高校の入学式から2ヶ月。昼休みにもなると、仲良くなったクラスメイト同士で集まり、食後の談笑が始まっていた。
「ねえ、それでさ――」「え、マジで?」「そうそう。それで昨日――」
いくつもの声が重なっている教室で、佐倉ひよりは独りお弁当を食べていた。
小さなおにぎりを一口。 よく噛んで飲み込んで、それから卵焼きを一つ。
その間にも、教室の中では会話が次々と生まれては消えていく。
「ねえ、昨日の動画見た?」「見た見た! あれヤバくない?」「それよりさ、今日の放課後どうする?」「カラオケ行こうよ」「えー、昨日も行ったじゃん」
ひよりには、教室の全てが早送りに感じていた。ついさっきまで、みんな同じように昼食を食べていたはずなのに。
入学式が終わったと思ったら皆、あっという間に気の合う人達と輪が出来て、ずっと知り合いだったかのように机を寄せ合い笑っている。
ひよりは箸を止め、まだ半分くらい残っている自分の弁当箱を見る。
「…………」
急いでご飯を口に含む。 もう一口。
「けほっ!」
喉につかえて、慌てて水筒のお茶を飲んだ。
「佐倉さん、まだ食べてるの?」
顔を上げると、クラスメイトが悪気のない顔でこちらを見ていた。
「……う、うん」
「そっか」
か細く答えるひよりにそれだけ言って、その子は友達の輪へ戻っていく。
別のグループから沸き起こる談笑にひよりは俯く。別に何か嫌な事を言われたわけじゃない、誰かに怒られたわけでもない。
ただ、自分だけが置いていかれる。 食べるのも、 話すのも、考えるのも、何かを決めるのも。
小さい頃からずっとそうだった。
自分がまだ一つ前のことを考えている間に、周りは二つも三つも先へ行ってしまう。
ひよりは箸を握った。
――早く食べなきゃ。 そう思うほど手がうまく動かなくなる。 耳に入ってくる声が、だんだん大きくなる。
「じゃあ三時に駅ね!」「了解!」「その前にコンビニ寄ろうよ!」「いいね!」「ていうかさ――」
また次の話。
また別の話。
ひよりは目を伏せた。 同じ教室なのに急にひどく遠いものに見えた。
――私も、あそこに行けばいいのかな。
そう思った。 でも、何を話せばいいのかわからない。 いつ入ればいいのかわからない。 今から行っても遅い気がする。
そんなことを考えているうちに、教室の時計は十二時五十二分を指していた。 昼休みは、あと少し。
「…………」
ひよりは、残った弁当を見つめた。 胸の奥が、少しずつ苦しくなっていく。
(私だけ……置いてかれる)
反応が遅い。
喋るのが遅い。
決めるのが遅い。
みんなが普通にできることが、自分にはできない。 チャイムが鳴った。
「じゃ、またね」「放課後よろー」
みんなが席に戻っていく。 ひよりもまだ中身が残っている弁当箱をしまった。 手が少し震えている。
午後の授業で行われたのは「グループワーク」だった。
4人ひと組になり、それぞれ異なる英文を翻訳した後、それらを突き合わせて一つの物語を完成させる。ひよりの頭は、そのルールを説明された時点で早くも悲鳴を上げていた。
「じゃあ、佐倉さんはここのパートの翻訳をお願いね」
「あ、翻訳……わかった」
グループの一人が、気を利かせてやって欲しい事を頼むと、ひよりは深呼吸をひとつ。そして、寄せた机に広がる英文の海へ意識を沈める。
「あ、待って、先にこっちの単語調べた方がいいかも! 誰かスマホでググって!」
「私やる! あ、佐倉さんはそのまま訳し進めてていいよ!」
周囲のテンポはどんどん進んでいく。右から左から、目まぐるしく言葉の弾丸が飛び交う。
クラスメイト達は、作業を進めながら他人の発言を聞き、グループ全体の進行状況を把握し、臨機応変に役割を切り替える中、ひよりは切り離された様に言われた作業に没頭していく。
「……くん……佐倉くんッ!!」
作業を終え、ボーっとしていた処へ見回りにきた英語教師の低く冷ややかな声がひよりの頭上から降ってきた。 その瞬間、ひよりは意識の世界から、一気に現実の教室へと引き戻された。心臓がドクンと大きく跳ね上がる。
「佐倉くん。君のグループは遅れ気味だ、なのに何故独り呆けているのかね?なぜ皆と相談しない? それに、プリントが白紙とはどういうことだ。早くしろ、授業が進まないぞ」
「あ、の……翻訳、は……その……」
ひよりの喉から出たのは、小さく掠れた音だけだった。「見せる」か「口で説明する」か、あるいは今すぐ謝罪をするべきか。その複数の選択肢を前に、ひよりの脳内の回路は完全に渋滞を起こし、指先がガタガタと震え出した。
「……はぁ。もういい、これ以上時間を無駄にできん。周りのグループを参考に進めなさい」
別にひよりのせいでグループの進行が遅れていたわけではない、むしろ割り振られた作業はとうの昔に
だが、教師のため息混じりの声が、決定打だった。
ひよりの中で張り詰めていた何かが、ぷつりと音を立てて切れた。
「ごめんなさい……っ!」
蚊の鳴くような謝罪をひとつ残し、ひよりはプリントもカバンも置いたまま、教室のドアを乱暴に開けて飛び出していた。
「おい! 佐倉! どこへ行くんだ!」
背後から響く教師の怒鳴り声も、クラスメイトたちのざわめきも、もう耳には届かない。
大粒の涙で視界をにじませながら、ひよりはただひたすらに走り続けた。学校の敷地を抜け、袖で何度も顔を拭いながら、無我夢中で駆けていった。
元々はTRPGのフレーバーテキストだったんですが、ノリで書いてみました。