退廃世界の傭兵稼業 作:放浪の犬
西暦206X年
ドイツ・ミュンヘン近郊
長い間稼働することもなく打ち捨てられていた工場、その敷地には草木が伸び放題となり、かつて多くの人々が働いていたであろう建物はすっかり自然に飲み込まれていた。
そんな草木の生い茂る敷地を、一人の黒髪の女性が茂みをかき分けながら進んでいく。
ようやく茂みを抜けたところで、女性は衣服にまとわりついた枝葉を払い落とし、背負っていたライフルを肩に担ぎ直す。
彼女の視線の先には、長い年月によってすっかり朽ち果てた工場の入り口があった。
ライフルを肩に担いだまま女性はしばらくその入り口を眺めていたが、やがてゆっくりと歩き出し工場の内部へと入っていく。
工場の天井や壁はところどころ崩れ落ちており、そこから日の光が差し込んでいるため内部は意外にも明るい。
もっとも全ての場所に光が届いているわけではなく、工場の奥には昼間だというのに薄暗い場所も残されていた。
そんな崩れた壁から差し込む光に照らされた場所に、一人の男がパイプ椅子へ縛り付けられる形で座っている。
「うぅ……」
時折苦しそうなうめき声をあげる男、そのズボンには血が滲んでおり、特に両膝の辺りは赤黒く染まっていた。
黒髪の女性はそんな男の姿を観察するように眺めた後、今度は視線を工場の暗がりへと向ける。
そこには同じくパイプ椅子に腰掛ける一人の女性がいた。
薄暗い場所に座ったまま、彼女は拘束されている男をまっすぐに見据えている。
その手には一つのオイルライターが握られており、ケースを開いては閉じ、また開いては閉じる。
カチッ、カチッという乾いた音だけが、人気のない廃工場の中に響いていた。
「相棒、言われた通り通報しといたぞ」
ライフルを担いでいた黒髪の女性がそう言うと、その場にどっかりと胡坐をかいて座る。
相棒と呼ばれた女性は彼女のほうへ視線だけを動かし、小さく頷いた。
「だ、そうだ。もうじき進駐軍の部隊がここに来る。あんたの罪状からして、そう長く待たされることもないだろう」
女はそう言いながら手元のオイルライターを閉じた。
先ほどまで工場の中に響いていた乾いた音が止まり、代わりに男の苦しそうな呼吸だけが聞こえてくる。
「だが、その前に一つ忠告しておいてやる」
「…………」
「知っていることがあるなら、今のうちに話しておいたほうがいい」
その言葉に男は僅かに顔を上げた。
しかし何も答えようとはせず、女を睨みつけるように暗がりへと目を向ける。
そんな男の反応を見ても女は気にした様子を見せず、視線をゆっくりと下へ動かした。
男の両膝へと。
ズボンを赤黒く染めている血は今も完全には止まっておらず、床には血の跡が点々と残っている。
「勘違いするなよ」
女はパイプ椅子から立ち上がった。
「あいつらは私より優しくない」
ゆっくりと男の前へ歩み出る。
暗がりから出たことで、崩れた壁から差し込む日の光が女の姿を照らし出した。
年齢は二十代半ばほどだろうか。
灰色がかった淡い金髪は後ろで低くまとめられ、その下にある顔立ちは細く整っている。やや高い頬骨に、細くまっすぐに伸びた鼻筋、そして色白の肌は、彼女がスラブ系の血を引いていることを窺わせる。
決して大柄ではない。
だが背は女性としてはやや高く、細身に見える身体にも無駄なく筋肉がついている。
なにより目を引くのは、その灰色がかった淡い緑色の瞳だった。
冷たいとも取れるその瞳が、椅子に拘束された男を静かに見下ろしている。
美しい女ではあった。
もっとも、今の男にその容姿を楽しむだけの余裕があるとは到底思えなかった。
「アリサカ、煙草持ってるか?」
「ああ? あるけどよ」
「一本くれ」
胡坐をかいていた黒髪の女性、アリサカはポケットを探ると、取り出した煙草の箱を女へと放り投げた。
それを片手で受け取ると、女は箱から一本だけ抜き取る。
「ほら」
そして自分で吸うのではなく、拘束された男の口へと煙草を咥えさせた。
再びオイルライターを取り出し、火をつける。
男は一瞬戸惑ったように女を見上げたが、やがて煙草を深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。
女はその様子を黙って眺めていた。
「あまり時間はないぞ」
「…………」
「今ここで口を割るか、後できつい拷問を受けてから話すか。好きなほうを選べ」
男の表情が僅かに強張った。
「黙秘できるとは思うな。向こうは人体の痛めつけ方も、人の精神の痛めつけ方も熟知しているプロだ」
女は男の口元から立ち昇る煙を目で追った後、再びその顔へと視線を戻す。
「それでも黙っていられる自信があるなら、止めはしないけどな」
そう言って女は再びオイルライターを閉じた。
カチン、と乾いた音が響いた。
男は口に咥えた煙草を吸いながら、忌々しそうに女を睨みつける。
「……進駐軍のメス犬め、みくびるなよ。お前らの思い通りに動くものか!」
そう吐き捨てると同時に、男は咥えていた煙草を女の足元へと吐き捨てた。
まだ火のついた煙草が地面へ落ち、僅かな火の粉を散らす。
女は男に罵られても表情一つ変えなかった。
ただ黙って男を見据え、それからゆっくりと足元へ視線を落とす。
「好きにすればいいさ」
女はそう言うと腰を屈め、足元に落ちていた煙草を拾い上げた。
そして次の瞬間、まだ火の消えていない煙草の先端を男の顔へと押し当てる。
「ぐっ……!」
皮膚を焼かれる痛みに男が呻き声をあげ、逃れようと顔を背ける。
しかし椅子に縛り付けられた身体では、逃げることなどできない。
やがて火が完全に消えたのを確認すると、女は煙草を男から離して床へと放り捨てた。
「火遊びが過ぎたな」
女は冷たい目で男を見下ろす。
「進駐軍はテロリストに容赦ないぞ。せいぜい頑張れ」
それだけ言うと、女はもう男に興味を失ったように背を向けた。
それから十分と経たないうちに、工場の外から複数の車両が近づいてくる音が聞こえてきた。
「来たみたいだぞ、相棒」
床に座っていたアリサカが立ち上がり、背負っていたライフルを担ぎ直す。
「ああ」
女も短く答えると、工場の入り口へと視線を向けた。
間もなくして数人の兵士たちが工場の中へと入ってくる。
兵士たちは周囲を警戒しながら進み、やがてパイプ椅子に拘束されている男と、その傍らに立つ女の姿を見つけた。
「ウルスラ」
先頭を歩いていた兵士が声をかける。
ウルスラと呼ばれた女は小さく頷くと、拘束されている男を指し示した。
「手配されている犯罪者です。情報は漏らしませんでした」
兵士は男の姿を確認した後、手にしていた端末へ視線を落とす。
そこに表示された情報と男の顔を見比べ、本人であることを確認すると再びウルスラへと向き直った。
「あとは我々が引き継ぎます。後ほど基地情報部より連絡がありますので、お待ちください」
「分かりました」
ウルスラが答えると、それを合図にするように二人の兵士が拘束された男のもとへと歩み寄る。
「立て」
「くっ……!」
兵士の一人が男の拘束を解き、その腕を掴んで立ち上がらせようとする。
しかし両膝を撃ち抜かれている男に自力で立つことなどできず、力を入れた途端にその場へ崩れ落ちた。
その様子を見た兵士は男の両膝へと視線を向け、それからウルスラを見る。
ウルスラは何も言わない。
兵士も何も聞かなかった。
「担架を持ってこい」
もう一人の兵士がそう言うと、入り口付近にいた兵士が無線機へと手を伸ばす。
男は床に倒れたままウルスラを睨みつけていたが、ウルスラはそんな視線を気にすることもなくアリサカのもとへと歩いていった。
――――――
ミュンヘン市内から少し離れた場所に、米州連盟進駐軍の基地は存在している。
戦争が終結してから既に年月は経っているが、基地の周囲には高いフェンスが張り巡らされ、正門では武装した兵士たちが出入りする車両や人間へと目を光らせていた。
そんな基地の一角にある建物、その応接間でウルスラは先ほどから待たされている。
壁に掛けられた時計へ視線を向ける。
それから手元の書類へ視線を戻し、しばらくしてからまた時計を見る。
「…………」
隣から小さないびきが聞こえてきた。
ウルスラはそちらへ視線を向ける。
アリサカが長椅子に身体を預け、腕を組んだまま気持ちよさそうに眠っていた。
「よく寝られるな、お前は……」
当然、返事はない。
ウルスラは小さく息を吐くと、再び時計へと視線を戻した。
「ウルスラさん」
ようやく名前が呼ばれたのは、それからしばらくしてからだった。
「はい」
椅子から立ち上がったウルスラは、アリサカをその場に残したまま声のしたほうへ向かう。
事務員の待つ机の前まで来ると、そこには数枚の書類と一つの封筒が用意されていた。
「先ほど身柄を引き渡していただいた対象について、こちらでも本人であることを確認しました。これで今回の依頼は完了となります」
事務員は書類をウルスラの前へ差し出した。
「こちらに署名をお願いします」
ウルスラは書類へ目を通すと、特に質問することもなくペンを取り、指定された場所へ名前を書き込んだ。
「ありがとうございます。それでは、こちらが今回の報酬です。ご希望通り、米ドルの現金で用意しています」
机の上に置かれていた封筒が差し出される。
ウルスラはそれを受け取ると、中に入っていた紙幣を取り出した。
指先で慣れたように紙幣を数えていく。
「…………」
一通り数え終えたところで、その手が止まった。
「思ったより少ないですね」
「上に掛け合いますか?」
事務員がそう尋ねる。
ウルスラはもう一度紙幣へ視線を落とした。
少ない。
少ないが、仕事そのものに問題があったわけではない。手配されていた男を探し出し、生きたまま確保して引き渡した。
交渉すれば、多少は上乗せできるかもしれない。
しかし、そのためにまた書類を書き、担当者を待ち、説明をして、場合によっては後日もう一度ここへ来る。
ウルスラは紙幣を封筒へ戻した。
「けっこうです」
「よろしいのですか?」
「ええ。これで」
封筒を受け取ると、それ以上話を続けることなく踵を返す。
応接間へ戻ると、アリサカは先ほどとまったく変わらない姿勢で眠っていた。
「おい」
「…………」
返事はない。
ウルスラはアリサカの脚を軽く小突いた。
「起きろ。帰るぞ」
「んぁ……?」
アリサカがようやく目を開ける。
ぼんやりとした顔で周囲を見回し、それから目の前に立つウルスラを見上げた。
「終わったのか?」
「ああ」
「いくらだった?」
「お前には関係ない」
「なんでだよ。わたしも働いただろ」
「通報して寝てただけだろうが」
「ちゃんとあいつ見張ってただろ!」
「途中から座ってただろ」
「あれは休憩だ」
「帰るぞ」
「おい、相棒。いくらだったんだよ」
後ろからしつこく尋ねてくるアリサカを無視しながら、ウルスラは基地の出口へと歩き始めた。
基地を出たウルスラとアリサカは、正門近くの駐車場へと向かった。
そこに停められていたのは、一台のピックアップトラックだった。
決して新しい車ではない。
車体のあちこちには細かな傷やへこみが残され、塗装もところどころ剥げ落ちている。
舗装された道路だけではなく、山道や荒れ地を散々走り回ってきたことが一目で分かる有様だった。
それだけなら、単に扱いの悪い古びた車で済んだだろう。だが車体には、明らかにそれとは違う傷も残されている。助手席側のドアには、いくつかの銃弾の跡があった。
「だからよ、もう少し貰っても良かったと思うんだよ。あいつ捕まえるのに何日かかったと思ってんだ?」
「分かった、分かった」
「分かってねえだろ。上に掛け合うかって聞かれたんなら掛け合えばよかったじゃねえか」
「面倒くさい」
「金が貰えるんだぞ?」
「そのために何時間待たされると思ってるんだ」
「待てばいいだろ!」
「お前は寝てただけだからそう言えるんだよ」
「暇なんだから仕方ねえだろ!」
まだ文句を言い続けているアリサカを放っておき、ウルスラは運転席のドアへ手を掛けた。
そこでふと動きを止める。
基地の正門、その向こうに一本の旗が掲げられていた。
風を受け、星条旗がゆっくりとはためいている。
ウルスラはしばらくそれを見上げていた。
「……一杯飲んでくか」
「お?」
アリサカが意外そうにウルスラを見る。
「なんだよ相棒、急によ」
「嫌なら、お前は先に帰ってるか?」
「はぁ?」
アリサカは呆れたような顔をすると、助手席のドアを開けた。
「一緒に行くに決まってるだろ? どこの世の中に部下の戦術人形を置いて飲みに出かける指揮官がいるってんだよ!」
「部下ねぇ……」
「なんだよ」
「いや、なんでもない」
ウルスラは運転席へ乗り込み、受け取った報酬の入った封筒をダッシュボードへ放り込む。
アリサカも助手席へ乗り込み、ドアを閉めた。
やがて年季の入ったエンジンが音を立てて始動する。
ウルスラはもう一度だけ、フロントガラス越しに基地の上ではためく星条旗へ目を向けた。
それから何も言わずに車を発進させた。
正式名称:アリサカ
素体製造:I.O.P.
種別:戦術人形
使用火器:九九式狙撃銃
旧日本軍で使用されていた九九式狙撃銃を扱う戦術人形。
黒髪の長髪を持つ日本人風の女性型素体で、整った顔立ちをしている。
外見だけなら物静かな美人に見えるが、実際にはかなり口が悪く、粗暴で気が強い。
性格は頑固で負けず嫌い。
一度こうと決めたことはなかなか曲げようとせず、ウルスラとも些細なことでよく言い争っている。
また金や物に目がなく、欲しいものを見つけるとすぐにウルスラへねだるなど、かなり欲深い一面を持つ。
一方で仲間意識は強く、一度「相棒」と認めた相手を簡単に見捨てるような性格ではない。
射撃能力に優れ、特に九九式狙撃銃を使用した中・長距離からの精密射撃を得意とする。
戦術人形であるため人間を大きく上回る身体能力を持ち、必要とあれば接近戦にも対応可能。
現在はウルスラを指揮官として登録しているが、本人は彼女を「指揮官」よりも「相棒」と呼ぶことを好んでいる。
なお、黙っていれば美人である。
黙っていれば。