【五等分の花嫁】さようなら、俺の初恋。――中野三玖に恋をした、もう一人の少年の独白 作:坂島横島八方画策
ふと、「もし『五等分の花嫁』の世界に、自分と同じように中野三玖に恋をした人間がいたら」と考えたことから、この短編を書きました。
本編では描かれなかった、もしかしたら存在したかもしれない一人の少年の初恋の物語です。
よろしければ、最後までお付き合いください。
二学期のあの日、俺は転校してきた彼女に一目惚れをした。
青いヘッドフォンを首に下げて、どこか自信なさげに、だけど奥ゆかしく佇んでいた彼女。
中野三玖。
その名前を知った瞬間、俺の胸はうるさいほどに跳ね上がった。
仲良くなりたい、もっと彼女の笑顔が見たい。だけど、俺には話しかける勇気なんてひとかけらもなかった。
せめて、ほんの少しでもいいから、彼女と繋がれるきっかけが欲しかった。
彼女が戦国武将を好きだと風の噂で聞いた。歴史なんて一文字も興味がなかった。それでも、彼女の好きな世界を俺も見たかった。教科書を開き、慣れない活字に齧り付いて、必死になって歴史を勉強した。すべては、いつか彼女に「それ、俺も好きなんだ」と伝える、その一瞬の奇跡のためだけに。
だけど、その奇跡が訪れることはなかった。
彼女の視線の先には、いつも上杉風太郎がいた。
彼女が誰よりも一生懸命に、苦手な料理に向き合っていたのも、自分を変えようと必死に足掻いていたのも、全部、彼のためだったんだ。
俺の恋は、始まる前に終わっていた。
あの、はにかんだ笑顔も、愛おしそうな微笑みも、全部、俺ではなく彼に向けられたもの。
……だけど、それでいい。いや、それがいいんだ。
彼女が幸せになれるなら、そこに俺の居場所なんてなくていい。
彼女が彼を好きなら、俺は世界中の誰よりも、彼女のその恋を応援しよう。そう心に誓った。
そして、3年のあの学園祭。
俺は、彼女の恋が破れたことを知った。
泣き出しそうな、今にも崩れ落ちそうな彼女の後ろ姿を見つけたとき、足が破裂しそうなほど駆け寄って、その肩を抱きしめてやりたかった。「俺じゃダメか」と、ずっと隠していた想いを叫びたかった。
だけど、俺の手は動かなかった。声も出なかった。
ここで俺がしゃしゃり出て、傷ついた心に漬け込むように優しさを安売りしたら、それは彼女の積み上げてきた想いを、彼女の尊い魂を、すべて踏みにじり、汚してしまうことになる。それだけは、絶対に嫌だった。
結局、俺は最後まで何も言えない、ただの意気地なしのままだ。
ただ遠くから、彼女の震える背中を、血がにじむほど拳を握りしめて見つめることしかできなかった。
だけど、三玖。俺は知ってるよ。
君がどれほど彼を振り向かせたくて、涙を流しながら努力して、苦手なことを一つずつ乗り越えてきたか。君が捧げたあのひたむきな時間は、結末がどうであれ、これから先の君の人生を照らす、何よりも大きな財産に変わるはずだ。
俺のこのちっぽけな気持ちは、誰にも知られないまま、この街の雑踏に消えていく。
だけど、君がこの先、もう一度心からの笑顔を取り戻して生きていってくれるなら、俺の恋なんて、報われなくていい。
ふと空を見あげた、空は青く澄み渡っていた。まるであの子の目の色のように。そして頬に一筋の涙が伝った。
ありがとう、三玖。
誰かをここまで狂おしいほどに愛する強さを、教えてくれて。
そして、さようなら、俺の初恋。
願わくば、彼女の歩むこれからの未来に、溢れんばかりの光がありますように。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この話を書こうと思ったきっかけは、「もし自分が『五等分の花嫁』の世界にいたら、三玖に恋をしていたかもしれない」という、ふとした想像でした。
三玖が好きだからこそ、彼女と結ばれる物語ではなく、「彼女を好きになったけれど、彼女には彼女の好きな人がいる」というところから、自分なりの初恋の物語を書いてみました。
本編に登場することもなく、三玖に想いを伝えることもない。
それでも、彼女のことを心から好きだった少年。
そんな「もしかしたら、どこかにいたかもしれない人」の話です。
書いている途中、自分でも感情が入りすぎて、最後には少し泣いてしまいました。
この物語が、誰かの心に少しでも残ってくれたら嬉しいです。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。