あの魔法少女に恋はしない 作:毎日残業
紗寿叶から写真が届いたのは、喫茶店で話してから一週間後の夜だった。
その日の仕事を終えて帰宅した玲央は、シャワーを浴びて部屋着に着替えると、自室のベッドへ腰を下ろしていた。
明日の集合時間を確認するためスマートフォンを開き、マネージャーから送られてきた予定表を眺めていると、画面の上部に新しい通知が現れる。
表示された名前を見て、予定を追っていた指が止まった。
『この前言ってたコスの写真、撮ったから送る』
続けて画像が一枚届く。
玲央は予定表を閉じ、送られてきた写真を画面いっぱいに表示した。
先日二人で話していた漫画のキャラクターだった。
喫茶店では私服のまま表情だけを試していた紗寿叶も、写真の中では髪型から衣装まで作品の姿へ変わっている。玲央には衣装が原作をどこまで細かく再現しているのかまでは分からなかったが、少なくとも一週間前に向かいへ座っていた紗寿叶を、そのまま衣装だけ着替えさせたようには見えなかった。
最初に目へ入ったのは口元だった。
笑ってはいるものの、ただ明るいわけではない。笑みを作っていることそのものは分かるのに、悲しさを見せようとしている感じもしなかった。
視線はカメラへ向いている。それでもレンズそのものではなく、その向こうにいる誰かを見ているようにも感じられる。
玲央は写真を少し拡大した。
喫茶店で試したとき、紗寿叶は自分の表情が上手くできているかより、玲央が安心したかどうかを確かめるようにこちらを見ていた。
写真にも、その感覚が残っている。
自分の抱えているものは隠したい。それでも一番強く出ているのは、目の前の相手を安心させようとする気持ちだった。
少なくとも玲央には、そう見えた。
『いいと思う』
そこまで打って送信したところで、さすがにこれだけでは何のために相談へ乗ったのか分からないと思い直す。
もう一度写真へ目を通し、続けて文字を打った。
『目線がちゃんと相手の方に行ってるから、この前より「安心させようとしてる」感じが強い』
『不安なのも残ってるけど、不安そうに見せることが目的にはなってないと思う』
少しすると既読が付き、紗寿叶からも返事が届いた。
『心寿にも似たようなこと言われた』
『成功ってことでよさそうね』
玲央は思わず口元を緩める。
役者として考えたことと、実際に写真を撮る心寿の見方が似ていたのなら、少なくとも見当違いなことを言ったわけではなかったらしい。
『俺もそう思う』
『心寿さんにも上手かったって言っといて』
それだけ返し、玲央はベッド脇に置いていた台本へ手を伸ばした。
もともと完成した写真を見せてほしいと言ったのは玲央だ。紗寿叶はそれを覚えていて送ってくれただけで、玲央も頼まれた通り感想を返した。
相談の結果まで確認できたのだから、それで話は終わりのはずだった。
ところが台本を開こうとしたところで、先ほど見た写真がまた頭へ浮かぶ。
「……やっぱ上手いな」
独り言を漏らしながら、玲央は心寿のことを思い出した。
乾心寿という少女は、改めて考えてみても少し変わった相手だった。
最初に会ったのは道端である。
当時の玲央は買ったばかりのカメラを持って、何を撮ればいいのかも分からないまま同じ場所を行ったり来たりしていた。そこへ心寿の方から声を掛けてきた。
普段なら知らない相手、それも年上らしい男へ自分から話しかけるような性格には見えない。実際、最初はかなり遠慮がちだった。
それなのに写真の話になった途端、少しずつ言葉が増えていった。
何を見るのか、どこに光が当たっているのか、何を残したくてシャッターを切るのか。
玲央が分からないと言えば、知識だけを並べるのではなく、自分が普段どう考えているのかまで説明してくれた。
年齢だけなら玲央より下だが、カメラに関しては完全に心寿の方が先輩だった。
そこへ抵抗を覚えたことはない。
自分が知らないことを知っている相手がいるなら、聞けばいいだけだ。子役だった頃から、現場には年齢に関係なく自分より何かが上手い人間がいくらでもいた。
ただ、普段のおっとりした心寿と、カメラを持ったときの心寿にはかなり差がある。
紗寿叶を撮っているときは特にそうだった。
姉の表情だけではなく、指先や衣装の形、光の入り方まで細かく見ている。結局のところ、心寿が撮りたいのはいつだって姉なのだろう。そのためなら少しでも良く見える瞬間を逃さないように、あれだけ真剣になる。
今日届いた一枚にも、それは出ている。
「姉ちゃん好きだよなあ」
玲央は小さく笑った。
別に悪い意味ではない。むしろ、あれだけ分かりやすく好きなものがあるのは少し羨ましくもある。
そこから自然と、姉妹が並んでいる姿まで浮かんだ。
心寿はとにかく背が高い。
私服で紗寿叶と並んでいると、予備知識がなければどちらが年上か迷ってもおかしくない。玲央と話しているときも目線の高さはそれほど変わらないのに、紗寿叶が隣へ立つと余計に小さく見える。
それでも、実際に二人と話せば姉妹関係を間違えることはなかった。
心寿のことになると、紗寿叶は明らかに姉になる。
初対面で玲央を警戒して河川敷まで確認しに来たのも、結局は妹を心配したからだった。
「……最初、滅茶苦茶警戒されてたな」
当時の紗寿叶からすれば、知らない男子高校生が妹と道端で十五分も話していたのだから当然なのかもしれない。
小柄な身体で心寿の前へ入り、玲央を真正面から問い詰めてきた姿まで思い出す。
そうしているうちに、心寿について考えていたはずの思考は、いつの間にか紗寿叶へ移っていた。
紗寿叶の最初の印象は、小さいことと警戒心が強いことだった。
そのあと、自分が昔白咲リリアを演じていたと言うとかなり驚かれた。
玲央としては、昔出演した作品を知っている相手と出会うこと自体は珍しくない。子役時代から今まで続けている以上、過去の出演作を見ていたと言われる機会も何度もあった。
だから紗寿叶も、最初はその中の一人になるのだと思っていた。
実際には違った。
リリアを好きだったことは間違いないらしいが、それだけで玲央への態度を変えることはなかった。
今放送されているドラマを見れば、玲央本人ではなく榊原湊に腹を立てる。気になるところがあれば電話で聞いてくるし、玲央の説明に納得できなければ遠慮なく反論する。
喫茶店でも同じだった。
玲央が十二巻すべて読んだことには驚いていたくせに、キャラクターについて話し始めれば、役者だからという理由で意見をそのまま受け入れたりはしなかった。
七巻の話になったときなど、最後までお互いに譲らなかった。
「……あの人、結構面倒だよな」
口に出してから、玲央は少しだけ笑った。
悪口のつもりはなかった。
好きなものについて妥協しないし、自分がこう思うと決めたら相手が誰だろうと普通に言う。
玲央が言葉を選ばず返しても、不機嫌になることはあっても必要以上に傷ついた顔をするわけではない。
思い返せば、最近は玲央自身も紗寿叶相手にかなり遠慮がなくなっていた。
最初に会った頃なら、もう少し相手の反応を見て言葉を選んでいたはずだ。
相手が何を求めているのかを見て、それに合わせて話し方を少し変える。
子役の頃から身についている癖だった。
ファンに声を掛けられれば相手が安心できるように笑うし、初対面のスタッフと話すなら感じの悪い印象を残さないようにする。共演者に対しても、まだ距離があるうちは相手が話しやすい返し方を選ぶ。
もう習慣になっていることで、それが特別苦痛だと思ったことはない。
女性と二人で話すこと自体も珍しくなかった。
同年代の女優と撮影の合間に二人で話すこともあれば、女性スタッフと食事をしながら打ち合わせをすることもある。芸能界で長く仕事をしていれば、それくらい日常の範囲だった。
先日の喫茶店だって、紗寿叶と二人だったこと自体は何とも思っていない。
引っ掛かるとすれば、そのあとだった。
玲央はベッドへ背中を預け、天井を見る。
相談された表情について覚えているのは当然だ。わざわざ十二巻も読んだ作品なのだから、内容が頭へ残っているのもおかしくない。
けれど、相談が終わったあとに話したことまで妙にはっきりしている。
七巻で登場人物が黙っていた理由や、原作と映像化作品で印象が変わる場面、紗寿叶がコスプレするキャラクターをどう選ぶかという話まで、思い返そうとすれば簡単に出てくる。
玲央が嫌いな人物でも仕事なら演じると言ったときの、紗寿叶の反応まで覚えていた。
「……まあ、楽しかったからか」
答えにしてしまえば単純だった。
実際、楽しかった。
相談を受けている間も面白かったが、それが終わってからの方が気楽だった気もする。
役について聞かれているわけでもなく、ファンとして何かを求められているわけでもない。
お互い好き勝手に話して、意見が違えばそのまま言い合う。
紗寿叶は玲央が久世レオであることも、昔リリアを演じていたことも知っている。それでも最近は、そのどちらかを相手にしているようには見えなかった。
それは玲央にとっても楽だった。
そこまで考えたところで、自分でも妙に紗寿叶のことばかり考えていることに気づく。
「……何でこんな考えてるんだ、俺」
声にすると少し馬鹿らしくなった。
最近よく話している相手なのだから、頭へ浮かぶ機会が増えることくらいあるだろう。
それ以上の理由を探す必要もない。
そう結論づけ、玲央はようやく台本を開いた。
数ページ読み進めたところで、喫茶店で言い合った七巻の場面がふいに頭をよぎる。
玲央は今でも、あそこで黙る必要はなかったと思っている。紗寿叶から理由を説明されても、完全には納得していない。
少し迷った末、台本から手を離してメッセージを開いた。
『そういえば七巻のあれだけど』
送って十秒ほどで既読がつく。
『まだ言ってるの?』
予想していたものとほとんど同じ返事が来て、玲央は思わず笑った。
『いや、やっぱあそこで黙る意味ないと思う』
『だからこの前説明したでしょ』
すぐに反論が返ってくる。
『説明は聞いたけど納得はしてない』
『面倒くさいわね、あんた』
そこで玲央は一度指を止めた。
写真についての話は、とっくに終わっている。
今送っていることは今日話さなければ困るものでもなければ、紗寿叶でなければ答えられない質問でもない。
それでも玲央から話を振り、紗寿叶も当たり前のように返してくる。
深く考えることもなく、玲央はまた文字を打った。
そこから話は七巻だけでは終わらなかった。
七巻で黙った人物が十巻ではどう変わったのかという話から別の登場人物へ移り、玲央が脇役の一人を好きだと言えば、紗寿叶から意外だと返される。
何が意外なのか聞けば、今度は玲央の好みについて勝手な分析を始め、それへ反論しているうちに二十分ほど経っていた。
やり取りが途切れたのは、その頃だった。
最後に送ったメッセージには、しばらく経っても既読がつかない。
風呂にでも入ったのか、家の用事でもできたのだろう。
そもそも、急いで返すような話ではない。
玲央は台本へ戻り、明日撮る場面の台詞を追っていった。
しばらくして通知音が鳴る。
何気なく確認した画面に表示されていたのは、マネージャーの名前だった。
明日の集合時間が三十分早まったという連絡である。
「……何だ」
口から出た声に、自分で眉を寄せる。
仕事の連絡なのだから、むしろ早めに確認できてよかったはずだ。
それなのに一瞬だけ、肩透かしを食らったような感覚が残った。
誰からの通知だと思ったのかは、わざわざ考えるまでもない。
「いや、話の途中だっただけだろ」
誰に言うでもなく呟き、変更された集合時間を予定へ入れる。
そのあとは無理に通知を気にしないことにして、玲央は台本へ意識を戻した。
女子からの返信を待つこと自体は何もおかしくない。話の途中なら返事が来るか気になることくらいあるし、仕事相手でも知り合いでも同じことはある。
ただ、普段なら数分返事が途切れたくらいで、通知の相手を勝手に期待したりはしなかった気もする。
そこまで考えたところで、玲央は面倒になった。
「最近よく話してるからだろ」
それで終わらせることにする。
心寿はカメラについて教えてくれた相手で、紗寿叶はその心寿の姉だった。
最初はそれだけだったはずなのに、今では紗寿叶だけでも説明できることが随分増えた。
警戒心が強くて、妹思いで、好きなものにはやたら真面目で、納得できなければ相手が誰でも反論する。
褒めても素直に受け取らないくせに、自分が認めたものはちゃんと認める。
それから、一緒に話していると楽しい。
最後の一つだけ、何となく余計な気がした。
玲央がその理由を考え始める前に、もう一度通知音が鳴った。
今度はマネージャーではなかった。
『お風呂入ってた』
『それで、さっきの話だけど』
表示された紗寿叶の名前と続きの文章を見て、玲央は自分でも気づかないうちに口元を緩める。
そのまま返事を打ち始めたため、結局その夜、台本を読み終えるまでにはもう少し時間が掛かった。