【チラ裏】ダンジョンに十字軍が攻めるのは間違っているだろうか   作:d_chan

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第25話 聖地奪還論

 《聖地は、神々に占められている》。

 

 その言葉がどこで生まれたのかは、後世の研究でも特定されていない。最初は西方の小さな修道院で書かれた説教草稿だったとも、騎士学校の学生が酒場で口にした言葉だったとも言われている。ただ、広がる条件だけは揃っていた。オラリオには数百柱の天界神が集まり、巨大なファミリアが迷宮探索、商業、鍛冶、治安、情報流通にまで影響力を持つようになっている。

 

 一方、都市成立に深く関わった十字教会は依然として大聖堂と広大な土地を有していたものの、政治的には数ある勢力の一つへ退いていた。西方から見れば、それは十分に「かつて自分たちのものだった都市を奪われた」ように見えた。

 

 もちろん、実態は違う。オラリオは征服されていない。神々が軍を率いて押し寄せたわけでもなければ、十字教徒を追放したわけでもない。神聖四文字自身が天界神の入城を許し、ファミリアの存在を認め、都市法の下で共存する道を選んだ。その経緯は記録にも残っている。

 

 だが、千年以上前の記録を丁寧に読む人間は少ない。

 

 短い言葉の方が強い。

 

 ――聖地を、偽神が支配している。

 

 それだけで十分だった。

 

『まず、その「奪われた」ってところから違うんだけど』

 

 神聖四文字は、教皇庁が集めた説教集を前にしていた。説教は西方六王国、二公国、三つの自由都市で確認されている。教皇庁が禁じたはずの《偽神》という語も、かなりの頻度で復活していた。

 

「問題は、事実関係より感情かと存じます」

 

 当代教皇マルティヌス四世が答えた。七十を越えた現地出身者で、長く地方教会の監察を担当してきた人物である。

 

『感情?』

 

「西方の信徒にとって、オラリオは主が名を与えられた聖地です。その中心で、自分たちが信じない神々が勢力を伸ばしている。法的に問題がなくとも、『我々の場所ではなくなった』と感じる者が増えております」

 

『でも、最初から十字教徒だけの街にしないって決めたよね』

 

「はい」

 

『宣言も残ってる』

 

「残っております」

 

『じゃあ読ませれば』

 

「読んだうえで、なお納得しない者がおります」

 

 神聖四文字は黙った。

 

 それが一番厄介だった。知らないのではない。知っている。そのうえで「当時と今では事情が違う」と解釈している。

 

「彼らの主張は、おおよそこうです。主は少数の天界神との共存を認められた。しかし現在のオラリオでは、ファミリアが都市の主要勢力となっている。したがって、主の寛容を利用して神々が聖地を乗っ取ったのだ、と」

 

『ウラノスなんて何百年も迷宮抑えてくれてるのに』

 

「その事実も伝えております」

 

『他の神だって、街を守ったり、魔物倒したりしてるだろ』

 

「はい」

 

『じゃあ何が不満なんだろ』

 

 マルティヌスは少し考えた。

 

「主よ。恐らく、功績の問題ではないのです」

 

『じゃあ何?』

 

「誰が中心にいるか、なのだと思います」

 

 神聖四文字は返事をしなかった。

 

     *

 

 聖地奪還論を最初に体系化したのは、騎士でも王でもなかった。

 

 一人の神学者だった。

 

 名をペトルス・アルバニア。

 

 四十三歳。

 

 西方最大の神学校の教授で、教会史を専門としていた。彼は数年をかけ、オラリオ建都以来の文書を調べた。そして発表した長大な論考の題名が、《聖地の占有と主権について》だった。

 

 内容は単純な排外論ではなかった。

 

 むしろ、厄介なほど理路整然としていた。

 

 オラリオは主が名を与え、十字教会が初期の行政・防衛・迷宮管理を担った。その後、主は《開かれた聖地》を宣言し、異教徒にも居住・交易・探索を認めた。しかし「開かれていること」と「聖地としての性格を失うこと」は同義ではない。ところが現在、都市統治の主要部分はギルドとファミリアによって担われ、十字教会の影響力は相対的に低下している。ゆえに、聖地宣言の本旨を回復するため、十字教会はオラリオにおける政治的主導権を取り戻すべきである。

 

 そして最後に、もっと危険な一文があった。

 

 ――平和的方法による回復が拒絶された場合、正当な権利を回復するための武力行使まで主が永久に禁じられたと解する根拠はない。

 

『これ、俺が昔言ったことを使ってるよね』

 

 神聖四文字は論文を読み終えた。

 

「はい」

 

 マルティヌスは認めた。

 

『「未来まで縛るつもりはない」とか、「正式な命令による防衛は否定してない」とか』

 

「引用自体は正確です」

 

『正確なのが余計に嫌だな』

 

 そこへヨハネスが口を挟んだ。千年以上前とほぼ変わらない顔で、今では教皇庁の最深部にしか姿を現さない。

 

「文章とは、そのようなものでございます」

 

『俺、もっとちゃんと言えばよかった』

 

「当時の主が千年後の解釈まで予測することは不可能でしょう」

 

『でも、こいつら「主は否定してない」って言ってる』

 

「だからこそ、今の主が否定されればよろしいかと」

 

『簡単に言うね』

 

「実際、それが最も確実です」

 

 神聖四文字は論文を閉じた。

 

『じゃあ、ペトルスを呼んで』

 

     *

 

 ペトルスは、想像していたより穏やかな男だった。

 

 神聖四文字の前へ出ると深く跪いたものの、怯えてはいない。むしろ、長年研究してきた人物へ会えた学者のような緊張があった。

 

『論文読んだよ』

 

「光栄に存じます」

 

『武力でオラリオを取り戻してもいいって書いた?』

 

「条件付きでございます」

 

『その条件を聞きたい』

 

 ペトルスは顔を上げた。

 

「私は、今すぐ軍を送るべきだとは考えておりません。まず教会の権利回復を外交的に求めるべきです。都市評議会における代表権、迷宮管理への発言権、聖地としての宗教的象徴の維持。これらが認められるなら、武力は不要です」

 

『今も教会代表いるよね』

 

「おります。しかし人口比、資産、歴史的貢献に比して小さい」

 

『人口比なら、十字教徒が減ったんだから仕方ないんじゃない?』

 

「だからこそ問題なのです」

 

 神聖四文字は少し黙った。

 

『どういう意味?』

 

「主が聖地とされた都市で、主を信じる者が少数派へ近づいている。それを何の問題もない変化として受け入れるなら、聖地という言葉に何の意味がございますか」

 

『場所が大事なのと、そこにいる全員が俺を信じることは別だろ』

 

「全員とは申しません」

 

『じゃあ何割なら聖地なの?』

 

 ペトルスは答えに詰まった。

 

『五割? 三割? 一割になったら奪還する?』

 

「割合の問題ではございません」

 

『じゃあ結局、何が問題なの』

 

 しばらく沈黙した後、ペトルスは言った。

 

「我々が、客になりつつあることです」

 

 神聖四文字は動かなかった。

 

「オラリオを築いたのは我々の祖先です。最初の砦を守り、街路を引き、ギルドを作り、何世代も迷宮で死んだ。それなのに今、西方から巡礼へ行った信徒たちは、自分たちこそよそ者のように感じると言います。神々の名を冠した館が並び、冒険者はファミリアの旗を掲げ、子供たちは主よりも身近な神の名を先に覚える。彼らは問うのです。ここはまだ、我々の聖地なのかと」

 

『……それは、分かる』

 

 マルティヌスが神聖四文字を見た。

 

 ペトルスも少し驚いた。

 

『でも、「寂しい」と「取り返していい」は別だよ』

 

「はい」

 

『そこを一緒にしたら駄目だ』

 

「では、主は何もなさらないのでしょうか」

 

『何をすればいいと思う?』

 

「聖地としての十字教会の優越を、明確になさるべきです」

 

『優越って?』

 

「少なくとも、天界神の神殿と主の大聖堂が同列ではないことを」

 

『俺、それをやりたくないから開かれた聖地にしたんだけど』

 

「では、主にとって聖地とは何です」

 

 今度は神聖四文字が答えられなかった。

 

 長い沈黙があった。

 

『……好きな場所』

 

「それだけでございますか」

 

『最初はね』

 

 神聖四文字は考えながら話した。

 

『迷宮が面白かった。いろんな人が来るようになった。死んだ人もたくさんいる。何百年も続いた。それで、ここを大事にしようってなった。でも、誰か一種類の人だけの場所にしたかったわけじゃない』

 

「ならば、聖地とは主の所有地ではない?」

 

『違うと思う』

 

「十字教徒のものでもない?」

 

『うん』

 

「では、誰のものです」

 

『住んでる人たちのものじゃない?』

 

 ペトルスは目を閉じた。

 

「その答えを、西方の信徒が受け入れるのは容易ではありません」

 

『分かってる。でも、だからって嘘は言えない』

 

     *

 

 会談は三時間続いた。

 

 最後まで、ペトルスは完全には納得しなかった。

 

 神聖四文字も彼を異端とはしなかった。

 

『考えるのは禁止しない。でも、俺が聖地奪還の戦争を望んでるとは書かないで』

 

「では、主は現時点において、武力による聖地回復を望まれない」

 

『現時点じゃなくて』

 

 神聖四文字は少し強く言った。

 

『天界神がいるって理由だけでオラリオへ軍を出すことは認めない。ファミリアが多いからって、それだけで占領とも認めない。はっきり書いて』

 

「将来、彼らが十字教徒を迫害した場合は?」

 

『そのときは、その迫害を止めるために動く。でも「神だから敵」にはしない』

 

「オラリオが西方からの巡礼を禁じた場合は」

 

『そのとき話し合う。武力は最後』

 

「最後には、あり得る?」

 

 神聖四文字は、すぐには答えなかった。

 

 この男は、そこを聞いている。

 

『人が殺され続けて、話もできなくて、他に方法がないなら、武力を使うことはあると思う』

 

「では――」

 

『でも、それは聖地だからじゃない』

 

 ペトルスは口を閉じた。

 

『人を守るためだ。土地を取り返すためじゃない。そこ、絶対に混ぜないで』

 

 ペトルスはゆっくりと頭を下げた。

 

「承知いたしました」

 

 その返事は誠実だった。

 

 少なくとも、その時点では。

 

     *

 

 神聖四文字は、自ら声明を出した。

 

 《聖地非占有宣言》。

 

 オラリオは十字教徒だけの所有物ではない。

 

 天界神およびファミリアの存在それ自体を占領とはみなさない。

 

 信仰の相違のみを理由とする武力行使を認めない。

 

 十字教徒の巡礼・居住・信仰の自由が守られる限り、教会は都市の自治を尊重する。

 

 ただし、あらゆる住民に対する重大な迫害や虐殺が生じた場合には、宗派を問わず救援する。

 

 文面は明確だった。

 

 少なくとも、神聖四文字はそう思った。

 

 西方各国の王も、公式には支持した。

 

 教皇庁も各地の司教へ通達した。

 

 ペトルス自身も、新たな論文で「主は現状のオラリオを占領状態とは認めていない」と記した。

 

 それでも。

 

 聖地奪還論は消えなかった。

 

 今度は、こう変化した。

 

 ――主は現状を占領とは認めておられない。

 

 ――ならば、占領と認めざるを得ない状況に至ったときこそ、我々は行動しなければならない。

 

 神聖四文字はその文章を読んだとき、しばらく無言だった。

 

『どう書けば止まるの、これ』

 

 ヨハネスが答えた。

 

「恐らく、文章では止まりません」

 

『じゃあ何で止める?』

 

「状況そのものを、戦争を必要としないものに保つしかないでしょう」

 

『ずっと?』

 

「はい」

 

 神聖四文字は、気が遠くなった。

 

     *

 

 それからさらに百年以上。

 

 大きな戦争は起きなかった。

 

 オラリオでは十字教会とファミリアが共存し続けた。大聖堂の祭礼には天界神が顔を出し、逆にファミリアの祭りへ司祭が招かれることもあった。ギルドの上層部には十字教徒もいれば、無宗教者もいれば、特定の神の眷族もいる。

 

 日常だけを見れば、聖地奪還論は遠い西方の思想にすぎなかった。

 

 問題は、記憶だった。

 

 西方では、何世代にもわたり「いつか聖地に危機が訪れるかもしれない」という物語が語られ続けた。

 

 大巡幸の言葉。

 

 聖地守護団。

 

 アルバ危機。

 

 非征服宣言。

 

 聖地非占有宣言。

 

 それら本来は戦争を抑えるための言葉である。

 

 しかし、騎士学校では別の読み方も育った。

 

 主は無益な戦争を嫌われる。

 

 だからこそ、必要な戦争だけを戦わなければならない。

 

 主は信仰だけを理由とする戦争を禁じられた。

 

 だからこそ、信仰以外の正当な理由があるなら戦える。

 

 主は聖地奪還を命じておられない。

 

 だからこそ、本当に命令が下ったときには迷わず応じなければならない。

 

 神聖四文字が知れば頭を抱えたであろう理屈だった。

 

 だが、論理としては成立していた。

 

     *

 

 そして。

 

 転移から二千年に近づいたころ。

 

 オラリオは、かつてないほど繁栄していた。

 

 神々。

 

 ファミリア。

 

 冒険者。

 

 ギルド。

 

 迷宮。

 

 それらすべてが絡み合い、世界中から人が集まる都市となっている。

 

 西方十字教圏もまた、巨大になっていた。

 

 王国は増え、帝国は生まれ、滅び、また別の国家が生まれた。

 

 しかし教会だけは残った。

 

 十三枢機卿。

 

 十二騎士団。

 

 そして第十三のイスカリオテ。

 

 古参の者たちは表舞台からさらに退き、その存在を知る者は教会中枢に限られている。

 

 神聖四文字は、なおパチカンにいた。

 

 ヨハネスも。

 

 ソフィアも。

 

 アンデルセンも。

 

 彼らにとって二千年は、長い。

 

 だが、終わりではなかった。

 

 一方、人間にとって。

 

 二千年前の主の言葉は歴史だった。

 

 歴史は、読まれる。

 

 選ばれる。

 

 解釈される。

 

 そして必要なときには、武器になる。

 

 その日。

 

 オラリオから一通の緊急報告が届いた。

 

 神聖四文字は最初、いつものファミリア間抗争だと思った。

 

 違った。

 

 報告書には、多数の死者。

 

 都市各所での爆発。

 

 暗殺。

 

 誘拐。

 

 怪物の持ち込み。

 

 市民を巻き込む無差別攻撃。

 

 そして、一つの組織名が記されていた。

 

 《イヴィルス》。

 

『何これ』

 

 教皇の顔は硬かった。

 

「神々の一部と、その眷族による破壊勢力とみられます」

 

『神もいるの?』

 

「はい」

 

『目的は』

 

「秩序の破壊。少なくとも、現在得られている情報では」

 

 神聖四文字は報告書を読み進めた。

 

 街が燃えている。

 

 冒険者が死んでいる。

 

 十字教徒も。

 

 天界神の眷族も。

 

 無関係な市民も。

 

『ウラノスは?』

 

「オラリオにおります。ギルドを通じ、各ファミリアへ対応を要請していると」

 

『助けを求めてる?』

 

「正式な要請は、まだ」

 

 神聖四文字は少し黙った。

 

 二千年近く。

 

 何度も言ってきた。

 

 聖地だから戦うのではない。

 

 異教徒だから戦うのではない。

 

 神を名乗るから敵なのではない。

 

 人が危険に晒されているなら。

 

 その行為を止める。

 

『騎士団を準備して』

 

 教皇が顔を上げた。

 

「十二騎士団を?」

 

『全部じゃない。まず即応できるところから。それとオラリオに連絡して。向こうが受け入れるなら救援を出す』

 

「イスカリオテは」

 

 部屋の隅にいたアンデルセンが、すでに立ち上がっていた。

 

『……行きたい?』

 

「二千年待ちました」

 

『何を』

 

「主より、異端を斬れとの御命令を賜る日を」

 

『まだ言ってない』

 

「では、お待ちしております」

 

『嬉しそうにするなよ』

 

 アンデルセンは笑わなかった。

 

 ただ、目だけが静かに燃えていた。

 

 神聖四文字は、嫌な予感を覚えた。

 

 しかし。

 

 今度は止めるだけでは済まないことも分かっていた。

 

 聖地を巡る物語が。

 

 二千年かけて積み重なった言葉が。

 

 ついに現実の戦場と出会おうとしていた。

 

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