【チラ裏】ダンジョンに十字軍が攻めるのは間違っているだろうか 作:d_chan
オラリオから正式な救援要請が届いたのは、その日の深夜だった。文書にはギルド、都市評議会、そしてウラノスの名が並んでいる。エヴィルスによる破壊活動は、すでに一部のファミリア同士の抗争という規模を越えていた。街路への爆発物設置、要人暗殺、商業施設への放火、誘拐、さらには地下水路を利用した魔物の搬入。
複数の天界神がその背後にいる可能性まで指摘され、目的も領土や富の獲得ではなく、オラリオの秩序そのものを破壊することにあると記されていた。
神聖四文字は文書を最後まで読み、もう一度最初へ戻った。
『確認したいんだけど、これは天界神と十字教の戦争じゃないよね。エヴィルスと戦ってる側にも神がいるし、襲われてるのも十字教徒だけじゃない』
「その通りでございます。オラリオ側も宗教戦争とは認識しておりません。エヴィルスによる都市秩序への攻撃として救援を求めております」
『なら、そこは絶対に間違えないで。俺たちは神々と戦いに行くんじゃない。異教徒を倒すためでもないし、オラリオを十字教の街へ戻すためでもない。エヴィルスを止めて、市民を守る。そのための救援だ』
教皇が頷くのを見てから、神聖四文字はさらに条件を重ねた。オラリオ側の指揮を無視しないこと。勝手に街を占領しないこと。教会の土地を増やさないこと。ファミリアの本拠地や天界神の神殿へ、敵だからという理由だけで踏み込まないこと。そして、投降者や捕虜を殺さないこと。
「まこと、主らしい御慈悲にございます」
朗々とした声が割り込んだ。長い金髪を整え、聖職衣をまとった男がわずかに口元を上げている。エンリコ・マクスウェル。その名を知る者は多いが、その男が何を統括しているかを知る者は、教皇庁の中ですらごく少数しかいない。
パチカンには十二の騎士団がある。それが公の事実だった。軍務記録にも十二、式典に姿を見せるのも十二、各国の情報機関が把握しているのも十二である。十三番目は存在しない。少なくとも、公には。
第十三騎士団《イスカリオテ》。その存在を知るのは、神聖四文字、教皇、十三枢機卿のうち一部、それにごく限られた古参だけだった。通常の司教でさえ知らず、十二騎士団の団長であっても、その名を耳にしないまま生涯を終えることがある。表へ出る必要がないのではない。表へ出た時点で、彼らの役割が失われるのである。
マクスウェルの後ろには、アンデルセン、由美江、ハインケル・ウーフーが控えていた。彼らも世間に知られた英雄ではない。必要に応じて聖職者、巡礼者、傭兵、商人と姿を変え、偽名を使う。公的な経歴はいくつも存在するが、そのどれも完全な真実ではなかった。
『今回は特に目立たないでよ。君たちは存在しないことになってるんだから』
「敵を斬るのに、目立つかどうかがそれほど重要でしょうか」
由美江が真顔で尋ねた。
『すごく重要。というか、そこが君たちの存在理由の半分くらいだよ』
「ならば、見た者を全員――」
『消さない』
神聖四文字が先回りすると、ハインケルが鼻で笑った。
「だからお前は潜入任務に向かねえんだよ。敵を全員斬ったら、そこに何かいたって宣伝してるようなもんだろ」
「貴様は黙っていろ。信仰も剣も半端者が」
「二千年経ってもそこ直んねえな、お前」
『二人ともやめて。マクスウェルも笑ってないで止めて』
「私は部下の自主性を尊重しておりますので」
『絶対それじゃない』
マクスウェルは恭しく頭を下げた。
「ともあれ、ご安心ください。第十三騎士団の名が表へ出ることはございません。功績は十二騎士団、ギルド、あるいは現地のファミリアへ譲ればよろしい。少々惜しくはございますが、それこそが我々の役割でしょう」
『惜しむところじゃないからね』
神聖四文字は一度息をつくように間を置き、アンデルセンを見る。
『あと、相手が天界神でも勝手に殺さない。それも忘れないで』
「御意」
返事は即座だった。
由美江が横目を向ける。
「神父は不満ではないのですか。神を名乗りながら人を殺める者を前にしても」
「不満なら大いにありますとも。ですが、不満と主命は別物です。私が何を斬りたいかなど、主が何を命じられたかに比べれば些事にすぎません」
『その辺は本当に信用してる』
「恐悦至極」
アンデルセンの声には珍しく、何の皮肉もなかった。
*
救援兵力は一万五千弱と見積もられた。純粋な戦闘要員は九千ほどで、残りは医療、工兵、輸送、結界、避難誘導、補給、行政支援である。十二騎士団から精鋭が抽出され、その指揮をアルベルト・ロザリオが執る。
そして、その公式編制表のどこにも、第十三騎士団の文字はなかった。
『イスカリオテは別行動。人数も必要最小限で』
「四十名ほどで十分でしょう」
マクスウェルの返答に、神聖四文字は少し驚いた。
『そんな少なくていいの?』
「我々は戦線を形成するために存在しているのではございません。誰が金を流しているのか、誰が情報を漏らしているのか、武器をどこへ隠しているのかを探し出し、必要なところだけ切り離す。十二騎士団が表の戦争をするなら、我々は裏側を片づければよいのです」
『最後の言い方だけ物騒だけど、まあ分かった』
銃器の使用についても制限が付けられた。この世界で銃を扱うのはイスカリオテだけである。パチカンとともに転移してきた旧世界技術の中でも、意図的に流通を封じてきた兵器であり、弾薬も火薬も第十三騎士団の専用工房でしか製造されない。十二騎士団にも一般軍にも一挺として配備されていなかった。
『オラリオで撃ったら、かなり目立つよね』
「だから地上では極力使わねえよ」
ハインケルが答えた。
「地下、閉鎖区域、目撃者の管理ができる場所。そういうとこだけだ。必要なら弓なり普通の武器なり使う」
『ハインケルはこういうところちゃんとしてるよね』
「誰かさんと違ってな」
由美江が無言で刀へ手をかけた。
『今抜いたら留守番』
手が止まった。
*
出征の日、パチカン東門前に並んだのは十二騎士団と正規軍だけだった。第十三騎士団はそこにいない。正確には、すでに数日前から商人、巡礼者、聖職者、傭兵へ分かれて東へ向かっていた。マクスウェル自身さえ、公的記録上はパチカンに残留していることになっている。
神聖四文字は、表の軍へ向けて演説した。
『これからオラリオへ行くみんなに、先に言っておく。君たちは神を殺しに行くんじゃない。異教徒を倒すためでも、聖地を取り返すためでもない。助けを求めてる人を守りに行くんだ。十字教徒も、そうじゃない人もいる。天界神のファミリアもいる。敵かどうかは信仰じゃなくて行動で決めて。十字架を持ってても人を殺してたら止める。天界神を信じてても市民を守ってるなら味方だ』
数万人が静まり返っていた。神聖四文字は少し間を置き、最後だけは用意していた文面から外れた。
『それから、生きて帰ってきて。俺は君たちに死んでほしくて送り出すんじゃない。無茶しないで、隣の人を置いていかないで、勝つことより生きて戻ることを優先していい』
一人の兵士が剣を抜き、胸の前へ立てた。
「主の御心のままに!」
それに続いて、数百、数千の剣と槍が掲げられた。
「主の御心のままに!」
地面を震わせる声に、神聖四文字は少し黙った。
『……ちゃんと最後まで聞いてたよね?』
「聞いております」
隣のソフィアが静かに答える。
『ならいいんだけど』
大軍が東へ向かう一方で、第十三騎士団の誰一人として、その光景の中にはいなかった。
少なくとも、見えるところには。
*
オラリオ救援軍が都市西方へ到着したのは十二日後だった。アルベルトは城外で軍を停止させ、入城許可が出るまで一兵も中へ入れなかった。
「聖地ではありませんか」
若い副官が不思議そうに尋ねる。
「だから何だ」
「我らの主が名を与えられた都市です。危急の時ならば、先遣隊だけでも入れてよいのでは」
「今そこに住んでいる者たちの家でもある。救援に来た者が、聖地だからという理由で勝手に扉を開けたら、それは救援ではなく占領の始まりだ。待て」
三時間後、門が開いた。ギルド、ガネーシャ・ファミリア、ロキ・ファミリア、フレイヤ・ファミリア、アストレア・ファミリア、その他複数のファミリア代表が並んでいる。
「パチカンより、オラリオ救援軍一万四千八百二十二名。正式要請に基づき到着した。都市の指揮権は要求しない。必要な区域と任務を指定していただきたい」
ギルド代表が少し驚いた顔をした。
「西方では、オラリオは貴方方の聖地だと聞いています。もっと強く主導権を求めるものと思っていました」
「聖地だからといって、他人の家へ勝手に上がってよいとは教わっていない」
その場にいた何人かが笑い、張りつめていた空気がわずかに緩んだ。
そして、その会談が行われている頃。
オラリオの地下では、別の戦いがすでに始まっていた。
*
ハインケルは三日前から北東区の宿に泊まっていた。名乗っているのは別人の名で、表向きは東方から来た革商人である。昼は市場を歩き、夕方には酒場へ入り、夜になると宿の裏口から消える。同行しているギルドの協力者でさえ、本当の所属を知らない。「教皇庁の調査員」という説明だけで動いていた。
「正面の倉庫は囮だな」
夜の屋根の上から、ハインケルが呟いた。
「なぜ分かる?」
「見張りが倉庫を見てねえ。あそこに立ってる男、ずっと反対側の路地ばかり気にしてるだろ。本当に倉庫を守ってるなら、入口から目を離しすぎだ。本命は向こうだよ」
指した先には、小さな染物工房がある。夜更けにもかかわらず、煙突から細い煙が出ていた。
「踏み込むか?」
「まだだ。中の人数、人質の有無、地下の出口。そこまで分かってからだ」
斥候は少し意外そうにハインケルを見る。
「教会の人間は、もっと勢いで突っ込むものだと思っていた」
「誰を見てそう思ったんだよ」
「いや、何となく」
「その何となく、たぶん一人だけ当たってる」
ハインケルは由美江の顔を思い浮かべながら、小さくため息をついた。
*
由美江が地下施設へ入ったのは二時間後だった。構造を把握し、人質が存在しないことを確認してからである。彼女もイスカリオテの名を名乗っていない。オラリオ側へは、ただ「パチカンから派遣された特殊任務員」と説明されていた。
「非戦闘員への攻撃は禁止、投降者は殺さない。天界神がいた場合は捕縛を優先し、不要な損壊は避ける。特に最後を忘れないように」
入口でアンデルセンが確認すると、由美江は不満そうな顔をした。
「なぜ毎回、最後だけ私へ言うのです」
「前歴があるからです」
「建物を壊したことなど数えるほどしかありません」
ハインケルが横から口を挟んだ。
「普通は数えるほどでも多いんだよ」
「貴様は黙っていろ」
「ほら、始まるぞ」
扉が開く。
由美江が踏み込むと、刀がほとんど見えない速度で走った。一人目の剣が鍔元から飛び、二人目の槍が半ばから切断される。三人目が魔術の詠唱へ入るより早く、その杖が縦に割れた。
「そこまでだ。武器を捨てろ。主はお前たちを生かして捕らえよと命じている」
一人が震える手で短剣を抜いた。
「それ以上動けば斬る。ただし、殺すなとも言われている。命までは取らん」
「安心できるか!」
男は叫びながらも、短剣を床へ落とした。
後から入ったハインケルが拘束具を投げる。
「やればできるじゃん。壁も天井も残ってる」
「貴様は私を何だと思っている」
「強いけど潜入に向かない人」
「帰ったら斬る」
「主命の範囲で頼むわ」
*
銃声が響いたのは、さらに数日後だった。場所は旧地下礼拝堂。地上から三層も下にある、厚い石壁に囲まれた閉鎖区画である。敵二十七名、高レベル冒険者四名、人質八名、そして天界神一柱。
「北側の退路は」
『確保済みだ。逃げたら脚を止める』
ハインケル。
「東通路」
『九名。こちらへ来れば抑える』
由美江。
「マクスウェル」
『敵神の引き渡し先はギルドと調整済みです。現場で多少乱暴になさるのは構いませんが、生存状態でお願いしますよ』
「残念ですな」
『アンデルセン、主命です』
「承知しております」
扉を蹴り開けると、敵の魔術が飛んだ。それとほぼ同時に、乾いた破裂音が地下を打つ。大型拳銃から放たれた弾丸が一人の剣を弾き飛ばし、次弾が別の男の足元を砕いた。未知の轟音に敵が怯んだ、その一瞬でアンデルセンは間合いを潰す。拳銃と銃剣を使い分け、腕を折らず、急所を外し、必要なだけの力で倒していく。
「何だ、その武器は!」
「知る必要はありません」
アンデルセンは銃把で一人を殴り倒し、背後から斬りかかってきた男の腕を取って床へ叩きつけた。
「化け物め……!」
「否」
眼鏡の奥で目が細くなる。
「ただの神父です」
この戦闘を直接目撃した人質は八名いた。救出後、彼らには教皇庁から秘密保持を求めた。記憶を消すような真似はしない。ただ、地下で見た奇妙な武器について他言しないよう、正式な誓約を交わす。それでも彼らは、使っていた男の本当の所属も、第十三騎士団という名称も知らされなかった。
*
最奥には、若い男の姿をした神がいた。倒れた眷族たちを見回し、アンデルセンを睨んでいる。
「教会の犬か」
「その程度の理解で結構」
「私を殺すのか」
アンデルセンはほんの一瞬黙り、手の拳銃を持ち直した。
「本音を申せば、実に魅力的な提案です」
通信具から声が飛ぶ。
『アンデルセン』
神聖四文字だった。
「はい、主よ」
『生け捕りだからね』
「御意」
銃口は即座に下がった。
男神が嘲るように笑う。
「お前自身には慈悲がないのか」
「ありませんとも」
アンデルセンは穏やかに答えた。
「だからこそ、私には主が必要なのです」
*
マクスウェルもオラリオへ来ていた。ただし、公的には来ていない。教会記録上、彼はパチカンで通常の行政事務を続けている。実際には、オラリオの古い教会地下に置かれた臨時指揮所で、イスカリオテから集まる情報を整理していた。
「この三商会を監視対象へ移してください」
マクスウェルが帳簿を並べると、協力するギルド職員が眉を寄せた。
「エヴィルスとの直接的な関係は確認されていません」
「直接的な関係がないから使われるのですよ。第一商会は薬品、第二商会は保存食、第三商会は魔石。それぞれ別々の業者へ流しているように見えますが、三つとも最終的な融資元が同じです」
「誰です」
「表向きには、存在しない人物です。もちろん、本当に幽霊という意味ではなく偽名ですよ」
マクスウェルは笑みを浮かべた。
「組織を潰すのに、剣を振るっているだけでは足りません。金を止め、物を止め、連絡を止め、逃げ道を消す。武器を持った人間を捕まえるのは、その後です」
「教会にも、こういうことをする部署があるのですね」
一瞬だけ、マクスウェルの笑みが深くなる。
「さて。どうでしょう」
それ以上は答えなかった。
*
三か月が経つ頃には、戦況が目に見えて変わった。十二騎士団と正規軍が避難路と補給線を守り、ガネーシャ・ファミリアが治安を維持する。ロキ・ファミリアが敵拠点へ攻勢をかけ、フレイヤ・ファミリアが高位戦闘員を抑え、アストレア・ファミリアが犯罪者を追う。
そして誰にも見えないところで、第十三騎士団が敵の裏側を削っていた。
ある日、敵の補給が止まる。
別の日には連絡役が捕まる。
次は武器庫の場所が判明する。
その翌週には、誰も知らなかった地下道の地図が匿名でギルドへ届く。
「最近、妙に情報が早くないか?」
ロキ・ファミリアの冒険者が言った。
「ギルドが本気出したんじゃない?」
「今まで本気じゃなかったみたいな言い方やめろよ」
「じゃあ、誰か秘密の協力者がいるとか」
「そんな都合のいい話あるか?」
笑って終わる。
それでよかった。
*
由美江がアストレア・ファミリアの剣士と共同で敵拠点へ入ったこともあった。相手が知っているのは、由美江という名前と、教会関係者らしいということだけである。
「ねえ、あなたってどこの騎士団なの?」
「答える必要はない」
「秘密?」
「聞くな」
「怪しいなあ。教会の人なのは本当なんでしょう?」
「敵が来るぞ」
「はいはい。じゃあ私は右。あなた左ね」
「左の方が多いな」
「だから任せた」
「いいだろう」
数分後、由美江が担当した通路では敵が全員床へ転がっていた。だが、一人も死んではいない。
「本当に殺してないんだ」
「主命だからな」
「それ、褒めていいのか怖がるべきなのか分かんないね」
「好きにしろ」
彼女は最後まで、第十三騎士団という名称を知ることはなかった。
*
一年余りの戦闘の末、エヴィルスの組織的活動は大きく後退した。救援軍の戦果として公表されたのは、十二騎士団、正規軍、ギルド、各ファミリアの活動である。第十三騎士団の名はどこにもなかった。
当然だった。
存在しない組織に、功績は存在しない。
共同慰霊碑も建てられた。そこにはパチカン兵、冒険者、ギルド職員、一般市民、各ファミリアの死者の名が刻まれた。しかし、イスカリオテの戦死者は記されていない。彼らの名前は、パチカン地下の非公開区画に置かれた小さな石板にだけ残された。
『せめて名前だけでも、表に出せない?』
神聖四文字が尋ねると、マクスウェルは静かに首を振った。
「なりません。名を残せば、その人物が何者だったのかを調べる者が現れます。そして一人を調べれば、やがて組織へ辿り着く。我々の死者も、それを理解したうえで第十三騎士団へ入っております」
『でも、誰にも知られないまま死ぬんだよ』
「それが我々です」
普段の芝居がかった調子はなかった。
アンデルセンも頷く。
「褒賞を求めて仕えているわけではありません」
由美江は黙っている。
ハインケルだけが軽く肩をすくめた。
「生きてる奴が覚えてりゃいいだろ。あとは主が覚えてくれてるなら、それで十分じゃねえか」
神聖四文字はしばらく何も言わなかった。
『……うん。俺は覚えてる』
それ以上の言葉は、誰も求めなかった。
*
オラリオ救援軍は、約束通り撤退した。一兵たりとも恒久駐留させず、行政権も要求せず、迷宮資源の優先権も求めない。十二騎士団は西門から堂々と帰還し、市民や冒険者が見送った。共闘した者たちは握手を交わし、再会を約束する者もいた。
第十三騎士団は、その数日前にはもう消えていた。
由美江は巡礼者の一団に紛れて西へ向かった。ハインケルは商隊の護衛を装い、別の街道を進んだ。マクスウェルは偽名で馬車に乗った。アンデルセンだけは最後まで残り、地下の隠匿拠点が処理されたことを確認してから、一人で城門を出た。
見送りはなかった。
衛兵も、旅の神父が一人出ていったとしか思わなかった。
それでよかった。
*
戦いは終わった。
聖地は奪還されなかった。そもそも奪われていなかったのだから、神聖四文字にとっては当然だった。
だが、西方世界では別の名前が生まれつつあった。
《第一次聖地遠征》。
あるいは、もっと短く。
《第一回十字軍》。
『誰がその名前つけたの』
神聖四文字は本気で嫌そうだったが、教皇にも答えられなかった。誰か一人が決めた名称ではない。十字架を掲げた軍が聖地へ向かい、そこで邪悪な勢力と戦い、市民を守り、帰還した。その事実だけが広まり、人々が勝手に名前をつけたのである。
イスカリオテは、その物語には出てこない。
アンデルセンも、由美江も、ハインケルも、マクスウェルも、一般の年代記には一行たりとも記されない。誰が敵の資金を断ち、誰が地下拠点を発見し、誰が閉ざされた地下で銃声を響かせ、誰が敵神を捕らえたのかを知る者は、ほんの一握りしかいなかった。
パチカンの地下深く、封印指定された記録庫には一冊の報告書が残されている。
《第十三騎士団作戦記録――聖地オラリオ事案》。
そこにはマクスウェルの総括、ハインケルの射撃記録、由美江の必要最低限しか書かれていない任務報告、アンデルセンの署名が並ぶ。
そして最後の頁にだけ。
神聖四文字自身の短い一文が残されていた。
――よくやってくれた。誰も知らなくても、俺は知っている。
第十三騎士団にとって、それ以上の褒賞は必要なかった。
ただ、表の世界では別の歴史が始まっていた。
《第一回十字軍》。
神聖四文字が望んだ名ではない。
それでも、その呼び名は残った。
そして。
第一回という言葉には。
最初から、二回目が存在する余地があった。