不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第十八話 見逃してやる
翌朝、少女は早川家の外廊下で、階段側の壁へ背を寄せていた。
正面には手すりがあり、左へ進めば玄関、右へ曲がれば階段になる。岸辺が玄関前から逃げるなら、この角を通るはずだった。少女は上着の内側にあるナイフの柄を確かめ、冷たい壁から肩を離す。
昨夜は結局、遅くまで話し込んだ。
帰宅した少女へ岸辺が理由を尋ねたので、作戦会議をしていたと答えてしまった。内容までは言っていない。食卓に残されていた夕飯を食べながら、何度もそう考え直したのだが、今になって少し不安になってくる。
階段の下から靴音が近づいた。
岸辺が角を曲がり、玄関へ向かう。少女の潜む側へ首を巡らせることもなく通り過ぎたが、気づかなかったのか、放っておかれたのかは分からない。
上の階で、デンジの声がした。
「来たな、アル中ジジイ」
「ワシらの頭脳にひれ伏すがよい!」
隠れて待つ話だったはずだ。
少女が上を確かめるより先に、二人が声を揃えた。
「超インテリ作戦開始!」
玄関を突き破って、血の槍が飛び出した。
岸辺が身を捻ると、穂先が頬の脇を抜けて手すりへぶつかる。その足が出る場所へ、上から容器が落ちてきた。溢れた血が鋭く伸び、廊下の床へ降り注ぐ。
岸辺は玄関の壁際へ滑り込み、迫った一本を払った。そこへ、斧を振り上げたデンジが飛び下りる。
「うおおおッ!」
少女は角から出た。岸辺がこちらへ避ければ脚を狙い、反対へ戻ればデンジが追う。昨夜、紙の上では何度もそうなった。
岸辺の蹴りが、落ちてくるデンジの頭へ入った。
斧が傾き、デンジの身体が横向きに廊下へ叩きつけられる。少女が踏み込もうとした場所には、彼の右腕が投げ出されていた。
踏めない。
足幅を変えた瞬間、岸辺の手が袖を掴んだ。少女は引かれた方向へ身体を回そうとしたが、右手首まで押さえられ、肩から壁へぶつかる。
「うっ……!」
指が開き、ナイフが床へ落ちた。
岸辺は少女を離してから、上の階を仰いだ。パワーは手すりへもたれ、眼鏡を押し上げている。顔色は、昨日の帰りより悪かった。
「血を使いすぎだ。立ってるのもつらそうじゃないか」
「高いところから見下ろしておるだけじゃ……!」
少女は壁へ手をつき、床に散った血と容器を確かめた。岸辺が避ける場所は考えた。それなのに、倒されたデンジがどこに残るかは、一度も紙へ書いていなかった。
「今までで一番良かったぞ」
岸辺が少女のナイフを拾った。
「ただ、最後に自分で飛び込んでくるのは分かりやすい。もっと考えろ」
「じゃあ、どうすりゃ当たんだよ……」
デンジが腹を抱えて壁へ寄りかかった。岸辺は答えず、ナイフの柄を指の中で回している。
「今日はもう終わりだ。俺は飲みに行く」
「もう終わり?」
「ラッキーじゃ……」
階段を下り始めたパワーの足音に、少女も少し息をついた。肩を擦りながらデンジへ手を貸そうとして、岸辺がまだ刃を持っていることに気づく。
「デンジ、まだ――」
岸辺の腕が動いた。
デンジの頭が壁へ跳ね、開きかけた口から声が消える。外れた眼鏡が床を滑り、少女の靴へ当たった。
「獣が狩人の言葉を信用するな」
岸辺は倒れたデンジの前へしゃがんだ。
少女は手を伸ばしたまま、その背中を睨んだ。家で同じ声に「終わりだ」と言われれば、刃をしまっていた。その続きで、夕飯を何にするか聞いたこともある。
今回は違うと、先に教えてほしかった。
岸辺は振り向かずに、血の容器を差し出した。
「蓋を開けろ」
*
デンジが喋れるようになると、まず少女へ文句を言った。
「そういうの先に教えろよ! お前、知ってんだろ、このオッサンのこと!」
「私も終わりだと思ったのよ」
「じゃあ一緒に住んでる意味ねえじゃん!」
「あなたを勝たせるために住んでいるわけではないわ」
少し強く返すと、デンジは黙って額を擦った。パワーは椅子に座り、卓上へ頬をつけている。
「ワシは最初から怪しいと思っておった」
「ラッキーって言ってたでしょう」
「あれは終わった場合の話じゃ」
少女は床の容器を拾い、流しへ置いた。玄関の扉には穴が開いている。外廊下も片づけなければならないが、その前に座りたかった。
椅子を引くと、デンジが少女の腕を指した。
「お前、昨日のもまだ痛えの?」
「少し。血を飲んでも、あなたたちみたいには治らないから」
「ああ。じゃあ、明日も遅れるじゃん」
「遅れないようにするわ」
「さっき遅れただろ」
少女は返しかけた言葉を飲み込んだ。デンジの腕があったからだと言えば、また同じ話になる。
その腕を踏んで進むわけにはいかなかった。それは今も変わらない。けれど、足元に何もないつもりで走ったのは自分だ。
少女は昨夜の紙を引き寄せ、廊下の真ん中へ小さな丸を描いた。
「倒れたあとは、どちらへ動けそう?」
「知らねえよ。倒され方によんだろ」
「それもそうね」
「ワシは上から下りるのに時間がかかるぞ」
パワーは頬を卓上につけたまま言った。
少女は紙の上階にも丸を書き足した。昨夜は二人とも、攻撃をしたあとの場所が空白になっていた。
*
その次の訓練で、少女は最初から壁際へ回った。
空き地の中央では、デンジとパワーが岸辺を挟んでいる。少女が正面へ入らないぶん、昨日より二人の動きがよく分かった。
デンジは殴りかかるたびに距離を詰めすぎる。パワーは大きな武器を振ったあと、次の構えまでに間が空く。岸辺はそこへ入る前から、もう次に誰を倒すか決めているようだった。
少女も何度か加わったが、昼前に自分から下がった。
「少し休むわ。右へ捻ると、腕を振るのが遅れる」
「そうか」
岸辺はそれだけ答え、デンジの拳を払った。
止められる前に言えたのに、気分はよくならなかった。ベンチへ座るまで、二人にどう思われたかが気になる。だが、デンジは少女の席など確かめず、岸辺へ悪態をつきながら立ち上がっていた。
少女は鞄から紙を出した。
岸辺は少女のナイフを避けるとき、深く入った腕を取ることが多い。昔からそうだった。刃を引き戻そうと握り込むほど肘が上がり、足まで動かせなくなる。
ただ、昨日は掴む前に蹴られた。
少女は「手首」と書きかけ、その横へ「距離」と加えた。
*
帰りに寄った早川家で、少女は紙を食卓へ広げた。
デンジはパンを齧っていた。パワーは自分の分を食べ終え、残りの袋を膝へ抱えている。
「次は、私から入ってもいいかしら」
「お前、腕は?」
「今日はもう休ませるわ。次に同じように動けるか、先に確かめる」
「ワシのインテリ作戦を続けるんじゃな」
「今度は、血を容器へ入れないでほしいの。動けなくなると困るから」
「少し休んでいただけじゃ!」
少女は反論せず、紙の中央へ岸辺の立つ場所を書いた。
「私が近くまで入ると、岸辺は右手首を取りにくることが多いの。刃を握ったまま引くと、肘まで押さえられる」
「いつもやられてんのかよ」
「いつもではないわ。だから、最初に一度試したいの」
「取られたらどうすんだ?」
「ナイフを放す。腕を引くより、先に」
デンジがパンを飲み込み、紙へ肘を載せた。
「武器なくなるじゃん」
「もう一本持っていくわ。岸辺の手が伸びたら、あなたに掴んでほしいの」
「そりゃいいけど、お前はどこ行くんだよ」
「そのまま近くに残って、もう片方の手を――」
「またぶつかるだろ。掴むのは俺がやるから、お前はどけよ」
少女は紙の上で指を止めた。
離れれば、デンジの腹が空く。昨日も、そこへ拳が入っていた。自分がそばにいれば、もう片方の腕を止められるかもしれない。
「あなたが殴られるでしょう」
「じゃあ早く当てろよ。二人もいんだから」
「ワシの出番はまだか!」
パワーが袋を卓上へ置いた。少女は彼女の前へ紙を回し、岸辺の右側を指す。
「パワーは、こちらから。デンジまで巻き込まない大きさの武器にしてくれる?」
「ワシはでかいのが好きじゃ」
「一度外しても、次を出せるくらいがいいの」
「二本作れと言うんか」
「そのほうが動きやすいなら」
パワーは自分の手を開いたり閉じたりしてから、紙に大きな丸をつけた。
「ならば、こっちがワシの場所じゃ。ウヌは反対へ行け」
少女はその向かいへ、自分の丸を描いた。岸辺を挟んで、デンジとは別の場所になる。
「掴めなかったら、私たちも一度離れるわ。無理に追いかけないで」
「分かってるって。ずっと殴られてる気はねえよ」
「パワーも、デンジが離したら槍を止めてね」
「ウヌらがワシの槍を避ければよいじゃろ」
「それでは、岸辺まで避けてしまうわ」
「むう」
パワーは不満そうに口を曲げ、パンの袋をまた膝へ戻した。
少女がもう一度配置を確かめようとすると、デンジが紙を引っ張った。
「あと、俺がこう落ちたら、お前はこっち来んなよ。昨日みてえになるから」
紙の端まで引かれた線を、少女は自分の丸から少し離して描き直した。
*
試すまでに、さらに二日かかった。
一度目は少女が近づく前に足を払われた。二度目には手首を取られたが、握っていたナイフを放すのが遅く、岸辺の肩へ押し込まれて終わる。
放せばよいと考えていたものを、実際に放すのは難しかった。刃がなくなったあとの右手が、ひどく頼りなく思えた。
三度目に、ようやく岸辺の指がかかる前に柄を落とせた。少女はその場から抜けたものの、今度はデンジが間に合わず、背中へ蹴りをもらった。
「お前が放すの早えんだよ!」
「あなたが来るまで待っていたら、捕まってしまうわ」
「ワシはさっきからずっと待っておるぞ!」
岸辺が三人を順に眺め、酒の蓋を開けた。
「相談が長いな。聞いてていいのか」
「よくないわ」
「じゃあ、もう少し離れてやれ」
少女は土を払い、二人の袖を引いて植え込みの向こうへ移った。
*
次に岸辺の前へ出たとき、少女は左足を半歩だけ引いた。
腹は痛まない。肩を回しても、刃先が遅れる感じはなかった。正面の岸辺は両手を下げ、少女の後ろにいるデンジまで一度に捉えている。
少女は右手のナイフを突き出した。
岸辺が外へ避ける。刃を追わせるようにもう一歩入り、脇腹へ向けて手首を返すと、岸辺の左手が伸びた。
少女は柄を放した。
落ちるナイフを追わず、身体を右へ抜く。腕を掴もうとした岸辺の手が追ってきたところへ、デンジが飛び込んだ。
「今度は掴んだぞ!」
両手が岸辺の左腕へ回る。
少女が離れたばかりの場所で、拳の当たる音がした。デンジの息が潰れ、「ぐっ」と短い声が漏れる。少女の足は一瞬そちらへ向きかけたが、彼の手はまだ離れていなかった。
岸辺の左側へ回る。
正面ではデンジが身体を寄せ、反対側からパワーが短い槍を突き出す。岸辺は右手で槍を払い、そのままパワーを掴もうとしたが、彼女は武器を捨てて一歩下がった。
空いた手に、もう一本。
岸辺の足が少女の側へ動いた。
少女は抜いていた予備のナイフを、コートの脇へ入れる。デンジのそばまで戻る必要はない。ここへ来る足に合わせて、一歩だけ踏み込めばいい。
布が刃先へ触れた。
その直後、右手首を打たれた。ナイフが跳ね上がり、岸辺が身体を捻る。デンジが振りほどかれ、パワーの脚へぶつかった。少女も襟元を取られ、背中から地面へ押し倒される。
息を吐き切ってしまい、すぐには吸えなかった。
頭の上で、岸辺が袖を引いた。
裂けたコートの下に、細い赤い線がある。
「届いたじゃねえか……!」
デンジが横向きに寝たまま笑った。パワーも肘を立て、岸辺の腕を確かめようとしている。
「ワシの二本目が効いたんじゃ!」
「俺が掴んでたんだろうが」
「掴んだだけじゃろ。ワシは二本じゃぞ!」
少女は呼吸を整えながら座り直した。岸辺は指で傷を拭い、三人の足元へ落ちた武器を確かめている。
「一回目で当てに来なかったのは良かった。倒したつもりになるのは早いがな」
デンジが起き上がろうとして、また肘をついた。少女は手を伸ばしかけ、先に尋ねる。
「起こしても大丈夫?」
「ちょっと待て。今、腹に力入んねえ」
少女はその場で待った。岸辺へ回り込んだときより、待っている今のほうが、彼の呼吸の荒さが気になる。
「もう一度殴られる前に、入りたかったの」
「次は早くしろよ。掴めんの、俺しかいねえんだから」
腹を押さえたまま、デンジは少し得意そうだった。
少女が差し出した手を、今度は彼のほうから掴んだ。引き上げると、途中でパワーも反対の腕へぶら下がってくる。
「ワシも起こせ!」
「順番にしてくれる? 二人は持てないわ」
「俺、今立ったばっかだぞ! 引っ張んな!」
三人の足がまたもつれた。岸辺は酒の蓋を閉め、転がっているナイフを靴先で少女のほうへ寄せた。
*
それからも、岸辺には勝てなかった。
同じ作戦をもう一度使うと、今度は少女の手首へ触れもせず、後ろのデンジから倒された。パワーが先に出れば武器を利用され、三人で離れすぎれば一人ずつ捕まる。
少女は訓練の前に、その日の痛む場所を伝えるようになった。デンジは最初こそ面倒そうにしていたが、自分が入る側を間違えてぶつかると、次からは「今日はどっちだ」と聞いた。
休むときには、ベンチから二人を追った。
血を用意し、立ち上がるのを手伝う日もある。岸辺がどちらの足へ体重を移したか、あとでデンジへ伝えようとして忘れる日もあった。パワーは聞いたことをすぐ自分の発見として話し、デンジに指摘されると、先に考えていたと言い張った。
少女は訂正しながら、紙へ足の向きを書き足す。
やがて岸辺が、毎日来る必要はないと言った。
デンジとパワーはすぐには喜ばず、彼の両手とポケットを確かめた。少女もナイフをしまわずにいたので、岸辺が先に背を向けた。
「今日は本当に帰る。付いてくるなよ」
門を出るまで、三人とも動かなかった。
*
数日後、岸辺は訓練の終わりに三人を呼び集めた。
少女はベンチから鞄を取り、デンジとパワーの横へ並ぶ。岸辺の手には酒の容器があったが、まだ開けていなかった。
「今度は四課全員で、サムライソードとヘビ女を捕まえに行く」
デンジの口元から、さっきまでの緩みが消えた。
「刀の野郎の居場所、分かったのか」
「詳しい話は後で聞け。新四課のお披露目だ。その作戦で失敗すれば、四課は終わる」
パワーが鼻を鳴らした。
「終わったら、ワシはどうなる」
「そうなりゃ、お前達は処分されて俺とマジバトルだ」
少女は鞄の持ち手を握った。岸辺は二人を見ている。訓練で向ける目と、今の目の違いを探そうとしたが、デンジが先に口を開いた。
「そん時ゃ俺は先生を殺さないで見逃してやるよ」
岸辺の顔が、少しだけデンジへ近づいた。
「は?」
デンジは気にせず、土のついたシャツを引っ張った。
「俺を強くしてくれたからな。これでもっと悪魔を殺せる」
少女はデンジの横顔を確かめた。昨日も岸辺のことを散々罵っていた口が、今は何のためらいもなく、先生と呼んでいる。
「そうすりゃマキマさんとランデブーよ!」
パワーが、少女の腕へ肘をぶつけた。
「ランデブーとは何じゃ」
「デンジに聞いてみたら」
「ワシが知らんと思われるじゃろうが」
少女が返事を探している間に、岸辺は容器の蓋を開けた。デンジから少し顔を逸らし、一口飲む。
「迎えが来るまで休んでろ」
言われて、少女はベンチへ向かった。デンジはまだ、捕まえたら刀の男をどうしてやるか話している。パワーがその隣へ座り、当然のように自分の取り分を要求した。
少女が腰を下ろすと、デンジは場所を空けるために少しずれた。
「お前、次も横から来いよ。俺の前には出んなよ」
「あなたも、私が入るところへ飛んでこないでね」
「飛んでんじゃねえよ。投げられてんだよ」
「では、投げられるほうを教えてくれる?」
「できたら避けてるわ!」
少女は「ふふ」と笑い、ベンチの下へ鞄を押し込んだ。向こうで岸辺が蓋を締めると、三人とも一度口を閉じ、その手がポケットへ戻るまで待った。