FF14で現代ダンジョン 作:黒蓮華
地上ではまだ少し肌寒さの残る春だが、ここミスト・ヴィレッジの白亜の邸宅は、いつもと変わらぬ穏やかな海風に包まれていた。
広々としたリビングのソファに深く身体を沈め、日下部閃は天井を見上げながら長く重い息を吐き出した。
「……ふぅ。今回はマジで、一時はどうなるかと思ったな……」
既に十九歳を迎えた閃の顔立ちには、少年から青年へと移り変わる精悍さと、どこか達観したような穏やかさが同居していた。
前回の『オピニコス』討伐とは異なり、今回の第八層の階層主戦は一筋縄ではいかなかった。雲海を大海原のように悠々と泳ぎ、天地を揺るがす巨躯を誇る超大型の幻獣――『白鯨』。その姿は、かつて前世のゲームで対峙した雲神に驚くほど酷似していた。
だが、ゲームのように島を引き寄せて背中に飛び乗る特殊なギミックもなければ、大掛かりな対空兵器も存在しない。
ただ純粋に、雲海を自在に泳ぎ回る圧倒的な巨躯を相手取り、薙ぎ払われる巨尾の直撃を凌ぎ切る、文字通りの大荒れの死闘となったのだ。
空を飛ぶ敵ということもあり、今回は陰からのフォローで済ませるわけにはいかなかった。閃たちもAランクパーティとして攻略チームの主力に加わり、正面から立ち向かったのである。
雲海からの奇襲や猛烈な高層風によって崩れかけた前線を、閃が間一髪で支え切る。そこにエリカの一閃とミエルの遊撃、ルトラの隙のない強化魔法を全開で叩き込み、どうにか『脱落者ゼロ』で討伐を成し遂げたのだった。
(……だが、いよいよ誤魔化しが効かなくなってきたな。今回は俺たちも本気で前に出なきゃ全滅の危険があった。今後も手加減なんてしてたら、マジで前線に犠牲者が出る……)
死闘を振り返りながら閃が心の中で危惧を強めていると、隣から優しく温かな声が掛けられた。
「本当にお疲れ様でした、閃様。怪我もなく、全員無事に帰還できて何よりでございます」
「ふにゃ〜……流石に疲れたにゃ……」
ルトラが甲斐甲斐しく淹れてくれた温かいハーブティーの香りがリビングに漂う。ミエルはクッションに顔を埋めたまま、フサフサの尾を脱力したようにパタパタと揺らしていた。
「でも、閃くんの機転がなかったら、前衛の大型盾持ちたちが雲海に叩き落されてたわね……。私、生きた心地がしなかったわ」
ゆったりとした部屋着に着替えたエリカが、胸を撫で下ろしながら閃の隣にちょこんと腰掛けた。
「まあな。何とか全員無傷で勝てたから良かったものの、今回のは心臓に悪いわ」
閃は苦笑しながら、手元の端末の画面を伏せた。
ボス討伐の直後、重厚な石門の向こう側に広がっていた「次の世界」の光景を思い出す。
――第九層。
これまでの爽やかな青空と真っ白な雲海が一変し、眼下に広がっていたのは、不気味に渦巻く漆黒の雷雲の海だった。幾重にも重なる黒雲の隙間から紫と白の雷光が走り抜け、地鳴りのような雷鳴が絶え間なく轟く、絶望的かつ幻想的な「雷雲エリア」。
「……次の第九層、かなりヤバそうだったな」
「ええ……。黒い雲海の中で、ひっきりなしに雷が落ちていましたね。視界も劣悪ですし、高所と雷撃の二重苦になりそうです」
「雷に耐性のある防具とかが必要になるかもにゃ……」
ミエルが耳をぴくぴくと揺らしながら起き上がり、閃の顔を覗き込む。
世間の攻略組は今頃、第八層の完封勝利に歓喜しつつも、突如現れた悪天候の第九層に「今度のボスは雷竜か!?」「落ちたら雷で即死じゃねぇか!」と掲示板でパニックとワクワクの渦に呑み込まれていることだろう。
しかし困った、前世のゲームでは属性という要素が無かった。
初期の頃はあったのだが、途中で廃止されてしまったのだ。
「雷耐性…どうにかならないものか…」
「もう、閃くんったら! 帰ってきたばかりなんだから、今日くらいはゆっくり休んで!」
エリカが閃の腕をギュッと抱きしめると、ルトラもクスクスと上品に微笑んだ。
「エリカさんの言う通りですよ、マスター。今夜は特別な夕食をご用意いたしますので、まずはこの温かいお茶をお召し上がりください」
「あ、ズルいにゃエリカ! 私もマスターに甘えるにゃー!」
二人に両腕を抱えられ、苦笑いを浮かべながらも、閃の胸の奥にはじんわりと温かな満足感が広がっていた。
ダンジョンの階層はついに第九層へ。雷雲渦巻く未踏の空が待っていようと、この暖かな我が家と大切な仲間たちがいる限り、どんな困難も乗り越えていける――そう確信しながら、閃は静かに目を閉じ、久々の我が家の安らぎに身を委ね………
『第八層が攻略されました ――――――』
◆
一方、地上――。
入学式から間もない高校一年の教室には、真新しい制服の匂いと、春特有の少し浮ついた空気が漂っていた。
ホームルームが始まる前にもかかわらず、教室内はある一つの話題でいつも以上に熱を帯びたざわめきに包まれていた。
「おい、見たか!? この速報!」
「見た見た! 第八層の階層主、もう討伐されたらしいぞ!」
「マジかよ、今回は早くね!? あの雲海の『白鯨』だろ?あんなの倒せんのかよ……」
「なんか、例のAランクパーティが参戦して一気に押し切ったらしいぜ。『脱落者ゼロ』だってさ!」
スマホの画面を囲んで声を張り上げる男子生徒たちを横目に、窓際の席に座る白石結衣は、隣の席の少女――日下部舞へと視線を向けた。
「……ねえ、舞。聞こえてる?」
「えっ? あ、うん」
舞は手元のノートに視線を落としたまま、どこか居心地の悪そうな、それでいて少し誇らしげな、複雑な表情を浮かべていた。
結衣は声をひそめ、身を乗り出すようにして舞に顔を近づけた。
「もう……教室中、その話題でもちきりじゃない。っていうか、舞。前々からネットで話題になってた、あの『ガンブレイカー』の日下部閃さん……。あれ、舞のお兄さんだったんでしょ!? なんで今まで教えてくれなかったのよー!」
「こ、声が大きいよ結衣……っ!」
舞は焦って周囲を気にしながら、両手を合わせて拝むように小さく首を振った。
「言えるわけないでしょ!? お兄ちゃんがあんなにすごい探索者になってたなんて、私だって最近知ってビックリしたんだから………」
「でももう名前も知られてるし、妹だってバレるのも時間の問題じゃない?」
「だから秘密にしてねって言ってるでしょ! 頼むから静かに――」
舞が慌てて結衣を宥めようとしたその時、ガタッと隣の席の椅子が鳴った。
「……おい。今の、マジなのか……?」
振り返ると、そこに立っていたのは同じクラスの男子、大河だった。背が高く、運動部らしい引き締まった体格をした彼だが、その瞳は尋常ではない熱量を帯びていた。
「えっ……た、大河くん?」
結衣が驚いて目を丸くする。大河はゴクリと唾を飲み込み、興奮を抑えきれない様子で舞の机に身を乗り出した。
「日下部……お前、さっき『お兄ちゃん』って……。あの『ガンブレイカー』の日下部閃さんって、本当にお前の兄貴なのか!?」
舞は「やってしまった」という顔で頭を抱えそうになったが、大河の真剣すぎる眼差しに押され、小さく頷くしかなかった。
「……うん。まあ……そうだけど……」
「す、げえぇぇぇっ!! マジかよ!!」
大河は頭を抱えて声を上げた。幸い、周囲のガヤガヤとした雑音にかき消されたが、その興奮ぶりは尋常ではない。
「俺、ずっと動画や攻略掲示板で追いかけてたんだよ! 今回の白鯨戦だって活躍したんだろ!? あの強さと華麗な武器捌き、マジで憧れる……!」
目をキラキラと輝かせて熱弁する大河の姿に、結衣は呆れ半分、感心半分といった様子で苦笑した。
「すごい熱量ね、大河くん……。舞のお兄さん、男の子からの人気もすごいのね」
「当たり前だろ! 陰から前線を支えて、いざとなったら圧倒的な力で打開するんだぞ? 男なら誰だってシビれるって!」
尊敬と憧れがぎゅっと詰まった大河の真っ直ぐな瞳を見て、舞はふっと苦笑いをこぼした。
(少し前まで万年Dランクで、実家ではずっとダサいジャージ着てたなんて……口が裂けても言えないわね……)
大河は熱っぽく語ったあと、ハッと我に返ったように舞に向き直り、少し照れくさそうに頭をかいた。
「あ、ごめん……急に喋って……でもさ、日下部。もし良かったらでいいんだけど……お兄さんって普段どんなトレーニングしてるとか、どういう意識でダンジョンに入ってるかとか、いつか聞けたりしないか……?」
舞は少し前、兄のボロアパートの前での出来事を思い出し、内心で焦りまくっていた。
(まずい、あれから連絡してないし、なんて言えばいいの!?)
舞の表情が固くなったのを見て、大河は不安そうに顔を覗き込んだ。
「あ、あの……日下部? やっぱり無理か? 急に変なこと頼んでごめん……!」
「あ、ううん! 違うの!」
舞はぶんぶんと首を横に振った。
「その……お兄ちゃん、今すごく忙しいみたいで……。ダンジョン攻略も本格化してるし、前線にかかりっきりで、実は私も最近全然連絡取れてないの。一人暮らしのアパートにも滅多に帰ってこないみたいだし……」
「そっか……。まあ、トップランカーだし当然だよな。命がけで戦ってる最中だもんな……」
大河は少し残念そうにしつつも、深く納得したように頷いた。憧れの存在がどれほど苛酷な環境で戦っているかを察し、余計に尊敬の念を深めたらしい。
「でも、もし今度連絡が取れる機会があったら、伝えてみてほしい! 『ファンが応援してます』ってだけでもいいからさ!」
「うん……! それくらいなら、絶対に伝えておくね」
舞がほっと胸を撫で下ろして微笑むと、大河は満足そうに「サンキュ!」と言って自分の席へ戻っていった。
大河の背中を見送りながら、舞は「ふぅ……」と胸に手を当てて、長く安らかな溜息をついた。
「冷や汗かいた……結衣、ホントに気をつけてよね」
「ごめんごめん、ついテンション上がっちゃってさ!」
結衣はてへっと可愛らしく舌を出すと、再び机に身を乗り出して舞の顔をじっと覗き込んできた。その瞳には、先ほどの大河とはまた質の違う、好奇心でギラギラと輝く光が宿っている。
「でもさ、舞。お兄さんに連絡取れるようになったら、私からもいろいろ聞いといてほしいな〜!」
「えっ、結衣まで……?」
舞が困惑したように眉をひそめると、結衣は周囲の耳目を憚るように声をワントーン落とし、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「だってさ! あの『紅の女王』エリカ様とパーティ組んでるでしょ? かなり親しげだってネットでも話題になってるし」
「う……」
兄のボロアパートの前で出くわした、目眩がするほど綺麗な女性。兄の腕に自然な動作でぎゅっと抱きつき、天使のような笑顔で爆弾を投下してきた、あのエリカだ。
「舞、何か知ってるでしょ〜、やっぱり付き合ってる?『紅の女王』が義理のお姉さんになったりするの!? 羨ましすぎるんだけど!」
「ちょっと! 適当な事言わないでよ!?」
頭を抱えて悶絶する舞。
実家ではずっとダサいあずき色のジャージを着てポテチを食べていた、万年Dランクの冴えない兄。それが世間を揺るがす凄腕ガンブレイカーで、さらには雲の上の存在である『紅の女王』と同棲しているだなんて、妹の立場からすれば誇らしさよりもパニックと気恥ずかしさが勝ってしまうのだ。
「もし次にお兄様と連絡が取れたらさ、絶対聞いてよね! 『エリカ様との関係は!?』『いつから付き合ってるの!?』って!」
「訊けるわけないでしょ、そんな恥ずかしいこと……っ!」
舞が顔を真っ赤にして抗議したその時、教室の引き戸がガラガラと開き、担任の教師が入ってきた。
「はい、全員着席ー。朝のホームルーム始めるぞ」
「ちぇー、いいところだったのに。あとでまたじっくり追及するからね、舞!」
「もう勘弁してよ……」
結衣が自分の席へと戻っていき、舞は深く椅子に身体を沈めた。
黒板の端には、新しく書き直された「高校生活スタート!」の文字。窓の外からは春のやわらかな風が吹き込み、舞の短い髪を優しく揺らしていた。
(お兄ちゃん……今頃何してるのかな。第九層の雷雲エリアとか、かなり危なそうだよね……)
クラスメイトたちが憧れる「雲の上のヒーロー」になってしまった兄。けれど、舞にとっては世界でたった一人の大切な家族だ。
(……今度、意を決してメッセージ送ってみようかな。『無茶しないでね』って……ついでに、エリカ様とのことも……あ、やっぱりそれは聞けないや……!)
心の中で葛藤しながら、舞は教科書を開く。
遠いダンジョンの雷雲の下で戦う兄に思いを馳せながら、舞の新しい高校生活が、少しの波乱と大きな秘密を抱えたまま静かに動き出していた。