朝食を終え、広々としたレザーソファに腰かけテレビをつける。
一度は文明レベルが後退した日本だが、今はもう21世紀の様相を取り戻している。各種インフラや交通道路、さらにテレビ放送まで復活したのだから人類の底力というのも大したものだ。
テレビはいい。二十代も半分を過ぎた今となっても新聞なんかは見ただけで読む気が失せる。頭を使わなくても情報が勝手に頭に入ってくるこれは、俺が唯一世間を知る窓口だ。
『本日16時に内閣で行われる新法に関する審議に参加するため、聖天子様が聖居よりお見えになりました!』
途端、テレビからわっと歓声が聞こえてくる。カメラが寄った先には、白雪のように儚げな少女が背筋を正し堂々と歩いている。
「東京」エリアの国家元首、聖天子。美貌と優しさを備えた彼女は良くも悪くも注目の的だ。今の彼女は三代目だが、16歳と高校生くらいの歳でよく国を率いようだなんて気概を持てるものだ。
他人事に感心していると、携帯端末が震えた。画面を確認すれば、仕事場からの緊急連絡だった。
中身を確認する前に立ち上がり、奥で本を読んでいた夏世に声を掛ける。
「夏世、支度しろ」
「仕事ですか?」
「ああ。またクソどもが迷い込んだらしい」
「分かりました。先に行っててください」
そう言うと夏世は自室に走っていった。俺は俺で自室に置いたバスタードソードを掴み、胸に斜め掛けにした剣帯に引っかける。
階段を降り駐車場に出れば、ポツンと大型二輪が鎮座している。俺の体格に合わせ座席を大きいタンデムシートに改造してあるそれは、それなりの年月を共にした愛機だ。スタンドを跳ね上げれば心地いい重量感がグリップ越しに伝わってくる。
跨った状態でエンジンを吹かす。小さな破裂音が連続して反響する。近所迷惑だなどとクレームの心配は必要ない。そもそもこんな辺鄙な場所、俺ら以外に住んでいるのは何かしら脛に傷がある奴らだ。このマンションも、殆どは空き家だった。
夏世を待つ間、携帯の文面を読む。現場は住宅街近く、対象は現在警察車両を振り切って逃走中。ギャラリーが多くなりそうで面倒だとため息を吐く。
「お待たせしました」
これから向かう現場の厄介さに辟易としていると、ようやく夏世が追いついた。その背にはガンケースが背負われている。
夏世のような幼い体躯では到底持ち運べないそれを、なんて事の無い様子で背負ったまま後ろに座った。俺の腹に腕を回したのを確認して発進、人通りのない道を加速していく。
「将監さん。今回はどんなタイプのガストレアでしょう?」
「さあな。だが警察車両でも捕まえられねえって話だ。それなりに速い奴だろうよ」
向かい風にかき消されないよう大声で伝えれば、あとは臨機応変にだ。
そもそも現場に向かわないことには何も始まらない。
「さて、
ギアを変え、バイクはさらに一段加速する。風を切り、建物も車両も何もかもが後ろに置き去りにされていく光景は気分がいい。
「……暴走族ってこんな人達だったのでしょうか? 私も仲間だと思われるのは耐えられません」
夏世のため息に聞こえないふりをして、さらに一段加速する。幹線道路の車列をぶち抜きながら、俺達は目的地へと急いだ。
ガストレア戦争以降、人類はガストレアに唯一有効な金属、バラニウムでできた巨大モノリスに囲まれたエリアに閉じこもった。大量のバラニウムが放つ特殊な磁場をガストレアが嫌うらしく、それによって人類は生存圏を構築することができた。
ここ「東京」エリアは元東京、神奈川、千葉、埼玉の一部を切り取るようにできた場所だ。その外周には高さ約1.6キロ、幅1キロのバラニウムが一定の間隔で並んでいる。それらの磁場の結界によって、ガストレアの侵入を防いでいるわけだ。
だが、その防備も完全とはいかない。磁場にも強弱があり、それを稀に突破してきたガストレアが人類の生活圏に紛れ込むことがある。まあ、それ以外にもいくつかガストレアが侵入する原因はあるがそれは置いておく。
敗戦後初期、市民を守る任を負ったのは自衛隊と警察官だった。だが自衛隊の火力は市民の生活圏では発揮できず、警察官程度の装備では野良ガストレアといえど太刀打ちできず多くの被害が出た。
そこでガストレア対応を専門とする武装会社が設立され、ガストレアが関係する事件については警察と彼ら共同の下対応にあたることが法律で義務付けられることになった。
それこそが民間警備会社。略して「民警」。ガストレア退治の専門家であり、このクソな世界を生き抜くための俺の身分だ。
旧国道6号を下った先、目的地は元千葉県柏市の住宅街の一角、モノリスに程近い倉庫街だった。ここらはモノリスが近いため、ガストレア侵入に備え緩衝地帯のようになっている。だがあと少し都心部へと進めば人口密集地域に入る。警察は何としてもここでガストレアを仕留めたいと考えるだろう。
「さて、ガストレアの野郎はどこにいやがんだ?」
さっきからサイレンの音はひっきりなしに鳴っているが、肝心の標的がどこにも見当たらねえ。
埒が明かず、携帯で先に対応しているはずの同僚に掛ける。
「おい猿山! てめえどこにいやがる?!」
『伊熊さん! ちょっと、いまそれどころじゃ、なくっ、てえ?!』
電話越しにタイヤのスリップ音が聞こえる。心なしか、サイレンの音も近くなってきた気がする。
直後、倉庫街の角から車が飛び出す。
荒々しい運転で交差点を直角に曲がったそれは、何かから逃げるようにしてぐんぐんと加速してくる。そして数秒遅れて大量の警察車両、そして件のガストレアらしき巨大な何かが後を追ってくる。
四足歩行で体中が毛で覆われている。ぱっと見た感じ、ネコがデカくなったようなフォルムをしている。
だがそのサイズが桁違いだ。ネコ科の中でも最大のトラの優に三倍はありそうな体躯、それが口元から涎を撒き散らしながら迫る光景は中々にスリリングだろう。サンルーフからアサルトライフルで迎撃しようとしているが、少し減速するくらいで大した効果は望めていない。実際、追われている車両の運転手、俺の同僚の猿山は泣きべそをかいてハンドルを握っている。
俺に気付いた奴は一直線にこちらに車を走らせる。
「伊熊さぁん! 助けてください~~!!!」
「ちっ、夏世!」
「はい」
剣帯からバスタードソードを抜き、奴らに向かって一直線に走る。みるみる距離は縮まり、目前に迫った車両を跳んで躱す。車両のすぐ後ろまで迫っていたガストレアは、突然目の前に飛び出した俺にようやく気付いた。
「おらあ!」
その脳天目掛けて剣を振り下ろす。時速100キロで直進中に突然の奇襲。当たると確信した。
だが奴は、全力疾走中にも関わらず急制動をかけ身を捩る。結果、俺の剣は奴の肩の肉をいくらか削ぎ落すだけに終わった。
体勢が崩れ、足を止めるガストレア。そこに夏世がケースから取り出していた散弾銃が炸裂する。それは奴の土手腹に命中し、鮮血を撒き散らした。先程のアサルトライフルでの迎撃とは違い、その一撃は明確にダメージを与えていた。
バラニウム弾。ガストレアに有効なバラニウムを弾頭に使用した特製弾は、奴らの強靭な肉体にも通用する。その上、バラニウムで傷つけられた箇所は回復能力が阻害されてガストレアでも治りが遅い。通常弾ではすぐに傷口が塞がるだろうが、胴体に空いた複数の風穴は未だ血を垂れ流し続けていた。
ガストレアにも痛覚はある。奴は唸り声を上げ動きが鈍っている。このまま畳みかけるべきだと判断し、一斉放火を指示する。
だがここは危険と悟ったのか、ガストレアは高さ20メートルはある倉庫の屋上に向かって跳躍していった。咄嗟のことで追撃はできず、夏世の弾も空をきる。
奴はそのまま、屋上を跳び移って離れていく。あれでは誰も手出しできない。
「チッ」
仕留め損ねた。その結果が心をぐつぐつと煮立たせる。自覚はしているものの、やはりこの性分はなんともし難い。
どうにか心を宥めていると、車から降りた猿山が俺に縋りついてきたものだから火に油が注がれた。
「伊熊さん、助かりました! もう、ほんと今回ばかりは終わったものと!」
「猿山てめえ! これくらい自分で解決してみやがれ!」
「だって、あいつめっちゃ速くてすばしっこいんですもん! 警察も全然言う事聞いてくんないし、持ってきたバラニウム弾全部使い切ったんじゃ何もできませんよ~!」
「マガジン1個分外したってか、この間抜け!」
堪らず拳骨を落とす。バラニウムは貴重だ。火山大国の日本は地下にバラニウムの鉱脈を抱えている。そして「東京」エリアは世界有数のバラニウム産出国だ。が、それも限りある資源だ。しかもその殆どはモノリスに守られていない危険地帯から採掘されるのだから無駄にできる弾なんてない。
悶える猿山を見捨て、ようやく追いついてきた警察車両を見る。殆どがガストレアの追跡に向かう中、一台だけ俺達の手前に停車した。中から刑事らしき精悍な男が出てくる。
如何にもエリートって感じで早くも苦手意識が浮かぶ。こういう奴とは大抵意見が合わないし、それが切っ掛けで面倒なことになる。
そいつは背後に警察数人を従え、俺に話しかけてきた。
「お前も民警か?」
「ああ。あの間抜けの同僚だ。ライセンスが要るか?」
「いや、いい。そのバカでかいバラニウム製の剣、伊熊将監だろ? 俺は戸村、階級は警部補だ」
「随分俺も有名になったもんだな」
そう言いながらも、彼らの視線は決して友好的ではなくむしろ警戒と僅かな敵意が垣間見えた。まあ、民警と警察の協力体制が出来てから今日まで友好的だったことなどない。
民警に現場を荒らされ好き勝手されるのが気に食わない警察と、ガストレアに無力なくせに一丁前に反抗してくる彼らに苛立つ民警。仲が悪くなるのも当然だ。
「お前には一度会ってみたかった。過去の事案で度々部下が世話になったと聞いている」
その言葉で敵意を強めたのは後ろに控える警察側の部下どもだ。その何人かは顔に見覚えのある奴がいる。俺の三白眼に怯むどころか食って掛かる気概は褒めてやりたいが、俺達が協力関係だってことをこいつらも忘れてるんじゃないだろうか。
まあ元々、民警になる奴なんてのは暴力しか取り柄のないチンピラ崩れか、ガストレアに憎悪を抱いてる
しかし、話題に出した当の本人はどうも違うらしい。戸村と名乗った刑事は上の人間にしては若い、つまりそれだけ優秀なんだろう。瞳からは常に理知的な輝きが消えない。
警察の奴らの差に感心していると、突然背後で甘ったるい撫で声がして顔を顰めた。後ろを振り返ると、猿山に夏世と同年代のガキがべったりくっついている。
ガストレアに追われていた時、アサルトライフルで迎撃していた猿山のペアだ。
「障子さ~~ん♡ お怪我はありませんか?」
「杏子、今それどころじゃないから。伊熊さんがなんか大事なお話してるから」
「そんな、障子さんのお体よりも優先すべきことなんてありませんわ!」
そいつは猿山以外は眼中にないらしく、路上で堂々と猿山の服を捲り始める。
「杏子!? そうやって俺の体をまさぐらないで! 何か警察さんが虫でも見るみたいな目で俺のこと見てるから!」
「ああいけません。こんな、こんなぁ~♡」
「……あいつ、逮捕した方がいいか?」
戸村が腰の手錠を手に取る。おそらくその場合、俺の同僚は性犯罪方面で起訴されるのだろうが。
「……安心しろ、ロリコン野郎だったら俺が直接引導を渡してやる」
「ちょ?! 俺はロリコンじゃないっすよ!」
必死に叫ぶが、相方の様子を見れば時間の問題だろう。猿山の肌を見て頬が上気し涎まで垂れている。体格差的には大人と子どもだが、俺には獲物と捕食者に見えた。勿論、獲物は猿山のほうだが。
仕事中に盛るバカどもを放っておき、戸村が俺に向き直った。
「お前達が関わった案件の報告書は呼んだことがある。どれも警察と民警間で小競り合いがあったらしいな?」
それに対し反論はない。正義感から前に出る警察の奴らを邪魔だと一蹴したこともあったし、実際に蹴飛ばしたこともある。さぞ不満を抱いたことだろう。
だが、俺は今後もそうするつもりだしそれに対し謝罪をするつもりもない。
「んだよ。この場で文句でも言うつもりか?」
「いや、他機関との協力関係というのはいつだってままならないものだ。多少の衝突は許容範囲だろう」
「ほお? そりゃ寛大なことで」
過去のいざこざを話題に挙げ、それでもこちらを非難するつもりも無い。
何が言いたいのか。意図を測りかねていると、戸村は口角を上げた。
「だが君達のペアが関わった案件は、民間人、警察、民警いずれも被害が少なかった。今回もそうなる事を期待する」
その目元が一瞬だけ緩んだのを、俺は見逃さなかった。
何となくそいつの意図するところが理解できて、途端に目の前の男と向き合うのが気まずくなった。先程までの挑発するような口調も、口に出したことが恥ずかしく思えてくる。
こいつは遣り手のエリートで、多くを知り、それでも善性を失わない良い奴なんだろう。そんな奴が、俺の事をそんな見透かしたような目で見るんじゃねえよ。
要するに、揶揄われたのだ。
「……それが仕事なんでな」
「ああ、お互い仕事を果たすとしよう」
やめろ。そんな、いかにもわかってますみたいな顔をするな。
俺達の間に生まれた気まずい空気に沈黙が広がる。
「んん。失礼、世間話はここまでにして、今後の作戦を練りたいのですが?」
「あ、ああ。すまんな」
そんな空気を無理矢理破ったのは、夏世だった。無表情のまま割り込んできた夏世に戸村が面食らう。
夏世はそのままテキパキと話を進めていく。
「まず対象のガストレアについてですが、見た目からしておそらくチーターのガストレアでしょう。あの大きさから考えればステージⅠ、あのスピードが厄介です」
「もう因子の特定ができたのか?」
戸村が驚く。ガストレアウイルスは寄生した生物の遺伝子を作り変えて無理矢理ガストレアという化け物にする。そのため、ガストレアは寄生元の生物が持つ因子の影響を強く受ける。その因子が混ざり合っていくごとにステージが上がり、より強靭で複雑になっていく。自重による骨格上の制限を超え、肉体はより巨大になっていき、肥大した筋組織で膂力は跳ね上がる。
だからこそ、ガストレアを駆除するうえで寄生元の特定はかなりのアドバンテージになる。
「姿形からネコ科に属するのは明らかでしょう。骨格の比率を見るに、頭が少し小さめです。くわえてあの全速力の最中に将監さんの奇襲を避けた俊敏性」
「……筋は通ってるな」
「もしあのガストレアがチーターの因子を持っているとしたら、先程から私達の追跡を一気に振り切らず都度高台に避難しているのも納得がいきます。チーターの弱点は、持久力の無さですから」
「け、呑気に高みの見物ってわけか」
ここはモノリスに近く、あのガストレアもバラニウムの磁場を抜けたばかりで弱っているはずだ。今は体力の回復に努めていると考えると筋は通る。
「その場合、これ以上対処が長引くと厄介かもしれんな」
「そうですね。一気に警察の包囲網を抜け住宅街まで侵入される恐れがあります」
「でも夏世ちゃん、今でもあいつの速度に追いつけないんだ。どうやって奴を倒す?」
猿山までやって来て、夏世に尋ねる。いつの間にか、夏世を中心に民警と警察で輪が出来ていた。
瞑目する夏世。いつの間にか誰もがこいつの意見に耳を傾けている。
やがて、夏世が目を開いた。
「……ここ一帯の地図はありますか?」
「ああ。おい、持ってこい!」
「はい!」
要望を聞いた戸村が部下に地図を広げさせる。机も無い中、地面に敷いた地図を見下ろして夏世は頷いた。
「1つ、策があります」
そう宣言した夏世の瞳は、赤く輝いていた。