FF14で現代ダンジョン 作:黒蓮華
秋の深まりを感じさせる10月中旬の午後。
窓から差し込む斜陽が、中学三年生の教室の床をオレンジ色に染めていた。
黒板の端には、赤いチョークで大きく「高校受験まで あと〇〇日」と書かれている。進路指導室から配られたばかりの第三回進路希望調査票を手にしたまま、舞は深いため息をつき、シャーペンを握る手にぎゅっと力を込めた。
(……勉強に集中しなきゃいけない時期なのに、なんでこんなに頭がぐちゃぐちゃになってるの……っ)
舞の脳裏をよぎるのは、数日前に突き止めてしまったあまりにも衝撃的な「兄の真実」だった。
ずっと家でヨレヨレのあずき色ジャージを着て、冴えない顔で「今日も第一層で薬草採りだよ〜」なんて言っていた、万年Dランクの頼りない兄・日下部閃。
それがどうだ。ネットで「神がかった立ち回り」と大バズりしていた黒ジャケットの凄腕ガンブレイカーの正体であり、気づけばAランク探索者へと一気に駆け上がり、果ては超絶美女と同棲までしていたなんて。
「おい、お前高校入ったら真っ先に探索者ライセンス受ける?」
「当たり前だろ! 15歳になったら即ライセンスの申請できるんだからな。部活入るよりダンジョン潜る方が絶対稼げるし、男のロマンだろ!」
「でも第一層から地道にレベル上げだぞ? 俺、できればAランクパーティにキャリーされたいわー」
前方の席で、男子生徒たちが楽しそうに声を弾ませている。
進路希望調査票の選択肢に「高校進学(探索者兼業)」と書かれた欄を見つめながら、男子たちはまだ見ぬダンジョンへの憧れを無邪気に語り合っていた。
男子たちの能天気な会話を聞きながら、舞は机に突っ伏したくなった。
Dランクの冴えない兄。
そう思い込んで、今まで「お兄ちゃんしっかりしなさいよ!」と上から目線で説教していた自分が、恥ずかしくてたまらない。
しかも、あの黒ジャケットの戦闘動画を見たクラスの男子たちが「このガンブレイカーって人マジで神! カッコよすぎる!」と大騒ぎしていたのを、舞は隣で生唾を飲み込みながら聞いていたのだ。あの男が家でポテチ食いながらマンガ読んでる兄だと知ったら、この教室はどうなってしまうのか。
「あー、もう! 受験勉強どころじゃないじゃん……!」
頭を抱えて小さく悶絶していた、その時だった。
「舞ー! ちょっと聞いてよー!」
ガラリと教室の引き戸が威勢よく開き、親友の結衣が息を切らせて駆け込んできた。手には、動画サイトの画面が開かれたスマートフォンが握られている。
「舞、これ見て! 『紅の女王』の最新ソロ討伐動画が上がったんだけど、マジで美しすぎてやばいの!」
結衣が興奮気味に押し付けてきたスマホの画面。そこに映し出されていたのは、鮮烈な朱赤のコートを翻し、一閃の如き剣筋で大型モンスターを切り伏せる、息をのむほど美しい女性剣士の姿だった。
「……あ」
画面の中で、勝ち誇るようにふわりと微笑む美女。
舞の時がピタリと止まった。
(……あれ? この人……つい最近、どこかで……)
脳裏に蘇るのは、数日前、兄のボロアパートの廊下で出くわした光景だ。
兄の腕にぴったりと抱きつき、自分に向かって天使のような笑みを向けてきた、あの目眩がするほど綺麗な女性。
「……ねえ、結衣。この人……なんて名前なの……?」
舞が絞り出すような声で尋ねると、結衣は「えっ、舞、知らないの!?」と目を丸くした。
「エリカ様だよ! 『紅の女王』こと、エリカ様! 今や最前線で爆進中の超有名Aランク探索者で、ネットじゃ大人気なんだから!」
(……エリカ……さま……?)
舞の頭の中で、バラバラだったパズルのピースが「カチリ」と音を立てて組み合わさっていく。
あのアパートの廊下で、彼女は確かに言っていた。
『ふふっ、どうも、閃くんの彼女のエリカです♪』
(……え? ええええええええっ!?!?!?)
叫び出したい衝動を、舞は必死に奥歯を噛み締めて押し殺した。
だが、胸の内で吹き荒れる大パニックは到底収まりそうになかった。
(『紅の女王』!? あの、ネットニュースや動画サイトで毎日のようにトレンド入りしてる、雲の上の存在の超有名探索者!? あれが、あの人が『紅の女王』だったの!?)
舞の額から、ダラリと冷や汗が垂れ落ちる。
あまりの衝撃に、舞は手にした進路希望調査票をクシャリと握りつぶしそうになった。
「舞? 顔色すごいことになってるけど大丈夫? 体調悪い?」
結衣が心配そうに顔を覗き込んできたが、舞は青ざめた顔で「だ、大丈夫……ちょっと眩暈がしただけ……」と引きつった笑いを返すのが精一杯だった。
万年Dランクで、家ではヨレヨレのあずき色ジャージを着てゴロゴロしていた、あの頼りない兄。
その兄が、いまや世界の最前線を走る最強クラスの探索者であり、誰もが羨む超絶美女のパートナーなのだ。
(無理……! もう本当に頭がおかしくなりそう……! 勉強どころか、今日の夜ご飯の味も分からないよ……っ!)
舞は誰にも言えないあまりに巨大すぎる兄の秘密に押し潰されそうになりながら、ただただ内心で絶叫し続けるのだった。
◆
秋風が街路樹の葉を揺らす夕暮れ時。
中学三年の大河は、自分の部屋の勉強机で数学のテキストを開きながら、一階の作業場兼リビングから聞こえてくる兄の独り言にため息をついた。
「……うーむ、……この職人神の最新レシピ通りに造った『投擲武器』……」
大きな金属音とともに、大河の四歳上の兄・大平が首をひねる声が響く。
地元の大学に通いながら、ダンジョン産の鉱石を扱うクラフター『鍛冶師』として活動している大平は、一度作業に没頭すると周りが見えなくなるタイプだった。
「投擲武器ってことは、投げたら基本終わり……良くて使い捨ての消耗品だ、 なのにこのレシピ、強度と魔導伝導率のパラメーターが完全に近接用の特殊鋼と同じなんだよな……。投げても手元に戻ってくる魔法エンチャント前提の構造なのか? それとも普通に近接武器なのか……? これ、いけるのか……?」
「知らんよ……兄貴の独り言、部屋まで丸聞こえなんだよ……」
大河は頭を掻きむしりながら呟いた。
兄が尊敬して止まないネットのカリスマ『職人神』のレシピは、いつも既存の鍛冶の常識を木っ端みじんに砕いていく。兄がその度に「職人神様、マジで天才……いや変態か!?」と一人で興奮しているのはいつものことだ。
だが、大河が本当に頭を抱えている理由は、兄のオタクっぽい独り言ではない。
「――お邪魔するよ、大平。鍵開いてたから入ってきた」
玄関から、少し低めで澄んだ、どこか中性的な声が聞こえてきた。
「あ、悠希! ちょうど良かった、これ見てくれよ! 職人神のチャクラムのレシピなんだけどさ——」
「相変わらず鍛冶のことばっかりだね。少しは休みなよ?」
作業場から聞こえてくる、やたらと距離の近い会話。
大河はシャーペンを机に置き、深々とため息をついた。
(……始まったよ)
階下にいるのは、兄の親友である『悠希』だ。
昔から兄の家に頻繁に遊びに来ていて、大河にとっても「頼れるカッコいい近所のお兄さん」だった。……そう、ほんの最近まで「男」だった頃は。
少し前に、兄と悠希は2人でダンジョンに行き、悠希は兄を庇って致命傷を負った。
そして悠希は兄の目の前で息絶えたが、ダンジョンの救済システム『魂の再構築』によって復活を果たしたのだ。——しなやかで美しいヒューラン女性の姿になって。
兄と悠希は、男だった頃から「お前ら距離近くね?」と周囲に突っ込まれるほど距離感が近く、「この二人、なんか怪しくないか……?」と大河をヒヤヒヤさせていたのだが、悠希がマジで綺麗な女性になって帰ってきてからは、その「怪しさ」がいよいよ目も当てられない状態になっていた。
当人たちに恋愛感情の自覚があるのかすら怪しいのだが、長年の気置けない距離感のまま「見た目だけがスタイル抜群の美女」になったことで、醸し出される空気が尋常じゃなく甘酸っぱくて気まずいのだ。そこに挟まれる弟の心地悪さたるや、地獄の如き拷問である。
「なあ大平、顔に煤がついてるよ」
「え? どこだ? 額か?」
「じっとしてろって……ほら、取れた」
「お、サンキュ……って、顔近いな、悠希」
「なんだよ、今更照れるような仲か?」
(耐えられん……!!)
大河はガバッと立ち上がると、勉強机の上の財布とスマートフォンをポケットに突っ込み、ジャケットを羽織った。
「兄貴、俺、ちょっと出掛けてくるよ…」
階段を駆け下り、作業場を通らずに玄関へ向かおうとしたが、運悪くリビングの引き戸が開いて悠希と目が合ってしまった。
柔らかく波打つ髪に、しなやかな身体つき。つい最近まで一緒にサッカーをして遊んでいたゴツいお兄さんの面影はどこにもなく、どこからどう見てもお淑やかさとカッコよさが同居したスタイリッシュな美女だ。未だにこのギャップには脳が追いつかない。
「あれ、大河くん。勉強の息抜きかい? 行ってらっしゃい」
フッと中性的な笑みを浮かべる悠希。その隣で、大平が「ついでにコンビニでポテチ買ってきてくれー」と能天気に手を振っている。
「……うん、行ってくる」
大河は引きつった笑顔を残し、逃げるように玄関のドアを押し開けて外へ飛び出した。
秋の冷たい夕風が、火照った頬を心地よく撫でる。
自転車に跨がり、ペダルを強く踏み込みながら、大河は空を見上げて大声で叫びたくなった。
(あーもー! なんなんだよあの二人! 早く高校生になりたい……!!)
あと数か月で十五歳。中学を卒業すれば、合法的にダンジョン探索者のライセンスが取得できる。
自分の武器を持って、ダンジョンに潜って、自分の力で強くなって……あんな甘ったるくて気まずい家から飛び出して、男のロマンを追いかけるんだ。
「待ってろよ、ダンジョン……! 絶対に合格して、真っ先にライセンス獲ってやるからな……!」
オレンジ色の夕闇が迫る街並みを駆け抜けながら、大河はまだ見ぬダンジョンへの憧れと、受験勉強への情熱(と家からの脱出願望)をメラメラと燃やすのだった。