【五等分の花嫁】さようなら、俺の初恋。――中野三玖に恋をした、もう一人の少年の独白 作:坂島横島八方画策
ありがたいことに多くの方の目に留めていただき、深く感謝しております。
この第2話は、あの日から数年の時が経ち、少しだけ大人になった彼の「その後」を描いた、この物語の本当の結末です。
彼が彼女のために必死に学んだ歴史の知識が、今の彼にどんな景色を見せているのか。
誰にも気付かれなかった、だけどどこまでも純粋だった少年の初恋の結びを、どうぞ最後まで見届けていただけますと幸いです。
大学生になった俺は、今、大阪城の南側に立っている。
かつて真田信繁が、圧倒的な劣勢の中で徳川の大軍を迎え撃つために築いた出城、通称「真田丸」があったとされる地だ。
高校生の頃の俺なら、歴史の史跡なんて見に来ることは絶対になかっただろう。
理系を選択していた俺にとって、日本史はカリキュラムにすら入っていない、自分とは全く無縁の世界のはずだった。
それなのに、気がつけば俺の足は自然とここへ向いていた。
ふと空を見あげる。
空は、あの日、学園祭の雑踏の中で見あげた時と同じように、青く澄み渡っていた。
まるであの子の、中野三玖の、あの真っ直ぐで綺麗な瞳の色のように。
「真田信繁か……」
ぽつりと、誰の耳にも届かない声で、その名前を零してみる。
あの子が戦国武将を好きだと風の噂で聞いたあの日から、俺の世界は変わり始めた。仲良くなるきっかけが欲しくて、興味のなかった歴史の教科書を開き、慣れない活字に齧り付いて、必死になって調べた男の生き様。
調べれば調べるほど、そこには教科書の年号だけでは分からない、熱い人間たちのドラマがあった。
織田信長が豊臣秀吉の正室のねねへの手紙に、豊臣秀吉が「ハゲ鼠」と愛を込めて書き記していたこと。
大谷吉継が患っていた病の膿が入ったかもしれないお茶を、石田三成が少しの躊躇もなく「美味い」と言って飲み干した、利害を超えた友情。
その三成が、関ヶ原の戦いに敗れて刑場へ引かれる際、喉の渇きを潤すための柿を「体に障る」と断り、「最期まで大成を為す者は命を大事にするものだ」と言い放った不器用なまでの生真面目さ。
そして、その大谷吉継の娘である竹林院を妻に迎え、破格の条件を提示されても決して首を縦に振らなかった真田信繁。
徳川家康から「くだれば信濃に十万石を与える」と言われても、「秀吉公への恩義がある。十万石ごときで裏切るか」と一蹴し、さらに「信濃一国を丸ごと与えよう」と迫られても、「信濃一国どころか日本国の半分をくれると言われても私の心は変わらない」と、己の忠義を貫き通した、あの圧倒的な一途さ。
あの頃の俺は、ただあの子に「それ、俺も好きなんだ」と伝える、その一瞬の奇跡のためだけに必死だった。
だけど、数年が経ち、少しだけ大人になった今なら、あの子がどうして信繁のエピソード全般を、あんなにも熱っぽく見つめていたのかが、痛いほどよく分かる。
圧倒的に頭の良い上杉風太郎に振り向いてもらうために、苦手な料理という「真田丸」を必死に築いて立ち向かった。
家出した姉妹の元へ自ら赴き、厳しい環境に身を置きながらも、涙を流して自分を変えようと努力し続けた。
その強かさと聡明さ、そして大切な人を一途に想い続ける覚悟は、あの子が愛した真田信繁の、あの気高い生き様そのものだったんだ。
あの子は、誰かの後ろをついていくだけの弱い女の子なんかじゃなかった。
武将たちに負けないほどの熱い魂を持って、自分の恋を全力で戦い抜いた、世界一かっこいい女の子だったんだ。
結局、俺の仕入れたこの歴史の知識を、あの子に直接語る機会は一生訪れなかった。
あの子が誰よりも一生懸命に作ったチョコレートが、俺の元に届くこともなかった。
だけど、こんな気持ちを知らなければ良かったなんて、1ミリも思わない。
風太郎を恨む気持ちなんて、最初から一欠片もありはしない。
あの子を好きにならなければ、俺は日本国半分を提示されても折れないような、格好いい男の生き様を知ることはなかった。
誰かをここまで恨みも憎しみもなく、ただ幸せだけを願って、狂おしいほどに愛する強さを知ることもなかった。
俺の初恋は、あの子に届くことはなかった。誰にも気付かれないまま、街の雑踏に消えていった。
だけど、あの子のために必死になって教科書を開いたあのひたむきな時間は、結末がどうであれ、俺のこれからの人生を強く支えてくれる、何よりも大きな財産に変わっている。
頬を撫でる風が、少しだけ冷たくなった気がして、俺は小さく息を吐いた。
あの子の瞳の色の青空は、今でも俺の世界を優しく包み込んでくれている。
「ありがとう、三玖」
誰にも気付かれないように、もう一度だけ、心の中でその名前を呟いた。
あの子がこの世界のどこかで、心からの笑顔で生きていてくれるなら、俺の初恋なんて、報われなくていい。
願わくば、彼女の歩むこれからの未来に、溢れんばかりの光がありますように。
俺はあの日とは違う、少しだけ強くなった足取りで、自分の歩むべき未来へと歩き出した。
ふと、「もし『五等分の花嫁』の世界に、自分と同じように中野三玖に恋をした人間がいたら」と考えたことから始まったこの物語ですが、これで完全完結となります。
実は作者自身、高校時代は理系選択で日本史のカリキュラムがなく、三玖の好きな世界をもっと知りたくて、後から自分なりに戦国武将たちのエピソードを必死に調べました。
その時感じた「信繁の一途さや竹林院の健気さ」といった熱い人間ドラマが、そのままこの主人公の三玖へのリスペクトに繋がっています。
誰にも届かなかった、だけどどこまでも純粋だった少年の初恋の物語。理系である彼が、不慣れな歴史に必死に手を伸ばしたその熱量が、少しでも皆様に届いていれば幸いです。
もしよろしければ、評価やご感想などをいただけますと、今後の執筆の励みになります。
またどこかの物語でお会いできることを願って。
――坂島横島八方画策