あの魔法少女に恋はしない 作:毎日残業
「…………あなたが、リリィ?」
「そうだけど」
紗寿叶が問い返しても、玲央は首から提げたカメラを持ち直しながら、先ほどまでとほとんど変わらない調子で答えた。
幼い頃に何度も画面越しで見た白咲リリアと、目の前に立っている少年の顔を重ねようとしてみるものの、すぐには結びつかない。
当時のリリアは長い髪に可愛らしい衣装を身につけた少女で、今の玲央は背も伸び、声も低くなっている。それでも目元や笑ったときの表情を見ていると、記憶の中に残っている面影がないとも言い切れず、紗寿叶は確かめるようにしばらくその顔を眺めていた。
「……本当に男だったのね」
「最初から男だよ」
「分かってるわよ。そういう意味じゃなくて、見てた頃は普通に女の子だと思ってたってこと」
「それなら成功してたってことかな」
玲央はそれ以上何かを付け加えるでもなく、紗寿叶も当時の撮影について尋ねることはなかった。
どうして男の子が魔法少女を演じることになったのか、撮影現場ではどんな扱いだったのか、聞こうと思えばいくらでも聞ける。それでも紗寿叶にとって、テレビの中にいたリリアは白咲リリアのままであり、今ここで舞台裏まで知りたいとは思わなかった。
ただ、そのリリアを演じていた本人が、昨日心寿の前でカメラを抱えて困っていた少年だったということだけは、まだ妙な感じがする。
「お姉ちゃん、リリィ好きだったよね」
「心寿」
「だって前に――」
「いいから」
横から余計なことまで話し始めそうになった心寿を遮ると、玲央が少しだけ面白そうに紗寿叶を見る。
「好きだったんだ」
「作品が好きだっただけよ」
「別に何も言ってないけど」
「その顔が何か言ってるのよ」
「どんな顔だよ」
玲央は笑い声を上げるでもなく、そのまま手元のカメラへ視線を戻したため、紗寿叶も言い返す相手を失って口を閉じた。
心寿はそんな二人を一度見比べてから、玲央が持っているカメラへ興味を戻す。
「さっきの写真、見せてもらってもいいですか?」
「もちろん。昨日教えてもらったこと、一応やってみたんだけど」
玲央が液晶を心寿へ向けると、夕方の河川敷を撮った写真が何枚も並んでいた。
水面に反射する光や風に揺れる草、橋の影、その向こうを歩いている人の姿まで、写っている場所そのものはほとんど同じだったが、高さや角度を変えながら何度も試したことは分かる。
心寿は一枚ずつ確認し、ときどき前の写真まで戻して見比べた。
「昨日より、こっちの方が良いです」
「どこが違う?」
「こっちは水面を撮ろうとしてるのが分かります。でも、その前の写真は草も橋も全部入ってるから、何を見ればいいのか少し迷うかも」
「なるほど」
写真の話になれば、昨日と同じように心寿の言葉は自然と増えていく。
玲央も相手が年下だからと遠慮する様子はなく、分からないことがあればそのまま聞き返していた。紗寿叶は少し離れたところから二人を見ていたが、昨日話を聞いたときほど気を張る必要はなさそうだった。
「乾さん、これって――」
「何?」
「はい?」
玲央が何気なく呼びかけた途端、姉妹が揃って顔を向け、口を開いたまま二人を見比べ、少し遅れて眉を寄せた。
「……ややこしいな」
「そりゃ姉妹なんだから同じ名字でしょ」
「心寿さんの方に聞いたんだよ」
「だったら最初から心寿って言いなさいよ」
「今後そうさせてもらう」
玲央はあっさり頷くと、今度は紗寿叶を見る。
「そういえば、お姉さんの名前は聞いてなかった」
「乾紗寿叶」
「じゃあ紗寿叶さん」
「いきなり名前?」
「乾さんって呼んだら、また二人とも振り向くだろ」
言われてみればその通りで、紗寿叶は一瞬言葉に詰まる。
「……まあ、それならいいけど」
「決まり。心寿さんと紗寿叶さん」
心寿が二人のやり取りを見て小さく笑い、玲央が見せようとしていた写真へ視線を戻した。
「それで、これはどう?」
「あっ、そうでした」
何枚か確認したあと、心寿は考えるように河川敷へ目を向ける。
「朝比奈さん、風景以外って撮ったことありますか?」
「ほとんどない。昨日カメラ持ち始めたばっかりだから」
「だったら、人を撮ってみるのもいいかもしれません」
「人?」
「はい。風景だと自分が何を撮りたいのか分からないって言ってましたよね。でも人なら、その人のどこを撮りたいのか考えやすいと思うので」
玲央は少し考えてから、心寿へ視線を向けた。
昨日は制服姿だったため中学生だと分かっていたが、改めて見ると年齢に比べてかなり背が高い。人を撮ってみるという話なら、そのまま心寿を被写体にしてもよさそうに思えた。
「じゃあ心寿さん、撮っていい?」
「わ、私よりお姉ちゃんの方が……」
心寿は困ったように笑い、すぐ隣へ視線を送った。
その時点で嫌な予感がした紗寿叶は、反射的に一歩後ろへ下がる。
「待って」
「お姉ちゃん、お願い……!」
「何で私なのよ」
「私より撮られ慣れてるし、可愛いし……」
ただの私服で、しかも知り合ったばかりの男子から写真を撮られる理由などない。
紗寿叶は断ろうとしたものの、玲央自身は積極的に撮りたがっているというより、心寿に言われたことを試すべきか考えているようで、そのせいで余計に断りづらくなった。
「……その言い方されると断りづらいのよ」
「俺のせい?」
「知らない」
小さく息を吐いてから、紗寿叶は少し離れた柵の近くまで歩いていく。
「一枚だけよ」
「分かった」
玲央も余計なことは言わず、カメラを構えた。
レンズを向けられた紗寿叶は、ほとんど無意識に背筋を伸ばし、顎の位置と肩の向きを整える。コスプレの撮影ほど意識して作ったものではないが、心寿のカメラの前へ立つ機会が多いせいか、撮られると分かっただけで身体が勝手に収まりのいい形を選んでいた。
ところが玲央はシャッターを切らず、ファインダーを覗いたまましばらく止まってから、ゆっくりカメラを下ろした。
「何?」
「いや、何か違うなと思って」
「撮るんじゃないの?」
「撮るけど、今のって写真撮られる用の立ち方だろ」
自分でもほとんど意識していなかったことを、初対面に近い相手からあっさり指摘され、紗寿叶の眉がわずかに動いた。
それでも玲央は撮ろうとせず、カメラを構えたり下ろしたりしながら紗寿叶の周囲へ目を向けている。思っていたよりその時間が長く、待たされている紗寿叶の方が落ち着かなくなってきた。
「まだ?」
「もうちょっと」
「一枚撮るだけで何分かけるつもり?」
「心寿さんがたくさん見るって言ってたから」
「素直すぎるでしょ」
呆れて横を向いたところで、一度だけシャッター音が鳴った。
「どんなタイミングで撮ってるのよ……」
玲央が写真の出来を確認すると、心寿がすぐ横から覗き込む。
紗寿叶も気になって近づいてみれば、河川敷の柵にもたれながら、少し不機嫌そうに横を向いている自分が画面に映っていた。
夕方の光が横から差し込み、髪の輪郭だけが薄く明るくなっている。衣装もウィッグもなく、表情すら作っていないため、普段コスプレで撮られている写真とはまるで違う。
それでも、嫌いな写真ではなかった。
「これ、普段のお姉ちゃんみたいでいいです」
先に口を開いた心寿が、画面と紗寿叶を交互に見ながら嬉しそうに笑う。
「どういう意味よ」
「こういう顔、よくするから」
「私いつもこんな不機嫌そうな顔してるの?」
「不機嫌っていうより、お姉ちゃんが呆れてるときの顔」
「それほとんど同じじゃない」
自分ではもう少し普通の顔をしているつもりだっただけに、紗寿叶は納得できないまま画面を覗き込む。
玲央も写真と紗寿叶を見比べてから、小さく頷いた。
「俺もこっちの方が好きだな」
「……言い方ってものがあるでしょ」
咎めるような視線を向けると、玲央は一度だけ瞬きをした。
「朝比奈さん、さっきより何を撮りたかったのか分かりやすいです」
「やっぱり違う?」
「はい。さっきより、朝比奈さんが何を見て撮ったか分かる気がします」
「そっか」
玲央は嬉しそうにもう一度写真を確認する。
「写真撮る人が何を見てるのか。なんとなく分かった気がする」
玲央は撮ったばかりの写真をもう一度見つめ、何かを確かめるように視線を止めた。
昨日までは花や川を前にしても、どこへカメラを向ければいいのか分からなかったらしい。それを思えば、今は少なくとも自分が何を見てシャッターを切ったのかくらいは分かっているのだろう。
「あの……すみません」
背後から遠慮がちな声を掛けられ、三人揃って振り返った。
少し離れたところに、紗寿叶たちより年上に見える女性が二人立っている。そのうち一人が玲央の顔を何度か確かめると、恐る恐る近づいてきた。
「
芸名を呼ばれた瞬間、玲央の立ち方がわずかに変わった。
背筋が自然に伸び、カメラを覗き込みながら悩んでいた表情が消える。代わりに浮かんだのは、初対面の相手でも話しかけやすそうな柔らかな笑顔だった。
「はい。そうです」
「やっぱり! この前のドラマ見ました!」
「ありがとうございます」
驚いた様子を見せながらも、声には先ほどまでより少し明るさがある。
「写真ってお願いしても大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、写真は事務所から止められてるので……」
「あ、そうなんですね」
「でも声掛けてもらえて嬉しいです。ありがとうございます」
最後まで笑顔のまま応じ、女性たちが何度も頭を下げながら離れていくのを見送る。
十分に距離が空いたところで、玲央は紗寿叶たちへ振り返った。
「ごめん。何の話してたっけ」
さっきまで浮かべていた笑顔は、もう消えていた。
不機嫌になったわけでも疲れた顔になったわけでもなく、心寿と写真の話をしていたときの玲央へ、そのまま戻っている。
紗寿叶はついその顔を見つめた。
「……切り替え早いわね」
「何が?」
「何でもない」
説明するほどのことでもない気がして、紗寿叶は首を振った。
ファンへ愛想よく応じるのは、役者なら珍しいことではないのだろう。玲央も嫌々笑っているようには見えなかった。
ただ、声を掛けられてから相手の前に立つまで、ほとんど迷いがなかった。
「それより心寿さん、もし迷惑じゃなかったら、また写真見てもらってもいい?」
「はい。私でよければ」
玲央が話を戻すと、心寿はすぐに頷いた。
「心寿」
「俺そこまで信用されてない?」
「今日初めて会った相手を信用する方がおかしいでしょ」
「それはそうだな」
素直に認められると、紗寿叶だけが警戒しているような気分になって少し居心地が悪い。それでも、昔テレビで見ていた相手だからといって、知り合ったばかりなのは変わらない。
「というか連絡取れないな」
玲央がポケットへ手を伸ばしかけ、その途中で止まった。
「そういえば連絡先知らないですね」
心寿も思い出したように鞄へ手を伸ばす。
「心寿はいいわ」
「え?」
紗寿叶は妹より先に自分のスマートフォンを取り出した。
「私と交換すればいいでしょ。心寿の予定も私が分かるし、その方が早いわ」
「紗寿叶さんと?」
「何よ」
「いや、俺はそれでいいけど」
玲央もスマートフォンを取り出し、互いの連絡先を交換する。
画面に表示された『朝比奈玲央』の文字を見たところで、紗寿叶は指を止めた。
昨日までは存在すら知らなかった相手なのに、実際に会ってみれば幼い頃に見ていた白咲リリアを演じていた人物で、その日のうちに連絡先までスマートフォンへ入っている。
偶然知り合った相手との距離としては、ずいぶん妙な進み方だった。
「連絡するなら遅い時間はやめてよ」
「そりゃもちろん」
「あと変な用事で心寿を呼び出したりしないで」
「心寿さんの連絡先知らないけど」
「念のためよ」
玲央は呆れるより先に小さく笑った。
「心配性だな」
「妹なんだから当たり前でしょ」
紗寿叶は誤魔化すようにスマートフォンを鞄へしまった。
玲央もそれ以上何か言うことはなく、再びカメラを持って川の方へ向き直る。
今度は目についたものへすぐレンズを向けず、まず肉眼で水面を眺めていた。風に揺られて光の形が変わっていく様子を追い、少し場所を変えてからカメラを構え、ようやく一度だけシャッターを切る。
心寿から聞いたことを、その場ですぐ試しているらしい。
紗寿叶はその横顔を眺めながら、先ほどファンへ向けていた笑顔を思い返した。
幼い頃に白咲リリアを演じ、今も街中で顔を知られていて、その一方で次の役のために河川敷まで来て、カメラの使い方を一から覚えようとしている。
どれも朝比奈玲央なのだろうが、今日会ったばかりの紗寿叶には、まだその全部が一人の人間としてうまく繋がらなかった。