不死身の少女が特異4課でデビルハンターをする話 作:@taka
第二十八話 三人分
デンジは、パン屋の窓に貼られた紙を読んでいた。
腕を組み、少し離れ、また近づく。隣に立つレゼが読み終えても、まだ動こうとしないので、少女は彼の指が止まっている行へ顔を寄せた。
午後四時から、三個買うと一個おまけ。
店の時計は、三時五十六分だった。
「あと四分ね」
「な。今買ったら損じゃん」
「中で選んでたら、四時になるんじゃない?」
レゼが扉へ手をかけると、デンジが慌ててその横へ並んだ。
「待てって。選んだ時間で決まるかもしんねえだろ」
「そんなことある?」
「知らねえから待ってんだよ!」
少女は紙の下まで読んだ。会計時に、と書いてあるが、デンジはもう時計だけを確かめている。レゼがこちらへ顔を寄せ、小声で尋ねた。
「いつもこんな感じ?」
「ただでもらえるものについては、慎重なの」
「聞こえてんぞ」
四時になるまで、結局三人とも店先にいた。
*
先に仕事を終えた少女が喫茶店へ寄り、休憩に入ったレゼと出てきたところで、デンジに会った。
ビームもいたが、彼は少女たちより先にデンジを見つけ、歩道の隅から肩まで出てきたのだった。
「チェンソー様! ココニイタ!」
少女が足を止めると、レゼも隣で立ち止まった。
レゼへ顔を向けたビームが、鼻を動かしかけた。その肩を、デンジが押し戻す。
「だから来んなって! 今日はもう終わり!」
「護衛!」
「パン買うだけで何から守んだよ!」
ビームはパン屋の扉を確かめ、それからレゼへ顔を向けた。少女が間へ入る前に、デンジが彼の肩を押し戻す。
「仕事はちゃんとやっただろ。お前も帰れよ」
「……ハイ!」
今度は潜ってからも、しばらく背びれが残っていた。
レゼはそれが舗装の下へ消えるのを待ち、デンジの袖をつまんだ。
「すごいね。あの人、地面の中を泳げるんだ」
「すげえけど、いちいち抱きついてくんだよ。前の奴は飯を盗るし、今の奴はこれだしよォ」
「デンジ君、人気者じゃん」
「女に言われてえんだよ、そういうのは」
レゼが笑う。
少女は、彼女の手がデンジの袖から離れるまでを何となく追ってしまった。昔のレゼも、こんなふうに人へ触れただろうか。
思い出そうとしているうちに、デンジが店の貼り紙を見つけ、三人の足が止まったのである。
*
店内には、焼いた生地の匂いがこもっていた。
デンジが最初に取ったのは、クリームパンだった。レゼは細長いチョコレートのパンを選び、少女は丸いあんパンの前で迷っている。
白い紙に包まれたものと、上に胡麻の載ったもの。値段は同じだった。
「リン、どっちも買っちゃえば?」
「一人で二つ食べるほど、お腹は空いていないわ」
「半分ずつにすりゃいいじゃん」
「デンジは、それを食べるのでしょう」
「半分ならまだ入るって」
彼の盆には、もうクリームパンがある。少女はあんパンを一つだけ取り、おまけ用と書かれた籠へ進んだ。
小さな揚げパンが三つ残っていた。
デンジもレゼもついてくる。
「三人で三個買うから、一個もらえるのよね」
「そうそう。これが大事なんだよ」
会計を済ませて外へ出ると、デンジは袋の口を開け、まだ温かい揚げパンを確かめた。砂糖のついた指を舐めかけてから、少女たちのほうへ顔を戻す。
「これ、誰が食う?」
「三人で分けたら?」
「そう思って、店の人に切ってもらったわ」
三つに分かれた揚げパンを前に、デンジの口が少し開く。レゼは一瞬黙ったあと、少女の肩へ手をついて笑い出した。
「あははっ! もう決まってた!」
「だって、揉めるでしょう」
「俺、まだ何も言ってねえだろ!」
「今、誰が食べるか聞いたわ」
「聞いただけじゃん!」
公園のベンチへ座ると、少女は三つのうち、いちばん大きく見えるものを取った。
デンジがすぐに指を差す。
「おい」
「何?」
「自分のはそれなんだな」
「選んではいけなかった?」
「揉めねえようにしたんじゃねえのかよ!」
レゼが袋を膝へ載せたまま、また声を上げた。
「ふっ、あははは! リン、それは駄目だよ〜」
「同じくらいに切ってもらったもの」
「じゃあ俺のと換えろ」
「もう触ったわ」
「俺は気にしねえよ!」
言い返しながらデンジが手を伸ばすので、少女は揚げパンを口へ運んだ。半分ほど齧ると、砂糖が上着へ落ちる。
「……お前、ホントそういうとこあるよな」
文句を聞きながら飲み込もうとしたが、レゼが隣で笑い続けているせいで、少女まで喉が震えた。
「あはっ……待って。飲み込んでからにして」
「お前が先に食ったんだろ!」
レゼはとうとう袋を少女の膝へ預け、両手で口元を押さえた。肩が触れ、二人で前へ屈むと、今度はデンジまで鼻で笑う。
「そんな面白くねえだろ」
「だって、デンジ君がずっと真剣なんだもん」
「お前らが俺のパンの話で笑ってんだろうが」
レゼは目尻を指で拭い、自分の揚げパンを一口食べた。笑いはようやく収まったが、少女と顔を合わせると、また少し漏れてしまう。
少女は膝から落ちそうになった袋を持ち直した。
誰かに静かにしろと言われる前に、笑いを止めなければならない。そんな気が一瞬したのに、公園では自転車が一台通り過ぎただけだった。
*
あんパンを半分に割ると、デンジがすぐに覗き込んだ。
「そっち、餡いっぱい入ってんな」
「クリームパンと、半分ずつにする?」
「おう」
差し出されたものを受け取る直前、少女は手を止めた。
「そちらは、中身が少なくない?」
「偏ってんだよ。こういうのは」
「では、反対側をちょうだい」
「もうそっち齧った」
「いつの間に!」
レゼが二人の手元を比べ、自分のチョコレートパンを割った。
「私のも分けようか。そしたら、三種類食べられるよ」
「おっ、いいじゃん」
「待って。デンジは、まだ何も分けていないわ」
少女が指摘すると、デンジはクリームの多いほうをしばらく眺めた。それから、齧っていない端を小さく千切り、少女の袋へ入れる。
レゼの笑いが戻りかけた。
「それは少ないよ、デンジ君」
「今からもう一個取んだよ!」
今度はレゼの分も袋へ入った。少女はそれを確かめてから、あんパンを渡す。
三人の膝には、違う種類のパンが少しずつ並んだ。デンジは食べる順番まで考えているらしく、クリームのついた指を舐めてから、チョコレートのほうを持ち上げる。
「これ、混ぜたらもっとウマくなんじゃね?」
「また全部載せるつもり?」
「うめえもん同士だぞ」
「何の話?」
レゼへ、少女は最強のパンのことを話した。
苺ジャムとマーマレード、バター、その上から蜂蜜。順番を説明している途中でデンジが口を挟み、バターは熱いうちに塗るのだと念を押す。
「へえ〜。デンジ君、作ってくれるんだ」
「簡単だぜ。今度、食わせてやるよ」
「私にも?」
「おう」
レゼはすぐには次を言わなかった。
少女は袋の中を確かめるふりをして、二人から少し顔を外す。レゼへ話しかけるときだけ、デンジの声がいつもより大きくなる。本人は気づいていないらしい。
「じゃあ、楽しみにしてる」
隣で返事がして、デンジの靴先が前へ伸びた。
少女は残ったあんパンを口へ入れた。明日、ジャムを買って帰るのだろうか。早川がまた、夕飯の前に食べるなと言いそうだった。
*
喫茶店へ戻る途中、文房具屋の前でレゼが足を止めた。
窓際に、薄いノートが何冊も並んでいる。少女が隣へ戻ると、レゼは表紙の犬を指した。
「これ、変な顔」
「眠いのかしら」
「怒ってるんじゃない? こっちは笑ってる」
少女には、どちらもよく似て見えた。
レゼは入口へ半歩寄ったが、店の時計を確かめると、すぐに戻ってくる。
「また今度にしよう。遅れちゃう」
「ノート、要るの?」
デンジの問いに、レゼは肩をすくめた。
「別に。ちょっと見たかっただけ」
「ふうん」
デンジは窓の中へ顔を近づけたが、値札を確かめると離れた。少女も歩き始めながら、レゼの手元へ目を留める。
持っているのは、小さな石鹸の袋だけ。
欲しいのかどうか、聞けばよかった。けれど、買ってあげようかと続けるのも違う気がして、少女は何も言わずに隣へ並んだ。
喫茶店の前まで来ると、レゼがデンジへ向き直る。
「ねえ。デンジ君って、学校は?」
「行ってねえよ」
「一度も?」
「ああ。仕事してたし」
レゼは扉の取っ手に手をかけたまま、彼の返事を聞いていた。
少女はその横顔から、鞄の留め具へ指を戻す。自分も、教室に並ぶ机を写真でしか知らない。レゼが次に何を言うのか気になったが、彼女はデンジへ笑いかけただけだった。
「そっか。また聞かせて」
扉の鈴が鳴る。
デンジが先に入り、レゼは少女が続くまで取っ手を押さえていた。
*
マキマの机へ届いた封筒には、通し番号の異なる記録が二種類入っていた。
一方は、以前の複写で途中から欠けていた経過表。もう一方は、別の被験者の観察記録だった。同じ日付があり、時刻も近い。翻訳を添えた職員は、その箇所へ細い紙を挟んでいた。
マキマは二枚を並べ、日付の下へ指を置く。
「こちらの人は、その前からこの状態だったんですね」
「記録上は、そうなります。ただ、処置そのものの記載が足りません。何をした結果なのか、これだけでは」
「少女の血液を与えたことは?」
「別紙にあります。同じ被験者番号です」
差し出された紙を受け取り、マキマは番号を照合した。
処置前と処置後で、受け手についての記述が変わっている。少女の記録にも、近い時刻に意識を失ったとあったが、次の欄まで大きく間が空いていた。
「この間の記録は、まだないんですね」
「見つかっていません」
「分かりました。続けて探してください」
職員が退室すると、マキマは残された紙を順に重ねた。
机の端には、早川アキの契約についてまとめた別の書類がある。そちらを開き、記録された代償の箇所まで読み直してから、電話へ手を伸ばした。
岸辺が出るまでに、呼び出し音が数回続いた。
「残りの記録が、一部見つかりました」
『全部じゃないんだな』
「ええ。前より分かるところは増えましたが、少女が意識を失っていた間の経過は、まだ抜けています」
『写しを寄越せ』
「用意します。本人にも、覚えていることを確認したいと思っています」
受話器の向こうで、何かを置く音がした。
『先に読むと言っただろ』
「覚えていますよ。ですから、ご連絡しました」
マキマはアキの書類を閉じた。
「早川君の件も含めて、話せることを整理しましょう」
『治ると決まった言い方はするなよ』
「まだ、決まっていませんから」
電話を切ったあと、マキマは二組の記録を別々の封筒へ入れた。岸辺へ渡すほうには複写を揃え、欠けているページの一覧を一枚添える。
宛名を書き終えると、ペンの蓋が静かに閉じた。
*
レゼが仕事へ戻ったあとも、デンジと少女はしばらく店に残っていた。
今度のコーヒーには、デンジが自分で砂糖を入れた。一杯ごとに顔を近づけているので、少女は向かいからその手元を眺める。
「飲まなければ、甘くなったか分からないでしょう」
「もう分かるんだよ。このくらい入れりゃいいの」
カウンターの向こうから、レゼが笑った。
「昨日より一杯少ないよ」
「数えんなって!」
少女は紅茶を飲みながら、笑い声が厨房へ移っていくのを聞いた。デンジもそちらへ顔を向けている。
聞きたいことは、まだたくさんあった。
レゼが日本へ来たのはいつなのか。誰と暮らしているのか。あの施設を出るとき、自分のことをどう聞かされたのか。
今日は石鹸を選び、パンを分けただけで終わってしまった。それでも、何も聞けなかった日とは思えない。青い髪留めを気に入り、ノートの表紙で笑い、デンジが来ると声が少し明るくなる。知らなかったことは増えている。
「なあ」
デンジがカップを置いた。
「レゼって、昔もああだった?」
「何が?」
「よく笑うじゃん」
少女はすぐには答えられなかった。
笑った顔は覚えている。けれど、今日のように声を上げ、身体を折るほど笑っていたかと聞かれれば、自信がない。
「笑うときは、口を押さえていたわ」
「今もやってたな」
「そうね」
それだけ返すと、デンジはまたカウンターのほうへ顔を向けた。少女も残った紅茶へ口をつける。少し冷めていたが、飲み直すほどではなかった。
帰るとき、レゼは入口まで出てきた。
少女が先に外へ出ると、後ろでデンジが何か言いかけている。待とうとしたが、彼は少し照れた顔で手を振った。
「お前、先行ってていいぞ」
「そう。では、またね」
「リン、また明日!」
レゼの声に、少女は一度だけ振り返った。
明日も会うことになっている。
今度は自分から確かめなくても、向こうが言ってくれた。
*
閉店後、レゼはエプロンのポケットから、パン屋のレシートを取り出した。
三個分の値段と、その下の零円。
デンジが捨てようとしたのを、少女がゴミ箱を探すまで持っていてくれと渡したものだった。結局、三人とも忘れてしまったらしい。
レゼは紙を広げ、折り目を指で伸ばした。
リンは、大きい揚げパンを先に取った。
あの頃なら、余ったものを手にするまで待っていた。こちらが半分渡しても、さらに誰かの分を残そうとするので、レゼが先に食べろと言わなければならなかった。
今日は違った。
デンジに文句を言われても、笑って食べてしまった。それを見て、自分も笑った。次に何を話させるか考えるより先に、息が詰まるほど笑っていた。
レゼはレシートを畳み直した。
リンの隣にいたデンジは、心臓の在りかだけなら、とっくに分かっている相手だった。
けれど、クリームの多いほうを渡すまでにあれほど迷うとは知らなかった。学校へ一度も行ったことがないという返事も、こちらが用意していた会話には入っていない。
奥から店主に呼ばれ、レゼは紙をポケットへ戻した。
「明日の分、いくつ出しておこうか」
「三つ。……あ、四つでもいい?」
店主が冷蔵庫を開ける。
「今日は足りなかった?」
「ううん。明日は、もう一つ欲しがるかもしれないから」
並べられた四つの器を、レゼは盆ごと受け取った。