不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第二十五話 雨がやんでも
第二十五話 雨がやんでも
パワーの角が増えていた。
長く伸びた二本のほかに、頭の横からも曲がった角が生えている。本人はそれを得意がっていたのに、マキマに肩を抱かれた途端、急に口数が減った。
「パワーちゃんは定期的に血を抜いているの。でないと今よりも恐ろしくて、傲慢な悪魔になっちゃうから」
今よりも、というところでデンジはパワーを見た。これ以上になられても困るので、しばらく借りていいかと聞かれると、二つ返事で了承したのだった。
代わりに紹介されたのは、サメの魔人。
床から飛び出して抱きついてきたそいつを殴り、離れたと思ったらまた寄ってくるので、デンジは早々に嫌になった。
「触るんじゃねえ! 男は嫌いだ!」
そんな騒ぎのあとで、マキマが翌日の休みに誘ってくれた。
デート、と聞いてからは、血抜きのことも新しいバディのことも、頭の隅へ追いやられている。
翌朝は眠れずに五時から待ち合わせ場所へ行き、やってきたマキマと映画館を回った。夜の十二時まで映画を見続ける予定だと言われた時には、そんなに長く一緒にいられるのかと喜んだものだが、肝心の映画はよく分からないものばかり。
周りの客が泣いている場面でも、デンジには何が悲しいのか分からなかった。
隣を見れば、マキマも静かに画面を見ている。
「私も十本に一本くらいしか、面白い映画には出会えないよ」
そう言ってから、彼女は続けた。
「でも、その一本に人生を変えられたことがあるんだ」
最後の映画で、二人の人間が抱き合った。
ただそれだけの場面だったはずなのに、気づくと目の下が濡れている。拭いても次が出てくるので、デンジは口元へ手を当て、隣から見えないように顔を伏せかけた。
その途中で、マキマの頬にも涙が流れているのが見えた。
それからは、最後まで画面を見ていた。
映画館を出たあとの街は、来た時よりずっと静かだった。デンジは隣を歩くマキマに、あの最後の場面は死ぬまで忘れないと思う、と話した。
マキマも同じだと言った。
それが嬉しくて、しばらく歩いてから、もう一つ聞いてみる。
「……マキマさんは、俺に心ってあると思います?」
どうしてそんなことを聞くのかと返されても、うまく説明はできなかった。なんとなく、と答えると、マキマが足を止める。
胸に耳を当てられたのは、そのすぐあとだった。
「えっ!?」
両手を持ち上げたまま、デンジは動けなくなった。触っていいのか、下ろしたほうがいいのかも分からない。胸の音だけがやけに大きく、こんなのを聞かれているのかと思えば、ますます速くなる。
やがて顔を上げたマキマが、こちらを見て微笑んだ。
「あったよ」
返事はつっかえ、礼もまともに言えなかった。
それでも、そのひと言は帰り道の間ずっと、胸のあたりに残っていた。
*
翌日、デンジは街を歩きながら、シャツの上から胸へ手を置いた。
思い出すのは、あの時のマキマの顔だ。ちょっと考えただけでまた胸が騒ぐのだから、確かめるには十分だった。
そっか。ドキドキするっつうことあ、俺、心あんじゃん。
足元では、サメの背びれが道路を進んでいる。パワーが戻るまでの相棒、ビームだった。
道の先で、募金を呼びかける声がする。悪魔の被害を受けた子供たちのためだというので、デンジは財布から金を出した。
「心あるから募金もできるぜ!」
礼を言った女の人が、小さな花を一本くれた。
花びらを眺め、きれいだと思ってから、これも心があるからなのだろうと納得する。そのまま花を口へ入れると、女の人が何か言いたそうな顔になったが、デンジはもう歩き出していた。
さすがマキマさんだ。話しただけで、胸につっかえていたものまでなくなった。
銃の悪魔の肉片を集めれば、何でも願いを聞いてくれると言っていた。いろいろ考えたけれど、やっぱり付き合ってほしい。
暇になるとマキマが思い浮かぶ。歩いていても、信号を待っていても、少し手が空けばあの顔が出てくるのだから、もう決まったようなものだ。
俺の心はマキマさんだけのもんだ。
絶対に、ほかの人を好きになったりはしねえ。
そう決めたところで、頬に水が当たった。
見上げる間にも雨粒は増え、あっという間に道が濡れていく。通行人が鞄を頭に載せて走り出す一方、足元からは大喜びの声が上がった。
「キャキャ! 水だ水だ! 水だ!」
ビームが上半身を出し、両腕を振って雨を浴びている。
「ビーム! てめえはひっそりしてろよ! 人にバレたら表歩けなくなるだろ!」
「ハイ!」
返事と一緒に頭が沈み、背びれだけになった。
デンジは濡れた前髪をかき上げ、近くの電話ボックスへ駆け込んだ。扉を閉めても雨の音はやかましく、ガラスを流れる水で向こう側が歪んで見える。
袖で顔を拭ったところで、外から声が近づいてきた。
「わー! ひー……!」
扉が開き、黒い髪の女の子が飛び込んでくる。
狭いところへもう一人入ってきたので、デンジは電話機のほうへ身体を寄せた。女の子もこちらに気づき、濡れた顔を上げる。
「わあ、どうもどうも。いやいや、スゴイ雨ですね」
「あ~……ああ」
さっきまで一人だったせいか、急に近くなった顔をどこから見ればいいのか迷った。首には黒い飾りがあり、濡れた髪が片方の目にかかっている。
女の子は天気予報の話をしかけたところで、デンジの顔を見つめた。
「む……え!?」
次の瞬間、吹き出した。
「あははは、ははは!」
「あ? なに?」
「やっ、ごめっ……すいません、あははは!」
謝るわりには、少しも止まらない。
デンジが眉を寄せると、今度は目元に涙まで浮かんだ。笑われているのは分かるが、泣かれる覚えまではない。
「んだよ、テメー……はあ!? なんで泣いてんの!?」
「いやいや、すいません……あなたの顔、死んだうちの犬に似ていて……」
「ああ!? 俺、犬かよ!」
女の子は口元を押さえ、何度もごめんなさいと言った。肩がまだ揺れているので、たぶん顔を見ればまた笑う。
デンジはしばらくその様子を眺めていたが、やがて口へ手を当てた。
「うえっ」
「え。大丈夫ですか……?」
さらに身体を折り、わざと大きくえずいてみせると、女の子の声から笑いが消えた。
「待って、ハンカチ! ハンカチ……!」
慌てて探し始めたところで、デンジは口から花を取り出した。
「タラーン!」
開いた手を添えて突き出すと、彼女は目を丸くする。
「ええっ!? わっ、手品! スゴイ!」
「種も仕掛けもないんだな、これが」
差し出した花を、女の子が受け取った。
さっきまであんなに笑っていたのに、今度は花を見て、少しだけ頬を赤くする。
「ありがとう……」
その顔を見たまま、デンジは口を閉じそこねた。
ガラスを叩いていた雨音が、いつの間にか弱くなっている。女の子が外へ目を向け、明るい声を上げた。
「あ~! 雨やんだよ!」
電話ボックスを出ると、道路の端を水が流れていた。女の子は花を持ったまま、通りの先を指さす。
「私、この先の二道ってカフェでバイトしてるの。来てくれたら、このお礼してあげる」
デンジがそちらを見る間に、彼女は数歩先へ行っていた。振り返り、念を押すように指を伸ばす。
「絶対来てね?」
返事を考えているうちに、女の子はまた歩き出した。
デンジはその背中と、教えられた方向を見比べた。
*
レゼがエプロンの紐を結び終えると、マスターが遅刻した分は給料から引くと言った。
「ケチ~」
背中で結び目を引き締めながら文句を言っても、返ってきたのは仕事の指示だった。
「四番テーブルにお水ね」
「ケチケチケチケチ……」
小声で繰り返しながら客席へ向かったレゼは、窓際の席を見て足を止めた。
電話ボックスで会った男の子が、頬杖をついて座っている。
「って、早~!?」
デンジは顔を上げた。
せっかく先に着いたのだから、待ちくたびれたように見せたかったのに、思ったより大きな声を出されて、こちらまで少し驚く。
「ええ~? 私より早く来たでしょ!?」
「まあ、そういえばそうかな」
出された水を飲み、何でもないような顔で続けた。
「お礼、貰いに来ただけだぜ」
「ふ~~ん」
レゼは笑って、隣へ座った。
向かいの席も空いているのに、わざわざ隣だった。デンジがグラスを置く間にも、彼女の腕が近づいてくる。
「一緒に飲みますか~。へいへい、マスター! 私と彼にコーヒーを!」
「店員でしょ、アンタ」
「いいじゃないですか~。モーニングにしか客なんて来ないんだし」
マスターは何か言いたそうに口を曲げたものの、結局、カップを二つ用意し始めた。
デンジは横目でレゼを見る。電話ボックスでも近かったが、ここでも近い。店員が客の隣へ座る店なのかもしれないと思ったが、ほかに確かめられる客はいなかった。
ほどなく運ばれてきたコーヒーから、湯気が立ち上る。
「お礼はコーヒーでした! コーヒー好き?」
「……飲む」
デンジは取っ手に指をかけ、そのまま口へ運んだ。
苦い。
舌に触れた途端、眉間が勝手に縮まった。飲み込もうとしても喉が受けつけず、口を開けた拍子に茶色い液体が垂れる。慌ててカップを下へ戻したが、もう遅かった。
隣から、こらえそこねた笑い声。
「なに、その顔~! 絶対強がってる!」
「だぁって、コーヒーってマズくねえか!? ドブ味だよ、ドブ!」
「あははは! 子供だ、子供!」
笑いながら肩を叩かれた。
デンジは言い返そうとしていたのに、その手に気づいて口を止める。彼女は気にした様子もなく笑い続け、もう一度、軽く肩へ触れた。
やたら触ってくる。
俺に笑ってくれるし。
もしかして、この娘、俺のこと好きなんじゃねえ?
「私の名前、レゼ。君は?」
「デンジ」
「デンジ……デンジ君」
自分の名前を、そんなふうに確かめられたことがあっただろうか。
レゼは少し身を寄せ、こちらの顔を覗き込んだ。
「デンジ君みたいな面白い人、初めて」
「ふ……う~ん」
確定で俺のこと好きじゃん。
デンジはカップへ目を落とした。黒い表面にはもう湯気があまり立っていないが、飲めばまた同じ顔になる。それでも、この場を離れたいとは少しも思わなかった。
どうしよう。
俺は俺のことを好きな人が好きだ。
さっきまで、ほかの人なんか絶対に好きにならないと決めていた。マキマの顔を思い浮かべれば胸が騒いだし、あれは嘘でも勘違いでもなかったはずなのに、隣でレゼが笑うと、そっちを見るのをやめられない。
マキマさん、助けて。
俺、この娘、好きになっちまう。
*
翌日、少女が公安の建物を出ると、入口の脇にいたデンジが手を上げた。
「おう。お前、これから暇?」
「買い物をして帰るところ。どうしたの?」
「喫茶店行かねえ?」
少女は足を止めた。
デンジの口から出てきた行き先としては、少し意外だった。食事の話なら分かるが、わざわざ喫茶店へ誘われるのは初めてである。
「お腹が空いたの?」
「いや、まあ、空いてっけどよ。ケーキもあったし」
「どんな?」
「白くて、上に赤いの載ってるやつ」
「いちご?」
「たぶんそれ」
説明しながら、デンジはもう通りの先へ身体を向けている。店を探そうという話ではなく、行く場所は決まっているらしかった。
「昨日行った店?」
「あ? ……おう」
少女が隣へ並ぶと、デンジは一度こちらを見て、すぐに前へ向き直った。
何か聞いてほしそうな顔だったが、買い物のことを考えていると、先に向こうから口を開いた。
「まあ、なんつうか。店のやつと知り合ってよ」
「店員さん?」
「女」
そこだけはっきり答えたので、少女はデンジの横顔を見た。
「ふうん」
「なんだよ」
「まだ何も言ってないよ」
「顔が言ってんだろ」
それは少し無理があると思ったが、口元が緩んだのは確かだった。
昨日知り合った女の人に、今日も会いに行く。そのために誘われたのなら、自分は一緒に行っていいのだろうか。
「二人で話したいんじゃないの?」
「べ、別に! 店だぞ、店! 誰が行ったっていいだろ!」
「そうだけど」
「それに、お前もケーキ食いてえだろ」
まだ食べたいとは言っていない。
ただ、そこで断るほど嫌でもなかったので、少女は買い物に寄ってからでよければ、と返した。デンジはあっさり頷き、歩く速さを少し落とす。
店で卵と野菜を買い、袋を持って戻ると、デンジは入口の外で待っていた。こちらに気づくなり、顎で道の先を示す。
「こっち。すぐそこだ」
「そんなに急がなくても、お店は逃げないでしょう」
「急いでねえって!」
少女は返事をせず、少しだけ笑った。
デンジがこちらを睨んだので、袋の持ち手を直すふりをする。こういう時、慌てて否定されるほど、余計なことを言いたくなった。
「コーヒーを飲みに行くんだよね?」
「おう」
「飲めるの?」
「……ケーキも食う」
答えが変わった。
少女が顔を上げるより早く、デンジは前を指さした。
「先に言っとくけど、お前が連れてく店みてえなのじゃねえからな」
「私も、いつも沼ラーメンへ連れていくわけじゃないよ」
「あれ一回で十分なんだよ!」
「まだ食べてないでしょう」
「だから十分なんだって!」
店が見えたところで、デンジは言い合いを打ち切った。
窓のある落ち着いた店だった。入口の札は営業中になっており、ガラス越しに木のテーブルが見える。少女が看板を見上げているうちに、デンジは扉へ手をかけていた。
ベルが鳴った。
開いた隙間から、コーヒーの匂いが流れてくる。
その奥に、小さな鼻歌が混じっていた。
少女は敷居の手前で足を止めた。
歌詞はない。何かを拭きながらでも歌っているのか、途中の音が少し途切れ、それからまた続いていく。
知っている旋律だった。
次に上がるところも、そのあと少し長く伸ばすところも、聞こえるより先に分かる。頭の中で続きをなぞろうとして、少女は息を止めた。
買い物袋の持ち手が、指に食い込んでいた。
こんなところで聞こえるはずがない。
似ている歌なのかもしれないと思ったのに、声は覚えているとおりのところで息を継ぎ、続きを歌った。
「おい。入んねえの?」
扉を押さえたデンジが振り返る。
少女は返事をしようとしたが、喉から声が出なかった。袋の中で卵のパックが傾き、慌てて抱え直しても、目だけは店の奥から離せない。
カウンターの向こうで、人が動いた。
少女はようやく、片足を店の中へ入れた。