそうに選ぶな」
「こういうお店、初めて見たんです」
「この辺じゃそこまで珍しくないけどな。小さい町から来たのか?」
「観光客はけっこう来る町なんですけど、こういう専門のお店はなくて」
「なるほどな」
おじさんは納得したように頷くと、今度は私の足元にいるイーブイへ目を向けた。
「普段はどんなフード食べてるんだ?」
「フード?」
「この子の」
「ああ。家ではスーパーで売ってるやつです」
「どんなのだ?」
「普通の……ポケモンフード?」
それ以上の説明ができなかった。
メーカーも商品名も覚えていない。
袋を開けて器に入れれば、あとはイーブイが食べるか食べないかを見ていただけだった。
「旅にはそれを持ってきたのか?」
「持ってきてないです」
「ん?」
「イーブイ、あれあんまり好きじゃないので」
「ぶい」
イーブイが当然のように頷く。
「だから旅に出てからは、まあいっかーって」
「……まあいっかーって」
おじさんが私の言葉をそのまま繰り返した。
「じゃあ今は何食べてるんだ?」
「パンとか、きのみとか。私のごはんで食べられそうなものとかです。けっこうなんでも食べますよ!」
「ぶいっ」
イーブイもなぜか得意げに胸を張った。
おじさんはそんなイーブイを見て、それからもう一度私を見る。
「まあ、好きなもんを食うのも大事だけどな。旅してるなら、毎日かなり歩くだろ?」
「歩きます」
「バトルもするだろ?」
「します」
おじさんはゆっくりと話を続けた。
「だったら、身体を作るために必要なもんも、ちゃんと食わせてやった方がいいぞ」
「身体を作るために……」
今まで、あまり考えたことがなかった。
「人間だって同じだろ。好きだからって毎日好きなもんだけ食ってりゃいいわけじゃない」
「…………」
私はイーブイを見る。
イーブイも私を見る。
しばらく見つめ合う。
「……私たち、ちょっと反省しよっか」
「ぶい……」
イーブイの耳が少し下がった。
「じゃあ、普通のごはんとかパンとかは、あんまり食べさせない方がいいんですか?」
そう聞くと、おじさんは首を振った。
「いや。食べられるもんなら、一緒に楽しめばいいさ。きのみだって食うだろ?」
「はい」
「それも食えばいい。ただ、旅をしてよく動くなら、それだけにならないようにしてやった方がいいって話だ」
「なるほど……」
家にいたころは、母がポケモンたちのごはんも用意していた。
スーパーで買ったポケモンフードが出てくる日もあったし、人間の食卓から食べられるものを分けてもらうこともあった。
イーブイがフードを残して別のものを欲しがることだって珍しくなかった。
だから私は、イーブイはポケモンフードがあまり好きではないのだと思っていた。
旅に出てからも、それ以上深く考えなかった。
好きじゃないなら、まあいいか。
それだけだった。
「じゃあ、イーブイが食べそうなのありますか?」
「それなら、まず試してみるか」
「試せるんですか?」
「好みもあるからな」
おじさんはいくつかのフードを少しずつ持ってきて、小さな器に入れてくれた。
イーブイは最初の器へ鼻を近づけ、しばらく匂いを嗅いでいる。
やがて恐る恐る一口かじった。
「どう?」
少し噛んでから、イーブイの耳がぴんと立つ。
「ぶいっ!」
「えっ、食べるじゃん!」
「ぶい!」
今度は自分からもう一口食べる。
「ポケモンフード嫌いなんだと思ってた!」
「市販のやつが好みじゃなかっただけみたいだな」
「そんなことあるんだ……」
「そりゃあるさ。ポケモンだって、それぞれ好みがある」
言われてみれば、当たり前なのかもしれない。
「あ、もうひとりいいですか?」
「もうひとり?」
「はい!」
私はボールを取り出した。
「ラルトス、出ておいでー!」
ボールから出てきたラルトスは、初めて見る店の中を不思議そうに見回した。
「この子、最近仲間になったばっかりなんです」
「そうか。じゃあ、まだ好みも探してるところか」
「そうなんです!」
くるみの入ったパンが好きなことは分かった。
きのみの好みも、少しだけ分かってきた。
でも、まだ知らないことの方がずっと多い。
「ラルトスも食べてみる?」
「らる」
おじさんがラルトスにもいくつか試食を用意してくれた。
ラルトスが一口食べるたびに、私はその顔を見る。
「こっちは?」
「らる」
「じゃあ、これは?」
「……らる」
「今のより最初の方が好き?」
今度は少し大きく頷いた。
「分かった。じゃあこっちにしよっか」
「同じもんが好きとは限らないからな。それぞれ合うもんを探してやればいい」
「はい!」
ラルトスが仲間になったばかりのころにも、似たようなことを考えた。
イーブイとラルトスは違う。
歩く速さも、疲れ方も、できることも違う。
食べるものだって、きっとそうなのだ。
「じゃあ、これと……こっちください!」
二匹が気に入ったものをそれぞれ選んで、私はレジへ向かった。
*
おじさんがフードを包んでくれている間、私は何気なく店の中を見回した。
棚の横には、この店で使っているらしいきのみの産地が書かれた紙が貼ってある。
その隣には別のお店の広告があり、さらにその横に、ひときわ大きなポスターが貼られていた。
「……初心者バトル大会?」
思わず声に出して読む。
おじさんが顔を上げた。
「ああ、それか」
ポスターには大きく大会の名前が書かれ、その下には『旅を始めて三か月以内のトレーナー限定』とある。
「初心者って……三か月なんだ」
「その大会ではな」
「じゃあ、私も出られる……」
「旅に出て三か月以内か?」
「はい。まだ旅に出たばっかりです」
「なら出られるぞ。三日後だ」
「三日後?」
大会があるということ自体は知っている。
でも、私にとって大会は、もっとバトルに慣れたトレーナーが出るものというイメージだった。
「この街じゃ、季節ごとに初心者向けの大会をやってるんだ」
「へえー!」
「この辺り出身の旅に出たばかりのトレーナーが、まずこの街を目指してくることが多くてな。あちこちから初心者が集まるんだよ」
「そうなんだ……」
街へ入ってから、大きな荷物を背負ったトレーナーを何人も見た。
わざマシンの専門店も、バトルに使うらしい道具を扱う店もあった。
今まで通ってきた町とは違って、ここには旅をするトレーナーのためのものがたくさんある。
「それで、商店街が応援も兼ねてやってるんだ。最初の腕試しみたいなもんだな」
「商店街で大会やるんですか?」
「街の真ん中に中央広場っていう大きな広場がある。祭りやイベントなんかをよくやる場所でな。大会もそこでやる」
「へえー……」
地元の商店街でも、毎年お祭りをやっていたのを思い出した。
これだけ大きな街なら、人もたくさん集まるのだろう。
「うちも協賛してるぞ」
「きょうさん?」
「賞品にうちのフードを出してる」
「へえー!」
「ぶいっ!」
イーブイの耳が急にぴんと立った。
「……イーブイ、そこに反応したでしょ」
「ぶい」
「さっき食べたばっかりじゃん」
「ぶいっ」
おじさんが声を上げて笑った。
「興味があるなら出てみたらどうだ? 旅を始めたばっかりのやつしか出られない大会だからな」
「うーん……」
私はもう一度ポスターを見る。
バトル大会。
野生のポケモンとは、旅に出てから何度か戦った。
トレーナーと戦ったのは、一度だけ。
そして、その一度は負けた。
思い出すのは、素早く動くガーディと、それを追いかけていたイーブイ。
やけどを負って倒れたイーブイを見たときは、怖いと思った。
でも。
「……楽しかったんだよね」
「ぶい?」
「あ、なんでもない」
負けた。
悔しかった。
知らないこともたくさんあった。
それでも、終わったあとにイーブイと話したとき、最初に出てきたのはその言葉だった。
楽しかった。
「ちょっと考えてみます!」
「おう。出るなら頑張れよ」
「はい!」
包んでもらったフードを受け取って、私たちは店を出た。
*
外へ出ると、街は相変わらず賑やかだった。
先ほどおじさんがくれたメモを眺める。
次の町に行っても好みのフードが買えるようにと、簡単な配合を書いてくれたものだ。
これからはこれを参考にしようと小さく頷いて、メモをリュックにしまった。
大通りを少し歩いてから、私は足を止める。
「ねえ、イーブイ」
「ぶい?」
「さっきの大会、どうする?」
イーブイが私を見上げる。
実際に戦うのは、私だけではない。
私は少しだけしゃがんで、イーブイと目線を合わせた。
「出てみる?」
一瞬だけ、イーブイの耳が動いた。
「ブイ!」
迷いのない返事だった。
「よし!」
私も立ち上がる。
「じゃあ特訓しなきゃ!」
「ぶいっ!」
三日後には大会がある。
「三日あれば、けっこう練習できるよね」
「ぶい!」
そこまで言ってから、別のことに気づいた。
「……あ」
「ぶい?」
「とりあえず三日後まではこの街にいるってことだよね」
「ぶい」
「宿、探さなきゃ!」
大会に出ることが決まった。
三日後まで、この街にいることも決まった。
さっきまで、ただ初めて見る大きな街を歩いていただけなのに、少しずつこの街ですることが増えていく。
「よし、宿探そ!」
私はまた、知らない街を歩き始めた。
*
宿を決めて大きな荷物を部屋に置くと、必要なものだけを持ってもう一度外へ出た。
休んでいたラルトスも外に出て、今度は三人で街を歩く。
ラルトスも初めて見るものが多いのか、きょろきょろと辺りを見回していた。
「よし。じゃあ、練習できそうなところ探そっか」
「ぶいっ!」
宿の近くで、人があまり来なくて、イーブイが走り回れるくらい広いところ。
できれば遠すぎない方がいい。
それくらいの条件で、私たちは大通りを離れて歩いてみることにした。
何本か道を曲がっていくうちに、少しずつ人通りが減っていく。
街の中心から離れても建物はまだ続いていたけれど、その向こうには森の木々が見えるようになってきた。
やがて、大きな建物の裏手へ続く道を見つけた。
「こっち行ってみる?」
「ぶい!」
そのまま進んでみると、建物の裏側には思っていたより広い空間があった。
片側には高いレンガ調の壁が長く続き、反対側には森の木々が並んでいる。
街の中にいるはずなのに、表通りの賑やかさはずいぶん遠くなっていた。
壁の途中には、建物と建物の間へ続く細い路地がある。
昼間でも少し薄暗く、その奥まではよく見えない。
「いいじゃん!」
イーブイが嬉しそうに走り出した。
「広いし、人もいないし。ここなら練習できそう!」
「ぶいっ!」
「ここにしよ!」
私は壁の前にリュックを置いた。
ラルトスもそのそばに座る。
「ラルトスはここで見てる?」
「らる」
「じゃあ、荷物番お願いしようかな。疲れたらみんなで休憩しよ!」
「らる!」
私はイーブイを見る。
イーブイもきらきらした目でこちらを見ていた。
三日後は、私たちにとって初めてのバトル大会だ。
「よーし、やるぞー!」
「ブイッ!」
*
一日目。
私とイーブイは、大会に向けて練習をした。
ラルトスは荷物のそばで、私たちの様子を眺めている。
ときどき近くを歩き回ったり、近くに咲いている花を眺めたりしては、また同じところに戻って座っていた。
今までは、何となく指示を出していた。
今まで戦ったポケモンたちの動きを思い出す。
もっとしっかり考えて指示を出せるようにならなければ。
しばらく動いて、休んで、また動く。
そうして何度目かの休憩になったころ、私とイーブイは壁の前で待っているラルトスのところへ戻った。
「つかれたー……」
「ぶいー……」
「おやつにするぞー!」
ラルトスのところに戻ると、リュックからおやつを取り出し、三人でその場に座る。
「はい、イーブイ」
「ぶい!」
「ラルトスも」
「らる」
私も自分の分を取り出して、三人で食べ始めた。
街の音はここまで来ると遠い。
反対側の森から、ときどき風に揺れる葉の音が聞こえてくる。
「……ん?」
何気なく顔を上げる。
壁の途中にある薄暗い路地。
その入口から、何かがこちらを見ていた。
「……ポケモン?」
立ち上がって、少しだけ近づいてみる。
その瞬間、小さな影が動いた。
「あっ!」
黄色っぽい布を被った、小さなポケモン。
「……えっと……ミミッキュ?」
名前を口にした途端、ミミッキュは路地の奥へ逃げていった。
「あ、待って!」
反射的に一歩踏み出して、すぐに止まる。
薄暗い路地の奥へ消えていった姿を見ながら、私はしばらくその場に立っていた。
「……逃げちゃった」
「ぶい」
イーブイが私の足元までやってくる。
「近づいたら逃げたってことは、追いかけない方がいいよね」
「ぶい」
私は元いた場所へ戻った。
「びっくりさせちゃったかなぁ」
残っているおやつへ目を落とす。
さっきのミミッキュは、どうしてここにいたのだろう。
私たちを見ていたのか。
それとも、たまたま通りかかったのか。
「……お腹すいてたのかな」
ひとつだけおやつを手に取る。
今度は路地の奥へ近づかず、入口から少し離れた場所にそれを置いた。
「あなたの分ここに置いとくね! 食べたかったら食べてもいいからねー!」
薄暗い路地に向かって声をかける。
もちろん、返事はない。
それでも私はそれ以上近づかず、イーブイとラルトスのところへ戻った。
*
休憩を終えると、私とイーブイはまた練習を始めた。
ラルトスは荷物のそばに残り、座って私たちを眺めている。
途中で何度か休憩を挟んだりしながら、夕方まで練習を続けた。
帰るために荷物をまとめていると、ふとさっきのおやつのことを思い出した。
「あ」
置いた場所を見る。
「……ない」
「ぶい?」
イーブイも隣から地面を覗き込む。
確かにここに置いたはずのおやつが、なくなっている。
「食べたのかな」
路地の奥を覗いてみたけれど、もう何もいない。
「さっきの子かなぁ」
「ぶい」
分からない。
別のポケモンが持っていったのかもしれない。
それでも。
「……食べてくれたなら、よかった」
私がそう言うと、ラルトスが静かにこちらを見た。
「ラルトス、帰ろー!」
「らる」
三人でその場所をあとにした。
*
二日目。
昨日と同じ場所へ着くと、私とイーブイはまた練習を始めた。
ラルトスは昨日と同じように、壁の前に置いた荷物のそばで私たちを見ている。
そして、おやつの時間。
「休憩ー!」
「ぶいー!」
二人でラルトスのところへ戻り、三人で壁の前に座った。
リュックからおやつを取り出しながら、私は薄暗い路地の方を見る。
昨日のミミッキュの姿はない。
「今日は来ないのかな」
「ぶい?」
「まあ、昨日もたまたまだったのかもしれないしね」
それでも、昨日と同じようにおやつをひとつ取り分けて、路地から少し離れたところへ置いた。
「一応、置いとこ」
「ぶい」
三人でいつものようにおやつを食べる。
食べ終わるころになっても、ミミッキュは姿を見せなかった。
「よし。続きやろっか!」
「ぶいっ!」
私とイーブイは立ち上がり、また練習へ戻った。
*
しばらくして、何気なく壁の方へ目を向けた。
ラルトスは荷物のそばに座って、こちらを見ている。
その向こう。
薄暗い路地の入口に近い壁の前に、もうひとつ小さな姿があった。
「……あれ?」
ミミッキュだった。
いつの間に出てきたのだろう。
ラルトスとはまだずいぶん離れている。
それでも、昨日のように路地の奥へ隠れてはいない。
壁の前に座って、ラルトスと同じように私たちの方を見ていた。
「あ、ミミッ――」
その瞬間、ミミッキュが立ち上がった。
「あっ」
そのまま薄暗い路地の奥へ駆けていく。
「……逃げちゃった」
「ぶい」
近づいてもいないのに逃げられてしまった。
「見てるだけならいいのかなぁ」
首を傾げる。
ラルトスは、ミミッキュが消えた路地の方を静かに見ていた。
「……まあ、いっか」
来たくなったら来ればいい。
帰りたくなったら帰ればいい。
「よし、続きやろ!」
「ぶいっ!」
私たちはまた練習に戻った。
*
三日目。
昨日までと同じ道を通って、建物の裏手へ向かう。
「今日も頑張ろー!」
「ぶいっ!」
三日目ともなると、この場所へ来る道にもすっかり慣れた。
いつもの場所が見えてきたところで、私は足を止める。
「……あ」
薄暗い路地の入口に、小さな姿があった。
ミミッキュだ。
昨日は、私たちが来てしばらくしてから姿を見せたのに、今日はもうそこにいる。
「……もしかして待ってた?」
ミミッキュは何も答えない。
「……そんなわけないか!」
「ぶい?」
「なんでもない!」
少し離れたところから手を振る。
「おはよー!」
ミミッキュがぴくりと身体を揺らす。
けれど、今日は路地の奥へ逃げなかった。
なんだか少し嬉しくなって、私はいつもの場所へ荷物を置く。
「じゃあ、今日もやろっか!」
「ぶいっ!」
ラルトスは荷物のそばに座り、私とイーブイは練習を始めた。
しばらくして、何気なく路地の方を見ると、さっきまでいたミミッキュの姿はなくなっていた。
「あ、いなくなった」
「ぶい?」
「どっか行ったのかな」
野生のポケモンなのだから、それも当たり前だ。
私はそれ以上気にせず、イーブイと練習を続けた。
しばらく動いて、休んで、また動く。
その間、ときどきラルトスが細い路地の方へ顔を向けていた。
何か気になるものでもあるのだろうか。
とはいえ、もし何かあってもラルトスはテレポートで逃げられるだろう。
私はまたイーブイとの練習に戻った。
途中でお昼を食べたり、休憩を挟んだりしながら、そのまま練習を続けた。
*
そして、おやつの時間。
「休憩ー!」
「ぶいー!」
イーブイと一緒にラルトスのところへ戻る。
「ラルトス、おやつにしよ!」
「らる!」
いつものように三人で壁の前に座ろうとして、ふと路地の方を見る。
「……あ」
ミミッキュがいた。
朝にはいなくなっていたのに、いつの間に戻ってきたのだろう。
昨日と同じように壁の前に座っている。
でも、昨日よりも少しだけラルトスに近い。
「また来てる!」
ミミッキュがぴくりと身体を揺らす。
それでも、逃げなかった。
私はリュックを開けて、おやつを取り出す。
「イーブイの、ラルトスの、私の……」
三つに分けてから、最後のひとつを手に取る。
少し離れたところにいるミミッキュを見る。
「はい、これ、あなたの分ね!」
ミミッキュの前から少し離れたところへ置く。
「ぶい!」
「らる」
三人で壁の前に座り、おやつを食べ始める。
ミミッキュはすぐには動かなかった。
私はなるべく気にしないように、自分のおやつを食べる。
しばらくすると、視界の端で小さな影が動いた。
でも、今日はそちらを見なかった。
「これおいしいね」
「ぶい」
「ラルトスも好き?」
「らる」
三人でいつも通りに話しながら食べる。
やがて、そっと横を見る。
ミミッキュはまだそこにいた。
置いておいたおやつは、なくなっていた。
目が合う。
一日目なら逃げていた。
昨日も、私が気づいた途端に逃げた。
けれど今日は、ミミッキュは少し身体を揺らしただけだった。
「……おいしかった?」
返事はない。
「そっか」
何が「そっか」なのか自分でも分からないけれど、なんとなくそう言って笑った。
*
休憩を終えると、私とイーブイはまた練習へ戻った。
ラルトスは荷物のそばで見ている。
ミミッキュも帰らなかった。
少し離れた壁の前に座って、ラルトスと同じようにこちらを眺めている。
二匹の間にはまだ距離がある。
それでも昨日より、ほんの少しだけ近い。
私とイーブイが練習している間、ミミッキュはずっとそこにいた。
日が翳り、足元から伸びる影がずいぶん長くなっても、ミミッキュは結局その場所からいなくならなかった。
*
「終わったー!」
その場に座り込む。
「ぶいー!」
イーブイも私の隣に伏せた。
三日間、ここで練習した。
明日は、いよいよ大会だ。
「明日だね」
「ぶい」
「楽しみだね!」
「ブイッ!」
さっきまで疲れていたはずなのに、大会と言った途端にイーブイの顔が明るくなる。
「ほんとに元気だねぇ」
笑いながら荷物をまとめる。
ラルトスも壁のそばからこちらへやってきた。
「ラルトスも三日間ありがとね」
「らる」
荷物を持って立ち上がる。
「じゃあ帰ろっか」
「ぶい!」
そこで、まだ壁の前にいるミミッキュを見る。
「あ、そうだ!」
ミミッキュがこちらを向いた。
「明日は私たち、ここに来ないからね!」
「ぶい!」
「明日は大会に出るんだ!」
私は街の方を指さした。
「中央広場でやってるから、よかったら応援にきてね!」
ミミッキュは何も答えなかった。
それでも、逃げることなくこちらを見ている。
「じゃあ、またねー!」
「ぶいっ!」
手を振って、三人で歩き出す。
明日は、初めてのバトル大会。
勝てるかどうかは分からない。
それでも、考えるだけで少しわくわくする。
「明日、楽しみだね!」
「ブイッ!」
三日間通った建物の裏手をあとにして、私たちは賑やかな街へ戻っていった。