【チラ裏】ダンジョンに十字軍が攻めるのは間違っているだろうか 作:d_chan
砦の一件から三日後、最初の使者がパチカンへやって来た。もっとも、使者と呼ぶには少々みすぼらしい一行だった。痩せた馬が四頭、革鎧を着た兵士が六人、その中央に灰色の外套をまとった男が一人。西門で名乗った肩書は、ラグナル領代官補佐。砦のあった土地を支配する領主の家臣だという。門衛は彼らの武器を預かり、そのまま市街へは通さず、外郭に設けられた迎賓所へ案内した。転移してまだひと月にも満たない。未知の土地の使者を大聖堂まで入れるほど、パチカンは無警戒ではなかった。
男の名はエドガーといった。三十代半ばほどに見え、くたびれた外套とは裏腹に物腰は落ち着いていた。文字も読めるらしく、少なくとも単なる伝令ではない。迎賓所へ通されてからも椅子には腰を下ろさず、壁際に立つ白銀の騎士たちを何度も横目で見ていた。統一された鎧と武器、微動だにしない姿勢。彼の知る兵とは明らかに違うのだろう。
「砦を襲ったのは、貴殿らか」
通訳役の司祭を介してそう問われ、外交担当の枢機卿は否定しなかった。老人だったが、声には張りがあり、表情にも動揺はない。
「襲撃した、という認識ではありません。拘束されていた者の解放を求め、交渉が決裂したのち、先方から攻撃を受けました。その後、砦を制圧しております」
「こちらでは、武装した十二人が五十人以上を倒し、砦を奪ったと聞いている」
「おおむね事実です」
エドガーは一瞬だけ言葉に詰まった。どうやら、十二人という数字そのものを誇張と見ていたらしい。彼はわずかに眉を寄せたあと、気を取り直すように続けた。
「ならば話は早い。あの砦はラグナル伯の保護下にある。そこで扱われていた奴隷も、法に従って売買された財産だ。貴殿らは伯の領内に武装して入り、財産を奪い、伯へ税を納める者たちを拘束した。返還を求める」
「何を返還せよ、とおっしゃるのです」
「全部だ。捕らえた者も、奴隷も」
枢機卿の表情は変わらなかった。
「拘束している者については、協議の余地があります。しかし、あなた方が奴隷と呼ぶ者たちを引き渡すことはできません」
その答えに、エドガーの目が細くなった。
「彼らは商品だ」
「我々はそう認めておりません」
「認めるかどうかの問題ではない。法の問題だ」
枢機卿はそこで、ほんの少しだけ首を傾げた。
「どなたの法でしょう」
「ラグナル伯の法だ」
「我々はラグナル伯の臣下ではありません」
今度こそ、エドガーの顔に苛立ちが浮かんだ。
「ならば貴殿らは、どこの王に仕えている。これだけの城と兵を持ちながら、まさか誰にも属していないと言うつもりか」
「王には仕えておりません」
「公爵でもない。王でもない。では皇帝か?」
「いずれでもありません」
「では、いったい誰がこの国を治めている」
枢機卿は少し間を置いた。
「我らが仕える御方です」
「それは誰だ」
「申し上げることはできません」
エドガーの眉間に皺が寄った。彼の目は、老人の胸元に掛けられた十字架から、壁の十字架へ移り、さらに左右の騎士へと動いた。
「……神官の国か」
「その理解が近いでしょう」
「では、その神殿の長に会わせろ」
「教皇猊下との謁見であれば申請できます」
「教皇?」
「この国の教会を統べる御方です」
「なら、その教皇が一番上なのか」
枢機卿は静かに首を振った。
「いいえ」
エドガーは初めて明確に戸惑った顔をした。
「教皇より上に、まだ誰かいるのか」
枢機卿は答えなかった。その沈黙が答えになっていた。
しばらく互いに視線を交わしたあと、エドガーは追及を諦めたようだった。懐から羊皮紙を取り出し、机の上へ置く。
「七日以内に、砦の者たちを解放しろ。それから、奪った奴隷を返せ。応じない場合、伯はこれを敵対行為とみなす」
「最後通牒ですか」
「忠告だ」
「違いがあまり分かりませんな」
「好きに取ればいい」
エドガーはそう言って立ち上がった。枢機卿は呼び止めなかった。だが、男は扉へ向かいかけてから足を止めた。振り返り、今度は少し声を落として尋ねる。
「一つだけ聞きたい。本当に、十二人であの砦を落としたのか」
「はい」
「魔術師もなしで?」
「はい」
エドガーはそれ以上何も言わなかった。ほんのわずかに顔色を変えただけで、そのまま迎賓所を出ていった。
*
その夜、大聖堂の会議室には教皇ヨハネス、三名の枢機卿、それに第一、第三、第五騎士団長が集められていた。長机の上には使者が残した書状と、現在までに作成された周辺地図が広げられている。転移直後にはほとんど空白だった地図も、いまでは川や森、集落、街道らしき線が少しずつ書き加えられていた。
『で、どう思う?』
神聖四文字が尋ねると、ヨハネスは書状へ目を落としたまま答えた。
「ラグナル伯なる者が、奴隷売買を法として認めていることはほぼ確実でしょう。また、砦の一件を自領への武力介入と見なしていることも間違いありません」
『それは分かる。問題は戦争になるかどうか』
「可能性は高いかと」
『……早くない?』
思わず漏れた言葉に、ヨハネスはわずかに苦笑した。
「我々は相手が領地と主張する土地へ兵を送り、その支配下にある施設を制圧しております。こちらに正当な理由があるとしても、先方がそれを受け入れるとは限りません」
『向こうから撃ってきたんだけどな』
「その事実を、向こうがどこまで重く見るかは別問題でしょう」
『外交って面倒だな』
「戦争よりは、よろしいかと」
『それはそう』
神聖四文字は地図へ意識を向けた。パチカンの北には小さな村がいくつか見つかり、南では交易路らしきものも確認されている。ラグナル伯の領地がどこからどこまでなのかはまだ分からない。ただ、少なくとも砦の向こうには、それなりの規模を持つ政治勢力が存在している。
『俺は戦いたくない』
「御意」
『いや、御意って言われても困るんだけど』
そう返すと、今度は何人かがほんの少しだけ表情を緩めた。
『向こうの要求を全部飲むのは無理だ。でも、捕まえた砦の連中は返してもいいんじゃないか。いつまでもこっちで拘束しておくわけにもいかない』
第五騎士団長アルブレヒトが静かに口を開いた。
「彼らを、ラグナル伯へ引き渡すのですか」
『向こうの法律で裁くっていうならな。ただし、助けた人たちは返さない。それに、砦で何が行われていたかは正式に確認してもらう。こっちとしては、人狩りまで認める気はない』
「伯が調査に応じるとは思えません」
『俺もそう思う』
言ってから、神聖四文字は少し気が重くなった。パチカンには力がある。ラグナル伯がどれほどの軍勢を持っているかは分からないが、先日の砦を見る限り、十二騎士団を脅かすほどとは考えにくい。もし本気で戦えば、恐らく勝てる。
だからこそ危険だった。
『こっちから領地を取りに行くつもりはない。城にも攻め込まない。まず話をする。そのために使者を送ろう』
「どなたを」
『外交できる人』
三名の枢機卿が互いに視線を交わした。そのうち一人が静かに手を挙げる。
「私が参りましょう」
『大丈夫?』
「何がでしょう」
『いや、途中で殺されたりとか』
枢機卿は少しだけ笑った。
「ご安心ください。私もレベル六十三でございます」
『……そうだった』
神聖四文字は、そこで改めて思い出した。
この街は、外交官まで妙に強い。
「ただし、護衛は必要でしょう。あまり弱く見られるのも、交渉上好ましくありません」
『何人くらい』
「二十名ほど」
『多い』
「では十八」
『十』
「十五で」
『……分かった』
交渉が成立した。
ヨハネスが微笑んでいる。
『何?』
「いえ。主が我らと条件を詰められるお姿を、興味深く拝見しておりました」
『神様だって相談くらいするよ』
「左様でございますか」
『その言い方、絶対何か考えてるだろ』
「滅相もございません」
信用できなかった。
*
会議が終わったあと、神聖四文字はひとり大聖堂の奥へ移った。正確には、ひとりではない。高い柱の上や天井近くの暗がりには、人とは異なる気配がいくつも潜んでいる。翼を持つもの、身体そのものが光でできたもの、顔すら持たないもの。いずれもゲーム時代から存在するNPCであり、設定上《天使》と呼ばれていた存在だった。
そして、神聖四文字にはもう一つ、この世界へ来てからまだ試していない能力があった。
天使創造。
ゲーム時代には資源とポイントを消費し、定められた範囲の中で新しい天使系NPCを作成できるシステムだった。いまはメニューもない。そもそも本当に使えるのかさえ分からなかった。
『……試してみるか』
意識を集中すると、不思議な感覚が返ってきた。
創造できる。
画面に文字が出たわけではない。ただ、そう理解できた。
戦闘用の天使なら、すでに十分いる。必要なのは別の存在だった。この世界の言葉を学び、土地を記録し、人々と話し、異なる文化を理解する。戦うためではなく、知るための存在。
『偵察、通訳、記録。戦闘能力は最低限でいい』
そう思い描くと、黒い球体の前に淡い光が集まり始めた。最初は小さな粒だったものが徐々に輪郭をつくり、やがて人の形へ変わっていく。しばらくしてそこに立っていたのは、十六、七歳ほどに見える少女だった。白い髪に白い衣。背には小さな一対の翼があり、人間とほとんど変わらない姿をしている。ただ、瞳だけが金色だった。
少女はゆっくりと目を開き、黒い球体を見上げた。それから迷うことなく膝をついた。
「我が主」
神聖四文字は、少し身構えた。
『……喋れる?』
「はい」
『名前は?』
少女は答えようとして、わずかに首を傾げた。
「まだ、ございません」
『……ああ、そういうところも俺が決めるのか』
ゲーム時代なら作成時に名前を入力していた。つまり、今回も自分でつけろということらしい。しばらく考えた末、神聖四文字は一つの名を選んだ。
『じゃあ、ソフィア』
少女はその名を確かめるように口の中で繰り返した。
「ソフィア」
『嫌なら別のでもいいけど』
「主より賜った名を、どうして嫌うことがございましょう」
『……そういう感じなんだな』
ソフィアは不思議そうに首を傾げた。
『まあいい。お前には外の世界を調べてもらいたい。戦うことより、見ること、聞くこと、覚えることを優先してくれ。それから、現地の人間を見下さないこと』
「見下す理由がございますか」
『ないならいい』
「はい」
思ったより話が通じる。神聖四文字は少し安心した。
『それと、もう一つ。もし外で神を名乗る奴がいても、いきなり殺すな』
ソフィアは初めて、明確に困惑した顔をした。
「神を、名乗る者がいるのですか」
『念のため』
「主以外に?」
『念のためって言ってるだろ』
「それは……」
『報告だけ。勝手に裁くな。いいな』
少し間を置いて、ソフィアは頭を下げた。
「……御意」
納得していない。
生まれてまだ数分なのに、もう分かる。
神聖四文字は、自分の設定能力に少しだけ不安を覚えた。
*
翌朝、十五名の護衛と一人の枢機卿がパチカンを出発した。目的地はラグナル伯の居城。そのはるか上空を、白い翼の少女が飛んでいた。使節団には同行していないことになっている。あくまで周辺の観察と記録が目的だった。
ソフィアにとって、外の世界は何もかもが新しかった。荒れた農地、土壁の家、痩せた家畜。人々の衣服は粗末で、使節団が街道を通るたび、農民たちは作業をやめて道端へ退いた。白銀の鎧と統一された装備を見ると、男も女も頭を下げる。敬意というより、恐怖に近い。上空から見ていたソフィアにも、それは分かった。
やがて一行が小さな集落を過ぎたところで、枢機卿が馬を止めた。道端に子供が倒れていた。十歳ほどの少年で、近くには割れた籠と泥にまみれた野菜が散らばっている。護衛の騎士が駆け寄って身体に触れ、「熱があります」と告げた。
「近くに家族はいるか」
「見当たりません。意識も薄いようです」
「なら連れていこう」
護衛の一人が少し迷った。
「伯との約束に遅れる可能性があります」
「半日程度だろう。先行して使者を出せばよい」
「それでよろしいのですか」
「子供一人を道端へ置いていく理由があるか」
騎士はそれ以上何も言わず、少年を抱き上げた。
ソフィアは上空からその様子を見つめていた。
主から命じられたことを思い出す。
見ること。聞くこと。覚えること。
だから覚えた。
知らない子供一人のために、彼らは予定を変えた。そして、そのことを誰も特別だとは思っていなかった。
ソフィアは、そこで少しだけ理解した気がした。
なぜ主が、あの日、城門を開けたのか。
それが正しい理解かどうかは分からない。ただ、この世界の人間をもっと見てみたいと思った。
*
そのころ、七十キロ先の石造りの城では、まったく別の会話が行われていた。
「十二人だと?」
ラグナル伯は報告書を机へ叩きつけた。
「十二人で砦を落としたというのか。本当に見間違いではないのだな」
エドガーは頭を下げたまま答えた。
「砦から逃げ延びた者の証言とも一致しております。少なくとも、我々が確認できた範囲では十二名です」
「魔術師は」
「確認されておりません」
「なら、ただの騎士が十二人いただけだと?」
「はい」
伯はしばらく黙っていた。怒っているというより、理解できないものを前にした顔だった。
「その国は、どこにある」
「十数日前までは何もなかった場所にございます」
「馬鹿を言うな」
「私もそう思いました。しかし、古い地図にも記録はありません。街道すらなかった土地に、突然巨大な城壁都市が現れております。周辺の流民も次々とそこへ向かっております」
「王は」
「おりません」
「では誰が治めている」
エドガーは少し間を置いた。
「神、だそうです」
伯は笑わなかった。
「神?」
「彼らはそう呼んでおります」
「名は」
「分かりません」
「神に名前がないのか」
「あるようですが、口にすること自体が許されていないと」
部屋の空気が重くなった。
ラグナル伯は椅子へ深く腰を沈め、指先で机を叩いた。
「……面倒な連中が来たものだ」
その日の午後、物見塔から白い旗を掲げた一団が見えた。
十五名。
ラグナル伯はまだ知らない。
その十五人のうち、最も弱い者ですら、彼の軍で最強と呼ばれる戦士を上回ることを。
そしてさらに高い空から、一人の天使が城を見下ろしていることを。