世界一優しいストライカーの辞め方 作:かなりゆっくりめ
新しいユニフォーム。
新しい仲間。
そして、待ちに待った実技テスト。
今度こそサッカーができます。
たぶん。
袖が、肘のところで裏返っている。
五十嵐君の腕へ手を伸ばし、折れ込んだ生地を引き出した。ついでに肩のシワも伸ばす。体にぴったりつく服だから、変なところで余ると動きにくそうだ。
こうして並ぶと、ちゃんと同じチームに見える。いいな。まだボールも蹴っていないけれど、少し嬉しくなる。
「いや〜、痺れたね菖蒲田君! 入所説明会での君のセリフ! サッカーは十一人でやるスポーツだって、まさにその通りだよ」
振り向くと、吉良君が笑っていた。
「そうだよな! ガツンと言ってくれて超スッキリしたぜ! 俺、一生あのモヤシ男(絵心)に頭上がんねぇかと思ったもん!」
五十嵐君が大きく頷いた。その拍子に、直したばかりの肩がまた寄れる。
待って待って。こっち、まだ終わってない。
生地を軽く引いて整える。うん、これでいい。
「ピッチの主役は全員だよ。誰か一人のために他の十人が犠牲になるなんて、スポーツマンシップに反するからね。絵心さんの言っていることは、教育的にも戦術的にも明確な間違いさ」
やっぱり、皆も引っかかっていたんだな。ここで一緒になれてよかった。皆で勝ちたいと思っている人となら、きっと楽しくやれる。
吉良君の背中にもシワが寄っていたので、指先でつまんで伸ばした。
「ん…………」
潔君だけは、自分の腕をじっと見ている。そこにある数字は、二九九。俺の腕は二九三だった。
何の番号だろう。部屋には二八九から三〇〇までがそろっている。名簿の順番にしては、妙な並びだ。
「むにゃ……なんか部屋、いい匂いする〜。慎吾ちゃんが持参した草スプレーの匂い〜」
足元から、眠そうな声がした。
蜂楽君が床に寝転がっている。両足をぱたぱたさせ、大きく口を開けた。あくびの終わりに目尻をこする。
気に入ってくれたならよかった。白い壁ばかりだと、どうにも落ち着かない。畳そのものは持ってこられないけれど、匂いならと思って用意したやつだ。
それにしても、もう寝られそうだな。俺はまだ、皆と話したくて仕方がないんだけど。
壁が、不意に明るくなった。
モニターだったのか。見上げると、画面いっぱいに絵心さんの顔が映っていた。
指でつまんだスナック菓子を口へ入れ、こちらを見下ろしている。
食べられるくらいには元気になったんだな。よかった。
『……着替えは終わったか、才能の原石ども。お前たちが身につけているボディスーツの腕にある数字は、俺の独断と偏見により、この施設に集まった300人をランキング化したものだ』
「299……!? 俺、下から2番目……低すぎだろ……!」
「ひぃぃぃっ! 俺300!? 最下位!? 寺を継ぐしかないのかよォォォッ!!」
耳が痛い。さっきまで、あんなに元気だったのに。
待ってほしい。そもそも、その順位はおかしい。
『この値は、トレーニングやゲームの勝敗などで常に上下する。トップランカーの数名には――』
「嘘だね」
「は? おいアンタ……なんで嘘だって分かるんだよ?」
國神君だった。俺よりずっと高いところで眉を寄せている。
さっき自己紹介をしたばかりだけれど、顔も名前も知っていた。
彼だけじゃない。ここにいる全員、来る前に調べた選手だ。
「この3日間の猶予期間中、参加者300人全員の過去2年間の公式戦スタッツ、得点率、走行距離、所属ブロックのレベルを徹底的にデータ収集・分析したんだ。この部屋のメンバーが全員289位以下なんて、独断と偏見を考慮しても統計学的に100%あり得ないよ」
「えっ……!? どういうことだ?」
潔君も顔を上げる。
疑問に思ってくれてよかった。落ち込むより、まず、どうやってつけられたのか確かめたい。
「まず、僕のランクが『293』これが事実だと仮定すると、僕たちより上に『全国クラスのFW』が250人以上ひしめいていることになる。でもね、今大会の全国高校サッカー選手権の出場校は48校。各校のスタメンとベンチ入りFW、さらに各都道府県の準優勝校のエースFWを全員足し合わせても、200人にも届かないんだ」
「「あ……!」」
吉良君の腕には二八九。
全国で名前の知られている選手と、映像を見てぜひ一緒にやってみたいと思った選手が、目の前にいる。それをまとめて最下位の集まりだと言われてもなあ。
「それに、全国区のスターである吉良君が289位なんて誰が信じるかい? 蜂楽君の足首の柔軟性と初速のドリブルデータも間違いなく上位20パーセントに入る。身体能力、実績、ストライカー適性をどう多変量解析にかけても、この部屋に最下位グループだけが綺麗に固まる確率は、天文学的数字だよ。完全な欺瞞(ブラフ)だ」
蜂楽君が、顔だけこちらへ向けた。ぱたぱたしていた足も止まっている。
あのドリブルは、早く近くで見てみたい。映像だと、足元を追いかけるだけで何度も巻き戻したんだ。
モニターの中でも、手が止まっていた。
『………………チッ』
咳払いが聞こえた。菓子を持っていないほうの手が上がり、指が鳴る。
天井で空気の抜ける音がした。
反射的に顔を上げる。落ちてきたボールが床を打ち、一度、二度と跳ねた。皆の目がそちらへ向く。
お。やっと使うんだ。
『……能書きは終わりだ。ここからは実技テストを行う。種目は……「オニごっこ」だ』
鬼ごっこなら、ウォーミングアップでもやる。でも、この人数でボールは一個か。どんなルールだろう。
壁のタイマーに、一三六という数字が灯った。
『制限時間は136秒。ボールを当てられた奴が「オニ」になる。タイムアップの瞬間、オニだった1名はその場で失格、即刻退場だ。そして――このブルーロックで失格となった者は、一生日本代表に入る権利を永久に失う』
……待って。今ので説明は終わりらしい。
一生? このボールを最後に持っていただけで?
「ひ、ひぃぃぃぃっ! 代表権の剥奪ぅぅぅ!? 最初からオニの俺、死んじゃうじゃん!!」
五十嵐君の声が裏返った。ボールが、その足元へ転がっていく。
「そんな横暴な……!」
吉良君が拳を握った。潔君も、息を詰めたままモニターを見上げている。
五十嵐君の左足がボールの横へ入る。肩が開き、右脚が後ろへ引かれた。その先に、潔君がいる。
そこへは蹴らせない。
左足で床を押した。振り上げた脚が戻ってくる前に、ボールの下へ右の爪先を差し込む。足首を返すと、甲へ重みが乗った。
高く上げる必要はない。一足分、越えればいい。
ふわりと浮かせて体の内側へ引く。落ちてきたボールを足元へ収め、二人の間に立った。
「えっ……!?」
大丈夫。取っただけだ。君にも、潔君にも当てない。
「させないよ。そんな理不尽な追い落とし」
『……おい、293番。何をしている。オニごっこを始めろ。誰かにボールをぶつけなければ、テメェが脱落するんだぞ』
自分が残るために、誰かを帰らせる。
これの何が、サッカーの練習なんだ。
「させないです。そのような権限は、あなたには一切ありませんから。JFAの規約、労働基準法、そして3日前に僕たちがサインさせられた参加同意書のどこを読んでも、『一民間コーチの独断によって将来の日本代表選出資格を剥奪できる』などという条項は一文字も明記されていませんでした」
『……契約書に書いてなかろうが、俺が選考責任者だ。俺が推薦しなければ代表入りなど――』
「はい、今の発言ですね」
眼鏡のフレームへ指を伸ばす。端を軽く押すと、かちりと小さな感触があった。視界の隅で、青いランプが一度光る。
うん。ちゃんと動いている。
『……あ?』
「このまま136秒待って、僕が失格になっても一向に構いません。ただし、僕がこの施設を出た直後、この部屋で行われた全言動の録音・録画データを、警視庁および厚生労働省、スポーツ庁へ提出します」
誰も動かなくなった。
楽しみにして来たんだけどな。一緒に練習して、うまくなって、北拓へ帰るつもりだった。
でも、そのために目の前の誰かを帰らせるくらいなら、俺が帰る。
「未成年に対する優越的地位を利用した暴言、将来の就労機会を奪うと告知する脅迫罪(刑法第222条)密室における集団リンチを強要する傷害教唆(刑法第61条)ならびにJFAの公益法人認可取り消しに該当する不正行為の数々……。なるほど、情状酌量の余地はありませんね。5年は出てこられなくなりますよ」
『テ、テメェ……カメラだと……!? 持ち物検査で通信機器は全て没収したはずだぞ!!』
絵心さんが画面の奥で身を乗り出した。眼鏡越しの目が大きくなる。
持ち物検査は受けた。必要な許可も取った。あとから駄目だと言われないように、弁護士さんにも確かめてもらってある。
「これは度付きのウェアラブル記録端末です。身体機能の補助具として、3日前の説明会でJFAの弁護士同席のもと、父(道警本部長)の決済印付きで公式に持ち込み許可を取得しています。契約書(コンプライアンス)の穴を突くのは、守備型FWの基本ですよ」
『このォォォォォッッ……ガキャァァァァッッ!!』
「絵心さんダメ! これ以上喋ったら本当に逮捕状が出ます!!」
アンリさんの声だ。画面には映っていないけれど、すぐ近くにいるらしい。
止めてくれる人がいるなら、なおさら早く終わらせてほしい。五十嵐君はまだ、俺の足の下にあるボールから目を離せずにいる。
壁の数字を見る。
八〇。七九。
止まっていないのか。
足元はそのまま、モニターへ指を向けた。
「絵心さん。選択肢は一つです。今すぐこの悪質なテストの無効を宣言してください。もちろん、このチームZだけでなく、他の全チームに対してもです」
『ぐ……ぐぬぬぬぬぬ……!!』
ここだけ止めても駄目だ。同じ説明を聞いている部屋がほかにもあるなら、そっちのボールも止めてもらわないと。
今この瞬間に、誰かが誰かへ蹴っているかもしれない。
「それと、もう一つ。さっきの『ランキング』と『代表資格の剥奪』に関する無意味なハッタリも、全員の前で包み隠さず告白してください。あとで事実と異なることが判明した場合は、民事の損害賠償請求と刑事告訴の両面で徹底的に争います」
『ぐうううううっ……! クソがぁぁぁぁっ……!!』
返事を待とう。ここで蹴ったら、結局、言われたとおりになってしまう。
後ろで誰かが足を動かした。服の擦れる音がして、また止む。ボールの表面を、靴底越しに確かめる。ずれていない。
一〇。九。八。
赤い数字が減っていく。
長いな、十秒って。
俺が焦っても仕方ない。答えてもらうことは、もう伝えた。
三。二。一。
『ちゅう……! 中止だァァァッッ!! 入寮テストは全員無効! ノーカウントだッッ!!』
ぶつん、と音がした。
数字がゼロになる。赤い表示が消え、部屋に白い明かりが戻った。
足元で、どさりと音がする。五十嵐君が座り込んでいた。両脚を投げ出し、口を開けて息をしている。
よかった。間に合った。
ボールから足を下ろす。拾い上げて脇へ抱えると、表面はまだ少しひんやりしていた。
潔君も吉良君も、立ったまま動かない。國神君の視線は、モニターと俺の間を行き来している。
でも、まだ終わりじゃない。
「……それで? 絵心さん、まだ続きがありますよね?」
画面の隅に、絵心さんの顔があった。前髪が垂れて、目元がよく見えない。さっきより顔色も白い。
『………………ランキングは…………ハッタリです……。お前たちを飢餓状態に追い込むための……虚偽の演出でした……』
声が小さい。でも、今度は聞き取れた。
やっぱりか。五十嵐君も潔君も、あの数字で落ち込まなくてよかったんだ。
「代表権の剥奪については?」
『…………代表資格の永久剥奪も……法的な拘束力はありません……。ここで不合格になっても……将来、Jリーグや海外で圧倒的な実績を出せば……代表入りは……可能です……すいませんでした……』
ぷつりと画面が消えた。
黒くなったモニターに、俺たちの姿が薄く映っている。しばらく見ていたけれど、もう声はしなかった。
これで大丈夫、だよな。
「た、助かったぁぁぁ……! 俺、寺に送り返されなくて済んだんだぁぁぁ!! 慎吾くぅぅん!!」
五十嵐君が床へ両手をついていた。ぽたぽたと、その間へ涙が落ちている。
次の瞬間、腰へ飛びつかれた。
おっと。
五十嵐君はそのまま、俺の服へ顔を押しつけてくる。
そんなに怖かったのか。さっき、足を振り上げたときも泣きそうだったものな。
「すげぇ……本当にあの男を屈服させちまった……」
國神君が呟いた。
何か返そうとしたところで、反対側から肩を叩かれた。
吉良君だった。深く息を吐き、俺を見て笑う。
「ありがとう、菖蒲田君。君がいなかったら、僕たちはあんな理不尽なゲームで誰か一人を犠牲にするところだったよ」
「どういたしまして! 誰も傷つかず、誰も追い落とされずに済んで本当によかった。サッカーは仲間を蹴落とす競技じゃないんだからね!」
うん。本当によかった。
潔君だけは、じっと俺を見ていた。
まだ落ち着かないかな。急に帰れと言われかけたんだものな。無理もない。
「さぁみんな! 部屋の掃除をして、明日の健康診断に備えて早く寝ようね!」
せっかく誰も帰らずに済んだんだ。
明日こそ、この十二人でサッカーをしよう。
ブルーロック入所1日目。
菖蒲田慎吾、本日の成果。
・ランキング制度の虚偽を看破
・代表資格剥奪のハッタリを撤回させる
・入寮テストを全棟中止
・吉良涼介を救済
・絵心甚八に公開謝罪させる
なお本人の認識は、
「今日もサッカーできなかったなあ」
です。
明日こそサッカーをします。
たぶん。