不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第十九話 報告書
「三人分ですか」
「訓練の記録だ。細かいのは後で読め」
「デンジ君とパワーちゃんは、どうですか」
「前よりは使える。頭を使えば殴られずに済むと思ったらしい」
「効果はありました?」
「相談する時間が増えた。その分、殴る回数は減ったな」
マキマは徳利を持ち上げ、空いた杯へ酒を注いだ。岸辺は止めずに待ち、その手が離れてから杯を取る。
「あの子は?」
「自分から休むようになった」
「まだ怪我が残っていますか」
「痛む日は言う。二人に任せて見てる時間も増えた」
「それなら、三人で任せられる仕事も増えそうですね」
岸辺は杯を置き、小鉢へ箸を伸ばした。薄い魚の切り身を持ち上げると、その下には何もない。
「次の配置は、決める前に見せろ」
「気になることがありますか」
「あいつをデンジと同じ勘定に入れるな。血を飲ませて、その場で使い直せるわけじゃない」
「その違いは把握しています」
マキマは卓の脇に置いていた鞄を開けた。
出てきたのは、岸辺が渡したものより厚い封筒だった。数枚の複写を取り出し、料理の皿から離れた場所へ並べる。紙には日本語の訳が添えられ、その下に別の文字が透けている。
岸辺は箸を止めた。
「それを、ここへ持ってきたのか」
「今日は、こちらの話もしておきたかったので」
マキマの指が一枚目の上端を押さえた。
「ソ連の施設から回収された記録です。訓練の報告と照らし合わせていました」
「俺の出した写しだろ。読んでる」
「抜けているところが多いですね」
岸辺は小鉢を脇へ寄せた。紙に触れず、上から二枚目の端を確かめる。途中で切れた表と、欄外へ書き込まれた数字。見覚えのある欠落だった。
「持ち出せた分しかない」
「クァンシさんが回収した分と合わせても、全部ではありません」
「全部揃うまで、あそこへ置いておけばよかったか」
マキマは返事をせず、紙を一枚めくった。
「死亡が確認されたあと、身体が戻っています。損傷の程度が違っても、再生したという記録が続いている」
「生き返ると分かってからは、それを確かめるために殺してた」
「どこまで壊しても戻るのか、という実験ですね」
岸辺は杯を取ったが、飲まずに戻した。
「記録には、それしか書いてないか」
「ほかにもありますよ」
紙の端から、細かな文字で埋まった欄が現れた。
死亡の確認。再生の開始。呼吸の再開。
岸辺はその最後の欄へ指を置いた。
「身体が戻っても、すぐには起きない。起きても立てないことがあった。こいつらは、そこまで待って次をやった」
「現在の状態と似ていますね」
「あいつにとっては、今も同じ身体だ」
廊下で足音が止まった。
マキマは書類を重ね、伏せてから返事をした。戸が開くと、焼き魚の皿が運ばれてくる。女は産地と食べ方を説明し、マキマが塩について尋ねた。
岸辺は徳利を傾け、自分で酒を注いだ。
女が退室すると、マキマは魚へ箸を入れた。皮が薄く割れ、白い身から湯気が上がる。
「本人は、どのくらい覚えていますか」
「聞いたことがあるだろ」
「話せる範囲が、相手によって違うかもしれません」
「覚えてる分を全部喋るとは限らん。日付や順番なら、俺に聞いても分からんぞ」
マキマは一口食べ、箸を置いた。
「協力的だった、と書かれているんです」
「ほかのガキを使うと言われたからな」
岸辺はすぐに答えた。
「断れば、隣の奴を連れていく。それなら自分が行くと言った。あいつが自分で歩いたところだけ書けば、そうなる」
「今も、人を庇おうとしますね」
「だから、任せるほうを教えてる」
マキマが書類を表へ返した。岸辺の指が、その手前で止まる。
「同じ手を使うなよ。本人がいいと言った、で済ませるな」
「ここで、そのような要求はしていません」
障子の向こうで水が落ちた。石の縁へ溜まった雫が、一定の間隔で庭の音を作っている。
マキマは別の記録を抜き出した。
「こちらは、死亡を繰り返した実験とは別ですね。少女の血液を、ほかの被験者へ与えている」
「ああ」
「投与後に、受け手の状態が変化した。そのあとで、少女にも異変が起きている」
岸辺はその紙を手元へ引いた。上から読み直し、途中で指を止める。
「起きたことは書いてある。なぜ起きたかは、こいつらの推測だ」
「効果がなかったとは書かれていませんよ」
「同じことをすれば、同じ結果になるとも書いてない」
マキマは岸辺の手元へ紙を残したまま、残りを揃えた。
「再生する身体を、ほかの人間にも利用できないか。ソ連側が確かめたかったのは、そこでしょうね」
「自分で戻るのと、他人に何かするのを一緒にするな。別々にやってる」
「ええ。ですから、別々に確認する必要があります」
岸辺は紙を卓へ戻した。
「まだ足りないか」
「足りません。受け手のその後も、少女が回復するまでの経過も、ここでは追い切れない」
マキマは欠けた欄へ指を滑らせた。そこに何か書き足すような動きだったが、手元にペンはなかった。
「早川君のこともあります」
「今、ここで決める話じゃない」
「治療に使える可能性があるなら、調べる価値はあると思います」
「可能性だけで、二人並べるなよ。残りの記録を先に寄越せ」
マキマは少し間を置き、封筒を岸辺側へ動かした。
「こちらはお渡しするつもりでした。ほかにも見つかれば、お知らせします」
岸辺は受け取った紙を揃え、封筒へ戻した。押し込む指に端が引っかかり、一枚だけ浮いたので、抜き直して入れる。
マキマはその間に酒を飲んだ。
「ソ連から取り戻しただけでは、終わらなかったんですね」
「お前も分かってて引き受けたんだろ」
「日本で身元の説明ができない人間が、死亡しても生き返る。公安以外が知っても、放ってはおかないと思いますよ」
岸辺は封筒をコートの内側へしまった。
クァンシが少女を連れてきたとき、用意した服は袖が長すぎた。折ってやれば着られたが、書類はそうはいかなかった。名前を書き、年齢の欄で止まり、また別の窓口へ回された。
あの程度の手間なら、何度でもかけるつもりだった。
「所属と監督者が決まっていれば、こちらから説明できます。勝手にどこかへ移されるのを防ぐことも」
「だから俺が監督を引き受けた。任務と報告はする。身柄は拘束しない。調べるときは俺を通す」
「今も守っています」
「これからも守れ」
マキマは杯を置いた。
「ただ、ソ連が手放したことになっているわけではありません」
「知ってる」
「こちらが保護と呼んでも、向こうはそう呼ばないでしょう。本人が日本で暮らしたいかどうかとも、別の話です」
「向こうの呼び方に合わせて返す気はない」
マキマは庭のほうへ顔を向けた。障子の隙間から見える範囲には、誰もいない。
「公安にいる理由は、それだけではありませんよ。私たちにも、調べたいことと、任せたい仕事がある」
「そっちは聞かなくても分かる」
「なら、取り決めを続けるしかありませんね」
岸辺は焼き魚へ箸を入れた。身はもう冷めかけていた。骨から外して口へ運び、噛み終えるまで何も言わなかった。
マキマは少女の記録を片づけ、代わりに訓練の封筒を手元へ寄せた。
「クァンシさんから、何か連絡は?」
「用があるなら、自分で聞け」
「少女のことなら、岸辺さんへ先に話すでしょうから」
「あいつが俺に頼んだのは、育てることだ。ソ連の続きをやることじゃない」
マキマは封筒を鞄へ収めた。
岸辺は空になった徳利を持ち上げ、元へ戻す。マキマが呼び鈴へ手を伸ばしたところで、その指先へ声をかけた。
「今回の襲撃。お前、どこまで分かってた」
マキマの手が膝へ戻った。
「何のことでしょう」
「あれだけ一度に狙われて、戻ったら四課をまとめることになった。準備がいいな」
「人が減りましたから。今の人数で課を分けておくことはできません」
「撃たれたあとの説明は聞いた。俺が聞いてるのは、その前だ」
廊下から料理を運ぶ足音が聞こえた。手前の部屋で止まり、戸の開く音がする。客の笑い声が一度だけ漏れ、また静かになった。
マキマは箸を揃えた。
「次の作戦を成功させることが、今は大切です。岸辺さんにも協力していただきたいと思っています」
「仕事はする。お前が気に入らんからって、全部投げる歳でもない」
「頼りにしています」
「人間様の味方でいるうちはな」
マキマは卓の向こうで、岸辺を見ていた。
岸辺は残った酒を飲み切った。杯を置くと、マキマが新しい酒を頼もうとしたので、片手を上げて止める。
「あいつらを鍛えた。前よりは使える」
「ええ」
「俺は、帰ってくるつもりで教えてる」
マキマは手を下ろした。
「私も、できるだけ皆に生きて帰ってきてほしいと思っていますよ」
岸辺はしばらく、その顔から目を離さなかった。
「嘘つき」
立ち上がってコートを取る。内側の封筒が脇腹へ当たり、岸辺は位置を直してから袖を通した。
戸を開けると、背後から声がした。
「記録について、本人に確認するときは教えてください」
「先に俺が読む」
廊下へ出て戸を閉めた。
店員が靴を揃え直そうとしたが、岸辺はその前に足を入れた。片方の踵を踏み直し、コート越しに封筒の角を押さえる。
出口の向こうには、まだ人の行き交う通りがあった。