死は液晶の先の出来事のはずだった。
曇り空、レースカーテン越しに灰色の外が見える。テレビの場違いな光量が目に刺さる。
離れた県の交通事故のニュースだった。交差点で子供を跳ね飛ばした車は、そのまま逃げようとしたのだろう。監視カメラの映像から、事故直後スピードを上げる様子が見て取れた。
若手の女性アナウンサーは淡々と手元の台本から事実だけを述べていく。見知った初老の芸能人が両手を組み、テーブルに前のめりの姿勢で深くため息をする。スタジオの気配は暗く沈んだようではあるが、どこか軽薄にも感じられる。
外をぽつぽつと、小雨が降り始めた。
リビングにはテレビから流れる音だけがこだまする。
なんとも憂鬱な時間だったのは、ニュースの内容だけでの理由ではなかった。
死はもっとどこか遠い場所の出来事だと、情報の中の概念に過ぎないと思っていた。
いや、違う。思いたかったんだ。
胸を銃弾に撃ち抜かれた後、溢れる血が熱く感じられるのも
中毒反応によって、口から泡があふれるのも
死んだ人間が瞳孔を開かせるのも
首に食い込む跡も
どこか他人事だと、そう思いたかった。
自室に戻り、エマは頭から布団をかぶる。
どうかゆっくり、眠れるよう願って。
──────
「なっ…」
戸惑いを隠さない声が漏れた。
扉が開いた。屋敷の二階、地図上にだけ載っている部屋。何の変哲もない廊下の壁だった場所に城ケ崎ノアが扉を描き、その部屋に入れるようになった。
「…アトリエ…?」
中は少し散らかっているようであった。縦長の広い机が壁に寄るように置かれており、石膏像や立てかけられたイーゼル。それは画家や彫刻家が仕事場とする工房であった。
「ここでなら、のあお絵かきしてもいい!?」
瞼を光らせらんらんとした様子でノアが詰め寄ってくる。
「…そうだな。君にぴったりの場所だ」
「やったぁ!!」
両手を力いっぱい跳ね上げ、室内を駆け回る。長期間放置されていたのだろう部屋でほこりが舞う。机の上をサッと指でなぞると指先が灰色に染まった。近いうちに掃除をしなくては。
「あれ?こんな部屋あったかな」
突然室内の扉から声がした。振り向くと佐伯ミリアと夏目アンアンが不思議そうに部屋をのぞき込んでおり、目が合った。
「あ、二階堂ヒロちゃん、だよね」
ミリアとはラウンジでチャットアプリのアドレス交換をしたっきり、会話はなかった。間違ってないよねと不安げにミリアは頬を指でかいていた。
「…ああ。合っている」
「この部屋って前までなかったよね」
「さっきノアの魔法によって、なくなっていた扉が新たに生まれたようだ」
言い終わった後、思わず口を抑える。ミリアは不思議そうにこちらをのぞき込んでいる。アンアンは奥で何かノアと話しているようだった。
私は己を軽蔑する。
(…不用意にノアの魔法を伝えてしまった)
以前食堂にてノアの魔法を目撃したのは確か、ナノカ、レイア、そして私。盗み見ていた人間の存在の可能性がないわけではないが、他者が話してしまってどうする。
(一応、あの場では不要ならば魔法の概要を伝えないという結論になったのに)
集中、できていない。
「ど、どうかした…?」
ミリアは怪訝そうに声をかける。
「…いや、何でもない」
「…そっか」
私の様子を気遣ったのだろう。アンアンに次いで私の横を通りミリアも奥へと入っていった。
私はその様子を入り口付近の壁に寄りかかりながら眺める。三人は楽しそうであった。対する私はどこか憂鬱な心情であった。
───瞬間、甲高い声が屋敷に響いた。つんざくような叫びに少しの間怯む。三人も同様に何があったと周りを見渡している。
「ね、ねぇヒロちゃん!今のって!」
「…わからない、ひとまず様子を見てくる。ミリア、二人を頼んだぞ」
ミリアに言いつけ、返事も待たずに飛び出ていく。地を蹴る速度が上がる度に、胸騒ぎが大きくなる気がした。
──────
「…っぅ…」
腹の辺りから血が溢れる。ぼやける視界の端で少女達が声を荒げている。床に投げ出されていく血が倒れ込んでいた私の手に触れ、生々しい熱さを感じる。
「マーゴちゃん!!」
桜羽エマが横たわる私の前に膝を付き顔を青ざめさせている。力なく顔を下すと、口の中に血があふれ始め、鉄の味がした。
「死なないで!」
何とも意味のない叫びなこと。ポロポロ大粒の涙を溢れさせ、幼い顔をぐしゃぐしゃにさせている。
「そ、そのままじっとしていてください!」
騒ぎを聞きつけた氷上メルルは私の姿を見るや否や血相を変え手をかざす。光が裂かれた腹部を包み徐々に血液の流出が収まっていく。その魔法が身体だけでなく精神にまで効果があるのかは分からないが、ほのかな安らぎを感じた。
馬鹿なことをした。少し余裕のできた頭でそんなことを考える。
自己犠牲は損しか生まないとわかっていたのに。
「…ふふ」
自嘲気味に笑って見せようと、口の中の血に溺れかける。邪魔なので全て飲み込んだ。
存外、環境が変わってしまえば揺らぐほどに不安定な決意だった。
──────
アナタは屋敷入り口付近の床に流れる新鮮な血の香りと、染み込んだカーペットに困惑していた。
外で日に当たっていたアナタは、再度痛みだした右腕の鎮痛剤を氷上から貰おうと屋敷に向かう最中、その方面から大きな悲鳴が聞こえた。
「わ、なにこれ」
「ちょ、ちょっと!ノアちゃん危ないよ!」
奥の階段から城ケ崎が。次いで佐伯、夏目が降りてきた。城ケ崎は同じように広がる赤い液体に驚いているようだった。
「あ、◯◯君だぁ」
城ケ崎はこちらに気づいたようで小さな手をブンブンと振っている。アナタは気の抜けた様子に戸惑いながらも手を振り返す。
「ひ…」
佐伯は入り口付近の惨状に気づき思わず声を出す。夏目も佐伯の後ろに張り付き、背中で視界を隠していた。
「あれ、どうしたの?」
「ノアちゃんは平気なの…?」
「?うん、平気だよ」
「そっか…」
城ケ崎の様子に、関心と少しの畏怖を抱く佐伯。アナタも同様だった。
「みんなは怖い?」
「そう…だね」
「んー…それなら…」
──城ケ崎が何かを念じると、辺りが淡く光る。やがて数匹の蝶が玄関前を占めた。
「これなら、どう?」
したり顔で笑顔を見せる城ケ崎は尋ねる。
「…別に、怖いままだ」
「そっかぁ…」
夏目は弱々しく伝える。その様子に城ケ崎はガックリと肩を下ろす。
「…でも、無いよりはマシだろう」
再度佐伯の背中に顔を埋めながら呟く。城ケ崎はそれ聞き、ぱぁっと顔を和らげ喜んだ。
──────
「なぁ、夏目…」
『なんだ』
アナタは鎮痛剤を取りに、佐伯達はあれほど血を流した者がいるならば医務室に居るだろうと考え、同じ場所へと向かっていた。
「いや、なんか…友達出来てるなって…」
『羨ましいか?』
すらすらとスケッチブックに書き上げ、ドヤ顔でこちらに見せつけてくる夏目に、どこもない敗北感を感じる。
ぼっち仲間と感じていたのはアナタだけだったかもしれないが、何となく先を越された感が否めない。
「二人は友達じゃないの?」
前を歩いていた佐伯が振り返り、アナタ達に問う。アナタは考え込む。
『違う』
(違うんだ…)
ノータイムで書き込む様子に、アナタは少しだけ寂しくなる。佐伯は気まずそうにあはは…と苦笑いを浮かべた。
──────
医務室の扉のドアノブを佐伯が掴もうとした時、向こう側からそれは開かれ、桜羽と遠野、橘達が出てきた。
「あ…ミリアちゃん…」
桜羽が発する声は消え入りそうなほどか細く、後ろの二人も同様に気を落としている様子だった。
「ど、どうしたの?三人とも」
「お気になさらず…ですわ」
遠野が伝え、そうして三人は医務室を離れていった。
「何があったんだろう…」
『とりあえず、中に入ろう』
「…うん、そうだね」
佐伯がドアを開けると、まず初めに目に飛び込んできたのは腹に巻かれた包帯を真っ赤に染めてベッドに横たわる宝生の姿だった。
「…君たちか」
いつかのアナタが同じように横たわっていた時と同じ、凛とした声。二階堂と氷上が宝生のすぐそばに居た。佐伯は宝生の尋常でない様子に息を呑み、思わず尋ねる。
「…何があったの?」
「…どうやら、さっきの三人が脱獄を試みたらしい」
「脱獄…」
「案の定、上手く行かず看守を呼び寄せてしまった」
「…そ、その時にマーゴさんが身を挺して庇ってくださったようで…」
氷上がマーゴの様子に注意を向けながら言った。
脱獄。石の塀を越えようとでもしたのだろうか。二階堂の目元には暗く影が伏していて、表情は読み取れない。
「今日はお見舞いが多いわね…」
絶え絶えの様子で宝生は呟く。
「あ、安静にしてください…」
「大丈夫よ…このぐらい」
焦点の合わない目で天井を見つめる宝生に氷上は泣きそうな様子で訴える。
「大丈夫?」
「…ノアちゃんが心配してくれるならきっと良くなるわ」
城ケ崎が二階堂の側へと赴き宝生の身を案じる。冗談交じりに宝生は言ってみせる。
「じゃあ、少しでも良くなるように」
城ケ崎の手が宝生の身体に触れ淡く光ると、先程の赤い蝶が医務室を舞い始めた。
「元気になってね」
最初は驚きの様子を浮かべていたが、優しい笑みを見せる城ケ崎に応えるように宝生はゆっくり頷いた。
──────
アナタは氷上から鎮痛剤を受け取る。これは備え付けの睡眠薬を中庭の薬草と配合した氷上アレンジらしい。凄い。
アナタは少量、その飲み薬を口に含み喉を鳴らす。即効性は特段ないもののプラシーボ効果というか、気持ちは少し楽になった。
すると医務室の扉が数回ノックされた。
「失礼するよ」
蓮見レイアが悲痛そうな顔を浮かべやってきた。宝生の様子を目にし、より顔色を悪くするも毅然とベッド近くへとやってくる。
「…話はエマ君たちに聞いたよ」
「ふふ、心配症ね」
「この牢屋敷では、心配症なぐらいが丁度いいよ」
宝生の様子から、命が危うい状況ではないと知り蓮見は胸をなで下ろす。
蓮見レイアという人物はリーダーシップに優れているようで、常に皆の様子を気にし生活している。
蓮見はコホンと咳をし、今一度宝生に向き直る。
「マーゴ君」
「ん、何かしら?」
「ありがとう」
「………あら」
深々と礼をする様子に宝生は目を丸くする。宝生以外の者たちも蓮見の様子に目を奪われていた。
「私は別に、あなたを助けた訳では無いわよ?」
「それでもだ。身を挺して人を救った君に敬意を払いたい」
「あらあら……ふふふ、悪い気はしないわ」
わざとらしく笑みを浮かべる宝生だったが、蓮見の真剣な様子に穏やかな表情を出す。
「君もだ」
アナタは思わずビクつく。蓮見はアナタに直接向き直り、同様に頭を下げた。
思わず、顔を上げてくれと伝える。
蓮見の様子は、あの場にいたのに動き出せなかったという後悔を含んでいた。
「初日の出来事、今まで言えずにいたがここで伝えさせてほしい」
あまりにも凛々しいその様子に少し気恥ずかしさを感じる。夏目が奥で口元を抑えくすくすと悪戯そうな顔をしていた。
「…どういたしまして…?」
蓮見はアナタの返事ににこやかな表情を返す。アナタは蓮見の顔の良い笑顔を直視出来なかった。
「…そう、だな」
「…?ヒロさん、何かおっしゃいました?」
「メルル、少し席を外す」
目を伏せていた二階堂は何か吹っ切れたように立ち上がった。そしてアナタの元へと向かう。
「少し、ついてきてくれ」
──────
アナタと二階堂は不思議そうな皆を置いて、ゲストハウス近辺へとやって来た。
「ここならいいだろう」
辺りに人の気はない。夕方に差し掛かる日は原っぱを橙色に染め上げる。
いまいち要領を得ないアナタは二階堂の様子を観察するが、顔の陰りを取っ払った彼女は芯のある瞳でアナタを見つめる。
アナタはこの屋敷での日々を振り返る。二階堂がこんなにも真剣な様子でアナタに向き合うのは初めてであった。
また、あの頃の二階堂ヒロという人間にも、このような表情は見覚えがなかったし、似合わないとすら考えている。
二階堂はそんなアナタの様子をつゆ知らず、先程の蓮見のように、頭を下ろした。
そして重々しく口を開く。
「私の不用意な行動で君の右腕を失わせたこと」
「…すまなかった」
アナタはその様子に気圧され何も言えなかった。数秒、二階堂は頭を下ろしていると、ふいに顔を上げる。
そしてさっきよりもさらに心を込めた様子で、静かに言葉を紡ぐ。
「…そして、私の命を助けてくれたこと。」
「本当にありがとう」
夕日に照らされ、赤い瞳はいつもより光り輝いて見えた。
「……」
アナタは今度は、何も言えずではなく何も言わなかった。
「ちゃんとした謝罪もしていなかったし、感謝の言葉は一度も言っていなかったからな」
「…あはは」
「何故笑う」
「いや、そんな思い詰めてたとは」
アナタは二階堂の様子を意外にも感じたし、それでこそ二階堂ヒロなんだろうとも思った。
「『受けた恩の礼はする』…こんな単純なことを、さっきレイアを見て思い出した」
アナタは二階堂との会話の中で、今が一番二階堂が快く言葉を口にできている様子に何とも言えない嬉しさを感じる。
「まだまだ私も半人前ということだな」
所謂成功を収めた人間、アーティストなり芸能人なり。アナタたち一般人はそれらを悪気なく自分たちとは違うと、一線を画してしまう。
アナタの元の学校において、二階堂ヒロはそれだった。
一年生ながら上級生顔負けの名声・地位を築き、かといって嫌味ったらしさもない人間だった。
アナタもまた、線を引いてしまう人間だった。
「…詫びと言ってはなんだが、今後私に出来ることがあったら何でも言ってほしい」
(…なら)
アナタはピーンと閃いたことを臆さず二階堂に伝えてみる。
「じゃあ、今いい?」
「ああ、勿論」
「友達になって欲しい」
「……」
呆気にとられたような二階堂の表情に、アナタは言葉を間違えたかと不安になる。しかし、二階堂は途端に口元を抑える。
「…なんで笑うのさ」
「悪い、そんなことで良いのかと」
(…夏目が友達じゃないとか言ってくるので)
アナタは夏目に仕返しと言わんばかりに、心の中でいじけたフリをする。
けれどもそれとは別に、色眼鏡を抜きにした二階堂ヒロという人間そのものを見てみたいとも感じたのだ。
「じゃあ、これで友達だ」
二階堂は左手をアナタの前に差し出す。
アナタはその動作に、二階堂もこういう純朴な考えを持ってるんだなぁと少し微笑ましく思いながら握手を返した。
白の手袋越しの華奢な手のひらが、何よりも気丈に感じられた。
ちなみにアナタはそこまで女の子耐性があるわけではないので心臓バクバクしながら手を握った。
「…心配いらなかったようだね」
「そうだね♪」
影になった場所で蓮見と城ケ崎が二人を見守り、聞こえないよう小さく呟いていた。
──────
アナタは自由時間を終え相部屋へと戻ってきていた。
「な、なにかあったんですか?」
氷上がおびえながら心配といった様子で訪ねてくる。アナタは氷上が心配するようなことは何もなかった、と伝える。
「そ、それならよかったですぅ…」
ほっと落ち着いた様子の氷上。アナタは少し違うことを考えていた。
『君がどう変わろうと、私には関係がない』
初日の出来事の、一番初め。氷上に起こされたアナタが、牢屋を出てすぐに見た光景。
その目には憎悪、嫌悪、唾棄、この世のありとあらゆる憎しみが混ざるようだった。
ふと思い出す。二階堂ヒロが中心となった学校で、いつもついて回っていた桜羽エマ。
友達。いやそれ以上の親友とすら言える間柄だと、誰の目に見ても明らかだった。
どうも気がかりで仕方がないのだ。
アナタは桜羽との関係を二階堂に尋ねようか悩んでいた。
宝生マーゴ…腹裂いた、結局良い人。男に良い思い出がないのでアナタのことは少し不審げに感じていたが、初日のことでトントンぐらいになった。クロのフラグ立っちゃったね
蓮見レイア…目立ちたがりだけど皆を守りたい気持ちもある、なんやかんや良い人。
二階堂ヒロ…アナタの友達。