第十五話 「一つだけの方法」
赤や黄色に染まり始めた木々が、窓の外を彩っている。文化祭を三日後に控えた、三年A組の教室。
昼休み、はるかは親友の響と机を挟んで向かい合っていた。
弁当箱を開けながら、響が思い出したように切り出した。
「それで、はるかの部活、どうなの? 後輩入ったんでしょ」
響が、興味深そうに尋ねる。はるかは、頬杖をつきながら、のんびりと答えた。
「うん。女の子が一人と、男の子が一人、入ってきたんだ」
「へえ、男の子も? はるかが男子の入部、許すの、珍しいじゃない」
響の言葉に、はるかは、くすりと笑った。
「今まで、わたし目当てのが多かったからね。でも、その子は違ったの」
「違ったって?」
「わたしのこと、ほとんど知らなくて。ただ、料理できる場所が欲しかっただけ、だって」
響は、目を丸くした。
「それは、確かに珍しいね」
響は、興味深そうに身を乗り出した。
「どんな子なの、その子」
「見た目は、まあまあ整ってる方かな。でも、本人は、そういうの全然気にしてない感じ」
響は、箸を止めて、まじまじとはるかを見つめた。
「なんか、はるかが人のこと、そんな風に話すの、珍しいね」
「そう?」
「うん。いつもは、もっと他人事って感じなのに」
「でしょ? それに、なんていうか、物事をあんまり深く考えないところが、わたしと、ちょっと似てるの」
はるかは、どこか楽しそうに言った。その口ぶりに、響は、少し心配そうな表情を浮かべた。
「ねえ、はるか。あんまり、変にちょっかい出したりしないでよ」
「え、何よ、急に」
「はるかって、面白いと思うと、距離感おかしくなるとこあるからさ。その子、後輩の彼女さんがいるんでしょ?」
「彼女、ってほど、まだはっきりしてるわけじゃないけどね」
「それでも。横からかき乱すようなこと、しないでよ」
図星を突かれたように、はるかは、小さく肩をすくめた。
「分かってるよ、それくらい」
「ならいいけど」
響の忠告に、はるかは、軽く頷いて、席を立った。
「それじゃ、部活、行ってくるね」
「うん、頑張って。文化祭、楽しみにしてる」
響の明るい声に送られて、はるかは、手を振って教室を出た。少し早足で、部室へと向かう。
*
廊下を歩きながら、響の忠告をはるかは頭の片隅で繰り返していた。別に、変なことをするつもりはない。そう自分に言い聞かせながら、部室の扉を開けた。
部室に着くと、すでに紗江と悠が、それぞれの作業に取りかかっていた。
「お疲れさま、二人とも」
声をかけながら、はるかはまず悠の作業台を覗き込んだ。熱々のたこ焼きが、鉄板の上で、こんがりと丸く焼き上がっている。香ばしい匂いが、部室いっぱいに漂っていた。
「お、いい匂い。それが、鳴上君のオリジナル?」
「はい。チーズとベーコンを合わせてみました」
「へえ、面白そう。味見していい?」
「もちろん」
悠は、焼き上がった一個を皿に取ると、爪楊枝を一本、ぷすりと刺した。そして、何の迷いもなく、その爪楊枝を、はるかの口元へと差し出した。
「はい、どうぞ」
「……え?」
一瞬、はるかの動きが止まった。自分で取って食べるつもりだったのに、まさか、そのまま差し出されるとは思っていなかったらしい。目の前に突き出された爪楊枝を、はるかは、しばし見つめた。
少し驚いた様子を見せながらも、はるかは、そのまま、ぱくりと口を開けて、たこ焼きを受け取った。
「……美味しい?」
「ん、悪くないね」
咀嚼しながら、はるかは、素直な感想を口にした。それから、少し真面目な顔つきになって、付け加える。
「でも、鳴上君。そういうの、あんまり気安くやらない方がいいよ」
「え?」
「今のは、わたしだから、別にいいけど。普通、女の子に、そういうことするの、結構デリケートな話だからね」
悠は、きょとんとした顔で、はるかを見つめた。
「……そうなんですか? 特に、深く考えずにやってました」
「それが、問題なの」
呆れたようなため息をつきながらも、はるかの口元には、どこか面白がるような笑みが浮かんでいた。
「紗江に、同じことしたら、たぶん倒れちゃうよ」
「そうなんですか?」
「うん。あの子、免疫なさそうだもん」
くすくすと笑うはるかを前に、悠は、少し考え込むように首を傾げた。言われてみれば、確かにそうかもしれない、と思い当たる節があった。
「気をつけます」
「うん、そうして」
満足げに頷いたはるかは、もう一つ、たこ焼きに手を伸ばした。今度は、自分で爪楊枝を取って、口に運んだ。
* * *
一方、紗江は、調理台の隅で、具材を細かく刻む作業に取りかかっていた。
明太子とチーズを合わせた、自分なりのアレンジ案。何度も味を調整しながら、紗江は、包丁の刃を、慎重に動かしていたつもりだった。少し離れた場所から聞こえる、はるかと悠の軽いやり取りに、紗江は、思わず微笑んでいた。
けれど、ふとした瞬間に、刃先が滑った。
「あ――っ!」
小さな悲鳴に、はるかと悠が、同時に振り返った。
「紗江!」
「紗江ちゃん!」
作業台を蹴倒す勢いで、二人が、慌てて駆け寄る。紗江の指先からは、じわりと血が滲み出していた。
「だ、大丈夫、です。ちょっと、切っただけ……」
そう言いながらも、紗江の顔は、少し青ざめていた。悠が、素早く救急箱を取り出し、はるかが、冷静に止血を手伝う。
「ここ、押さえてて」
「は、はい」
悠の手が、紗江の指先に重なった。普段とは違う、真剣な面持ちだった。紗江は、痛みも忘れて、その横顔を見つめていた。
消毒液が染みて、紗江は、思わず顔をしかめた。悠が、手早く絆創膏を巻き終える頃には、ようやく痛みも落ち着いてきたようだった。だが傷は、思っていたより深かったらしく、指を動かすたびに鈍い痛みが走るようだった。
はるかは、紗江の指先を丁寧に確認しながら、小さく息をついた。
「これは……当分、包丁は持たないほうがいいね」
はるかが、紗江の指先を確認しながら、静かに言った。
「ご、ごめんなさい……。わたしのせいで、作業、止めちゃって」
紗江が、申し訳なさそうに俯いた。
「気にしなくていいよ」
悠が、すぐに言葉をかけた。
「怪我のほうが、ずっと大事だから」
「でも……」
「紗江、無理しないで」
はるかも、優しく声をかけた。
「今日は、もう帰ってゆっくり休んで。後のことは、わたしたちで何とかするから」
「送っていこうか?」
悠が、心配そうに申し出た。だが、紗江は慌てて首を振った。
「だ、大丈夫です! これくらいの怪我で、送ってもらうなんて、申し訳ないです……」
「無理しなくていいのに」
はるかも、横から口を挟んだ。だが紗江の意志は固かった。
それでも、早退すること自体には、紗江はなかなか頷こうとしなかった。
「迷惑、かけてしまって……本当に、ごめんなさい」
何度も頭を下げる紗江の姿に、悠はしばらく言葉を失った。怪我をしたのは紗江なのに、それでも周りに気を遣い続けようとするその姿が、妙に胸に残った。
――そんなに、謝らなくていいのに。
言葉にはしなかったが、悠の中に、小さな引っかかりのようなものが、残り続けていた。
結局、紗江は、二人に説得される形で、早退することになった。鞄を持つ手も、どこか心もとなさそうだった。部室を出ていく間際にも、振り返っては、申し訳なさそうに頭を下げる紗江の姿を、悠は、しばらく見送っていた。
* * *
紗江が帰ったあと、部室には、しばらくの静けさが残った。
「律儀な子だよね、本当に」
はるかが、ぽつりと呟いた。
「怪我したのに、最後まで謝ってばかりで」
「うん。ああいうところ、紗江らしいなって思う」
悠の言葉に、はるかは少し意味深な笑みを浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。
部室には、重い空気が流れていた。
「二人だけじゃ、さすがに厳しいね」
はるかが、ぽつりと呟いた。
当日は、仕込みから販売まですべてをこなさなければならない。紗江が抜けた今、二人だけでは到底、回しきれそうになかった。
「誰か、手伝ってくれる人、いないかな」
悠が、腕を組んで考え込む。
「梅原は?」
「クラスの出し物の、実行委員やってるみたいで。難しそうです」
「美也ちゃんと逢ちゃんは?」
「二人とも、クラスの喫茶店の準備で忙しいって言ってました」
思いつく友人たちは、それぞれ自分のクラスや部活の出し物で、すでに手一杯のようだった。
「森島先輩の、お友達とかは……」
「響なら頼めそうだけど、あの子は他の出し物の仕事と被ってるんだよね」
はるかも、心当たりを一人ずつ思い浮かべては諦めたようにため息をついた。
しばらく、二人で頭を悩ませたが良い案は、なかなか浮かんでこなかった。鉄板の上で、冷めかけたたこ焼きが静かに湯気を立てているだけだった。
やがて、はるかが乾いた笑みを浮かべて言った。
「……もう、出し物、諦めようか」
その声には、普段の飄々とした調子とは違う隠しきれない落胆が滲んでいた。
椅子の背にもたれて、はるかは天井を見上げた。
「せっかく、最後の学園祭なのに…残念だけどね」
これまで見せてきた、気だるげで余裕のある態度とは違う素のままの寂しさが、その笑顔の端ににじんでいた。笑いながらもどこか寂しそうなはるかの表情に、悠は思わず口を開いていた。
「諦めるのは、まだ早いと思います」
「え?」
「最後の学園祭、無駄にさせません。何とか、人を集めてきます」
まっすぐな悠の言葉に、はるかは、少し驚いたように目を瞬かせた。これまで見せてきた、どこか摑みどころのない態度とは違うはっきりとした意志を、その横顔に見た気がした。
「大丈夫、なの?」
珍しく、不安そうな声だった。いつも余裕たっぷりな先輩の、そんな表情を見るのは、悠にとっても初めてだった。
悠は、少し考えてから、静かに頷いた。
「一つだけ、方法があります」
その言葉には、確かな決意が込められていた。
「どんな方法?」
「それは、また後で。まず、連絡してみないと分からないので」
悠は、携帯のアドレス帳をめくりながら、どこか懐かしそうな表情を浮かべた。何人か心当たりがある顔ぶれが頭の中に浮かんでいた。はるかは、まだ半信半疑な様子だったが、それでも悠の表情にわずかな希望を見出したようだった。
「……頼りにしてるからね、鳴上君」
「任せてください」
部室の窓から差し込む夕陽が、二人の決意を静かに照らしていた。まだ何も解決していないはずなのに、不思議と悪くない予感がしていた。
続
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