不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第十五話 手を離すな
二発目は、姫野を椅子から引き落とす途中に来た。
掴んでいた肩が跳ね、姫野の口から息が漏れる。少女はその身体を抱え込んで床へ伏せた。頭上では卓の縁が弾け、頬へ木屑が降りかかる。膝の下で割れた食器を踏んだが、脚を引くより先に、拳銃を持つ手が卓の脇へ回ってきた。
男の顔が横へ吹き飛んだ。
卓を乗り越えたパワーが、そのまま男の胸倉を掴む。
「チョンマゲ!」
男は椅子ごと隣の卓へ叩きつけられた。手を離れた拳銃が床を滑り、少女の丸椅子へぶつかって止まる。少女は姫野の頭を腕から下ろし、銃を倒れた棚の下へ蹴り込んだ。
「コン」
アキの声とともに、入口側の壁が膨れ上がった。
巨大な顎が男を挟み込み、牙の間で卓を砕く。少女が姫野へ覆いかぶさると、背中に壁材が降り注いだ。床を伝う振動が腹まで響き、崩れた何かが靴の先へ当たった。
銃声は止んでいた。
それでも、耳の奥ではまだ高い音が鳴っている。姫野の襟から顔を離すと、壊れた壁の向こうに昼の通りが見えた。その手前を塞ぐ、白い毛に覆われた巨大な頭。
「姫野、聞こえる?」
「聞こえてるよ。そんな近くで呼ばなくても」
いつもの返事だった。少女は抱えていた腕を緩め、姫野の背中から手を抜いた。
掌が赤い。
姫野も自分の脇腹へ触れた。白いシャツに広がる染みを押さえ、短く息を吐く。
「当たっちゃったか。やだなあ、このシャツ、昨日洗ったのに」
少女は上着を脱いで畳み、姫野の手の上へ重ねた。
「これを当てるわ。手を少しずらしてくれる?」
「っ、ああ……そこ。そこでいいから」
押さえた途端、姫野の肩が床から浮いた。少女は力を緩めそうになり、彼女の指が上着を掴むまで待った。
布の下から、温かいものが染みてくる。
「自分で押さえていられる?」
「うん。キミはどこか当たった?」
「膝を切ったみたい。でも、立てるわ」
曲げた膝には熱さが残っていた。ズボンの生地が貼りついているが、足へ体重はかけられる。少女は姫野の手を布の上に残し、倒れた卓の向こうへ身体を向けた。
デンジが床へずり落ちていた。
横向きになった顔から血が流れ、落ちた箸のそばへ溜まっている。胸の紐を引けば動く。ホテルでは、それで何度も起き上がった。
少女が一歩踏み出したところで、狐の声が頭上から降った。
『早川アキ。私の口にとんでもないモノを入れてきたねえ』
アキの指がほどける。
『人でも悪魔でもない……』
白い毛の間から、刃が突き出した。
もう一本が顎を内側から裂き、壁へ血の筋を走らせる。裂け目を押し広げて立ち上がった男には、さっきの顔がなかった。
目の辺りを覆う硬い頭。その下に並んだ剥き出しの歯と、額から伸びる長い刃。両腕にも刀が生えている。
少女はナイフを握り直した。男の身体から目を離すと、その間に距離を詰められそうだった。
「パワー、デンジを起こして。胸の紐を引くの」
「こやつを放っておけるか!」
パワーは殴った右手を握り直し、男との間で足を踏み替えていた。
アキが背中の刀を抜く。細長く、先の形も普通の刀とは違う。大きな釘のような刃だった。
「二人とも下がれ。姫野先輩を頼む」
男が床を蹴った。
アキは横薙ぎの刀を屈んで避け、相手の脇へ踏み込む。頭上を抜けた刃が棚を断ち、並んでいたコップが背後へ落ちた。
「打て!」
釘が男の胴へ食い込んだ。
突き出した腕以上の力が加わったように、黒いコートの背が大きく跳ねる。男は傷を押さえず、もう片方の刀をアキの首へ返した。
「三」
声の主は見えなかった。
少女は身を引くアキの足元を追った。割れた食器と椅子の脚が退路に散らばり、その先にはデンジが倒れている。このまま下がらせるわけにはいかない。
姫野は厨房寄りの床で、上着を傷へ押し当てていた。少女が近づくと、彼女は顎を引いた。
「正面には入らないでね」
「椅子をぶつけるわ。早川が下がれるようにしたいの」
返事を待ってから、少女は倒れた椅子を掴んだ。
男の刀がアキへ振り下ろされるのに合わせ、横から椅子を押し込む。男が片腕で払うと、木の脚が切れて宙へ散った。
その下へ、少女は身を低くして入った。
刃を振り抜いた腕から遠い方の足首へ、ナイフを引く。硬い腱に当たる抵抗が手首まで伝わり、男の膝がわずかに沈んだ。
「打て!」
「二」
頭上で声が重なった。
少女はナイフを抜きながら横へ逃げた。肩のすぐ後ろを刀が通り、床板に長い溝を掘る。立ち上がる足がもつれたが、厨房のカウンターへ右手をついて踏みとどまった。
男がこちらへ向き直る。
少女が腰を落とした、その横からアキが踏み込んだ。
「打て!」
三度目の釘を受けた男が腕を振るう。アキは後ろへ跳び、着地した靴を瓦礫へ取られた。少女が手を伸ばしかけると、彼は片手を上げた。
来るな、という合図。
「不気味なモンを使いやがって」
男が一歩進んだところで、アキが叫んだ。
「カース!! トドメをさせ!!」
男の両足が床を離れた。
腕が左右へ引き開かれ、コートの胸元が張りつめる。少女には一瞬、巨大な骨と歯がその身体を挟んだように見えた。次の瞬間には男の背が反り、開いた口から血が溢れた。
顔へ飛んできた血を、少女は腕で遮った。
床に落ちた男は動かない。近づく者もなく、アキの荒い呼吸と、厨房で何かが滴る音だけが続いていた。
*
「姫野先輩は!?」
「ここにいるよ」
姫野は倒れた椅子の背へ肩を預けていた。
アキが駆け寄り、少女も反対側へ膝をつく。畳んだ上着は、姫野が押さえているところまで赤くなっていた。
「先輩、外へ出ます。肩に掴まってください」
「歩くくらいなら、大丈夫だと思うんだけどね」
腰を上げた途端、姫野の指がアキの袖へ食い込んだ。
声は出なかった。少女は持ち上げるのをやめ、膝が床につくまで背中を支えた。
厨房の奥で、店員が勝手口の戸を押し開けている。狭い路地へ光が抜け、その足元を水の入ったバケツが転がった。
入口側は崩れた壁と男の身体に塞がれているが、こちらなら姫野を運べそうだった。
「早川、厨房から出られるわ。パワーにはデンジを――」
瓦礫を踏む音が、言葉を遮った。
「呪いの悪魔……」
壊れた壁のところに、パーカー姿の女が立っていた。
女は倒れた男へ近づき、アキの手にある釘へ顔を向ける。
「それを何回か刺したら死ぬ……みたいな感じか?」
「そいつの仲間か。そこから離れろ」
アキが立ち上がった。
女は答えず、男のそばへ屈む。手元は割れた卓に隠れて見えなかったが、その向こうで黒い袖が動いた。
「早川、起きるわ!」
少女が呼ぶのと、男が片膝を立てるのは同時だった。
さっきまで力なく開いていた手が床を押し、刀を生やした身体がこちらへ向く。
「どうして負けた?」
「油断した。マジで油断した」
「じゃ、きっちり殺して」
女の声には、急かす調子さえなかった。
男が腰を落とし、片腕を身体へ引きつける。少女はナイフを構えたが、相手の足が床を蹴るところを捉えられなかった。
黒いコートが、アキの背後で揺れた。
アキの胸元から血が噴いた。
声を出そうとした口が開いたまま、膝が折れる。少女は肩を抱き留めたが、その重さで自分も片膝をついた。アキの頭を腕へ乗せ、床にぶつけないよう身体をずらす。
押さえる場所を探す掌が、すぐに濡れた。
「アキ君!」
立ちかけた姫野を、パワーが掴んだ。
「動くな! 血が出とる!」
「アキ君を助けて……!」
「無理じゃ……アイツの動き、見えんかったもん……!」
少女はアキの脇へ腕を差し入れ、姫野の方へ引こうとした。片足分も動かせないうちに、頭上から影が差す。
刀が落ちてきた。
右手のナイフを斜めに当て、身体ごと横へ逃がす。止めずに流す。岸辺に何度も手首を叩かれた動きだった。
それでも重さに負けた。金属が鳴った瞬間、手首が胸元まで押し込まれ、逸れた刀が左の二の腕へ入った。
「っ、ああ!」
アキを支えていた腕から力が抜けた。
肩が床へ落ちるのを右手で受けようとして、少女はナイフを引き戻すのが遅れた。もう片方の刀が持ち上がっている。
後ろへ逃げれば、アキが残る。
少女は男の脇へ踏み込み、振り始める腕に右肩をぶつけた。ナイフをコート越しに突き立てると、男の膝が腹へ入った。
息を吐く音さえ出なかった。
柄から指が離れ、背中が卓の残骸へ落ちる。折れた脚が肩甲骨の下に食い込み、口を開けても空気が入ってこない。
少女は右肘をついたが、腹の奥が縮んで、また身体を落とした。
男は脇腹のナイフをそのままに、アキへ足を向ける。
「ゴースト!」
アキの身体が床を滑った。
男の足元から引き出された直後、その場所へ刀が突き立つ。少女の頬まで破片が飛んだが、今度は腕を上げられなかった。
ようやく吸い込めた息に、咳が混じった。
「かっ、こほ……!」
姫野が引き寄せたアキの襟を掴んでいた。傷に当てた上着がずれ、脇腹からまた血が染み出している。
「先輩……」
「喋んないで。今ちょっと忙しいから」
返事をしながら、姫野は男へ手を向けた。
「ゴースト、あいつを押さえて」
何も起きなかった。
姫野の指が曲がる。もう一度呼びかけようとした口が止まり、顔が壁際の女へ向いた。
「……怖い?」
少女には、答える声は聞こえない。
ただ、さっきまでアキを引いてくれた手が、今はどこにも届いていなかった。姫野は手を下ろさず、女と男の間で動かしている。
少女は背中の下から椅子の脚を押し退けた。
左腕を持ち上げると、傷口が開く感触がした。すぐに下ろし、右手で腰の予備のナイフを抜く。
またあの速さで来られたら、避けられない。
立つのも嫌だった。ここから動かなければ、次は自分を通り過ぎてくれるかもしれない。
男の向こうに、デンジの靴が見えた。
「パワー、デンジの紐を引いて!」
「そこにこやつがおるじゃろうが!」
「私の方へ来ているうちに、卓の向こうを回って!」
少女が立つと、男は足を止めた。
「まだやるのかよ」
返事をする代わりに、少女は床の食器を蹴った。破片がコートの裾へ当たる。男がこちらへ向き直る間に、パワーが倒れた卓の陰へ屈んだ。
少女は厨房側へ寄りすぎないよう、一歩だけ横へ動いた。姫野とアキから離す。パワーがデンジに届くまででいい。
男の腰が沈むのを合図に、今度は踏み切る前から身体を投げ出した。
背中の布が引かれた。
少女が床へ肩を打ちつけたあとで、背後の卓が二つに割れた。転がった身体を止めようと右手をつくが、血で滑って膝を起こせない。
男はもう振り向いていた。
「こっちへ手を出して!」
姫野の声に、少女は右腕を伸ばした。
指先のはるか向こうに彼女がいる。届かないままでも腕を引っ込めずにいると、背中の服が掴まれた。
床を擦って身体が滑り、振り下ろされた刀が靴の先を掠める。
姫野のそばまで引かれて止まったとき、少女は右手を彼女の膝へついた。
「引っ張る方は、やってくれるんだね」
姫野が息を吐いた。
少女は返事をしようとして咳き込み、彼女の膝から手を退けた。すぐ隣のアキが、片膝を立てようとしている。
「まだ立たないで。傷が開くわ」
「お前も、腕を……」
「押さえるから。早川は動かないでいて」
ナイフを床へ置き、少女は自分の二の腕を掴んだ。右手の下から血が溢れる。こんなに出ていたのかと力を込めると、肘まで痺れた。
男が近づいてくる。
姫野はアキの顔についた血へ指を伸ばし、触れる前に握り込んだ。
「ゴースト。私の――」
「引いたぞ!!」
パワーの声が響いた。
卓の向こうで低い音が途切れ、少女の肩にも力が入る。起きない。もう一度、と声を出す前に、パワーの腕が大きく引かれた。
エンジンがかかった。
*
男が振り向いたところへ、回転する刃が叩きつけられた。
刀とチェンソーの間から火花が散り、デンジが卓の残骸を踏み越えてくる。
「いってえなア!! メシ食ってただけだろうがよォ!!」
もう片方の腕が男の脇腹へ入った。コートが裂け、窓へ血が飛ぶ。その間に刀がデンジの肩を貫いたが、彼は止まらなかった。
刺さった刀ごと身体を押しつけ、男を壊れた壁際へ追いやっていく。
少女は床のナイフを拾い、鞘へ押し込んだ。
姫野の口は、まだ少し開いている。
「厨房から出よう。さっき、店の人が戸を開けたわ」
「アキ君も連れていかないと」
「一緒に運ぶわ。腰を、ゴーストに支えてもらえる?」
姫野がアキへ手を向けた。
少女は彼の右腕を自分の肩へ回し、使える右手でその手首を掴む。左腕で腰を支えようとしてしまい、痛みに息が止まった。
「そっちは使わなくていいよ。腰は持ってるから」
肩にかかる重みが軽くなった。
少女は壁へ背をつけて立ち上がり、アキの足が床を踏むまで待つ。彼も膝を伸ばし、少女の襟を掴み直した。
パワーは厨房の入口まで進んでいた。
「パワー、姫野にも肩を貸して!」
「ワシまで使うな!」
「一人では歩けないの。そこへ置いていけないでしょう!」
パワーが振り返る。
姫野は傷へ上着を押し戻し、空いている手を差し出した。
「頼むよ。アキ君よりは軽いからさ」
「重かったら置くぞ!」
文句を言いながら、パワーは姫野の腕を肩へかけた。引き上げた拍子に姫野が呻くと、一度動きを止める。
次に踏み出した足は、少しだけ遅くなった。
少女もアキを支えて厨房へ進んだ。
カウンターの切れ目には割れた皿が積もっている。靴で押し退け、アキの足が通るだけの幅を空けると、彼は壁へ左手をついて跨いだ。
一歩ごとに、少女の左腕から血が落ちる。押さえたいが、今は右手を離せなかった。
背後で鉄が鳴った。
壁際の女がこちらへ身体を向けたが、その前を男のコートが横切る。デンジが刀を押し返し、入口側へ二人を追い込んでいた。
「デンジ……」
アキの足が止まりかけた。
少女は肩に回された腕を握り直す。
「早川、もう少し歩いて。裏口まで行けば外へ出られるわ」
「お前は、先輩を――」
「姫野にはパワーがついているから」
アキの靴が、また動いた。
厨房の床は濡れていた。足を滑らせないよう調理台へ身体を寄せ、開いた戸の手前まで進む。外には人が一人通れるほどの路地が続き、その先に通りの光が見えた。
少女は敷居の段差を越え、アキの背中を外壁へ預けさせた。
すぐ後ろからパワーが出てくる。姫野は彼女の肩へ掴まりながら、もう片方の手をこちらへ向け続けていた。
「もう壁に寄りかかれるわ。姫野も、自分の傷を押さえて」
「キミも腕を押さえなよ。ずっと落ちてる」
言われて初めて、少女は自分たちが通った床へ顔を向けた。
赤い滴が厨房まで続いている。その向こうで、チェンソーの音が高くなった。
戻れば、何かできるだろうか。
ナイフはまだ一本ある。けれど今度も拾ってもらえるとは限らない。さっき床を滑った靴の感触が残っていて、足を前へ出す気にはなれなかった。
アキの指が、少女の肩で動いた。
「手を離すな」
彼の靴は、まだ敷居のすぐ外にあった。
少女は右手で掴んだ手首を、肩の上へ引き寄せる。
「離さないわ。少しずつ歩いて」
パワーが姫野を支え直し、路地の出口へ向かった。少女もアキと並び、壁に左腕を擦らないよう身体を傾ける。
「人ん頭撃っといてよォ! タダで帰れると思ってんじゃねえぞ!!」
店からデンジの声が追ってきた。
少女は呼び返そうとして、息だけを吐いた。アキの腕を肩に載せたまま、次の足を出す。
通りの方でも、誰かが悲鳴を上げていた。