不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第十四話 銃声
玄関で靴紐を結んでいると、背後で紙が擦れた。
岸辺が食卓に座り、レシートを裏返している。少女がもう片方の靴へ手を伸ばしたところで、声がかかった。
「昨日は随分楽しそうだったな」
「楽しかったわ」
「見りゃ分かる。帰ってからも喋ってた」
少女は結び目を引き締めた。
話したことは覚えている。料理のこと。パワーが途中で変えた数字。デンジが読めなかった品書き。岸辺が酒を注ぎ足しに立ったので、台所までついていって続きを話した。
風呂へ入れと言われたことも、二度ほど。
「うるさかった?」
「酒が進んだ」
「どっちの意味?」
「好きな方に取れ」
それなら、いい方にしておこう。
立ち上がって靴の踵を直すと、岸辺はレシートを卓へ置いた。
「今日は仕事だろ。人の頭の出来は黙っとけよ」
「あれは私がつけた数字じゃないわ。本人が言っていたの」
「本人に聞こえるところで繰り返したんだろ」
少女は上着の裾を引いた。
パワーのことだろうか。伏にも何か言った気がする。本人が笑っていたので、自分もそのまま笑ってしまった。
「今日、謝った方がいい?」
「普通にしてろ。蒸し返すな」
頷いて、ドアノブへ手を伸ばす。
「鍵」
上着のポケットには何もなかった。反対側も探ってから戻ると、岸辺の人差し指に鍵がぶら下がっている。
「浮かれてるな」
「これは昨日と関係ないと思うわ」
「じゃあ普段通りか」
それも嫌な言い方だった。
受け取ろうとすると、届く直前に鍵が少し高くなる。少女はその手首を掴んで下げ、指から輪を抜き取った。
「行ってきます」
「今度こそな」
鍵をポケットへ入れ、玄関で靴を揃えるように足を寄せた。両方履いている。紐も結んだ。
今度は、そのまま外へ出た。
*
公安の廊下で会った姫野は、もう白いシャツにネクタイを締めていた。片手を上げ、隣のデンジの背中を軽く押す。
「おはよ。昨日は片づけありがとね~」
「おはよう。デンジ、ちゃんと帰れた?」
「まだ帰ってねえ。姫野んちで飯食ってきた」
「そうだったの」
昨夜、荒井に背中をさすられていた人間とは思えない顔色だった。髪も乾いているし、歩く足にも迷いがない。
「今日は顔色がいいわね」
「昨日と比べんなよ。あれより悪かったら死んでるわ」
「はいはい。その話はもう終わり! 私の信用がなくなるから」
「まだあんのかよ」
「朝ごはん食べた人がそういうこと言う?」
デンジが口を閉じた。
姫野に肘でつつかれると、わざとらしく咳払いをする。
「まあ、飯はウマかったけどよ」
「でしょ」
少女は二人の間にある隙間へ、少しだけ顔を寄せた。
「仲良くなったの?」
「なったな」
「なったよ~」
そこだけ妙に息が合っていた。
向こうから書類を持ったアキが来た。デンジの前で足を止める。
「お前、帰らないなら連絡くらいしろ」
「いや、俺だって帰るつもりだったんだよ。気づいたら朝でよォ」
「次からしろって言ってるんだ」
アキが顎でデンジの胸元を示した。ネクタイが片側へ寄り、襟の下に挟まっている。
デンジは反対側の襟を引っ張った。
「そっちじゃない。ネクタイ」
「細けえなあ!」
姫野が引っかかったところを外してやる。
「ほら、男前。アキ君も朝からそんな怖い顔しないの」
「先輩が連れていったんですか」
「そう。だから私にも半分怒っていいよ」
「半分で済むと思ってるんですか」
姫野は笑っていた。アキは笑わなかった。
デンジが何か言いかけたので少女も待ったが、彼は姫野の横顔を一度うかがい、結局ネクタイを引き直した。
廊下の奥から、パワーの声が飛んできた。
「遅いぞ! ワシは待ちくたびれた!」
「お前も今来ただろ」
「ワシは来る前から待っておった!」
アキが書類を持ち替えた。
少女は昨日の数字の話をするのをやめて、通路の端へ寄った。
*
京都へ向かう新幹線の窓を、低い建物と田畑が流れていく。
マキマは背もたれに身体を預け、隣の男へ尋ねた。
「京都に何時に着くんだっけ?」
「あと三十分ですね」
「じゃあ駅弁買っちゃおう」
「一時に会食ありますよ?」
「ちゃんとお腹空かせますよ」
通路の向こうで、新聞を持った乗客が座り直した。紙の擦れる音が空調の低い響きへ紛れる。
「京都の偉い人達と会いたくないなあ。みんな恐いんだもん」
窓ガラスには、マキマの顔が薄く映っていた。
「お昼ご飯は穏やかな気持ちで食べたいのに」
隣の男が困ったように笑う。マキマは膝の上で両手を重ねた。
「昨日のお酒、美味しかった」
後ろの座席で、男が鞄を開いた。
*
緑色の幟が、店先で半分だけ裏返っていた。
少女は前を通り過ぎかけ、足を止めた。風に開いた布には、見覚えのある五文字。
沼ラーメン。
「ここ、入らない?」
振り返ったデンジが、引き戸の横の品書きへ近づく。
「飯屋か。俺は何でもいいぜ」
「ワシは肉が入っとるやつじゃ」
「チャーシュー麺もあるわ」
姫野が少女の肩越しに幟を読んだ。
「ああ、ここ。キミから誘うんだ?」
「普通のラーメンもあるでしょう」
「あるけどねえ」
少女は姫野が何か付け足す前に、引き戸を開けた。
五人で座るには、少し狭い店だった。
四人掛けの卓にアキとデンジ、その向かいに姫野とパワー。少女の分は、店員が丸椅子を持ってきてくれた。通路側の短い辺へ座ると、右隣に姫野、左隣にアキがいる。デンジとパワーは、卓を挟んだ奥の壁際だ。
入口は右手、厨房は左の奥。背後の通路を店員が通るので、少女は丸椅子を卓へ寄せた。
デンジが品書きを広げる。
「チャーシュー麺にすっかな」
「待って。ここの看板は、沼ラーメンなの」
少女は壁の写真を指した。
「姫野も早川も食べたことがあるわ」
「沼って、あの緑のやつ?」
「そう。私も食べたの。一度食べると、忘れられない味よ」
向かいで姫野が口元へ手を当てた。
アキは品書きを取らず、卓上の水を飲んでいる。少女は二人を振り返らないようにした。
「うめえの?」
「味は、しっかりしているわ」
「だから、うめえのかって」
「いろいろ入っているから、ひと口で分かると思うの」
デンジの指が、品書きの上で止まった。
少女は写真を指したまま待つ。早く注文を決めてくれれば、これ以上答えなくて済む。
「じゃあ、お前もそれにすんの?」
「私は醤油ラーメンにするわ」
「何でだよ」
「前に食べたから、今日は違うものを」
「唐揚げは昨日、何回も頼んでたじゃん」
姫野の肩が揺れた。
少女は指を下ろした。昨日の唐揚げは、今は関係ないはずなのに。
「ウヌ、その沼を食わせてどうする気じゃ」
パワーまで品書きを自分から遠ざけた。
「どうもしないわ。皆も食べてみたらと思っただけよ」
「じゃあ一口よこせよ。お前が頼んだら食うから」
「私は醤油が食べたいの」
「俺はチャーシュー麺が食いてえんだよ」
店員が伝票を持ってきた。
デンジはすぐにチャーシュー麺を頼み、パワーも同じものを大盛りにした。姫野は笑いを収めながら塩ラーメンを選ぶ。
アキが醤油を二つと告げると、店員は厨房へ戻っていった。
少女は壁の写真から手元のコップへ顔を戻した。
「……ちっ」
「お前、今、舌打ちしただろ」
思ったよりはっきり聞こえたらしい。
少女はコップを持ち上げかけ、そのまま置く。
「聞こえたの?」
「隣にいんだから聞こえるわ! やっぱ何かあんじゃねえか、あれ!」
「食べてみれば分かるわ」
「頼んでねえから分かんねえよ!」
姫野がとうとう声を立てて笑った。
「駄目だったねえ。キミ、勧めるときに力が入りすぎ」
「姫野が私に勧めたときも、同じことを言っていたわ」
「私は途中で舌打ちしなかったもん」
「……俺にも食わせるつもりだったのか」
アキに尋ねられ、少女は首を振った。
「早川は前に食べたでしょう」
「俺らだけかよ!」
デンジが壁の写真を睨む。パワーは腕を組んで頷いた。
「ワシには最初から分かっておった」
「さっきまで肉の話しかしてなかったじゃん」
「肉が見えん時点で怪しいんじゃ!」
少女は水を飲んだ。
次も自分が最初に食べるつもりはなかったのだが、誰も食べないことになってしまった。
*
丼を待つ間に、パワーが胡椒を振った。
卓上へ黒い粒が散る。
「何やってんだよ」
「出るか確かめた」
「出たじゃねえか。拭けよ」
「ウヌが気にしなければ済む話じゃ」
アキが布巾を置いた。
パワーはそれを少女の方へ押す。滑ってきた布巾を、少女はそのまま押し返した。
「自分で出したんだから、自分で拭いて」
「人間は細かいのう!」
ひと撫ですると、胡椒は卓の端に集まった。そこで丼が運ばれてきたので、パワーは布巾を置いた。
まだ残っている粒の上へ、少女は布巾をかぶせておく。
デンジは箸を割るなり麺をすすった。
「朝も結構食べたのに、よく入るね~」
「昼だぞ。入るだろ」
「アキ君もそれくらい食べなよ。最近また細くなってない?」
「食べてます」
アキが麺を持ち上げたので、姫野も自分の丼へ箸を入れた。
少女の前に、最後の一杯が置かれた。
近くへ寄せようとして、両手を引っ込める。熱い。店員はよく平気で運んできたものだ。
少し待ってから丼の底に近いところを持ち、卓の縁へ寄せた。スープは茶色く、麺も透けている。知らない白い塊は浮いていない。
レンゲでひと口すくう。
醤油の香りがして、飲み込んだあとにも、別の味は追いかけてこなかった。
厨房で金属のぶつかる音がした。
続いて、外でも乾いた音が幾つか重なる。
デンジが箸を止めた。
「なんだ、こん音」
「知らんとは愚かじゃの。太鼓の音じゃ」
「祭りか……」
アキが入口へ顔を向ける。曇りガラスの向こうを人影が横切り、すぐに消えた。
少女も耳を澄ませたが、厨房で水が流れ始め、それ以上は聞き取れなくなった。
「ここのラーメン、よく食えるな」
入口寄りの隣の卓から、声がした。
黒い上着の男が一人で座っている。姫野が箸を止めた。
「誰……?」
男の前には丼があった。
暗い緑色のスープに、細かな粒。箸に持ち上げられた麺まで緑に染まり、その下へ粘りのある汁が落ちていく。
沼だった。
少女は自分のレンゲをそっと丼へ戻した。
あの人は頼んでしまったのだ。誰かに勧められたのかもしれない。少なくとも、この卓には勧めようとした人間が一人いる。
先ほど舌打ちした口を、水で湿らせた。
「味、舌に感じないか?」
「俺はフツーにうめえけどな」
「ワシに気安く話しかけるな!」
パワーは箸を止めなかった。
男はデンジの丼へ目をやるでもなく、鼻で笑う。
「味の良しあしがわからないんだな」
食べているものが違う。
少女は言いかけて、男の箸が再び動いたので口を閉じた。
緑の麺が、口へ入っていく。
男は噛んだ。飲み込んだ。水も飲まずに、次の麺を持ち上げる。
あれをすすれるのか。
早川は一口でむせたというのに。
「ガキの頃、同じようなモンばっか食ってると、味が分からなくなるんだよ」
男の話が続く間にも、麺は少しずつ減っていた。
まずいと言いながら食べる人は初めてではない。けれど、沼ラーメンでそれができるのは、少し違う。
少女は男のコップを確かめた。水はまだ半分以上ある。
残しても構わないと教えてあげたい気もしたが、今は何を言っても、こちらの舌の話にされそうだった。
「舌がバカだと幸福度が下がる」
「ワシ幸福じゃが!!」
パワーの口元には、麺が一本残っていた。
デンジも箸を丼へ突っ込む。
「まずかったら、別の頼めばいいじゃん」
「そういう話をしてるんじゃねえよ」
男はようやく箸を置いた。
少女は自分の醤油ラーメンをひと口飲んだ。同じ厨房から出てきたとは思えない。その点では、あの人にも教えられることがあるのだが。
「店、出るか」
アキが声を落とした。
少女は箸を揃えた。まだ半分も食べていない。惜しいが、このままでは何を口へ運んでも男に採点される。
「俺のじいちゃんは世界一優しくてな。高い店でいいモン食わせて貰ったよ」
話は終わらなかった。
祖父のことを口にすると、男の眉間が少し緩む。
少女は足元へ踵を引き、丸椅子を動かせる場所を探した。
高い店を知っていても、あの幟は避けられなかったらしい。少し気の毒ではある。けれど、こちらの昼食にまで付き合わせなくてもいいのに。
「じいちゃんはヤクザだったけど、正義のヤクザでさあ……」
デンジの箸が止まった。
男が懐へ手を入れる。
「女子供も数えるほどしか殺した事ないんだと」
少女は腰を浮かせかけた姿勢で止まった。
姫野の右手が、卓の上から下りる。
懐から出てきたのは写真だった。帽子をかぶった老人と、小さな男の子が並んでいる。男はその写真を、デンジへ向けた。
「デンジ。お前も好きだろう?」
名前を知っている。
少女は丸椅子へ体重を戻さず、両足を床につけた。
デンジの唇が歪む。
「あんのクソジジイ」
「知り合いか?」
アキが尋ねた。
「俺に借金返させてた奴だよ。高い飯食う金はあったんだな」
男は写真を持ったまま、デンジを睨んでいた。
卓上の丼から、湯気が細く上がる。
少女は上着の内側へ手を寄せた。
さっきまで、食べ残してもいいと教えようとしていた相手だった。今は、写真を持っていない方の手が見えない。
姫野が箸を置く。
小さな音。
「銃の悪魔はてめえの心臓が欲しいんだとよ」
写真が下がった。
その陰に、黒い拳銃。
少女の指がナイフの柄を掴んだ。
男は隣の卓から腕を伸ばしている。銃口の先には、こちらの卓を挟んだデンジ。少女との間には姫野の椅子の背があり、手首を掴むには遠すぎた。
丸椅子を後ろへ蹴る。
「伏せて!」
銃声が店内で弾けた。
デンジの頭が後ろへ跳ねた。箸が落ちる。アキが隣へ腕を伸ばすより早く、白いシャツへ血が散った。
少女は右隣の姫野の肩を掴んだ。
椅子から引き落とすように身を沈める。姫野の膝が卓へぶつかり、丼が縁から滑った。
割れる音。
熱い汁が、少女の靴と足首へかかる。
「きゃああっ!」
入口の方で椅子が倒れた。逃げようとした客の足が、その脚へ引っかかる。
姫野は床へ片手をついていた。
少女はその肩を押さえたままナイフを抜く。刃先が椅子の脚に当たり、短く鳴った。
卓の縁の上で、男の腕が動く。
銃口はもう、デンジから離れていた。