# 七羽町の恋文
## 第十五話 「学園祭の準備」
翌日の放課後、一年A組の教室で、紗江は、美也と逢に取り囲まれていた。
「それで、それで? ちゃんと、気持ち、伝えられた?」
身を乗り出す美也に、紗江は、気まずそうに視線を逸らした。
「えっと……それが……」
「言えなかったんだ?」
逢の問いに、紗江は、小さく頷くしかなかった。
「くぅーっ! もったいない!」
美也が、机に突っ伏して悔しがった。せっかく後押ししたのに、肝心なところで決めきれない紗江に、もどかしさを隠せない様子だった。
「あれだけお膳立てしてあげたのに! あの挑戦状作戦だって、みゃーが頑張ったからこそじゃない!」
「お膳立て……?」
「い、いや、こっちの話! とにかく、次のチャンスには、絶対、言うんだよ!」
逢も、腕を組んで、少し残念そうにため息をついた。
「でも、何か、進展はあったんでしょう? その顔」
逢に指摘され、紗江は、照れたように頬を緩めた。
「その……名前で、呼んでもらえるようになりました」
「名前!?」
美也が、ぱっと顔を輝かせた瞬間だった。椅子から身を乗り出し、目を輝かせて続きを促そうとする。
「それで、それで、どんな感じで呼ばれてるの!? 『紗江ちゃん』? それとも、呼び捨て!?」
紗江は、消え入りそうな声で答えた。
「呼び捨て、です……」
「きゃー!」
美也の黄色い声が、教室中に響き渡った。周りの生徒たちが、何事かと振り返るほどの声量だった。
そのとき、廊下から、聞き覚えのある足音が近づいてきた。教室の扉が、静かに開いた。
姿を見せたのは、悠だった。部活の呼び出しで来たらしく、手には、部室の鍵を持っている。
少し改まった調子で、悠が続けた。
「紗江、はるか先輩が呼んでるよ」
その一言に、教室の空気が、一瞬、凍りついた。
「……今、紗江、って」
美也が、ぽかんと口を開けたまま、悠と紗江を交互に見た。逢も、驚いたように目を見開いている。
「あ……え、えっと」
紗江は、慌てて立ち上がった。羞恥で顔が赤くなるのを感じながら、鞄を手に取る。
「じゃあね、二人とも」
逃げるように教室を出ていく紗江の背中を、美也と逢は、しばらく呆然と見送っていた。
「……今の、聞いた?」
「うん、聞いた」
二人は、顔を見合わせて、それから、堪えきれないように、同時ににやりと笑った。
「名前呼び、来たね……」
「来たね……」
しばらくの間、二人は、無言でにやにやしたまま、顔を見合わせ続けていた。
* * *
廊下を並んで歩きながら、悠が、ふと申し訳なさそうに切り出した。
「ごめん、いきなり、名前で呼んじゃって。驚かせたかな」
「い、いえ! 全然、大丈夫です……!」
紗江は、慌てて首を振った。内心では、嬉しさで胸がいっぱいだったが、それを素直に伝える勇気までは、まだ出なかった。
「美也ちゃんたち、びっくりしてましたね」
「そうだね。今度、ちゃんと説明しておいたほうがいいかな」
「あ……それは、わたしから、話しておきます」
紗江が、まだ少し火照った顔のまま、家庭科部の部室に着くと、はるかが、どこか浮かれた様子で待っていた。
「来た来た! 二人とも、聞いて聞いて!」
いつにも増して弾んだ声に、悠と紗江は、顔を見合わせた。
椅子の上で、軽く足を揺らしながら、はるかは楽しげに言った。
「来週から、学園祭、始まるでしょ?」
「あ、そういえば」
カレンダーを見て、紗江は、すっかり失念していたことに気づいた。学園祭の準備期間は、来週から始まる予定だった。
「それで、家庭科部としても、出し物、出すことにしたの!」
はるかは、上機嫌に、テーブルの上に紙を広げた。
「何にするか、三人で決めよう」
「出し物、ですか……」
紗江が、少し考え込む。悠も、腕を組んで思案した。
「お菓子を売るのは、どうでしょう」
紗江の提案に、はるかが、少し首を傾げる。
「お菓子かぁ。それもいいけど、焼き菓子系は、他の部活とかぶりそう」
「じゃあ、スイーツ系のドリンクとか?」
悠が、別の案を出した。はるかは、ふむ、と考え込む。
「それも悪くないけど、調理設備的に、ちょっと難しいかな」
三人で、あれこれと案を出し合った。
「クレープなんて、どうかな。生地を焼くだけなら、そんなに難しくなさそうだし」
「でも、トッピングの種類を揃えるのに、お金かかりそうですね」
「サンドイッチは? 見た目も華やかになるし」
「仕込みに時間がかかりそうかな。当日の回転、悪くなるかも」
クレープ、サンドイッチ、スイーツビュッフェ。どれも魅力的ではあったが、準備の手間や予算、会場の都合を考えると、なかなか決定打に欠けていた。
「じゃあ、もういっそ、たこ焼きは?」
ふと、はるかが放った一言に、悠と紗江は、顔を見合わせた。
「たこ焼き、いいですね」
「屋台っぽくて、学園祭っぽいし、意外と準備も簡単そう」
意見が一致したところで、はるかは、満足げに頷いた。
はるかが、ぱちんと手を叩いた。
「決まり! 家庭科部は、たこ焼き屋さんね」
紙にさらさらと書き込みながら、はるかは、さらに提案を続けた。その表情には、ただの思いつき以上の、何かを企んでいるような色も見え隠れしていたが、このときの二人は、まだそれに気づいていなかった。
「それでね、せっかくだから、二人には、それぞれオリジナルメニュー、考えてほしいの」
「オリジナル、ですか」
「うん。普通のたこ焼きだけじゃ、面白くないもんね。何か工夫したアレンジ、期待してるよ」
悠と紗江は、顔を見合わせた。何を作ろうか、早くも頭の中で、あれこれと考えが巡り始める。
「ちなみに、わたしも何か一品、考えようかな」
「先輩も作るんですか?」
「部長だもの。みんなで盛り上げなきゃね」
悠が、興味深そうに尋ねた。
「森島先輩は、どんなの考えてるんですか」
「それは、秘密」
いつもの調子で、はるかは、にっこりと笑ってはぐらかした。
「じゃあ、それぞれ、考えておいてね。来週までに」
はるかの号令で、三人の学園祭準備は、こうして幕を開けることになった。
* * *
数日後の放課後、紗江は、たこ焼きのメニュー案を練るため、材料を買いにショッピングモールを訪れていた。
休日の夕方、賑わうモールの中、紗江は、カートを押しながら、食材売り場を巡っていた。スーパーの陳列棚を眺めながら、どんな具材を組み合わせようかと、紗江は、真剣に悩んでいた。定番のタコだけでなく、チーズや明太子を使ったアレンジも、候補に挙がっている。
たこ以外の具材を眺めながら、紗江は、ふと、悠の好みを思い浮かべていた。彼が喜んでくれるような味にしたい。そんなことを考えながら棚を眺めていると、不意に声をかけられた。
「あら、偶然」
振り返ると、そこには、私服姿のはるかが立っていた。
「せ、先輩! どうして、ここに」
驚く紗江に、はるかは、悪びれもせずに笑った。
「貴方が、材料買いに行くって言ってたの、思い出して。ついてきちゃった」
「つ、ついてきたって……」
呆気に取られる紗江に、はるかは、カートを押しながら、隣に並んだ。まるで、最初からそうするつもりだったかのような、自然な足取りだった。
「それより、メニュー、決まった?」
「まだ、迷ってて……」
「そっか。まあ、ゆっくり考えればいいよ」
買い物カゴを覗き込みながら、はるかは、ふと、思い出したように切り出した。
「そういえば、遊園地、楽しかった?」
紗江の頬が、途端に赤く染まった。
「は、はい……! すごく、楽しかったです」
「へえ。何か、進展あったとか?」
興味津々といった様子のはるかに、紗江は、少し照れながら、遊園地での出来事を、ぽつぽつと話し始めた。ヒーローショーでの珍事、お化け屋敷での一幕、そして、高台で名前で呼んでもらえるようになったこと。
話を聞き終えたはるかは、目を輝かせて、紗江に、ぎゅっと抱きついた。カートが、がたんと小さく揺れる。
「やったじゃない! 前より、ずっと距離、縮まってるよ!」
「せ、先輩、近いです……!」
慌てる紗江を抱きしめたまま、はるかは、満足げに笑った。
「実はね、学園祭の出し物のことも、ちょっとした作戦だったんだ」
「作戦……?」
身体を離したはるかは、悪戯っぽく片目を瞑った。
「一緒に準備したり、練習したりする時間が増えれば、自然と、二人の距離も縮まるかなって」
思いがけない告白に、紗江は、言葉を失った。
「じゃあ、たこ焼きを選んだのも……」
「半分は本気、半分は作戦。屋台形式なら、準備も販売も、二人であれこれ動き回ることになるでしょ? そういう時間って、意外と距離、縮まるものなの」
はるかは、いたずらっぽく笑って、人差し指を立てた。
「オリジナルメニューを考えてもらったのも、二人でこっそり試作したりする時間が、できたらいいなって思って」
「そこまで、考えてくれてたんですか……」
紗江は、驚きと感謝が入り混じった気持ちで、はるかを見つめた。
「先輩、そこまで考えて……」
「貴方たちのこと、応援したいなって思っただけだよ」
はるかは、照れくさそうに笑って、紗江の肩を軽く叩いた。
「もっといい関係になれるといいね」
その言葉に、紗江は、胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ありがとう、ございます。先輩」
深々と頭を下げる紗江に、はるかは、満足げに頷いた。
「さて、じゃあ、一緒に買い物、続けようか」
「は、はい!」
二人は、連れ立って、賑やかな売り場を歩き始めた。
「紗江ちゃんは、どんな味にするつもりなの?」
「チーズと明太子を使った、ピリ辛系を考えてます」
「いいね、それ。わたしも味見したいな」
棚に並んだチーズの種類を、二人で吟味し始める。
はるかは、興味深そうに、紗江のカゴを覗き込んだ。その流れで、二人は、ソースの種類や、トッピングのアイデアについても、あれこれと話し合った。
「わたしは、意外性で勝負しようかな」
「意外性、ですか?」
「うん。まだ秘密だけどね」
いたずらっぽく笑うはるかに、紗江も、つられて笑った。
「先輩のことだから、きっと、面白いもの考えてるんでしょうね」
「ふふ、期待しておいて」
レジに向かう道すがら、はるかは、ふと足を止めて、紗江の方を振り返った。
「学園祭、楽しみになってきたね」
「はい。先輩と一緒なら、きっと」
素直な言葉に、はるかは、満足げに目を細めた。レジ袋いっぱいの材料を手に、二人は、満ち足りた気持ちでモールを後にした。はるかは、時折、変わったアイデアを口にしては、紗江を笑わせた。学園祭に向けた準備は、こうして、思いがけない形で、賑やかに進んでいくことになった。
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(第十六話に続く)
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