FF14で現代ダンジョン 作:黒蓮華
どこか煤けた木製の看板に書かれた店名は、『洋食店ふるや』。創業から三十年近く続くその小さな店の中で、三十五歳になる古谷は、静まり返った厨房に一人佇んでいた。
彼は努力家であり、料理の修行も必死に積んできた。
親から店を継いで以来、妥協したことなど一度もない。
しかし、時代に取り残された路地裏という立地の悪さと、古谷自身の不器用で無愛想な性格が災いし、テーブルを埋めるのは虚しい静寂ばかりだった。
重くのしかかる資金繰りの苦悩。日に日に膨らむ借金の催促状。ついに代々守ってきた店を手放す寸前まで追い詰められた古谷が、最後の破れかぶれで選んだ道――それが『ダンジョン探索者』への登録だった。
「素材を一つ二つ拾って売れば、この店の借金くらい、なんとかなるはずだ……」
だが、現実は残酷なまでに非情だった。
恐怖に膝を震わせながら足を踏み入れた第一層の森林エリア。物陰から突如現れたゴブリンの木製棍棒が、古谷の視界を覆い尽くす。ゴカッ、と頭骨が砕ける鈍い音が響き――古谷の短い探索者人生は、あっけなく幕を閉じた。
「はっ……!!」
第一層ロビーに鎮座する『再生の大結晶』の前で、古谷は跳ね起きるようにして覚醒した。頭部を破壊された凄絶な死の激痛と恐怖の残滓に全身をガタガタと震わせながら、彼はふと、自分の視界の位置が異常に高くなっていることに気づく。
見下ろした自分の手足は、かつての小柄でずんぐりとした肉体ではなかった。
身長百九十センチを優に超える長身。頭の側面からは、天を刺すような漆黒の角が美しく伸び、首筋から腕にかけては硬質で艶やかな黒い鱗が走っている。
そこに居たのは、海外の映画俳優すら青ざめるほどの凄まじい色気と気品を放つ『超絶クールなアウラ・ゼラの男性』の姿だった。
「これが……『魂の再構築』……」
圧倒的な強者の異形を手に入れた古谷だったが、その心はすでに粉々に砕けていた。視界を埋め尽くしたあの棍棒の恐怖が脳裏から離れず、安物の鉄剣を握ろうとしても、指先が激しく震えて脱力してしまうのだ。
「見た目が変わっても……俺の中身は、弱くて臆病な料理人のままだ……。もう嫌だ、絶対に戦いたくない……」
生き返った際の面倒な手続きを終え、ようやく我が家へ帰った古谷。薄暗い厨房の床に座り込み、絶望に暮れていたその時、彼はスマホの画面で『名無しの職人』が掲示板に投下した、ある書き込みを目にする。
『戦闘ができない奴は、生産ジョブになれ。料理のレシピと【調理師】のスキル体系を公開する。ダンジョン食材を使った飯は、食った奴のステータスを上げるバフ効果があるぞ』
「……料理で、探索者をサポートできるのか……?」
古谷は縋るような思いで店にやってくる常連の探索者に頭を下げ、「ドードーの笹身」といった安価な第一層の食材を買い取らせてもらった。
そして、長年連れ添ってきた使い古しのフライパンを握り締めた――その瞬間である。
胸の奥から、溢れんばかりの温かな感覚が全身の血の巡りと溶け合っていく。
古谷がこれまで三十五年間の人生で積み上げてきた『包丁裁き』『火加減の勘』『味付けの絶対感覚』――血の滲むような修行の記憶が、ダンジョンシステムの『調理師スキル』と完璧に融合したのだ。
脳内に次々と浮かび上がる至高の加工プロセス。食材の旨味を極限まで引き出す火の導き。
(この笹身の筋、ここに隠し包丁を入れることで、熱が均一に入り、肉汁の流出を最小限に抑えられる……!)
古谷の脳裏に鮮烈な閃きが走る。
彼は無我夢中でドードーの笹身をガーリックとオリーブオイルでマリネし、熱したフライパンへと投じた。
フライパンを振るうたび、青白く澄んだ魔力が料理全体へと吸い込まれていく。ここで古谷は、生産職専用の強力なスキルを思い浮かべながら静かに呼吸を整えた。
「――『グレートストライド』」
身体の内側から爆発的な集中力と生産魔力が湧き上がり、右腕に宿る。次の一手の品質を劇的に引き上げる至高のバフスキル。
その圧倒的な加護を受けた古谷の火入れは、もはや神業の領域に達していた。食材の一片一片が黄金色の魔力をまとい、通常の調理では絶対に引き出せない極限のポテンシャルを解放していく。
完璧なまでの仕上がりを見せた『ドードーのグリル』からは、ハイクオリティの証である黄金色の光の粒子が、得も言われぬ芳醇な香りの湯気とともにふわりと立ち上っていた。
数日後、古谷は思い切って店の看板メニューを『ダンジョン洋食』へと切り替えた。
たまたま店に立ち寄った探索者の若者たちが、出来立てのドードーのグリルを口に運んだ瞬間――。
「う、うっまァァァァァッ!? なんだこれ、鶏肉よりずっと柔らかくて旨味が凄すぎる!!」
「おい待て、味が極上なだけじゃないぞ! なんか、全身の底から力が湧き上がってくる!」
「マジだ! 身体がめちゃくちゃ軽い! これが職人神の言ってた『料理のバフ効果』か!!」
その日を境に、洋食店ふるやの運命は劇的な一変を遂げた。
SNSで口コミが瞬く間に拡散され、評判を聞きつけた探索者たちが連日大挙して押し寄せるようになったのだ。
その後、古谷は次々とダンジョン食材を取り入れ、メニューを拡充していった。
一番の人気メニューとなったのは、高層で取れたマーモットの肉とサンレモンをじっくりと煮込んだ絶品の『ビーフシチュー』。他にも、ふわふわの『アプカルオムレツ』や、スタミナ抜群の『クァールのワインソテー』など、探索者たちの舌とステータスを極限まで満たす絶品バフ飯が、客の胃袋を鷲掴みにした。
さらに、客たち――特に女性客を激しく惹きつけたのは、料理の味だけではなかった。
厨房の奥で、一切の無駄がない洗練された手捌きでフライパンを振るう「身長190センチ超えの、漆黒の角と鱗を持つ超絶イケメンシェフ」。
白いコックコートの袖から覗く引き締まった腕と、アウラ特有のミステリアスな美貌。余計な喋りを一切せず、真剣な眼差しで料理と向き合うクールな佇みに、訪れた客たちは一目惚れを起こしていた。
「ちょっと見て、あのシェフさん……カッコよすぎて息が止まりそう……っ!」
「無口でクールな角イケメンが作る、極上のバフ洋食……毎日通うしかないでしょ!!」
「あのちょっと影のある冷ややかな瞳がセクシーすぎるのよ……っ!」
ちなみに本人は、ゴブリンのトラウマを思い出して恐怖で顔が引きつっているだけである。
◆
それから数ヶ月の歳月が流れた。
「店長、今日も大手ギルドから『専属として契約してほしい』って高額オファーが届いてますよ!」
「テレビ局からも特番の取材依頼が来てます!」
ホールを忙しく立ち回るアルバイト店員たちの声に、古谷は低く静かな声で「全部断ってくれ」と短く告げた。
「俺は、ここで目の前の客に飯を作るのが性に合ってるんだ」
古谷は磨き上げられたコックコートの襟を正し、今日もダンジョンで命を懸ける探索者たちのためにフライパンを振るう。
死の絶望の底から自分を救い上げてくれた『職人神』のあの書き込み。あのレシピがなければ、自分はトラウマに潰されたまま生きる屍になっていただろう。
いつか、あの姿も名も知らぬ職人神がこの店を訪れることがあれば、自分が持つすべての技術を注いだ最高の料理をご馳走したい――それが古谷の密かな夢だった。
カウンター越しに目を向けると、テーブル席にはまだ初々しさが残る四人組の若者たちが腰掛けていた。
「このビーフシチュー、マジで美味い!! しかも力がモリモリ湧いてくるぞ!」
背の高い少年が目を輝かせて肉を頬張り、満面の笑みを浮かべた。
「ああ、これなら明日の第一層の探索も、もっと奥まで行けそうだね」
眼鏡をかけたもう一人の少年も、驚いたようにポポトの付け合わせを口に運びながら頷いている。
「ねえ、見てよあのシェフさん! めっちゃカッコ良くない!? アウラの男の人ってあんなに素敵なのね……!」
「う、うん。すごい迫力だね。でも、なんだかちょっと近寄りがたいというか……孤高の凄腕探索者って感じがするよ」
少女たちの会話を厨房の陰で耳に挟みながら、古谷は黙々とフライパンを揺らし続けていた。
(若い探索者たちか……。頼むから、みんな死なないように気をつけてくれよ……)
ゴブリンに殺されたあの瞬間の絶望と痛みを身をもって知っているからこそ、彼らに提供する一皿には一切の妥協を許さなかった。
ほんの少しでもステータスを底上げし、彼らが無事に家族の元へ帰れるように。そんな古谷の無骨で温かな祈りこそが、料理のクオリティを本物の『ハイクオリティ』へと引き上げていた。
◆
絶品のビーフシチューを平らげた高校生四人組――大河、海斗、結衣、そして舞は、大満足の笑顔で『洋食店ふるや』の扉を開けて外に出た。
大平の工房で才能を開花させてから、大河の熱烈な誘いによって結成された彼らのパーティ。
大河が前衛で盾となり、舞が中衛から遊撃、そして結衣と海斗が後衛から魔法で支援する。まだ結成して日は浅いが、四人の連携は少しずつ形になり始め、第一層の探索も順調に進むようになっていた。
「ごちそうさまでした! いやー、本当に美味しかったね!」
結衣がポンポンと自分のお腹を叩きながら、上機嫌で声を弾ませる。
「うん……。それに、さっきから身体が羽みたいに軽いよ。これが料理の『バフ効果』なんだね」
舞は自分の両手を開いたり握ったりしながら、不思議そうにつぶやいた。全身の奥底から、温かい魔力と活力が湧き上がってくるのがわかる。
「俺も、なんだかいつもより難しい魔法がすんなり詠唱できそうな気がするよ。頭の中がすごくクリアだ」
海斗も眼鏡を押し上げながら、感心したように頷く。
「よし! このバフが切れないうちにダンジョンに急ごう」
大河がそう言いながら三人を振り返った。
「なあ、みんな。最近少しずつ奥のエリアまで行けるようになってきたけど、そろそろ徒歩での移動がキツくなってこないか?」
「うん……確かに。帰りは『デジョンの呪符』で一瞬だけど、行きはモンスターを避けながら歩かないといけないから、時間も体力もかかっちゃうよね」
舞の言葉に、結衣も「わかるー、足パンパンになるもん」と同意する。
大河はニヤリと笑い、ビシッと指を突きつけた。
「だろ? だから、俺たちもそろそろアレを手に入れようぜ! 第一層の森にいる鹿みたいなやつ……『マウント』のアンテロープだ!!」
「マウント! いいね、あれ乗ってみたい!!」
結衣が目を輝かせてピョンと跳ねた。
「でも、アンテロープに乗るには『ホルン(マウント用)』ってアイテムが必要なんでしょ? オークションで買うと、私たちのお小遣いじゃ到底手が出ないような値段だよ?」
海斗が冷静に指摘する。
職人神のツイートによって明らかになったマウントだが、そのキーアイテムとなるホルンは精密な加工技術が要求されるため、市場では未だに高値で取引されていた。
だが、大河は自信満々に胸を叩いた。
「心配すんな! 買う必要はない、俺の兄貴に作ってもらうんだ!」
「大平さんに?」
「ああ! 兄貴、この前言ってただろ。『自力でダンジョンに潜って素材を持ち込んでくれば、最高の装備に叩き直してやる』って! だから、今日はそのホルンを作るための素材を集めに行くぞ!」
大河の提案に、三人の顔がパッと明るくなった。
自分たちの手で素材を集め、職人に託して、憧れのマウントを手に入れる。それはまさに、本物の「探索者」としての大きな一歩だった。
「よーし、そうと決まれば気合い入れていかないとね! 今日はいつもより少し奥の岩場まで行ってみよう!」
「うんっ。みんなで頑張って、素材持ち帰ろうね!」
大河の熱意に当てられ、舞もギュッと拳を握りしめて頷いた。
「さあ、行くぞお前ら! 目指すはマウントだ!!」
「おおーっ!!」
バフ料理の恩恵でみなぎる力を全身に感じながら、若き高校生パーティの四人は、未知なる冒険と憧れの乗り物を夢見て、元気よく駆け出していくのだった。