【チラ裏】ダンジョンに十字軍が攻めるのは間違っているだろうか 作:d_chan
地下空洞の発見地点は、パチカンから北東へおよそ九日の距離にあった。森と丘陵が途切れ、広い盆地へ出たところに、地面そのものが裂けたような巨大な縦穴が口を開けている。周囲には人の住んだ痕跡がほとんどなく、最も近い集落でさえ二日の距離があった。
探索隊がそこを発見したのは偶然である。北東方面の地図を作成するため街道になりそうな土地を調べていたところ、森の動物とは明らかに違う何かに遭遇し、それを追った騎士が縦穴へ辿り着いた。
最初の報告を受けてから三日後、第三騎士団を中心とする調査隊が現地に到着した。人数は二百余。戦闘要員だけではなく、神官、魔術師、測量技師、地質学者、記録官まで含まれている。神聖四文字は当初「十人くらいで見てくればいいんじゃないか」と言ったのだが、騎士団側から即座に却下された。正体不明の地下構造物へ少人数を送り込むなど論外だという。神本人より、部下の方が慎重だった。
縦穴の縁には、すでに簡易な防壁が築かれていた。周囲には焼却された魔物の死骸こそないが、討伐後に残された小さな結晶が袋に集められている。神聖四文字が遠隔視認術式を通じて現地を眺めているあいだにも、穴の底から何かが這い上がってきた。人間より一回り大きな蜥蜴に似た魔物で、四肢の先に鋭い鉤爪を持っている。守備隊の兵士が槍を構えるより早く、弓兵の一射が頭部を貫いた。倒れた身体はしばらく痙攣したのち、黒い煙のように崩れ、魔石だけを残して消えた。
『やっぱり、湧いてるな』
大聖堂の会議室でその光景を見ていた神聖四文字が呟いた。隣にはヨハネスと複数の枢機卿、それに第三騎士団長がいる。
「現地では、三日間で二百七十三体を確認しております。種類は十四。いずれも討伐後に消滅し、結晶を残します」
『同じ場所から?』
「はい。ただし、まったく同じ地点から出現するわけではございません。壁面や床から生じたとの証言もあります」
『壁から?』
「正確には、壁面が膨張し、そこから魔物が形成された、と」
神聖四文字は黙った。
ゲームなら珍しくもない。
スポーン。
一定条件で敵が再出現する仕組み。
だが、それが現実に起きている。
『地下、どこまで続いてる?』
「不明です」
「不明?」
「第一次探索隊が五キロほど進みましたが、終端を確認できませんでした。地下へ向かう傾斜が続いております」
『五キロ?』
「はい」
『横じゃなくて、下に?』
「概ね」
神聖四文字は少しだけ浮き上がった。
ヨハネスがその動きを見た。
「主よ」
『何』
「楽しんでおられませんか」
『……そんなことないよ』
「左様ですか」
『ちょっとだけ』
否定しきれなかった。
異世界へ転移して以来、彼が向き合ってきたものは難民、食料、外交、宗教対立、裁判、冬支度だった。どれも必要だが、元プレイヤーとして胸が躍る要素とは言い難い。そこへ突然、底の見えない地下迷宮が出現した。
しかも魔物が無限に湧く。
興味を持つなという方が無理だった。
『入ってみたい』
「なりません」
ヨハネスの返事は即座だった。
『まだ何も言ってないけど』
「仰ると思いました」
『ちょっと見るだけ』
「なりません」
『入口だけ』
「御身に万一があれば、都市どころか教会そのものが崩壊いたします」
『俺、かなり強いよ?』
「強さの問題ではございません」
神聖四文字は少し不満だった。自分はプレイヤー時代の能力を保持している。少なくとも周囲の騎士団長と比較しても遜色はないはずだった。しかし、唯一神という立場になってしまったせいで、危険な場所へ行こうとすると全力で止められる。神になった結果、自由が減ったというのは、ずいぶん皮肉な話だった。
「まずは階層構造と魔物の強度を調べるべきでしょう」
第三騎士団長が口を開いた。
「入口付近の魔物はレベル一桁ですが、下層へ進むにつれて強くなる傾向があります。第一次探索では推定レベル十八の個体まで確認されました」
『深くなるほど強くなる?』
「少なくとも現時点では」
『それ、ますますダンジョンだな』
「だんじょん、とは?」
『地下迷宮みたいな意味』
「では、その呼称を採用いたしましょう」
『え』
団長は記録官へ向き直った。
「以後、当該地下構造を《ダンジョン》と仮称する」
『いや、正式名称にしなくても』
「簡潔でよろしいかと」
こうして、本人の思いつきだった名称が、そのまま公的記録に残った。
*
調査は慎重に進められた。入口から一定距離ごとに標識を置き、帰路を見失わないよう魔術的な目印も残す。兵士は必ず複数人で行動し、前衛と後衛、治療役を分けた。怪物の種類、出現位置、戦闘力、残される魔石の大きさまで記録する。神聖四文字が「攻略情報はちゃんと残そう」と言った結果だったが、現地の記録官たちはこれを神命として異様なほど厳格に実施した。
その成果が出るまで、それほど時間はかからなかった。
魔石は燃料として使えた。
正確には、パチカンの魔術体系とは異なるエネルギーを内部に蓄えていた。魔術工房へ持ち帰って解析した結果、簡単な変換術式を通すだけで照明、暖房、動力などに利用できることが判明した。効率そのものはパチカン由来の高位魔道具に及ばない。しかし、こちらには決定的な利点があった。
供給源が枯れない。
『……これ、すごくない?』
報告書を読んだ神聖四文字は、さすがに声を弾ませた。
「資源として考えれば、極めて有望です」
工房を統括する枢機卿も珍しく興奮を隠していなかった。
『倒してもまた湧くんだよな』
「はい」
『魔石も毎回出る』
「はい」
『つまり』
「理論上、無限です」
神聖四文字は沈黙した。
無限資源。
その言葉の魅力は大きい。
同時に怖い。
『これ、知られたら人が集まるよな』
「間違いなく」
『俺たちだけで独占したら?』
「可能でしょう」
あまりに簡単に返されたので、神聖四文字の方が戸惑った。
『可能なの?』
「現在周辺に、我々へ対抗可能な軍事勢力は確認されておりません。入口を要塞化し、騎士団を常駐させれば、第三者を排除することは難しくありません」
『そうじゃなくて、やっていいと思う?』
枢機卿は少し考えた。
「それは、私ではなく主がお決めになることかと」
『丸投げだ』
「最終的には」
神聖四文字は遠隔映像の中に見える巨大な縦穴を眺めた。
資源がある。
魔物がいる。
深さは分からない。
この世界の人間にとっては恐るべき魔境だろう。
だが、同時に大きな可能性でもある。
『独占はしない』
「よろしいので?」
『うん。入口はこっちで管理する。でも、他の国の人が探索したいなら、ある程度は入れるようにする。もちろん登録とか規則は必要だけど』
「危険です」
『だから管理するんだよ。それに、俺たちだけで攻略するより人が増えた方が情報も集まる』
ヨハネスは静かに聞いていたが、そこで一つ尋ねた。
「主は、この地に都市を築くおつもりですか」
『都市?』
「探索者が増えれば、宿泊施設が必要になります。食料、武具、治療、交易も必要になる。入口を恒常的に管理するのであれば、砦だけでは足りません」
言われてみればその通りだった。
ダンジョンの周辺には人が集まる。
人が集まれば街ができる。
そして街ができれば――。
『面白そうだな』
神聖四文字は、つい言ってしまった。
会議室が静かになった。
『……何』
ヨハネスがゆっくり頭を下げた。
「御意、承りました」
『待って。今のは命令じゃない』
「この地を発展させよ、という御意では」
『ただの感想』
「しかし、主が御自ら面白いと仰せになられた地でございます」
『だから何』
ヨハネスは少し考えた。
「特別な意味を持つ土地である、と理解する者は多いでしょう」
神聖四文字は嫌な予感がした。
『変なこと考えてない?』
「滅相もございません」
『本当?』
「はい」
信用できなかった。
*
翌月、ダンジョン入口の周囲に恒久的な砦の建設が始まった。
当初の名称は《北東探索拠点》。実務的で、何の面白みもない名前だった。だが、現場では別の呼び名が広がっていた。
《聖穴》。
主が強い興味を示した場所。
主が将来を楽しみにした場所。
その程度の意味から始まった呼称だった。
神聖四文字は知ると即座に訂正させようとした。
『聖地じゃないからね』
「まだ、誰も聖地とは申しておりません」
『「まだ」って言ったよな』
「はい」
『言う予定ある?』
「今後の状況次第では」
『やめて』
教皇庁は、ひとまず正式指定を見送った。
ひとまず、である。
*
マルクスがダンジョンへ派遣されたのは、春も半ばを過ぎたころだった。
彼はすでに低位訓練設備で得られる経験値を使い切り、レベル二十で止まっていた。そこから先へ進むには実戦が必要になる。本人が騎士を目指す以上、いずれ避けては通れない。
同行者は軍学校卒業者十二名と、第三騎士団の教官二名。いずれも現地出身者にとって、初めての本格的なダンジョン実習だった。
「死ぬ可能性はありますか」
入口へ向かう途中、同期の青年が教官に尋ねた。
「ある」
答えは簡潔だった。
青年の顔が引きつる。
「安全な訓練だと聞いていたのですが」
「誰から聞いた」
「先輩です」
「なら、その先輩は嘘つきだ。ここから先は訓練施設ではない。こちらが手加減しても、魔物はしてくれん」
教官は歩きながら一行を振り返った。
「怖い者は今のうちに戻れ。恥ではない。レベル二十でも村の自警団や行政職なら十分に役立つ。騎士になる必要はない」
誰も戻らなかった。
マルクスにも恐怖はあった。
だが、それ以上に、自分がどこまでできるのかを知りたかった。
最初の魔物は入口から一キロほど進んだところで現れた。犬に似た四足獣が三体。以前のマルクスなら見ただけで逃げただろう。
今は剣を抜いた。
「二人一組。前へ出すぎるな」
教官の声が響く。
魔物が走ってくる。
マルクスは盾を構えた。
衝撃。
重い。
だが、耐えられる。
盾を押し返し、剣を振った。刃が魔物の肩へ入り、身体が傾ぐ。隣の同期が槍で喉を貫いた。
魔物が崩れた。
魔石だけが残る。
マルクスは荒い息を吐いた。
「……勝った」
「まだ二体いるぞ」
教官に叱られた。
「はい!」
その日、マルクスたちは十四体の魔物を倒した。
帰還したとき。
彼のレベルは二十一になっていた。
たった一つ。
数字が増えただけだった。
それでもマルクスは、自分の中で何かが大きく変わったことを感じていた。
訓練のかかしを殴って得たものではない。
恐怖の中で剣を抜き。
仲間を守り。
生きて戻った結果だった。
それは、後に十字教世界で「レベル二十までは教育、そこから先は本人の生き方」と言われるようになる最初の実例だった。
*
ダンジョンの噂は、パチカンの予想より早く外へ漏れた。
無限に魔物が湧く。
倒せば価値ある石が手に入る。
深く潜れば、さらに強い魔物と未知の資源が存在する。
最初にやって来たのは、ラグナル領の傭兵たちだった。
次に猟師。
その次は、職を失った兵士。
やがて商人が来た。
宿屋が建った。
鍛冶場ができた。
露店が並んだ。
一年も経たないうちに、砦の周囲には千人を超える人々が暮らすようになった。
神聖四文字は遠隔映像を眺めながら、少し感心していた。
『街になってきたな』
「はい」
『名前、そろそろ必要じゃない?』
「現地では既に幾つか呼称がございます」
『どんな』
ヨハネスは一瞬ためらった。
「聖都、聖穴街、主の迷宮、東方聖地など」
『全部却下』
「では、主より御名を賜れれば」
『俺が決めるの?』
「主が最初に見いだされた場所でございますので」
『見つけたのは探索隊だけど』
「主が、その価値を見いだされました」
『またそういう言い方する』
しばらく考えた。
ゲームでダンジョンの入口に作る街。
冒険者が集まる街。
いずれ、この世界でどんな場所になるのか分からない。
『……オラリオ』
「オラリオ」
『うん。何となく』
「意味は」
『特にない』
ヨハネスはそれ以上尋ねなかった。
記録官が書き留めた。
――主、迷宮周辺の新都市に《オラリオ》の名を賜う。
『いや、「賜う」じゃないから』
訂正はされなかった。
*
そして、それからさらに数年後。
オラリオは正式に十字教会から特別保護地域に指定された。
理由は、ダンジョンそのものが信仰上重要だったからではない。
神聖四文字が頻繁に様子を見たがった。
探索記録を楽しみにしていた。
新種の魔物が見つかるたびに興味を示した。
そして何より。
『あそこ、やっぱり面白いよな』
と、何度も言った。
その結果。
神学者たちは考えた。
唯一神がかくも関心を寄せられる土地には、何らかの意味があるのではないか。
数十年後。
特別保護地域は《聖域》と呼ばれるようになった。
さらに数百年後。
正式に聖地へ昇格した。
神聖四文字は、そのたびに反対した。
『いや、本当にそういう意味で言ったんじゃないんだけど』
しかし。
二千年後。
神々が天より降り。
その聖地オラリオへ集まり。
ファミリアと呼ばれる集団を作り始めたとき。
西方世界の十字教徒たちは、歴史上かつてないほど単純な結論へ到達することになる。
――聖地が、邪神どもに占拠された。
神聖四文字がその報告を受けて最初に発した言葉は、後世の正史には残されていない。
教皇庁が記録を封印したためである。
ただし、一部の写本には次の一文が残っている。
『いや、どうしてそうなるんだよ』