不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第二十一話 留守番は誰だ
アキが右へ身を引いた。その先へ踏み込み、少女は左手で袖を取りにいく。内側からぶつけられた腕に手を払われると、今度は身体を捻り、空いた脇腹へ右の拳を入れた。
シャツに触れる寸前で止める。アキの肘が下りてきたのは、そのあとだった。
「今のも見えていたの?」
「見えてた。腕が間に合わなかった」
「速さを落としたほうがいいかしら」
「いや。次は少し変える」
少女は一歩離れ、長椅子に置いた腕時計を確かめた。始めてから十分ほど。投げない、傷のあるところへ当てないという約束で、動きを合わせている。開けた窓から冷たい風が入ってくるのに、襟の内側には汗が溜まっていた。
先が見えると聞いたときには、何をしても避けられるのかと思った。実際には、アキが動き始めてから続けて手を出すと、次の動作に追いつくことがある。見えるものが増えたからといって、腕まで増えるわけではないらしい。
少女が右の拳を出すと、アキは手首の外側を払った。続けて伸ばした左手は、今度こそ袖へ届くはずだった。
その前に、指が手首へ回る。
引かれたほうへ足を出そうとしたところで、肩を押された。少女は横へよろめき、踏み替えて姿勢を戻す。アキはそれ以上追わず、掴んでいた手を離した。
「今度は、掴むつもりで待っていたのね」
「離れるより、近づいたほうが間に合った」
「では、次は掴ませないわ」
「頼む。同じ手に引っかかられたら練習にならない」
少女は手首を擦るのをやめた。痛くはない。さっきまで拳を止めるのが遅れていた人にそう言われると、もう一度くらい触っておきたくなる。
足の位置を変えたところで、アキの右目がこちらを捉えた。見た目には、以前と何も違わない。
「その悪魔は、ずっと起きているの?」
「知らねえ。寝る前に挨拶されるわけじゃない」
「夜中にあの声で喋ったら、デンジたちも起きるでしょうね」
「俺の頭の中だけにしてもらう」
入口で手を叩く音がした。岸辺が戸に片手をかけ、もう片方の手で廊下を示している。
「続きは明日だ。仕事の話をする」
「あと一回だけ」
「一回で済む顔じゃないな。早川も着替えて来い」
アキが先に腕を下ろしたので、少女も構えを解いた。長椅子から上着を取ると、その下に腕時計が残っている。拾って差し出す間にも、アキは袖口を留めていた。
「忘れていたでしょう」
「今から取るところだった」
「そういうことにしておくわ」
アキは時計を受け取ったが、礼を言う代わりに少女の上着の裏返った袖を指した。
*
会議室では、デンジが見取り図の端を押さえていた。
「俺ら、どっから入んの?」
「正面はこっちね。奥に階段があるわ」
「この細えのも階段?」
「それは通路でしょう。階段だったら、下りた人が壁にぶつかってしまうもの」
隣でパワーが椅子を傾けた。後ろを通った岸辺が背もたれを押すと、浮いていた前脚が床へ戻る。
「四本あるんだから全部使え」
「足を休ませておったんじゃ」
「椅子の足は疲れん」
岸辺は机の前へ回り、階ごとに分かれた図面を並べた。
襲撃に関わった連中の拠点が見つかった。四課が中へ入り、周囲の部隊が逃走を防ぐ。地下には多数のゾンビがいる可能性があり、新たに配属された悪魔と魔人がそちらを受け持つという。
配られた写真を、パワーが二枚まとめて捲った。
「初めて見るからって斬るなよ」
「ワシは顔くらい覚えられる!」
「なら、その二枚も別々に見ろ」
デンジが吹き出した。パワーは無言で写真を引き戻し、今初めて渡されたような顔で一枚ずつ並べる。
デンジとパワーは上階へ進み、アキは別の階段から沢渡を探す。少女は裏の搬出口を押さえ、突入後は隊員と一緒に、その内側の通路まで確保する配置だった。
「私は、二人と別なのね」
「ああ。そこを通って逃げる人間を止めろ。使えるようになったら、負傷者も裏へ回す」
岸辺の指が、階段から搬出口へ続く線を辿った。
少女はその線を手帳へ写した。三人で動けるようになったところなのに、と思ったが、隣のデンジはもう上階の図を引き寄せている。
「刀の野郎がそっちへ逃げたら、捕まえとけよ。俺が行くまで」
「ワシが上で殺す!」
「俺がやるっつってんだろ! 真っ二つにされたんだぞ!」
「ワシも撃たれた!」
「そっちはそっちで仕返ししろよ!」
アキが二人の間から図面を抜いた。
「逃がす前から喧嘩するな。まだ説明してる」
少女は手帳に書いた搬出口の横へ、小さく扉を描き足した。
「裏の人たちとは、先に話しておいてもいい?」
「このあと紹介する。中へ入ったら一人で奥まで追うな。出口を空けたら、誰が残るか決めてから動け」
「扉が使えなかったら、正面へ戻すのね」
「その場で報告しろ。運び始めてから戻すなよ」
少女は描いた扉の向きを直した。上の階の図面は、デンジの肘に隠れて見えなくなっていた。
*
姫野はアキの顔を見るなり、ベッドの背を少し起こした。
「今日は家の話も聞かせてくれるんでしょ」
「面白い話じゃないですよ」
「君にはね」
少女が椅子を運ぶ間に、アキは棚へ袋を置いた。頼まれていた着替えを出すより先に、姫野が扉の穴について尋ねる。
「掃除はしたのよ」
「壁と天井は残ってるだろ」
「それは掃除では直らなかったわ」
「最初から修理が要るんだよ」
「あははっ。師匠にも請求しなよ。あの人がつけた傷もあるんでしょ?」
「払ってもらいます」
岸辺が請求書を受け取るところを、少女は想像した。きっと自分にも見せる。自分のつけた傷には覚えがあるので、そのときだけ知らないふりをするのは難しそうだった。
アキが椅子へ座ると、姫野は作戦の話を聞いた。少女の担当まで説明されると、布団の上へ置いた手で、搬出口までの距離を測るような仕草をする。
「あの店では、裏から出られてよかったよね。表しかなかったら、ちょっと困ってた」
「厨房の戸は、店の人が開けてくれたの」
「そっか。私、その辺り見てないや」
「俺もです。先輩を立たせることばかり考えてました」
話してみると、同じ場所にいたはずなのに、覚えているところが違った。少女が刀の男を引きつけていた間、アキにはほとんど床しか見えていない。姫野が沢渡へ注意を向けた理由も、少女には分からなかった。
「ゴーストが怖がったんだよ。あの女を」
「女本人ですか。それとも、契約してる悪魔ですか」
「そこまでは言ってくれなかった。私も、聞き返してる余裕がなくてさ」
姫野はアキの持つ刀の鞘へ指を向けた。
「新しい契約は試した?」
「今朝、相手をしてもらいました」
「最初は触れたわ。最後は掴まれたけれど」
「へえ。二人でやってたんだ。私も行けたらねえ」
「駄目です」
「分かってるって。言うくらいはいいでしょ」
アキが口を閉じた。姫野は起こしていた身体を枕へ預け、ベッドの脇へ落ちかけた掛け布団を引き上げる。少女が手を貸すより早く、自分で膝まで戻していた。
「終わったら、どうだったか教えて。私がいなくても平気だった、とかは要らないから」
「そんな報告しませんよ」
「じゃあ、ちょっと困ったことにしといて」
「適当には言えません」
「真面目だねえ。私がお見舞いのお菓子を分けてあげたこと、もう忘れた?」
少女は立ち上がり、洗濯物を袋へ入れた。姫野に帰るのかと聞かれ、売店へ寄って下で待つと答える。
「何か甘いの、見てきてよ。今日は見るだけね」
「買ってこなくてもいいの?」
「ご飯を残すと、アキ君がうるさいから」
アキは否定せず、棚から空の菓子箱を取り出して畳んだ。
少女が戸を閉める間際、姫野がまた話し始めた。
「今度の電話、もう少し早い時間にしてね」
「先輩が長く話すからでしょう」
「君も切らなかったじゃん」
少女は売店へ向かって、ゆっくり歩いた。
*
作戦当日、集合場所の路地でデンジが靴紐を結び直していた。
引っ張るたびに片方の輪だけが長くなる。その横でパワーが欠伸をし、少女が通り過ぎようとすると、デンジが顔を上げずに声をかけた。
「お前ら先に行くなよ」
「まだか。靴に負けとるぞ」
「これ踏んで転んだら、お前ぜってえ笑うだろ」
「笑う」
「ほらな!」
少女は裏を担当する隊員と、角の向こうから搬出口を確かめた。隣の建物の塀が近く、扉の前には自転車の後輪がかかっている。図面に自転車までは描かれていなかった。
正面への突入と同時に、裏も詰める。それまでは角の陰で待つよう言われ、少女は扉の開く範囲を隊員と確かめてから、二人のところへ戻った。
「裏に自転車があるわ。最初にどけないと、扉が開ききらないの」
「ぶっ壊して出りゃよくね?」
「担架を通すことになったら、踏み越えられないでしょう」
「ああ。そりゃそうか」
結び終えたデンジは爪先を地面へ打ちつけ、建物を見上げた。
「そっちが終わったら来いよ。俺が先にぶっ倒してても文句言うなよな」
「逃がさないでね。下まで来られたら大変だわ」
「逃がさねえよ。今度はこっちがぶった斬ってやる」
「では、帰り道を空けて待っているわ」
デンジは片手を上げ、パワーと正面側へ向かった。
合図が出ると、少女も隊員たちと路地を進んだ。鍵のかかった後輪を持ち上げ、自転車を塀へ寄せる。すぐ近くで、建物の内側を走る足音が聞こえた。
少女は扉の開く側から離れ、壁へ背を寄せた。ナイフを抜いたところで、頭上の取っ手が下がり始める。