伊熊転生 ~神に届かぬ者として~   作:アルパカ戦士

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第四話 イニシエーターとプロモーター

 ガストレアが顔を上げる。

 

 丈夫な建物が並ぶこの辺りでも一際高いそこは、喧しいサイレンの音や銃弾を放ってくる小さい追手を振り切るには丁度いい場所だった。

 下を見下ろせば、追手の車が建物のすぐ傍まで集まっている。だが彼らがここまで上がってくる気配は感じられない。その間にもガストレアとしての高い治癒能力によって、失われていた体力は回復しつつあった。

 

 それに人間程の知性は存在しない。あるのは寄生元の動物と同じ野生の本能。これまでモノリスの外にいたその個体にとって、ここは未知の狩場だった。そんな場所で、自分が如何に生存し、種を広げるか。複雑な思考を経ずともそれは導き出せた。

 群れを成している同じような格好の小物は大したことはない。特に注意すべきは、途中から現れた少し大きな個体と、反対に小さな個体。

 

 大きな個体が持つあの真っ黒な剣は、遠くに見える巨大なモノリスと同じものだろう。チリチリと刺すような嫌な感じがするし、あれで切り裂かれてはならない。そして小さな個体が放った銃弾。あれもおそらく同じ物質。他の個体が撃ってきたものとは別格の注意を払わなければならない。

 だが、それだけだ。

 脅威となるのはそれだけ。

 

 モノリスの磁場を抜け、辿り着いたここは正に楽園だ。

 自分よりも小さな個体しかおらず、唯一傷を負わされた敵も自分には追いつけない。視界は程よくひらけており、遥か向こうに見える場所には獲物がいくらでもいる。

 そこまで追手を躱し走り抜ける体力が戻るまで、あと少し。

 

 そんな時、下が騒がしくなった。あの痛い銃弾が飛んでこないよう慎重に覗けば、なんとあれほど集まっていた車両がみるみると失せていく。

 追手は諦めたのだろうか。そう考えて、すぐに違うと悟った。あれだけの数で休むことも無く追って来たのだ。今更引き下がるとは思えない。

 

 これは、嵐の前の静けさ。警戒心が跳ね上がったその瞬間。

 

ーダッ

 

 件の小さな個体が、背後の縁に手をかけ屋上に飛び込んできた。

 その手に握られた散弾銃がこちらに銃口を向けている。

 

 咄嗟に屋上から飛び降り躱す。跳び上がった足元を銃弾が掠めた。

 20メートルを超える高低差を難なく着地し、ガストレアは屋上を睨んだ。そこでは自分と同じ赤目をした個体がこちらを見下ろしていた。

 

 危なかった。安全地帯と油断していたが、どうやらあの個体は壁すら跳び越えるらしい。

 だが奇襲は何とか凌いだ。あの銃弾もこの距離では効果が無いのか追撃をする様子もない。不審に思い視線を外さずにいると、今度はタイヤのスリップ音がした。

 

 幅広の道路の真ん中に、一台の車が停まった。それは先程追っていた獲物が乗っていたもの。窓から2人が顔を覗かせる。

 2人が口を開く。

 

「や~いガストレア。チーターのくせに追いかけるのは下手とか終わってるぞ!」

「あっかんべーですわ! 私の障子さんを狙うなんて、泥棒猫はお呼びじゃなくてよ!」

 

 そんな捨て台詞と高笑いを残して、彼らは車を走らせどんどんと遠ざかっていった。

 ガストレアに人の言葉は分からない。だが、足は自然と繰り出し、その後を追っていた。

 

「食いついた!」

「私は迎撃に徹しますわ。障子さんは運転に集中してくださいまし!」

「ああもう! 何でこんな役引き受けちゃったかな俺!」

「大丈夫です。このお勤めの後、とびっきりのご褒美を差し上げますから今はそれで我慢してくださいね♡」

「全然安心できねえっ!」

 

 車内で泣き言を言う猿山と杏子を屋上から見つめていた夏世は、ポケットに仕舞っていた無線機を取り出し、スイッチを押した。

 

「では、作戦開始です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戸村刑事がガストレアの絡む事件に対応したのはこれが初めてではない。その全てで言える事は、どれも楽なものではなかったという事だ。

 

 ガストレアウイルスの侵食速度は凄まじい。血液にウイルスを流し込まれた一般人は1時間も経ずに形象崩壊を迎え、ガストレアに変異する。そんな感染源が、熊や狼よりも遥かに優れた身体能力と自己回復能力を持って市街地を歩いているのだ。武器を持った凶悪犯の方がまだマシだと思えてしまう。もし少しでも対応を誤ればガストレアが次のガストレアを生み、パンデミックを引き起こす。パンデミックを起こしたエリアがどうなるかなど、考えたくもない。

 

 戸村は作戦開始後、屋内階段を使って夏世の後を追った。扉を開いた先で、まだ齢十にも満たない少女が縁に立ち下を見下ろしている。高さ20メートルの高さは大人でも尻込みする者がいるくらいだが、その少し後ろから覗き込んだ表情はどこまでも凪いでいて、人形のような印象を抱かせた。

 

 ただ、その瞳だけがその冷たさに反比例して赤く輝いている。

 

(呪(・)わ(・)れ(・)た(・)子(・)ど(・)も(・)た(・)ち(・)か……)

 

 彼女の邪魔にならぬよう、心の中だけでその名を呟く。

 

 ガストレア戦争後に生まれるようになった、ガストレアウイルスに対する抑制因子を持つ子どもたち。彼女達は総じて、人智を超えた力を発揮する。今の民警という制度も、彼女らの存在無くしては成り立たなかっただろう。それでも、今の社会は彼女らに対し複雑な背景を抱え込んでしまっている。

 

 ガストレアウイルスの感染経路は血液感染のみであることが研究で明らかになっている。空気、飛沫、経口感染や粘膜感染などもしない。警察がガストレア関連事案において現場付近を封鎖するのも、汚染物による感染拡大を防ぐというよりも感染源となっているガストレアに市民を直接襲わせないようにすることが主な目的だ。

 

 それでも、飛沫や空気に含まれる微量なウイルスを妊婦が取り込んだことで胎児が感染してしまうことがある。そんな条件の下、彼女らは生まれる。

 発生段階でガストレアウイルスの影響を受けたためか、何故か性別は女性しか生まれない。先天的にガストレアウイルスの因子を持つものの、その抑制因子も同時に得た事で感染の進行は抑えられている。しかし、一度その潜在能力を解放すれば、一蹴りで分厚いアスファルトの壁を破壊したり、車よりも早く疾走する。その特性も保有するガストレア因子によって様々。ガストレアに対抗できる戦力を大量に失った敗戦後の人類にとって、彼女らの力を利用しないという手はなかった。

 だがそんな彼女らを、人とは違う化け物だと迫害する者は多い。力を発揮した際、その瞳がガストレアと同じように爛々と赤く輝く事も印象が悪かった。その瞳を見るだけで、奪われた世代の大半はPTSDを引き起こす程に。

 

 世界に求められながらも、その社会に拒絶される存在。

 力と呪いを同時に与えられた時代の申し子。

 

 そんな複雑な背景を持つ彼女は、感情を伺わせないまま手にした無線機のスイッチを入れた。彼女の淡々とした命令が、澱みなく隊全体を動かしていく。

 

「次、ポイント3は直進し援護射撃ののちすぐに脇道に離脱を。ポイント5はあと10秒待機です」

 

 スイッチを押す親指を離し無線のノイズ音が切れる。命令を下す中、彼女は一度も地図を確認することはなかった。にもかかわらず、まるで見て来たかのように正確なタイミングで指示が飛ぶ。今も民警が走らせる車にガストレアが追いつきかけたところを、警察による援護射撃で僅かに減速した。

 弾もバラニウム製でなく威力も拳銃ではたかが知れている。それでも煩わしくはあるのか気休め程度の足止めにはなった。ガストレアに追われる猿山ペアと違い、警察車両はヒットアンドアウェイを徹底しているためヘイトが分散する事も無い。敏捷性に優れたガストレアに追われながらの逃走劇にも関わらず、ガストレアと猿山ペアの追いかけっこはいよいよ2分に到達しようとしていた。

 

 戸村はその横で見ているだけだ。それでも、驚きを隠せない。

 ここまで、不思議なくらい事前の作戦通りに事が運んでいる。今まで包囲から抜けられ歯がゆい思いをしたというのに、ガストレアは作戦会議の際に夏世が指でなぞった軌跡を追うように進む。そしてその先にはこちらが仕掛けた最後の罠がある。一手ずつ確実に詰めへと追い込んでいく様はまるで詰将棋のようだ。

 

(彼女は、一体どこまで視えているんだ?)

 

 今まで目にした呪われた子どもたちは、誰もがその身体能力を一時的に開放しガストレア相手に大立ち回りを演じていた。だが、目の前の彼女は違う。一歩も動かないまま戦況を動かす彼女は明らかに異質なのだろう。

 背中に冷や汗をかきながら、戸村はいよいよ最終段階に入ったガストレア退治を見守っていた。

 

 

 

 

 

 ガストレアは苛立っていた。

 

 先程から、何故か目の前を走る獲物を捕まえられない。

 牙でかみ砕こうと顎を突き出せば、横に躱される。追いつきかけたところで撥ねたように角を曲がられ逃げられる。ようやく追いついたとなれば今度はとるに足らない銃弾に視界を阻まれチャンスを逃し続けた。一度邪魔してくる奴らを先に潰してやろうかと考えたが、奴らはまるで蜘蛛の巣を突いたようにすぐに散り散りとなり小道に入り込んでしまう。それらを深追いするよりも、ずっと追い続けた獲物を捕らえるのが先と見逃し続けてきた。

 こうまでして1つの獲物にかかりきりになるのは下策だと、もはや気付いている。だが記憶にはないものの、遺伝子に刻まれた狩りの本能が獲物を追い立てる。

 ここで仕留めなければ。そんな焦りを抱えてガストレアは角を曲がった。

 

 

 交差点に差し掛かる。獲物はもう細かく道を曲がるつもりはないようで、ぐんぐんとスピードを上げていく。直線ならばこちらが有利。全身の筋肉を撓ませ、こちらも加速しようと地を蹴った。

 

 だが加速した途端、交差点の3方向から車両が溢れかえった。

 今まで撃っては逃げてばかりだった警察車両が、ここにきて再集結していた。今まで追い続けてきた獲物がその奥に消えていき、そして立ちはだかる警察車両の車体を盾にして、警察の一斉掃射が始まる。

 

 正直、数は多いが無視していい程度の威力だ。だが、ガストレアはその場を退くことを選択した。毛を逆立て威嚇しながら逃げ道を探す。

 

「そう。これだけの時間走り続けたあなたは再び体力を回復しようとする」

 

 誰かの呟きが耳に入った。それでも、ガストレアにその意味は分からない。

 

 上を見上げ目に入ったのは交差点の角のビル。交差点の四方を覆うように建つ建物の中で、そこだけはそれなりの高さがある。その屋上まで行けば、先程と同様手出しするまで時間がかかるだろう。

 

「これまでの傾向から考えて、休憩する場所は見通しの良い高い建物の屋上」

 

 ガストレアは後ろ脚で踏ん張り、一気に跳躍した。鉤爪が鋼板の外壁を削り、スパイクとなって体をさらに上へと押し上げる。

 

「なのでそこに誘い込めば、罠にかかる」

 

 下からの追撃はない。安心したガストレアは一瞬、視界の先で何かが太陽光を遮ったように見えた。真上に昇った太陽、その逆光で眩んだ視界。

 

 気付けばそこに、もう1人の脅威がいた。

 

「よおクソネコ。お疲れか?」

 

 鋭い目の間に深い皺を刻み、そいつは一直線にこちらに向かって落(・)ち(・)て(・)く(・)る(・)。

 ガストレアは目を見開いた。既に相手はあの黒い剣を振りかぶっている。咄嗟に避けようにも、壁を垂直に昇っている最中ともなればそれも難しい。立てた爪は屋上へと昇る力を打ち消すだけに終わり、足を止めた体躯は宙に浮く。

 

 ガストレアの咆哮が響き渡る。踏みしめるもののない空中で、それでもガストレアは迫る脅威に牙を剥いた。

 

「いい加減、くたばれや!!!」

 

 伊熊将監の振るった黒刃はそんなガストレアの最期の足掻きを、頭蓋ごと叩き潰して黙らせた。

 

 

 

 

 

 空中で迎撃されたガストレアが力なく落ちてくる。変異し肥大した肉は落下した衝撃で果実のように赤い中身を飛び散らせた。

 

「おい、大丈夫か?!」

 

 作戦が終了し、現場に駆け寄った戸村は声を荒げた。

 最後、止めを刺した伊熊将監は屋上から飛び降りて剣を振るったように見えた。遠くから見た限り、命綱などは付けていなかった。つまり生身であの高さを落下したという事になる。

 

 潰れた肉片は1つで十分だ。戸村は伊熊の安否を確認しようとガストレアの死骸に近づいていく。

 

「伊熊! 返事しろ!!!」

「何だようるせえな」

「なっ!」

 

 思ったより近くから声が聞こえたものだから戸村は驚いた。振り返れば、伊熊が気怠そうに首を鳴らしている。

 衣服には埃やら返り血やらがついているが、目立った怪我は見受けられない。だが、あの高さから落ちて無事に済むとは到底思えなかった。

 

「どうやって……」

「この剣をぶっ刺して落下する前に止まった。それだけだ」

 

 顎をしゃくるようにしてガストレアの方を指した伊熊。その先を追ってみれば、ガストレアが駆け上がろうとしたビルの外壁が見えた。ガストレアが壁を登ろうと爪を突き立てた痕とは別に、縦に線を引くような深い傷がある。

 まさか、本当に剣を突き立てて落下の速度を落としたというのか。

 

「こんなザコ相手に心中なんて御免なんでな」

 

 それだけ言って、用は済んだとばかりに立ち去る伊熊。その背を戸村は見つめ続ける。その視線には、少しだけ恐れが含まれていた。

 

 もしや、民警というのは呪われた子どもたちでなくとも超人的な力を有するのか?

 

「ご安心ください。あんな無茶をして平気なのは将監さん含めごく少数です」

「!」

 

 抱いた僅かな恐怖心を見抜かれ鳩尾が締め付けられたような心地になる。いつの間にか、すぐ隣には夏世が立っていた。

 その回答をそれはそうかと安堵するべきか、はたまたあんな芸当ができるのは彼1人ではない事に驚くべきか。今までにない出来事ばかりでその問いに答えを出す事すら億劫だった。

 

 だが言われてみれば確かに、今日先に現着した猿山という民警を含めこれまでの民警ペアはいずれも、呪われた子どもたちであるイニシエーター側が先頭に立ち、その監督役の立場であるプロモーターは俯瞰的な位置を取ることが大半だった。

 だが、伊熊千寿ペアはまるで逆だ。

 

「不思議ですか?」

 

 視線に気付いたのか、こちらを見る事も無く尋ねる彼女。

 

「すまない。不躾だったか?」

「いえ、私達を見た同業の方の大抵が疑問に思う事ですから」

 

 夏世は歩いていく将監の背を見つめながら、ぽつりと話し出した。

 

「私達イニシエーターの能力は保有するガストレア因子によって大きく左右されます。私はイルカの因子を持つモデル・ドルフィンのイニシエーター。戦闘能力はそこまでですが、知能が人よりも発達しています」

 

 戸村はそれを聞いて、先程の作戦についても合点がいった。この歳不相応の落ち着きもおそらくその影響だろう。

 戦闘能力に秀でていないということならば、もしや彼が戦闘で前に出るのも―

 

「まあそれとは別に、将監さんは脳みそまで筋肉で出来ている上に堪え性がないのでバックアップなんてみみっちいことが出来ないだけです。私達イニシエーターに対しても、能力関係なくガキは引っ込んでろと前に出たがります」

 

 浮かんだ推測が即座に切り捨てられて戸村は思わず吹き出しかけた。

 歯に衣着せぬとは正にこの事だろう。相棒の、それもかなり年上の男に対する評価としては辛口に過ぎる。それを目の前の少女は真顔で口にするのだからなお面白い。

 

 それに、と戸村は思う。

 今の話を聞く限りでは、確かに伊熊将監という男はただの戦闘狂の脳筋野郎だ。だが作戦前、戸村の発言に言葉を窮した伊熊の様子を思い出す。それを鑑みれば、その言葉には何か別の本意がチラついて見える。

 そしてそれは、この敏い少女も承知の上なのだろう。

 

「千寿夏世といったか? 君、今の生活に不満はあるか?」

 

 世間は未だ、彼女らの存在を受け止めきれないでいる。それは仕事上相棒となる民警であっても同じ事。もし彼女がここで助けを求めるようならば、市民の安全を預かる警察の人間として助力は惜しまない。例え、同じ警察の人間に反対されたとしても。

 だが、そうはならないだろうという根拠のない自信があった。だから、あくまでも確認の意味も込めて尋ねた。

 

「当然あります。それでも、ペアを変えようとは思いません。これが民警としての、開始因子(イニシエーター)と加速因子(プロモーター)としての、私達の在り方なんです」

 

 返ってきた答えは淀みなく簡潔。語る彼女の表情も、どこか満足そうに見える。確かに他の民警ペアと違うところはあっても、2人は確かな信頼関係を構築出来ているようだ。

 それならば、一先ずはいいだろう。部外者が口に出せる事はもうない。

 

 

 ただ願わくば、そんな2人の歩む道が、どうか幸福なものであるように。

 

 

 

「という訳で、今回のガストレア退治の報酬は三ケ島ロイヤルガーダーに振込をお願いします。領収書にサインを頂けますか?」

 

 唐突に始まった事務的な話に、感慨に耽っていた戸村はすぐに現実に引き戻された。

 

 

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