【チラ裏】ダンジョンに十字軍が攻めるのは間違っているだろうか   作:d_chan

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第23話 神もまた法の下に

 神々がオラリオに住み始めてから二十年ほど経つと、「神がいる」という事実そのものに驚く者は少なくなった。もちろん、西方の農村では今なお一生のうち一度も天界の神を見ることなく死ぬ者の方が多い。しかし、オラリオでは違った。朝市で果物の値段を巡って店主と揉めている神がいる。昼には鍛冶神が弟子の仕事を怒鳴りながら直している。

 

 夜になると酒場で眷族より先に潰れる神までいる。十字教徒にとって当初は耐え難い光景だったが、人間というものは恐ろしいほど早く慣れる。やがて市民は、頭上に翼を持つソフィアと、路地裏で酔いつぶれている神の双方を見ても、それぞれ別の意味で「そういうもの」と受け入れるようになった。

 

 教会も、それに合わせて言葉を変えた。神聖四文字を指す場合には《主》あるいは《唯一なる主》。天界から降りた存在については《天界神》。神学上、両者を同一の存在分類と認めたわけではない。しかし、いつまでも「神を名乗る者」と呼び続けるのは実務上あまりにも不便だった。

 

『結局、神って呼ぶんだ』

 

「正式には天界神でございます」

 

『神じゃん』

 

「区別は重要です」

 

『向こうは気にしてる?』

 

「まったく」

 

 当代教皇の顔には、長年の疲労が刻まれていた。

 

 実際、神々の方は十字教会の分類などほとんど気にしていなかった。「好きに呼べばいい」と笑う者が大半であり、中には自分から「偽神でも結構」と名乗って司祭を怒らせる者までいた。神聖四文字は、そういう神には少し親近感を覚えた。

 

 しかし、呼び方を決めれば済む問題ばかりではない。

 

 もっと根本的な問いが、いずれ必ず出てくる。

 

 それが現実になったのは、オラリオに神々が定着して二十三年目の春だった。

 

     *

 

 一人の男が死んだ。

 

 冒険者ではない。武具商だった。

 

 死因は転落。

 

 四階建ての商館の窓から落ち、石畳へ頭を打った。

 

 事故ならば、それだけの話だった。

 

 しかし、目撃者がいた。

 

 男が落ちる直前、その部屋には一柱の神がいたのである。

 

 名をラオメドンといった。

 

 小規模な交易系ファミリアを率いる男神で、オラリオへ来て八年。酒と賭博を好み、借金も多い。人間相手の喧嘩もしばしば起こしていたが、それまで重大な犯罪歴はなかった。

 

 死亡した商人とは金銭問題で争っていた。

 

 そして事件の直前、二人が激しく口論する声を使用人が聞いていた。

 

「神が人を殺した?」

 

 神聖四文字は、報告を受けて確認した。

 

「現時点では容疑者です」

 

 教皇が答えた。

 

『本人は何て?』

 

「事故だ、と。商人が掴みかかってきたため押し返したところ、窓を突き破って落ちたと証言しております」

 

『目撃者は?』

 

「室内にはおりません」

 

『じゃあ調べるしかないな』

 

「問題は、その先でございます」

 

『その先?』

 

 教皇は少し間を置いた。

 

「仮に殺人と認定された場合、天界神を我々の裁判所で裁けるのでしょうか」

 

 神聖四文字は止まった。

 

『……ああ』

 

 考えていなかった。

 

「オラリオに居住する以上、都市法には従っていただくという協定を各ファミリアとは結んでおります。ただし、神本人に対して死刑や拘禁刑を執行できるのかは明記されておりません」

 

『なんで書かなかったの』

 

「神が殺人を犯すことを、当時の法務官が想定していなかったようです」

 

『俺たち、千年以上何を学んできたんだろう』

 

「私も同感でございます」

 

     *

 

 さらに厄介だったのは、ラオメドン本人が逃げなかったことである。

 

 翌朝、自らギルドへ出頭した。

 

「調べたければ調べればいい。ただし、私を人間と同じ牢屋に入れるのは御免だ」

 

 担当官は目の前の神を見て、慎重に尋ねた。

 

「理由を伺っても?」

 

「狭いからだ」

 

「……それだけですか」

 

「あと飯が不味い」

 

 担当官は記録係を見た。

 

 記録係も困っていた。

 

「殺人の疑いをかけられていることについては?」

 

「押したのは事実だ。しかし殺すつもりはなかった。あの男が私の眷族を騙して借金を背負わせたから話をしに行った。向こうが先に胸倉を掴んだ。それを払ったら窓から落ちた」

 

「神であるあなたが、人間を押したのですね」

 

「ああ」

 

「御自身と人間の力の差を考慮されましたか」

 

 ラオメドンはそこで黙った。

 

「……していなかった」

 

 この証言が事件の性質を変えた。

 

 故意の殺人ではないかもしれない。

 

 だが、力の差を知りながら人間へ手を出した責任は残る。

 

 そして問いは、さらに大きくなった。

 

 神は、人間と同じ法に従うのか。

 

     *

 

 神々の反応は割れた。

 

「もちろん従うべきよ」

 

 エリオンで最初にソフィアと会った女神は、オラリオまで来てそう言った。

 

「下界で遊ぶなら、下界の決まりには従わないと。私たちだけ好き勝手していいなら、ゲームにならないでしょう」

 

『ゲームなの?』

 

「たとえよ」

 

『その言い方、なんか嫌な記憶刺激するな』

 

「何の話?」

 

『こっちの話』

 

 一方、別の神は反対した。

 

「人間が神を裁く? 傲慢にもほどがあるだろう」

 

 その男神は公然と言った。

 

「我々は天界から降りた存在だ。人の王や裁判官に頭を下げる理由などない」

 

 それを聞いたウラノスは、特に感情を見せず尋ねた。

 

「ならば、人間の街に住む理由もないのではないか」

 

「何?」

 

「法を受け入れぬ者が、その法によって守られる都市に住むのは都合がよすぎると言っている」

 

「君は人間側につくのか」

 

「私はオラリオに住んでいる」

 

「だから?」

 

「住む場所の秩序を壊したくない。それだけだ」

 

 神同士の議論は、神聖四文字が想像していたよりずっと人間臭かった。

 

     *

 

 神聖四文字は、ラオメドン本人とも会った。

 

『率直に聞くけど、人間の法で裁かれるの嫌?』

 

「嬉しくはない」

 

『神だから?』

 

「半分はな。もう半分は、何百年生きている私を五十年そこらしか生きていない裁判官が裁くのは妙な気分だからだ」

 

『俺なんか千年以上ずっと人間に意見されてるよ』

 

「君は変わっている」

 

『最近それ、神からも言われるようになった』

 

 ラオメドンは苦笑した。

 

『でもさ。もし逆だったらどうする? 人間が君の眷族を殺して、「お前たちの神の法律には従わない」って言ったら』

 

 ラオメドンは黙った。

 

『納得する?』

 

「しないな」

 

『じゃあ同じじゃない?』

 

「……理屈では」

 

『神って、理屈が嫌いなの?』

 

「嫌いではない。ただ、自分に向けられると鬱陶しい」

 

『それは人間と同じだな』

 

「そうかもしれん」

 

 しばらくして、ラオメドンはため息をついた。

 

「逃げはしない。だが、一つ条件がある」

 

『何?』

 

「公開裁判にしてくれ。神だから特別扱いされたとも、神だから見せしめにされたとも言われたくない」

 

『分かった』

 

「それと、死刑になった場合は?」

 

『それ、こっちも困ってる』

 

 二柱は同時に黙った。

 

     *

 

 裁判は、オラリオ建都以来最大級の注目を集めた。

 

 法廷の外には十字教徒、ファミリアの眷族、冒険者、各国の記者が集まった。天界神も十数柱が傍聴席に並んでいる。裁判官は現地出身の人間三名。神聖四文字もウラノスも、審理には介入しなかった。

 

 証言と現場検証の結果、ラオメドンに殺意があったとは認定されなかった。しかし、神として人間を遥かに上回る身体能力を有し、その力の差を知り得る立場にありながら暴力を行使した責任は重いと判断された。

 

 判決は、過失致死。

 

 刑罰はオラリオからの十年間の追放、被害者遺族への賠償、そしてファミリアに属する商業権の一部停止。

 

 死刑ではなかった。

 

 拘禁でもない。

 

 だが、神を無罪にはしなかった。

 

 判決を聞いたラオメドンは、長いあいだ裁判官を見ていた。

 

「一つ聞いていいか」

 

「どうぞ」

 

「私が神でなければ、刑はもっと軽かったか」

 

 裁判長は少し考えた。

 

「同程度の力を持つ者が、同じ状況で弱い者へ暴力を加えたなら、同じように重く判断します。あなたが神だからではありません。あなたが、自分の力を知るべき立場にあったからです」

 

「なるほど」

 

 ラオメドンは頷いた。

 

「ならば受けよう」

 

 それだけだった。

 

     *

 

 判決後、神聖四文字は教皇庁とギルドに新しい原則を制定させた。

 

 ――オラリオに居住する者は、その種族、出身、信仰、神性の有無にかかわらず、市民法の適用を受ける。

 

 神にも適用される法律。

 

 後世、《神人同法原則》と呼ばれることになる。

 

『名前、大げさじゃない?』

 

「神を裁く法でございますので」

 

『俺にも適用される?』

 

 法務官が固まった。

 

「……主にも?」

 

『神性の有無にかかわらず、なんだろ』

 

「しかし主は、法の制定者でもあられます」

 

『だから俺だけ例外にしたら意味ないじゃん』

 

 法務官は教皇を見た。

 

 教皇は神聖四文字を見た。

 

『何?』

 

「主を逮捕できる者が存在いたしません」

 

『そこから?』

 

「仮に主が犯罪を犯された場合、誰が御身を拘束するのでございます」

 

『十二騎士団とか』

 

 騎士団長たちが一斉に顔を上げた。

 

「不可能です」

 

『即答だな』

 

「主に剣を向けることはできません」

 

『じゃあ制度として駄目じゃん』

 

 結局、神聖四文字についてのみ、通常の刑事手続ではなく十三枢機卿、教皇、十二騎士団代表、オラリオ市民代表による特別審理を行うという、かなり無理のある制度が設けられた。

 

 実際に使われたことは一度もない。

 

 神聖四文字自身は、存在するだけで少し安心した。

 

     *

 

 神々に法律を適用したことは、予想外の効果を生んだ。

 

 オラリオへ来る神が増えたのである。

 

 理由を尋ねると、一柱の女神は笑って答えた。

 

「だって面白いもの。神を追放できる街なんて、天界にもないわ」

 

『そこが魅力なの?』

 

「ええ。ここでは神だからって何でも許されない。その代わり、神だからって何でも崇めなくていい。人間と一緒に生きるなら、そのくらいの方が楽しいでしょう?」

 

『神ってもっと偉そうなものだと思ってた』

 

「偉そうな神もいるわよ」

 

『知ってる』

 

 ファミリアの数はさらに増えた。

 

 迷宮探索を目的とする神。

 

 職人を集める神。

 

 孤児を養う神。

 

 商売で大儲けしたい神。

 

 単に人間の料理が好きな神。

 

 理由はばらばらだった。

 

 しかし、彼らがオラリオへ集まるほど、都市は別の姿へ変わっていった。

 

 いつしか人々は、オラリオを《迷宮都市》だけでなく《神々の街》とも呼ぶようになった。

 

 その呼称を、神聖四文字は嫌わなかった。

 

     *

 

 問題は、西方世界だった。

 

 オラリオでは共存が進む。

 

 しかし、そこから数百里離れれば事情は違う。天界神を直接見たことのない十字教徒にとって、彼らは今なお「主以外に神を名乗る存在」である。

 

 さらに悪いことに、話だけが伝わる。

 

 ――聖地オラリオに異神の神殿が建っている。

 

 ――天界神が人間へ恩恵を与え、十字教徒を奪っている。

 

 ――主の聖地で、異神が堂々と歩いている。

 

 ――教皇庁はそれを認めている。

 

 事実である。

 

 ただし、それぞれの事実の間にある説明は、遠くへ行くほど抜け落ちた。

 

 西方の辺境教会で、一人の司祭が説教した。

 

「主は寛容であられる。ゆえに我々も耐えている。しかし、寛容とは真偽を等しいものとすることではない」

 

 別の司祭は、さらに強く言った。

 

「今、聖地は試されている。偽神どもが人々を惑わせている」

 

 教皇庁は後者の表現を禁じた。

 

 だが、禁じれば言葉が消えるわけではない。

 

 地下へ潜る。

 

 写本になる。

 

 歌になる。

 

 物語になる。

 

 何百年も前に生まれた《聖地を守る騎士》の物語と結びつく。

 

 神聖四文字が気づいたときには、一つの考えが西方各地に根を張り始めていた。

 

 ――主は慈悲ゆえに耐えておられる。

 

 ――ならば、その慈悲が尽きる前に、人が聖地を清めるべきではないのか。

 

     *

 

『俺、そんなこと一回も言ってないんだけど』

 

 報告書を前に、神聖四文字は呆然としていた。

 

「存じております」

 

 教皇の声は重い。

 

『しかも俺が我慢してることになってる』

 

「そのように解釈する者がおります」

 

『我慢してないよ。ウラノスと普通に話すし、最近チェスしてるし』

 

「その事実は西方ではあまり知られておりません」

 

『広めれば?』

 

「主が天界神と親しく遊戯されていると?」

 

『事実じゃん』

 

「別の意味で混乱が起きるかと」

 

『じゃあどうしろっていうんだよ』

 

 教皇は答えられなかった。

 

 そのとき、ソフィアが静かに口を開いた。

 

「主が、御自ら西方を巡られてはいかがでしょう」

 

『俺が?』

 

「はい。千年以上の間に、主は人々から遠くなりました」

 

 神聖四文字は黙った。

 

 レオンも同じことを言っていた。

 

 自分のような者が、直接主へ尋ねられるとは思わなかった。

 

「人々が主の御心を誤解するのなら、主御自身がお話しになるのが最も確実かと」

 

『……でも俺が行くと大騒ぎになるよ』

 

「なります」

 

『即答だね』

 

「しかし、大騒ぎになることと、誤解が残ることのどちらが危険かをお考えください」

 

 神聖四文字は長く考えた。

 

 そして。

 

『行こうか』

 

 千年以上、ほとんどパチカンとオラリオから動かなかった唯一神が。

 

 初めて、西方世界を巡ることを決めた。

 

 目的は布教ではない。

 

 征服でもない。

 

 ただ一つ。

 

 自分は天界神を滅ぼせなどと命じていない。

 

 それを、自分の口から伝えるためだった。

 

 後世、この旅は《大巡幸》と呼ばれる。

 

 そして皮肉なことに。

 

 十字軍という思想を抑えるために始めた旅は。

 

 十字教徒たちに、唯一神が今も地上に実在することを改めて思い知らせることになる。

 

 それが、さらに大きな熱狂を生むとは。

 

 出発前の神聖四文字には、まだ分からなかった。

 

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