不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第十七話 先生の好きなもの
姫野に頼まれた本は、ソファの脇に積まれていた。
一番上の一冊を持ち上げると、その下から細い紙がついてくる。栞かと思って引き抜いたが、買い物のレシートだった。少女は本と一緒に渡すか迷い、元の場所へ戻しておいた。
下から抜くと崩れる、と聞いていた山は、横から確かめるとすでに傾いている。一冊減ったので、その分だけ安全になったはずだ。
着替えと靴下も袋へ収め、玄関で頼まれたものを読み直す。鍵をかけたあとには、取っ手を引いて確かめた。
*
姫野は本を受け取るなり、挟んであった栞のところを開いた。
「ありがと。昨日は暇すぎて、点滴の袋に書いてある字、全部読んじゃった」
「面白かった?」
「全然。次の袋も同じだったし」
少女が空になった紙袋を畳んでいる間に、姫野は二、三行読み、また顔を戻した。昨日より声がよく出ている。枕の脇に落ちていた呼び出しのボタンも、自分で手元へ寄せた。
「今日から先生のところだっけ」
「デンジたちと行くの。私も一緒に訓練するわ」
「ああ。それは、ご愁傷さま」
姫野は本を膝へ伏せ、少女の左腕を指した。
「そっちは、もういいの?」
「傷は塞がったわ。お腹も、普段は痛くない」
「普段じゃないことするんだから、ちゃんと言っときなよ。怪我してここへ来ても、私、お見舞いに行けないからね」
「隣の部屋なら来られるかしら」
「元気なまま来てって言ってるの」
少女は少し笑い、畳んだ袋を鞄へしまった。帰り際に振り向くと、姫野はもう本の続きを読み始めている。次に来たら、どこまで進んだか聞こうと思いながら、静かに扉を閉めた。
*
墓地の入口で、デンジが足を止めた。
「ここで合ってんのか?」
「岸辺は、ここの名前を言っていたわ」
「先に言えよ。俺、もっと運動するとこだと思ってた」
「歩いてきたではないか。もう運動したぞ」
パワーは言いながら、道端の石へ腰を下ろしかけた。少女が門の向こうへ進むと、すぐに立ち上がって追ってくる。
細い通路の両側に墓石が並び、水を汲んだばかりらしい桶が一つ、脇へ置かれていた。少女は奥に岸辺のコートを見つけたが、声をかけずに歩く速さを落とす。
岸辺は墓の前に立っていた。
片手をポケットへ入れ、もう片方の手で酒の容器を持っている。少女たちが近づくと蓋を閉めたが、すぐにはこちらへ来なかった。
誰の墓なのだろう。
少女は石に刻まれた字を読もうとして、やめた。岸辺が墓参りへ来ることも、ここへ来るときに何を持っていくのかも、知らなかった。
「そのオッサン?」
デンジの声に、岸辺がようやく身体を向けた。
「先生と呼ばれると気持ちよくなれるから、先生と呼んでくれ」
「自分で言うんだな」
「好きなのは酒と女と悪魔を殺すことだ」
パワーが鼻をひくつかせ、少女の袖を引いた。
「酒はもう飲んどるぞ。これから女のところへ行くんか?」
「今日は私たちの訓練でしょう」
「そうか。最後のやつか」
パワーの手が袖から離れた。
岸辺は三人の間を抜けて歩き始めた。少女も続こうとしたが、デンジが肩の辺りへ顔を寄せてくる。
「お前、一緒に住んでんの、この人と?」
「そうよ」
「もっと普通のオッサンかと思ってた」
「家では新聞を読んでいることが多いわ」
「そういうこと聞いてんじゃねえんだけど」
何を聞きたかったのか、デンジはそれ以上説明しなかった。
墓石の列を抜けたところで、岸辺が足を止めた。門まではまだ少しある。脇には物置があり、その前だけ砂利の敷かれた広い場所になっていた。
「俺の質問に答えろ。仲間が死んで、どう思った」
「別に〜?」
「死んだ! と思った!」
少女は鞄の持ち手を握り直した。
病院の椅子で、コベニが袖を目へ押し当てていた。荒井の名前を口にしたあとは、なかなか続きを話せなかった。
あのときの声を思い出したところへ、岸辺の質問が続く。
「的に復讐したいか?」
「復讐とか、暗くて嫌いだね」
「ワシも!」
「お前達は人と悪魔、どっちの味方だ?」
「俺を」面倒見てくれるほう
「勝ってるほう」
デンジは答えてから、少女のほうへ顎を向けた。
「お前は?」
「私は……」
人間、と言いかけて、パワーが隣に立っていることに気づく。では誰ならいいのかと考え始めると、さっきより答えにくくなった。
岸辺は少女の返事を待たず、二人へ近づいた。
「お前達、百点だ」
「当然じゃ。ワシは最初から賢い」
「素晴らしい。大好きだ」
パワーが口を閉じた。少女には、岸辺の顔がいつもと同じにしか見えなかったが、デンジは半歩下がっている。
「何で俺の後ろ来んだよ」
「ウヌが前に出たんじゃろ」
パワーはそう言って、さらにデンジの肩へ寄った。岸辺の両手がポケットから出る。
少女は鞄を落とした。
岸辺が二人へ腕を回したのと、少女がナイフを抜いたのはほとんど同時だった。デンジの踵が砂利を離れ、パワーの指がコートを掴む。少女が踏み込む前に、二人の身体から力が抜けた。
「岸辺!」
突き出した右腕を取られ、刃先が上を向いた。肘を押し上げられると踵まで浮き、少女は爪先でどうにか身体を支える。
「遅い」
「二人を放して」
「もう放した」
足元にデンジが倒れていた。開いた目が動かない。少女が腕を引くと、岸辺は抵抗せずに手を離し、物置の脇へ置いてあった袋を取った。
血の入った容器が出てくる。
初めから用意してあったのだ。少女はナイフを握ったまま、岸辺が二人を起こす手順を追った。血を飲ませ、デンジの胸の紐を引く。ついさっきまで話していた口から咳が漏れ、砂利を掻いていた指が拳になった。
「ぐっ……ああ! 何しやがんだ、テメー!」
「なぜワシらをシメた! 百点じゃろうが!」
パワーの怒鳴り声まで聞いてから、少女はようやく刃を下ろした。
岸辺は容器の蓋を閉め、袋へ戻している。
「マキマに鍛えてくれと頼まれた。お前らが簡単にやられるから、困ってんだろうな」
デンジが立ち上がる。パワーの手元で、血が武器の形になった。
「俺は最強のデビルハンターだ。俺を倒せるようになれば、お前らも強くなる。それまで狩り続けてやる」
「コイツ頭が終わっておる……!」
「な~」
「なあ」
二人はまだ首を擦っていた。少女も自分の手首を押さえたが、こちらの指には、掴まれた感触が残っている。
岸辺は門へ向かいながら、振り返らずに言った。
「場所を移すぞ。鞄を拾ってこい」
*
庁舎裏の空き地は、コンクリートの壁と低い植え込みに囲まれていた。片側に葉の落ちた木があり、その向こうにベンチが一つ。少女はそこへ鞄を置き、二人と並んだ。
最初に飛び出したのはデンジだった。
岸辺の顔へ拳を突き出すと、手首を払われ、胸元へ肘が入る。身体が折れたところへもう片方の手が伸びたので、少女は横からその腕を狙った。
デンジの肩とぶつかった。
「邪魔すんな!」
怒鳴られたときには岸辺に袖を取られ、デンジのほうへ押し戻されている。二人の脚がもつれ、その頭上からパワーの槌が落ちてきた。
「どけえええ!」
少女はデンジのシャツを引き、地面へ伏せた。すぐそばで土が跳ね、遅れて岸辺の声がする。
「俺も避けたぞ」
パワーが槌を引き上げる前に、膝を払われた。重い武器だけが地面に残り、本人はその脇へ倒れ込む。
少女が立ち上がると、デンジも起きていた。口元を袖で擦り、こちらを睨んでいる。
「俺の腕、引っ張んなよ。今、掴めそうだっただろ」
「次を殴られそうだったのよ」
「だから掴もうとしてたんだって!」
「二人で喋っておるから、ワシが一人になったんじゃろうが!」
パワーが土を吐き出した。
岸辺は三人の話が終わるのを待っていなかった。デンジが再び倒れ、少女も後ろへ逃げたところを足首から崩される。受け身を取った右手の下で、小石が掌へ食い込んだ。
立ち上がった時点で、デンジはもう岸辺へ向かっていた。
少女も続こうとする。腹に力を入れると、まだ残っていた痛みが奥から引っかかり、最初の一歩が小さくなった。その間に岸辺が身体を入れ替え、少女のいた場所へデンジを投げる。
受け止めることも避けることもできず、二人で地面へ転がった。
*
何度目かに立ち上がったとき、岸辺が少女の前へ手を出した。
「お前は座ってろ」
「まだ動けるわ」
「さっきから右へ逃げてる。左へ捻ると腹が痛むんだろ」
少女はナイフを握り直した。
動けないほどではない。足も、手も、言われたとおりに動く。けれど岸辺は刃を下ろさせ、ベンチのほうへ顎を向けた。
「二人とも続けているでしょう」
「二人は血を飲ませた」
「私だって――」
その先は言わなかった。
ホテルで息ができなくなったとき、何をしてほしかったかは覚えている。もう一度ああなれば、と考えただけで、舌が上顎へ張りついた。
岸辺は少女の手からナイフを抜き、柄を返して渡した。
「見てろ。次に何をするかくらいは考えられる」
少女は鞘へ刃を収め、ベンチへ向かった。座ると腹が楽になり、それが余計に腹立たしかった。
デンジが殴られ、パワーが逃げる。岸辺は逃げたほうへ追いつき、二人を同じ場所へ転がしてしまう。少女は腰を浮かせかけたが、デンジが自分で起き上がったので座り直した。
次も、その次も、立とうとしてしまった。
やがてデンジが岸辺の腕へ両手を伸ばした。腹が空いている。少女にも分かるところを岸辺が見逃すはずはなく、拳が入り、デンジは苦しそうに口を開いた。
それでも、手を引っ込めない。
少女はベンチの端を握った。殴られたほうへ身体を寄せ、岸辺の袖を掴もうとしている。指先が布にかかったが、引き剥がされ、今度こそ地面へ倒れた。
少し離れたパワーの手には、短い槍ができていた。岸辺がそちらへ向くと、慌てて投げつける。槍は避けられ、壁に当たって折れた。
逃げていただけではなかったらしい。
少女は膝へ肘を置き、次にパワーが下がるとき、その手元を追った。
*
日が落ちる頃には、パワーも文句の途中で息を継ぐようになった。
岸辺が血の容器をしまう間、デンジは地面へ座り込み、破れたシャツの裾を引っ張っている。少女はベンチから立ち、鞄を肩へかけた。
「明日は家に迎えに行く。少しは考えとけ」
岸辺はそれだけ告げて帰っていった。
三人で歩き始めると、パワーがデンジの袖を掴んだ。残っていた縫い目が引きつれ、デンジが乱暴に腕を振る。
「これ以上破いたら、お前の服も破くぞ」
「ワシは疲れておるんじゃ」
「俺だって疲れてんだよ!」
少女は二人の後ろから声をかけた。
「デンジ。さっき、殴られても腕を掴もうとしていたでしょう」
「掴むって言ったじゃん」
「一度下がるのかと思っていたの」
「下がったら、あのオッサンまた殴ってくるだろ。だったら掴んだほうがマシじゃねえの」
「でも、何度も殴られていたわ」
「痛えよ。だから早く誰か来いって思ってたんだよ」
少女は鞄の紐を肩へ掛け直した。
助けに入ったときには邪魔だと言われた。来てほしかったと言われても、まだ釈然としない。
「どこへ行けばよかったの?」
「俺の前じゃねえとこ。あいつの後ろとか、横とかよ」
「ワシは後ろにおったぞ」
「じゃあ何で何も当たってねえんだよ」
「ウヌが掴まんからじゃろうが!」
また二人の声が大きくなった。少女は口を挟みかけ、先ほど壁へ当たった槍を思い出してやめた。
角を曲がったところで、パワーが急に足を止めた。
「分かった! あやつを倒す方法じゃ!」
「何だよ。早く言え」
「あやつは強いが、酒で頭がダメになっておる。ワシらが頭を使えば勝てるんじゃ!」
少女は岸辺のほうがよほど考えて動いていると思ったが、デンジはすでにパワーの話へ身を寄せていた。
「いいじゃん。それなら、明日は今日ほど殴られねえかもな」
「そうじゃ。ワシの頭を使えばよい!」
「作戦はどうするの?」
二人の足が、同時に止まった。
少女が待っていると、パワーは腕を組んで大きく頷いた。
「それを今から考えるんじゃ。まず、ウヌらは空の容器を集めろ」
*
早川家の流しには、洗い終えたペットボトルが並んだ。
パワーが集め、デンジが洗い、少女が水気を拭く。役割を分けたはずなのに、三人とも流しの前へ集まってしまい、肘がぶつかるたびに作業が止まった。
少女は布巾と容器を持って食卓へ移った。空いた場所へ、すぐにパワーが身体を入れる。
「ワシがそこを使いたかったんじゃ」
「血を入れるのは、洗ってからにしろよ!」
少女は紙の裏へ、玄関と外廊下を描いた。廊下の端に階段を書き足していると、デンジが向かいへ座る。
眼鏡をかけていた。
「それは、どこから持ってきたの?」
「頭使うから要るだろ。お前のもあるぞ」
「私、眼鏡がなくても見えるわ」
「ワシも見える!」
パワーも眼鏡をかけ、空の容器を卓上へ置いた。
少女は渡された一本を広げた。レンズを通しても、紙の線は同じ太さのまま。鼻へ載せると、二人が満足そうに座り直した。
「それで、玄関の槍を避けたら、どちらへ逃げると思う?」
少女が紙を押し出すと、デンジの指が廊下を指し、パワーがその上へ自分の指を重ねた。どちらも退けようとしないので、少女は紙を二人の間から引き抜き、もっと大きな廊下を描き直した。