FF14で現代ダンジョン 作:黒蓮
最前線が凍てつく「第六層」へと移り、さらに「テレポの呪符」による拠点間のワープが普及したことで、一つ手前の階層である「第五層」からは、すっかり探索者の姿が消えていた。
青白く発光する苔と、時折滴る地下水の音だけが響く静寂の空間。
日下部閃は、人目を気にせず採集に精を出すため、この過疎化した洞窟を一人で歩いていた。
「……ん?」
湿った風に混じって、濃厚な鉄の匂いが鼻を突いた。
閃が視線を向けた先、薄暗い岩陰の窪みに、赤と白を基調とした細身のコートを着た女性が倒れていた。
近くには、折れた長剣が転がっている。
閃は駆け寄り、彼女の首筋に指を当てた。
「……遅かったか」
脈はない。呼吸も止まっている。
腹部には切り裂かれた痕が深く刻まれ、流れた血はすでに冷たくなり始めていた。
この世界において、ダンジョンでの死は「絶対の終わり」を意味する。どれほどポーションの質が上がろうと、失われた命を呼び戻すことはできない。
閃は立ち上がり、静かに目を伏せた。
このまま立ち去り、匿名のSNSアカウントで「洞窟エリアの座標〇〇に遺体がある」とだけ通報するのが、最も目立たず、最も賢い選択だ。
なぜなら、閃は『死者を蘇生させる手段』を持っているからだ。
彼自身やサブキャラのルトラ、ミエルであれば、蘇生魔法「レイズ」を唱えることができる。
しかし、この現代ダンジョンのシステムからは、なぜか『蘇生魔法』の存在自体が完全に削除されていた。
今からジョブチェンジして「レイズ」を唱えることは簡単だが、そうすればこの女性に蘇生魔法の存在を知られてしまうだろう。
「……魔法は使えない。隠蔽しきれないリスクが高すぎる」
閃は舌打ちをし、踵を返そうとした。
しかし、足が動かない。倒れている女性の顔には、死の恐怖と無念が深く刻まれていた。まだ10代後半の、自分とそう変わらない年頃だ。
「……あー、くそっ。前世の貧乏性が抜けねぇな」
閃は頭をガシガシと掻き毟り、インベントリを開いた。
取り出したのは、一本の美しい黄金色の羽根——『フェニックスの尾』。
前世では店で安く買えた代物だが、この世界では事情が違う。全クラフターをカンストしている閃の錬金術をもってしても、このアイテムは「作成不可能」だ。
つまり、閃が前世から持ち越したアーマリーチェストの中にある在庫が尽きれば、永遠に失われる超希少アイテムである。
「アイテムなら、なんとか誤魔化せるか。……特別大サービスだぞ、あんた」
閃は女性の胸の上に黄金の羽根を置き、そっとシステムを起動した。
直後、フェニックスの尾が眩い光の粒子となって砕け散り、彼女の全身を包み込んだ。
致命傷だった腹部の傷が瞬く間に塞がり、止まっていた心臓が、トクン、と力強く脈を打つ。
蘇生は成功した。
しかし、死のショックが強すぎたのか、女性はすぐには目を覚まさず、気を失ったままだ。
「都合がいい、今のうちだな」
閃は周囲に誰もいないことを確認すると、女性の背中と膝裏に腕を差し入れ、軽々と抱き上げた。
レベル100の筋力を持つ彼にとって、女性一人など羽のように軽い。閃は足早に、安全地帯であるエーテライト付近へと向かって歩き出した。
◆
——暗い、冷たい暗闇の底。
エリカは、自分がモンスターに切り裂かれ、命を落としたことを理解していた。
(お父さん、お母さん、ごめんなさい……私、ここで……)
意識が泥のように沈んでいく中。
ふわり、と。
途方もなく温かで、黄金色に輝く光が、冷え切った魂をすくい上げるのを感じた。
(……あたたかい……?)
微かに意識が浮上する。
目は開かない。体も動かない。しかし、自分が誰かの腕の中に抱き抱えられ、揺られていることだけはわかった。
ゴツゴツとした鎧ではない。顔に触れるのは、どこにでもある安い布の感触。
自分を抱えるその腕は、とても不器用そうだが、絶対に落とさないという安心感に満ちていた。
『無茶しやがって。……ほら、もう大丈夫だからな』
少し呆れたような、けれどひどく優しい男の声が、耳元に落ちた。
ドクン、とエリカの心臓が大きく跳ねる。
死の恐怖を塗り潰すほどの、圧倒的な温もり。彼が発する体温が、凍りついていたエリカの命を溶かしていく。
(誰……? 私を、助けてくれたの……?)
やがて、まぶたの裏に淡い青色の光が透けて見えた。安全地帯にあるエーテライトの光だ。
そっと、冷たい石畳の上に寝かされる。
自分を包んでいた温もりが、離れていく。
(待って……行かないで……!)
必死に重い目蓋をこじ開ける。
ぼやけた視界の先に、暗い洞窟の奥へと歩き去っていく、少年の背中が見えた。
ダサいジャージ姿。しかしその背中は、エリカにとって神様よりも尊く、力強く見えた。
「ぁ……ま、って……」
掠れた声は届かず、少年の姿は闇の中へ消えていく。
エリカは再び深い眠りに落ちながら、その不格好な背中と、不器用な腕の感触を、魂の底に深く深く刻み込んだ。
◆
「ふぅ、これでよし。目を覚ましたら適当にデジョンで帰るだろ」
エリカをエーテライトの傍に放置し、再び洞窟の深部へと戻ってきた閃は、一つ伸びをした。
在庫限りの貴重な蘇生アイテムを使ってしまったが、後悔はない。
彼女が夢うつつの中で自分を見ていたことなど露知らず。
「さてと、今日のお目当ての鉱石でも掘りますかね」と、閃は呑気にピッケルを取り出し、再び気楽な採集に戻るのだった。
◆
数十分前―――
「くそっ、なんでこんなところに『スケルトン・ソルジャー』が3体も出てくるんだよ!」
リーダーの翔馬が大剣を振るいながら、悲鳴のような怒号を上げる。
骸骨の魔物——スケルトン・ソルジャーの不意打ちを受け、パーティは完全に崩壊しかけていた。
「翔馬! 私の魔力はもう限界よ! 早く引かないと全滅するわ!」
後方から慌ただしく杖を構える呪術士の祥子の声が響く。
「……ッ、あぐっ……!」
その足元で、エリカは雪の上に倒れ込んでいた。
不意打ちの初撃をかばう形で受けてしまい、右脚を深く切り裂かれていたのだ。血が字面を赤く染めていく。
「翔馬、祥子……ごめんなさい、私……脚が……」
必死に長剣を支えにして立ち上がろうとするが、激痛に膝が折れる。
後ろからは、吐息を白く染めたスケルトン・ソルジャーが一歩一歩、死の足音を忍ばせて近づいてきていた。
「翔馬……! 手を、貸して……!」
エリカは必死に手を伸ばした。
仲間として共にダンジョンを潜ってきた二人。これまで何度も危険を乗り越えてきたはずだった。
だが——翔馬が振り返ったその顔にあったのは、仲間を案じる色ではなく、底知れない恐怖と「焦り」だった。
「……チッ、足手まといが……!」
「え……?」
翔馬は手を伸ばすエリカの指先を一瞥すると、躊躇なく背を向けた。
「おい祥子、逃げるぞ! こいつを囮にすれば安全地帯まで逃げ切れる!」
「ええっ!? でもエリカは——」
「知るかよ! 動きの取れない奴を抱えて逃げられるわけねぇだろ! 一緒に死にたいのか!?」
「っ……! 嫌よ、そんなの……!」
祥子は一瞬だけ躊躇したものの、すぐに冷たい目をエリカに向け、翔馬の背中を追って走り出した。
「待って……! お願い、置いていかないで……!」
エリカの悲痛な叫びは、猛吹雪の音にかき消されていく。
二人の背中は、一度も振り返られることなく、白い闇の向こうへと消えていった。
……しん、と静まり返る凍てつく世界。
取り残されたのは、血を流して倒れるエリカと、迫り来る骸骨だけだった。
「……あ……はは……」
渇いた笑いが、唇から漏れた。
仲間だと思っていた。背中を預け合っていると思っていた。
けれど、命の天秤にかけられた瞬間、自分はあっさりと切り捨てられたのだ。
忍び寄る骸骨が、剣を振り上げる。
寒さと激痛で意識が遠のく。
(あ……嫌だ……死にたく、ない……)
腹部から溢れ出す温かい血液が、みるみるうちに体温を奪う。
傷口を押さえようにも手に力が入らない。視界が急速に黒く染まっていく。
(お父さん……お母さん……ごめんなさい……私、ここで……)
絶望と無念の中、エリカの意識は完全に途絶えた。
脈拍は止まり、呼吸も絶え、命の火は完全に消え去ったはずだった。
――どれほどの時間が流れただろうか。
冷たく暗い死の底に沈んでいたエリカの魂を、ふわりと、途方もなく温かな黄金の光がすくい上げた。
(……あたたかい……?)
傷の痛みが消えている。
氷のように冷え切っていた全身に、怒涛のような温もりが脈打ち始める。
止まっていた心臓が、ドクン、と力強く跳ね上がった。
意識はまだ深い霧の中だったが、体がふっと浮き上がる感覚があった。
誰かが、自分を抱き上げている。
自分を抱えるその腕は、とても不器用そうだが、決して落とさないという絶対的な安心感に満ちていた。
『無茶しやがって。……ほら、もう大丈夫だからな』
耳元に落ちてきたのは、少し呆れたような、けれどひどく優しい男の声。
その声が耳に届いた瞬間、エリカの胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
(誰……? 私を……助けてくれたの……?)
やがて、冷たい石畳の上にそっと寝かされる。
自分を包んでいた圧倒的な温もりが、離れていく。
(待って……行かないで……!)
必死の思いで、鉛のように重い瞼をこじ開けた。
青白いエーテライトの光が揺れる視界の先。
暗い洞窟の奥へと歩み去っていく、一人の少年の背中が見えた。
着古された、ダサいジャージ姿。けれど、その不格好な背中は、エリカにとってどんな英雄よりも眩しく、力強く見えた。
「ぁ……ま、って……」
伸ばそうとした手は空を切り、掠れた声は届かない。
エリカの意識は、安らぎと共に再び心地よい眠りの中へと落ちていった。
◆
「……ん……っ」
次に目を覚ました時、エリカはエーテライトの光の下で横たわっていた。
勢いよく跳ね起き、自分の腹部に手を当てる。
コートは破れ、血に染まっていたが、そこにあるはずの巨大な傷痕は跡形もなく消え去り、滑らかな肌が戻っていた。
「嘘……傷が、ない……? 私、確かに死んだはずなのに……」
身体に痛みは一切ない。それどころか、まるで長旅の後のように身体が軽く、満ち足りた魔力を感じた。
死の淵から自分を救い出してくれた、あの温かい腕。
耳元で囁かれた、少し呆れたような優しい声。
そして、闇の中に消えていった、あのダサいジャージ姿の少年の背中。
「あの人が……私を……」
この現代ダンジョンにおいて、死者は絶対に蘇らないはずだ。それが世界の絶対のルールだった。
だが、彼はそれを覆し、自分に命を与えてくれた。
エリカは涙が溢れそうになるのを堪えて立ち上がった。
ポケットから『デジョンの呪符』を取り出し、光の中に包まれながら、静かに誓う。
(絶対に……もう一度、あなたに会う。お礼も言えていない……名前だって、聞いていない……!)
◆
地上に戻り、自宅のマンションに辿り着いたエリカは、破れたコートを脱ぎ捨ててシャワーを浴びた。
温かいお湯を浴びながら、鏡に映る傷一つない自分の身体を見つめる。
着替えを済ませ、自室のベッドに深々と腰掛けた。
スマホを取り出すと、祥子と翔馬からのメッセージが何件も入っていた。
(あの時……二人は私を見捨てた。でも、名前も知らないあの人は、危険を冒して私を助けてくれた……)
ベッドの上に丸くなり、エリカは自分の胸をギュッと抱きしめた。
目を閉じれば、今でもハッキリと思い出せる。
自分を包み込んでいた、あの不器用で、圧倒的に温かい腕の感触。
耳元で響いた優しい声、ドクン、ドクンと、一度は止まったはずの心臓が、甘い熱を帯びて激しく高鳴っていた。
「あたたかかったな……」
ぽつりと呟いた声が、静かな部屋に響く。
顔が熱くなり、エリカは枕に顔をうずめた。
もう、過去の喪失に囚われて立ち止まる自分ではない。
自分を生かしてくれた、あの不格好で愛おしい背中を追いかけるために。
「絶対に……探してみせるから」
少女の瞳に宿ったのは、かつてない強い意志と、救ってくれた「神様」への深い恋心だった。