【チラ裏】ダンジョンに十字軍が攻めるのは間違っているだろうか   作:d_chan

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第8話 最初の冬

 冬は、予想より二十日ほど早く来た。

 

 最初の雪が降った日の朝、パチカンの気温は一晩で大きく下がった。城壁も大聖堂の尖塔も白く覆われ、東方の開拓村からは水路が凍ったという報告が届いた。気候そのものはパチカンの住民に耐えられないほどではなかったが、問題は現地から移り住んだ人々である。彼らの家屋には寒冷地で冬を越すための構造がなく、燃料も足りない。さらに悪いことに、夏から秋にかけて増え続けた巡礼者のうち、およそ千人が冬を前にしても帰郷していなかった。仮設宿舎で越冬させれば、暖房用の薪だけでも予定を大きく上回る。

 

 雪の降り始めたその日の午後、大聖堂では緊急の会議が開かれた。行政担当の枢機卿が報告書を読み上げ、現状の備蓄量を説明するあいだ、神聖四文字は黙って聞いていた。食料そのものは足りる。パチカンが元々保有していた備蓄に加え、秋の収穫も悪くなかった。しかし薪、冬服、家屋、そして薬が不足している。特に幼児と老人には、この寒さは危険だった。

 

『暖房用の魔道具を出せない?』

 

「宝物庫には相当数ございます。しかし、すべてを外郭居住者へ配布すれば、いずれ交換部品が不足する可能性がございます。こちらの世界で部品を生産できるかも、まだ分かっておりません」

 

『じゃあ、ずっと使える前提では考えない方がいいな』

 

「私もそう考えます」

 

 神聖四文字はしばらく考えた。ゲームなら、冬季補正によって食料消費量が何パーセント増える、と数字で表示されるだけだった。いまは、その数字の向こうに人がいる。寒さで震える子供や、薪を節約するため夜まで火をつけずにいる老人がいる。その違いには、何か月経っても慣れなかった。

 

『今年だけは魔道具を使おう。非常用として貸し出す。ただし同時に、来年から自力で冬を越せるように家を直す。森の伐採も計画的にやって、薪の備蓄を作る。それから、帰れる巡礼者には帰ってもらった方がいい』

 

 ヨハネスが少し考えてから尋ねた。

 

「帰郷を命じますか」

 

『命令はしない。ただ、このまま残ると危ないって説明する。帰る場所がない人は残せばいいし、道中が危険なら護衛もつける。ただ、天使を見たいから何となく残ってる人まで千人単位で養うのは無理だ』

 

「ソフィア殿を一度公開すれば、満足して帰る者もいるのではありませんか」

 

『見世物じゃないんだから』

 

「失礼いたしました」

 

 ヨハネスは真面目な顔で頭を下げた。冗談ではなく、本気で合理的な提案だと思っていたらしい。神聖四文字は何とも言えない気分になったが、すぐに別の問題が報告された。

 

「北方からの避難民についても、ご判断をいただきたく存じます。現在、五つの村から約四百名がこちらへ向かっております」

 

『また魔物?』

 

「いえ。飢饉です」

 

 その一言で、会議室の空気が変わった。

 

 北方の丘陵地帯では秋の収穫が著しく悪かった。夏の長雨で麦が腐り、そこへ早い降雪が重なったため、いくつかの村では春までの食料が到底足りない。領主へ救援を求めたものの、領主自身の備蓄にも余裕がなく、救済は期待できなかったという。そして、どこからともなく「西へ行けば食べ物がある」という話が広がった。

 

『四百人だけ?』

 

「現時点では。ですが、さらに増える可能性がございます」

 

『北には何人くらい住んでる』

 

「正確には不明です。確認されている範囲だけで、およそ一万から一万五千」

 

 神聖四文字は黙った。

 

 四百人なら受け入れられる。

 

 千人でも、おそらく何とかなる。

 

 だが、一万人が来たら無理だ。

 

 パチカンは豊かではあるが、無限ではない。誰も彼も助けようとすれば、最後には全員が共倒れになる。そのことを、ここ数か月で嫌というほど学んでいた。

 

『食料を運ぶことはできる?』

 

「北方へ、ですか」

 

『人を全部こっちに連れてくるんじゃなくて、食料を向こうへ運ぶ。春まで生き延びられるだけ』

 

 行政担当の枢機卿がすぐに計算を始めた。

 

「穀物のみであれば可能です。ただし、無償供与を続ければパチカン側の備蓄にも影響します。来年の作付けが失敗した場合は、我々自身が危険になります」

 

『全部こっち持ちにはしない。向こうの領主とも話をしよう。金じゃなくてもいい。木材でも鉱石でも、来年以降に返してもらえるものがあれば』

 

「交易として扱う、と」

 

『うん。ただ、本当に食べるものがない村からまで取り立てるなよ』

 

「承知しております」

 

 ヨハネスが少しだけ微笑んだ。

 

『何』

 

「いえ。主は、施しと交易を同時になさるのだな、と」

 

『だって、ずっとタダで配ってたら続かないだろ』

 

「その通りでございます」

 

『だから、それをまた教義にしないで』

 

 ヨハネスは答えなかった。

 

『しないでね?』

 

「努力いたします」

 

『努力じゃなくて』

 

 会議に出席していた騎士団長の一人が、わずかに視線を逸らした。笑いを堪えているらしかった。

 

     *

 

 北方への食料輸送は、三日後に始まった。

 

 荷車は五十台。護衛として第三騎士団から百二十名が同行し、さらに現地出身の補助兵五十名が加わった。その中にはマルクスもいた。洗礼から半年近くが経ち、彼はレベル二十に到達していた。低位訓練施設から経験値を得られる上限である。

 

 以前の彼を知る者が見れば、別人だと思ったかもしれない。痩せ細っていた身体には筋肉がつき、歩き方にも迷いがなくなった。ただし、本人は自分が強くなったという実感をあまり持っていなかった。周囲にいるパチカンの正規騎士は、ほぼ全員が自分より強い。軍学校でも教官には一度も勝てず、三分持てば褒められるような毎日だった。

 

「緊張しているのか」

 

 隣を歩いていた騎士が尋ねた。

 

「少しだけ。初めて城からこんなに離れますので」

 

「魔物なら心配するな。この辺りで確認されているものなら、今のお前でも数体は相手にできる」

 

「それが余計に怖いんです」

 

「どういう意味だ」

 

 マルクスは少し迷ってから答えた。

 

「半年前まで、私は狼の魔物一匹を見ただけで逃げていました。それが今では、戦えると言われる。自分の身体なのに、自分ではないみたいで」

 

 騎士はすぐには答えなかった。やがて雪の積もった街道を見ながら、「それでよいのだろう」と言った。

 

「力に慣れすぎるよりはましだ。私など、若い頃にはもっと酷かった」

 

「騎士様にも若い頃が?」

 

「失礼なことを言うな。私にもある」

 

 マルクスは笑った。

 

「ずっと同じ姿に見えるので」

 

「我々のことを何だと思っている」

 

「実は、よく分かりません」

 

「奇遇だな。私もだ」

 

 冗談なのか本気なのか判断できず、マルクスは黙った。しばらくして隣を見ると、騎士はわずかに笑っていた。

 

 その日の夕方、一行は最初の村へ到着した。村人たちは当初、武装した大集団を見て逃げかけたが、荷車に積まれた穀物袋を見て足を止めた。村長は六十を過ぎた老人で、事情を説明されると何度も頭を下げた。

 

「これを、本当に我々へ?」

 

「春までの不足分です。ただし、すべて贈与というわけではありません」

 

 輸送隊を率いる司祭が説明した。

 

「返済可能な分については、来年以降、木材や毛皮などで返していただきます。ただし、今年の不作による分について利息は取りません。また、返済不能であっても人を奴隷として差し出すことは認めません」

 

 老人は怪訝そうな顔をした。

 

「では、返せなければどうなるのです」

 

「相談します」

 

「……それだけで?」

 

「それだけです」

 

 村長はどう反応すればいいのか分からないようだった。この地方では、借りたものを返せなければ土地を失う。土地がなければ、家畜を差し出す。それもなければ、自分か家族が身を売る。それが当たり前だった。

 

「そのような約束で、よいのですか」

 

「我らが主は、人を借金の担保にすることを好まれません」

 

「あなた方の神が?」

 

「はい」

 

 村長は少し黙った。

 

「不思議な神ですな」

 

 最近、よく聞く言葉だった。

 

     *

 

 輸送隊が三つ目の村に着いたとき、問題が起きた。

 

 村の入口に、武装した男たちが待っていた。数は四十ほど。装備から見て正規兵らしい。中央には馬に乗った若い男がいて、輸送隊を睨みつけている。

 

「ここから先へは通さん」

 

 司祭が前へ出た。

 

「理由を伺っても?」

 

「この一帯はヴァルト男爵領だ。伯から許可もなく食料を配ることは認められない」

 

「我々は村から救援を求められました」

 

「村人に他国と取引する権利はない」

 

 その言葉に、マルクスは眉を寄せた。だが、周囲の騎士たちは動かなかった。

 

 司祭も穏やかなままだった。

 

「では、男爵閣下とお話をさせていただきたい。我々は食料を配りに来たのであって、土地を奪う意図はございません」

 

「必要ない。食料を置いて帰れ。配分はこちらで行う」

 

「それはできません」

 

「なぜだ」

 

「救援を求めた村へ届けるために持参したものだからです」

 

 若い男の顔に苛立ちが浮かんだ。

 

「この土地では、男爵の命令が法だ」

 

「我々は男爵閣下の臣下ではありません」

 

「だが、この土地にいる」

 

「ゆえに、礼を尽くして交渉を申し入れております」

 

 しばらく睨み合いが続いた。戦力差を理解していないのか、相手の兵は槍を構え始めた。それを見て、護衛騎士たちの空気がわずかに変わる。

 

 マルクスには、その変化が分かった。

 

 ほんの少しだけ姿勢が変わっただけだ。

 

 だが、それだけで周囲の空気が重くなる。

 

 もし戦えば。

 

 恐らく、目の前の四十人では一分も持たない。

 

 マルクスは、半年ほど前の自分を思い出した。

 

 白銀の騎士が恐ろしく見えた。

 

 今、向こう側にいる兵士たちも、同じなのかもしれない。

 

「司祭様」

 

 気づけば、口を開いていた。

 

「私に、少し話させていただけませんか」

 

 司祭が振り返る。

 

「何を話す」

 

「私は、この辺りの生まれではありません。でも、向こうの人たちには、騎士様より私の方が近いと思います」

 

 司祭はしばらくマルクスを見た。

 

「やってみなさい」

 

「ありがとうございます」

 

 マルクスは前へ出た。

 

 相手の若い男が怪訝そうに見る。

 

「何だ、お前は」

 

「パチカンで騎士を学んでいる者です。半年前までは、土地も家もありませんでした」

 

「それが何だ」

 

「あなた方と戦いに来たわけではないと伝えたいんです」

 

「さっきから聞いている」

 

「でも、信用していないでしょう」

 

 若い男は黙った。

 

 マルクスは続けた。

 

「俺も最初は信用しませんでした。食べ物をくれると言われても、後で奴隷にされると思った。怪我を治すと言われても、金を取られると思った。神様を信じろと言われるんじゃないかとも思いました」

 

「……違ったのか」

 

「違いました」

 

「それで、今はその神の兵になった?」

 

「なりたいと思ったからです」

 

 マルクスは自分の胸元にある小さな十字架へ触れた。

 

「信じろとは言いません。ただ、村の人が冬を越せなくなるのは本当です。食料を受け取るかどうかは、村の人と男爵様で決めればいい。でも、ここで俺たちと戦えば、たぶん誰か死にます。それは、誰のためにもならないと思います」

 

 長い沈黙があった。

 

 若い男はマルクスを見たあと、その背後に並ぶ白銀の騎士たちを見た。

 

「……お前たちは、勝てると思っているのか」

 

 マルクスは困った。

 

「正直に言っていいですか」

 

「言え」

 

「たぶん、戦いにはならないと思います」

 

 男の顔が強張った。

 

「馬鹿にしているのか」

 

「違います。だから、戦いたくないんです」

 

 その答えが意外だったのか、若い男は何も言わなかった。

 

 やがて槍を構えていた兵士たちへ手を上げた。

 

「下ろせ」

 

 兵士たちは戸惑いながらも従った。

 

「男爵へ使いを出す。それまではここで待て。村へ入ることは許さん」

 

 司祭が一礼する。

 

「十分です」

 

 その日の夜、輸送隊は雪の中で野営した。

 

     *

 

 マルクスの報告を聞いた神聖四文字は、しばらく黙っていた。

 

『……現地の人を前に出した方が、話が通じることもあるんだな』

 

「当然かと」

 

 ヨハネスが答えた。

 

『当然?』

 

「我々は、彼らにとって異邦人です。姿、服装、言葉、考え方、すべてが異なります。いかに善意を語ろうとも、恐怖を完全に除くことはできません。しかし、マルクス殿は彼らと同じ世界に生まれた者です」

 

『そっか』

 

「むしろ今後は、現地出身者により多くの役割を担っていただくべきでしょう」

 

 その言葉に、神聖四文字は少し考えた。

 

 パチカンの中枢は、ほとんどがNPCで占められている。

 

 教皇。

 

 枢機卿。

 

 騎士団長。

 

 行政官。

 

 都市がゲームだったころには、当然だった。

 

 だが、この世界で国家として生き続けるなら。

 

 いつまでも「自分が作った者」だけで統治するわけにはいかない。

 

『ヨハネス』

 

「はい」

 

『現地の人も、行政とか教会の偉いところまで上がれるようにしよう』

 

 教皇はすぐには答えなかった。

 

「既に、聖職者への道は開かれております」

 

『そうじゃなくて。司祭止まりとかじゃなく、能力があるなら司教でも枢機卿でも。騎士なら騎士団長でも』

 

 ヨハネスの表情がわずかに変わった。

 

「……枢機卿も、ですか」

 

『うん』

 

「十三の座へ、現地の者を」

 

『何か問題ある?』

 

 ヨハネスは考えた。

 

「主のお創りになられた者ではありません」

 

『でも、俺の信徒なんだろ』

 

「はい」

 

『なら同じじゃない?』

 

 その答えは、ヨハネスにとって簡単なものではなかったらしい。

 

 長い沈黙のあと、老人は深く頭を下げた。

 

「御意にございます」

 

 この決定は、当初それほど大きなものとは考えられていなかった。

 

 だが後世。

 

 十三枢機卿のうち一定数を現地出身者が占める慣例が生まれ、教皇そのものもまた現地人から選出されるようになる。

 

 ただし。

 

 十三席の過半数。

 

 そこだけは最後まで、神聖四文字が創造したNPCたちが手放さなかった。

 

 教会を人の世界へ開くため。

 

 そして同時に。

 

 教会が、神の意志から遠く離れすぎないため。

 

 それが後世の神学者たちによる説明だった。

 

 もっとも、神聖四文字本人がこの制度について問われたときの答えは、もっと単純だったという。

 

『だって、全部NPCに任せるのも、全部現地の人に任せるのも、どっちも怖くない?』

 

 神の深遠なる均衡思想。

 

 後世ではそう呼ばれる。

 

 本人は最後まで否定していた。

 

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