『エインの戦場』 〜かつて死神と呼ばれた君へ〜 作:KASOKE
それは、唐突だった。
気が付いたら、瓦礫と火の手が上がる病室で倒れていた。
「……なにが……うっ……」
ズキンッと頭が痛み、視界が掠れる。痛む頭に手をやると、ぬちゃり……と、生暖かい泥のような感触を覚える。
(……血)
どうやら瓦礫が頭にぶつかったらしい。意識はまだ保てているが、火の手が上がるこの場所では、生じた煙で中毒になってしまう。急いで立ち上がろうと、脚に力を入れる。
……だが。
「……?」
上手く立ち上がれない。
(……脚が)
脚に怪我をしている……という訳では無いらしい。瓦礫が頭にぶつかったせいで、上手く力が入らないようだ。
(何か……誰か、先輩……いや、先生はどうなった?皆さんは……)
腕だけで這うように、病室の方向へ移動する。その最中、腕に何かが当たり、ゴロンッと向こう側に転がっていく。
(……包帯?それとも……いや、何でも良い、なんでっ……)
掠れた視界で捉えた
……右腕を失っていたあの軍人の、残った左腕。
「……っ」
ブレる意識を懸命にかき集め、顔を上げる。
(……皆さん)
冗談、談笑。スナック菓子とグラビア誌の散らかった……それでいて、温かみのあった病室。
彼らと共に積み重ねてきた、かけがえの無い時間は……瓦礫に埋もれていた。
「……?」
建物が焼け崩れる音に混じって、遠くで金属を擦るような音が聞こえる。間違いなく、戦車の足音だった。
(…………っ)
そこら中に満ちた死の気配。肉と瓦礫が焼ける香り。悪夢だと錯覚してしまう、決して揺らぐ事の無い、現実の光景。
否応にも、肉体と記憶に焦げ付く戦禍。きっと、これが……
(これが……戦場……)
自覚した。これが戦場なのだと。崩れた日常の景色、纏わりつく重い空気……それら全てが、命の価値を否定してくる。
……命が羽毛より軽くなった場所で、己の無力を思い知る。
「……あ」
声にならない音が、喉から出た。
「……う、ぁ……」
流す理由が飽和した涙が、眼から溢れた。
「あぁっ……」
全ては無価値だったと、頭の中が虚無と諦観で埋め尽くされる。
「…………っ」
掴んだ腕は冷たく、流れる血はぬるく、焼ける病室は熱い。
……この場の全てが、生きる気力を奪っていく。
(…………)
こんな場所で……自分に何が出来るのだろう?誠実に、一つずつ積み重ねてきた日常は、たった一瞬で焼け焦げた。
「…………」
「あぁ、良かった。見つけたよ」
全てを諦めて、瞼を閉ざす寸前……聞き覚えのある声が、鼓膜を揺らす。
「……?」
顔を上げた先、霞む視界の中で……彼は立っていた。
「……お、る」
「大丈夫、喋っちゃダメだ。煙を吸うよ」
揺れる白髪に、右目の傷跡。そして、軽薄な表情。
「怪我してるね、とりあえず止血しよう。さ、ここから出ようか。抱き上げるからね」
浮遊感を覚え、彼の両手の中に収まる。
「……なん、で」
「え?だって言ったでしょ?」
こんな状況でも、冗談のような声色で彼は答える。
「『ここが戦場になったら、エインちゃんは助けてあげる』って」
全身に、あの部屋の武器を全て装備したオルトさんが、変わらぬ調子で笑っていた。
「……っ」
彼の腕の中で揺られる。霞む視界に無理やりねじ込まれるように、目に留まった戦禍が網膜へと焼きつく。
「……?」
不意に、走っていたオルトさんの脚が止まった。彼は何かを見つけたらしい。その視線を辿るように、懸命に顔を動かす。
視線の先、捉えたもの。
「……せん、せい?」
ひしゃげた扉に上体を潰された先生が、そこにいた。霞む視界でも理解出来る。もう助からない量の赤黒いソレが、床へ流れ出ていた。
「……誰か、いるのか?」
しゃくりあげるような呼吸と共に、焦点の定まっていない瞳が動く。
「オレだ、先生」
「……オルトか」
オルトさんはわたしを抱えながら、潰された先生の側へしゃがむ。
「助けるよ」
「気休めは、よせ。これでも……軍医だ。助からない、のは……自覚、している」
途切れとぎれの呼吸で、命を搾り出すような声が響く。
「……そっか」
「誰を……抱えている?」
「エインちゃんだよ。大丈夫、生きてるよ」
「……そう、か」
先生は血だらけになった手で、胸ポケットから何かを取り出す。意識も視界も掠れていて、わたしにはソレが何か分からなかった。
「……エインに渡してくれ。こんな……モノしか、無かったが」
「分かった」
「もう……行け。おまえたち、まで……死ぬ」
オルトさんはすぐに頷くと、再び立ち上がる。
「まっ、て……せん、せ……ゲホっ」
煙と怪我で、上手く言葉が出ない。腕を伸ばすと、先生は察したような表情で、力無く笑う。
「……
血で濡れた先生の指先が、わたしの顔を指す。
「でも……な。諦めるな、エイン。空気に呑まれ、るな……救え。お前には、それが……出来る」
己が運命に抗うように、最期に先生は笑った。
「生きろよ」
その言葉を最後に、頭はゴロン……と無機物のように力を失い、瞳から輝きが消える。
……そこからは、よく覚えていない。燃える景色をただ茫然と眺めながら、彼の腕の中で揺られていた気がする。
気が付くと、森林の中に寝かされていた。
「……ここは」
上体を起こす。頭には包帯が巻かれており、血は止まっていた。周囲を見渡すと、焦げた服装の軍人が数名、武器を片手に周囲を警戒していた。
「後輩ちゃん!!」
聞き覚えのある声に、思わず振り返る。目の前には、裾まで煤で汚れた先輩が安堵の表情を浮かべていた。
「……先輩」
「目が覚めたのね!良かった!」
「……わたしは、気を失っていたのですか」
「うん、ここに運ばれた時には、茫然としてる感じで……でも、良かった!」
安堵の表情を浮かべた先輩は、キョロキョロと何かを探すように周囲を見渡し始める。
「……それで、先生は?」
無垢な顔で、ただ純粋な疑問の言葉が出てきた。
(……そうか)
彼女はまだ知らないのだ。
……先生が、死んだ事を。
「先生は……せん、せいは……」
「後輩ちゃん?」
訳も無く溢れる涙を必死で堪えながら、先生の最期を彼女に伝える。言葉にする度に、声が詰まった。
「……そっか。先生は瓦礫に……」
最後まで話を聞いた先輩は、ギュッと拳を握った。
「先生がいなくなって……わたし達は、どうすれば……」
「しっかりして!
パンッ!と、両頬を叩かれる。普段の様子からは考えられない、凛とした声と態度に驚く。
「迷っている時間は無いでしょ!今、私たちに出来る事を考えるの!!」
先輩はキッと顔を引き締め、グイッと袖を捲って立ち上がると、待機していた傷痍軍人たちに向かって叫ぶ。
「軍医不在の為、今から私が代理となります!動ける人はどれくらいいますか!」
言葉を聞いた傷痍軍人たちは、各々の状況を説明しながら先輩の元へ集まる。
「よっと。あぁ、生き残ったのはこれくらいか」
そこへ、完全装備のオルトさんが戻ってきた。
「少し様子を見てきたけど、拠点を襲ったのは『黒鉄』だね。あの帝国の戦車部隊だ。と言っても、全軍じゃない。多分、各地に分散してたんだね」
彼は矢継ぎ早に言葉を放つ。
「ここを襲った理由は分からないけど、まぁ戦争だしね。考えても仕方ないよ。それよりも、早く逃げた方が良いね。いくら全軍じゃないとはいえ、『黒鉄』は精鋭部隊だ」
腕を組みつつ、崩れる拠点を眺めながらオルトさんは続ける。
「車両があった筈だ。物資運搬用の奴、アレに乗れば、後方地まですぐに着く」
「でも、とてもじゃないけど、全員は乗れない大きさで……」
先輩の言葉に、オルトさんはすぐさま反応する。
「なら、脚が不自由な人や重症者を優先して乗せるんだ。他の人は、森を走って行くしかない」
「それだと、もし走ってる軍人さんが追いつかれたら……」
「あぁ、それは大丈夫」
先輩の言葉に、彼の淡々とした言葉が差し込まれる。
「オレが足止めするよ」
まるで、『掃除当番を代わるよ』ぐらいのトーンで呟く。
「……無茶ですよ。死ぬつもりですか?」
つい、口を挟んでしまった。先生の最期を見たからだろう。感情的になっている自覚はあった。
「まぁ、何とかするさ」
彼が呟いた根拠の無い回答に、抑えていた気持ちが吹き出た。
「……貴方一人で、一体何が出来るんです!」」
「エインちゃん、今は……」
先輩に肩を掴まれるが、言葉は止められなかった。
「貴方が、どんな傷を負って此処に居たのかは分かりません!ですが、先生に助けられた事はあるのでしょう!?その命を、無駄にする気ですか!?」
こんな事を言っている場合では無い。砲撃の音は響いている。帝国の戦車部隊も、いつここまで来るか分からない。
……だというのに、言葉は濁流のように溢れてくる。
「『西部戦線』から帰って来たから何なんです!?相手は、帝国軍の戦車部隊なんでしょう!?」
詰め寄る。すると、何かを思い出したように、彼は懐へ手を入れた。
「そういえば、まだ渡して無かったね」
「……はい?」
「これ」
そう言ってオルトさんが取り出したのは、血の付いた小さな箱だった。
「これは……」
……先生がよく吸っていた、煙草の銘柄だ。不意に、言葉が脳裏に溢れた。
『助からん命も、ある』
『でも、諦めるな。救え』
『お前には、それが出来る』
「……っ」
ギュッ……と、両手で包み込むように煙草の箱を握る。
「エインちゃんに出来る事があるように、オレにも出来る事があるんだ」
目の前の軍人は、あの個室で見た時と同じ笑顔を浮かべていた。
「大丈夫だよ、死にそうになったら逃げるさ。その為の『死なない努力』だからね」
いつも通りの言葉、いつも通りの調子の彼。それを見て、昂っていた感情が、徐々に落ち着いていく。
「……申し訳ありません。取り乱しました」
「良いよ。こんな状況じゃあ、誰だってそうなるさ」
オルトさんは特に気にしていない様子で、軽薄な笑みを浮かべた。
「じゃあ、オレは出来る事をしてくるよ」
「……あの」
「ん?」
伝えておこう。ただ、これを遺言にするつもりは無い。
「……軽傷でも、また会いに来てくださいね」
オルトさんは何も答えずに微笑むと、片手を振りながら燃え上がる拠点へと戻っていった。
「エインちゃん。平気?」
「……すみません先輩、情けない所をお見せしました」
振り返って、キュッと袖をまくる。一度大きく息を吸って、吐き出す。
(……大丈夫。今度は、周りがよく見える)
血の付いた煙草の箱を、大切にしまう。
「……それで、車両での逃走でしたね。先輩は重症の方と一緒に、先に避難してください」
「エインちゃんは?どうするの?」
「わたしは、森を走る方たちと一緒に行きます」
備品が詰め込まれた鞄を背負って、肩にかける。
「軽傷だと言っても、怪我をされている事に変わりはありません。衛生兵の誰かが一緒に方が良い」
「なら私がっ!」
「いえ。重症者の方たちには、先輩が必要です。この状況なら、先輩の励ましは何よりも心強い筈」
『空気に呑まれるな』
先生の言葉が蘇る。今なら良く分かる。諦観の空気、敗北の空気……それに呑まれてしまえば、生きる事すら投げ出してしまう空気にもなりかねない。
「先輩は、重症者の生きる気力を繋いでください。それは、今のわたしには出来ません」
「……分かった」
先輩は、力強く頷く。
「死んじゃダメだよ。エインちゃん」
「えぇ、
先輩は、生き延びた軍人たちと共に重症者を車両に運ぶと、そのまま後方地へと向かった。
「では、わたし達も急ぎましょう」
残った軽傷の軍人たちと共に、後方地へ向かって森の中を駆け抜ける。
(オルトさんに出来る事があるように、わたしにも出来る事がある……)
……そうだ。『死なない努力』はしてなくとも、『死なせない努力』はしてきた。
(彼は、自分が出来る事をしに戦場へ行った。なら……)
ここが、