「正しい答え」 作:はい
翌日。
扉が開いた。
簡素な部屋の中で、零無は読んでいた資料から顔を上げた。
入ってきたのは塚内だった。片手には端末。その画面には、病室のベッドへ身体を預けた相澤が映っている。いつもの疲れた顔。少なくとも、数日前より元気になったようには見えない。
『金木』
「はい」
『出ろ』
零無は数秒、画面を見る。
「……どこへですか」
『寮』
沈黙。
「何故です?」
『決まった』
「何が?」
『お前の当面の扱いだ』
「それでは範囲が広過ぎます」
画面の向こうで相澤の眉間に皺が寄る。
『お前が面倒なのは知ってる』
「でしたら説明を省略する方が、結果的に長引くこともご存じでしょう」
『そういうところだぞ』
「何がです?」
塚内が小さく息を吐いた。相澤も似たような顔をしている。
『監視条件付きで、寮内で生活させる』
零無の目が僅かに細くなった。
喜ぶより先に、判断の根拠を探している。
「正気ですか?」
『教師に向かって第一声がそれか』
「妥当な疑問でしょう」
『却下』
「まだ何も申し上げていませんが」
『どうせ言うことは分かる』
相澤は画面の向こうで指を折った。
『情報漏洩の実績がある。AFOは今も健在だ。お前が使っていた接触経路を、全部把握出来た保証もない』
二本、三本と指が立つ。
『お前は投降前、自分の端末から通信履歴や記録を意図的に消してる。今後また、誰かを脅しに使われた時に、お前が同じ判断をしない保証もない』
そして、画面越しに零無を見る。
『安全だけを考えれば、このまま一人で隔離しておく方が簡単だ』
零無は少し黙った。
「……概ね」
『全部検討済みだ』
「その上で?」
『ああ』
「理由は」
今度は塚内が答えた。
「まず、君を現在のような固定拘束下へ置き続ける直接的な必要性が、以前より下がった」
零無がそちらを見る。
「以前より?」
「ああ。ただし、先に言っておく。君が過去の記録を消していたことを、こちらは軽く見ていない」
零無の表情は変わらない。
「当然でしょう」
「通信履歴。接続記録。端末側の一時データ。かなり徹底していた」
「ええ」
「結果として、こちらが確認出来なかった情報もある」
「否定しません」
「そして、君は投降した時点でも、全てをそのまま話したわけじゃなかった」
零無は黙る。
社会への怒り。壊れなければ変わらないという考え。
それらは嘘ではなかった。
だが、葉隠を脅迫材料にされたこと。それが決定的だったことは、最初、自分から話さなかった。
「……ええ」
「だから、君が自首した。協力している。それだけで信用出来る、という話ではない」
「理解しています」
『むしろ、そこまで含めて監視対象だ』
相澤が入る。
「でしょうね」
『だが、投降後、お前が新しく証拠を消した形跡はない。既知の接触時期や方法については供述してる』
「断片的ですが」
『それを元に、警察側が押収済みの敵側の中継端末や記録を洗い直した』
塚内が頷く。
「君の端末側には残っていなくても、相手側に完全に何も残っていないとは限らない」
「それで、いくつか照合出来た?」
「ああ」
「全部ではないでしょう」
「もちろん。君がこちらへ渡した情報と、敵側から回収出来た断片が一致した部分がある。それだけだ」
「AFOとの連絡経路が完全に断たれた証明にはならない」
「ならない」
「新しい方法で接触してくる可能性もある」
「ある」
「葉隠を含め、再び誰かを脅迫材料にする可能性も」
塚内は少しだけ表情を硬くした。
「否定出来ない」
零無はしばらく黙った。
「それで僕を寮へ?」
『だから寮なんだよ』
相澤が言った。
零無の視線が画面へ移る。
『校外じゃない。今の雄英の警備下で、外部通信を切って、移動を制限して、監視する』
「固定拘束ではなく?」
『ああ』
「理由は?」
『今言ってる』
「不十分です」
『面倒臭ぇな』
「僕が寮へ戻れば、A組との接触機会は増える。AFOが再び僕を利用する場合、守ろうとする対象が近くにいることになる」
『それも検討した』
「なら」
『金木』
相澤の声が少し低くなる。
『お前を一人にしておけば、脅しが成立しなくなるのか?』
零無が止まった。
『葉隠が別の棟にいようが、外にいようが、AFOが狙えない保証にはならない。むしろ、お前一人だけ切り離して、誰にも相談出来ない状態にしておく方が、同じことを繰り返す可能性が上がる』
零無は黙った。
数日前、相澤に。ミッドナイトに。そして昨日、葉隠に。
何度も言われたこと。
自分だけで決めるな。
『今回、お前が一番やらかしたのは、脅されたことじゃない』
「……」
『脅された後、全部一人で処理しようとしたことだ』
零無の目が僅かに細くなる。
『だったら』
「敢えて、人間関係から切り離さない?」
『それも理由の一つだ』
「……」
『信用したからじゃない。更生したと判断したわけでもない』
「分かっています」
『今度は相談出来る環境に置くこと自体が、リスク管理になると判断した』
零無はすぐには答えなかった。
今度は塚内が続ける。
「もちろん、それだけじゃない。外部通信は禁止。個人端末は持たせない。支給端末は校内限定で、通信先も制限する。位置監視は常時。校外は禁止。寮棟外は許可制。夜間は行動制限。立入禁止区域も設定する」
零無は一つずつ確認する。
「個性使用」
「原則禁止。緊急時を除く」
「授業への復帰は?」
『今回は認めない』
相澤が答えた。
「ヒーロー科としての活動は?」
『当然、まだだ』
「つまり、自由に戻すわけではない」
『誰がそんなこと言った』
「拘束方法を変更するだけ?」
『そう思っておけ』
塚内も頷いた。
「今までの固定式拘束具は外す。その代わり、位置と行動を確認出来る監視端末を付ける」
「無理に外せば?」
「即時通知」
「制限区域へ入れば?」
「同じく」
「外部通信を試みた場合は?」
「その時点で、この措置は打ち切りだ」
「再隔離」
「そうなる」
「個性を無許可で使用した場合も?」
「状況次第では即座に」
零無は少し黙った。
「試験運用ですね」
「その認識でいい」
「期間は?」
『未定』
「曖昧ですね」
『処分自体が決まってないからな』
「……なるほど」
塚内が零無の手元を見る。
これまで使われていた固定式の拘束具。
「外すよ」
「どうぞ」
解除音がする。
久しぶりに両手が完全に離れた。
零無は手首を少し動かす。赤く残った跡を見ることもなく、塚内が代わりに小型の監視端末を取り付けた。
「これそのものに通信機能はあるが、君から外部へ発信する機能はない」
「位置情報と状態確認用?」
「それと、異常な取り外しの検知」
「個性使用まで分かる?」
「そこまでは直接分からない」
零無が見る。
「正直ですね」
「出来ないことを出来ると言う意味はないだろう」
「同意します」
『話終わったか』
相澤が言う。
「まだあるでしょう」
『ある。AFO関連の事情聴取には、今後も協力してもらう』
「それはこの部屋でも可能でしょう」
『三つ目』
相澤は無視した。
『生活環境下でのお前の行動を見る』
零無が僅かに眉を寄せる。
「観察対象として?」
『それもある』
「それも?」
『お前はまだ雄英の生徒だ。少なくとも、現時点ではな』
零無が止まった。
「……学校側の処分が決定したわけではない?」
『ああ』
「退学を含めて?」
『含めて審議中だ。警察側の扱いも、学校とは別に続く』
「そうですか」
特に動揺は見せなかった。
相澤はそれを見て、何も言わない。
『処分が決まるまで、お前をどう扱うかは別の問題だ』
「処分が未確定だから自由にする、という意味ではないでしょう」
『当たり前だ』
「なら」
『必要性が下がった後まで、未成年の生徒を一人で固定拘束し続ける理由もない』
零無は黙った。
少し前、相澤に言われた言葉を思い出した。
――生きて払え。
責任を取ることと、自分で勝手に自分へ刑罰を追加することは別だと。
「……なるほど」
『まだある』
「どうぞ」
相澤は少しだけ間を置いた。
『A組にも確認した』
零無の視線が止まった。
「何を?」
『お前が寮へ戻ることについてだ』
「……」
『決定権を渡したわけじゃない。だが、あいつらはお前と同じ建物で生活する当事者だ。意向を無視する理由もない』
「何を説明したんです?」
『お前が監視対象であること。処分が未定であること。今後も事情聴取が続くこと。AFOが今も健在で、再接触の可能性を否定出来ないこと』
「……」
『学校側も、お前がもう二度と判断を誤らないなんて保証は出来ないこと』
「それも?」
『当然だ』
「随分と率直ですね」
『隠して戻した方が問題だろ』
「同意します」
『接触したくない人間は、距離を取れるようにすることも伝えた』
零無はすぐには答えなかった。
「それで?」
『戻すこと自体への反対はなかった』
沈黙。
「……一人も?」
『二十人全員だ』
零無の眉が僅かに寄る。
「何故です」
『本人達に聞け』
「先生は?」
『何が』
「この措置に賛成されたんですか」
『ああ』
「何故です」
相澤は即答した。
『担任だからだ』
零無の眉間の皺がさらに深くなる。
「最近、その言葉を万能の根拠として使用していませんか」
『便利なんだよ』
「論理的ではありません」
『知るか』
「教師という属性だけでは――」
『別に』
相澤が遮った。
『お前を寮へ戻すことが絶対に正しいと断言してるわけじゃない。リスクはある。AFOもいる。お前がまた馬鹿な判断する可能性もある』
「言い方」
『事実だろ』
「否定はしませんが」
『だから監視する。問題が起きれば止める。必要ならまた隔離する』
「……」
『その上で、今は固定拘束を続けるより、監視下で人の中に戻す方がいいと判断した』
零無は少し考える。
「その判断の中に、A組の希望も含まれている?」
『ああ』
「安全管理上の理由と同列に?」
『同列じゃない。別の理由だ』
零無の目が僅かに動いた。
「……なるほど」
『納得したか』
「判断過程については」
『面倒臭ぇ答えだな』
「全面的に賛成したとは言っていません」
『それでいい』
塚内が扉を開ける。
「行こうか」
零無が立ち上がった。
「まだ質問があります」
『歩きながらしろ』
「先生は歩いていませんが」
一瞬、沈黙。
画面の向こうで相澤が嫌そうな顔をした。
『細けぇな』
「事実でしょう」
塚内が笑いを噛み殺す。
『いいから行け』
「横暴ですね」
『寝不足なんだよ』
「僕の責任ですか?」
『半分くらいな』
「それは申し訳ない」
相澤がほんの一瞬だけ零無を見る。
『……お前』
「何です?」
『そういうのは普通に謝るんだな』
「僕が原因で睡眠時間を削ったのであれば」
『そうかよ』
◇
塚内と共に廊下を歩く。
零無の手首には監視端末。
外部通信は禁止。行動範囲も制限。校外への移動は禁止。夜間の移動にも制約がある。一部施設への立入も出来ない。
授業への復帰も、ヒーロー活動への復帰も、まだ決まっていない。
以前と同じ生活へ、そのまま戻るわけではない。
端末越しに、相澤との会話も続いている。
「先生」
『何だ』
「僕が再び裏切る可能性については?」
『ある』
即答だった。
零無が画面を見る。
「随分と率直ですね」
『ゼロだと言ったら、お前が一番信用しないだろ』
「ええ」
『AFOがまだいる以上、外から何されるかも分からない。お前自身が、また誰にも言わずに決める可能性もある』
「否定は出来ません」
『だから監視する』
「信用しているわけではない」
『当然だ』
「それでも戻す?」
『ああ』
零無は少し考える。
「矛盾している、とは言いません」
『珍しいな』
「信用と接触の許可は同一ではない」
『少しは学習したらしいな』
「学習はしますよ」
『なら助かる』
「ただ、危険性を認識した上で、敢えて共同生活へ戻す判断については、まだ少々意外です」
相澤が画面の向こうで少し目を細めた。
『お前、また脅されたらどうする』
零無は一瞬黙る。
「状況によります」
『そう言うと思った』
「何故聞いたんです」
『寮なら、その「状況」を一人で処理しにくい』
零無の視線が止まる。
『二十人いる。教師もいる。監視もある。何か変な接触があれば、完全に隠し切る方が難しい』
「僕が隠そうとすれば?」
『止める』
「成功する保証は?」
『ない』
「僕が上手く隠す可能性も」
『ある』
「なら」
『だからって、一人に閉じ込めておけば安全になるわけでもない』
零無は黙った。
『今回のお前は、情報を消した。理由を隠した。全部自分の中だけで処理した』
「ええ」
『だったら次は、隠しにくい場所へ戻す』
零無は少しだけ眉を寄せた。
「随分と力技ですね」
『教師なんてそんなもんだ』
「またですか」
『便利だからな』
少しして、零無が言った。
「僕が批判していた社会にも、危険を避けるために人間を最初から分類して遠ざける構造はありました」
相澤が画面越しに零無を見る。
『そうだな』
「僕を隔離し続ける判断も、程度は違っても同じ方向へ行く可能性がある?」
『そこまで俺は言ってない』
「では?」
『必要性が下がった拘束を、「念のため」で続ける気はないってだけだ』
「僕の論理を僕に使っていませんか」
『自分で勝手に繋げただけだろ』
零無が僅かに嫌そうな顔をする。
「趣味が悪いですね」
『効いたか』
「論理としては否定出来ません」
『なら十分だ』
「ただし、僕が批判した社会構造と、内通行為を行った人間を監視下で共同生活へ戻す判断には相違点が――」
『寮着くまでに終わらせろ』
「無理でしょう」
『じゃあ諦めろ』
「教師としてその姿勢はどうなんですか」
『教師舐めんな』
零無の顔が僅かに嫌そうになる。
「それも最近多いですね」
『お前相手には便利だからな』
「万能句として使用しないでください」
『嫌だ』
「横暴ですね」
『知ってる』
塚内が前を歩きながら小さく笑った。
零無はそちらを見る。
「何です?」
「いや」
「何か?」
「相澤君も大変だと思ってね」
『塚内』
「はいはい」
◇
寮へ着く。
入口の前で塚内がカードを通した。
電子音。
扉が開く。
「ここからは学校側の監視へ引き継ぐ。寮内にも当直の職員がいる。君一人で外へ出ることは出来ない」
「理解しています」
「支給端末も、後で渡す」
「通信制限済みのものですね」
「ああ」
「何かあれば?」
「すぐ報告を」
「僕から?」
塚内が少しだけ眉を上げる。
「出来ればね」
零無は一瞬黙る。
昨日、葉隠に言われたことを思い出した。
一人で決める前に、誰かへ話す。
「……努力します」
塚内が少し笑った。
「十分だよ」
共有スペースの壁面モニターへ、相澤の映像が切り替わる。
『入れ』
零無は中を見る。
そして、止まった。
全員いた。
ソファ。椅子。ダイニング。壁際。
明らかに偶然ではない。
そして全員が、明らかに普通ではないのに、普通の顔をしようとしていた。
失敗している。
上鳴が最初に耐えられなくなった。
片手を上げる。
「……よ」
切島も少し笑って。
「おう」
飯田は、正式な挨拶をするべきか、普段通りにするべきか決め切れていない顔。
八百万は姿勢を正している。
蛙吹はいつも通り。
轟は、本当にいつも通りだった。
爆豪は、露骨に機嫌が悪そうだった。
そして。
麗日が一歩前へ出る。
「おかえ――」
途中で止まった。
空気が一瞬だけ固まる。
麗日自身が、言いかけた言葉に戸惑っていた。
零無も、それに気付く。
「……ごめん」
麗日が少し困った顔をした。
零無の眉が僅かに動く。
「何故謝る?」
「いや」
麗日は頬を掻く。
「おかえりって言おうとして」
少し言葉を探す。
「なんか……まだ、そう言ってええんかなって」
誰も何も言わない。
寮へは戻ってきた。
だが、何もかもが以前へ戻ったわけではない。
零無は麗日を見た。
少し考える。
「君が、僕がここへ戻ってきたと認識していて、それに対して『おかえり』と言いたいのなら、言えばいいだろう」
麗日が少し目を丸くする。
「……そういう返しする?」
「何かおかしいか?」
「いや」
少し笑う。
「金木君らしいなって」
「そうか」
麗日は一度、息を吸った。
今度は最後まで。
「おかえり、金木君」
零無は黙った。
一秒。
二秒。
上鳴が、何故か緊張している。
切島まで、零無の答えを待っていた。
やがて。
「……ただいま」
短かった。
麗日の目が少しだけ大きくなる。
零無が眉を寄せる。
「何だ」
「いや」
「言えって顔をしていただろう」
「してた?」
「全員が」
上鳴が。
「バレてた」
と呟く。
零無は続けた。
「ただ、この言葉を使うのは、随分久しぶりだ」
麗日の笑みがほんの少しだけ柔らかくなる。
けれど、それ以上何も言わなかった。
「そっか」
それだけ。
零無も、それ以上は続けない。
その瞬間。
「で」
爆豪の声。
零無が見る。
爆豪はダイニングを顎で示した。
「飯」
「……?」
「食え」
「唐突だな」
「時間だ」
「僕は後で――」
「今食え」
零無の眉が寄る。
「何故?」
「全員今から食うからだ」
「それは君達の事情だろう」
「テメェも食うんだよ」
零無は壁面モニターを見る。
相澤は完全に観客の顔をしていた。
「先生」
『何だ』
「止めないんですか」
『何を』
「この不毛な会話を」
『監視中だ』
「随分楽しそうですね」
『気のせいだ』
「少なくとも止める意思はない?」
『ない』
「職務怠慢では?」
『爆豪が殴りかかったら止める』
爆豪が睨む。
「殴らねぇよ!」
零無が言う。
「成長したな」
「テメェ!」
『金木』
相澤の声。
「はい」
『煽るな』
「事実を述べただけですが」
『そういうところだ』
上鳴が吹き出した。
「もう普通じゃん」
全員が一瞬止まった。
上鳴自身も。
「あ」
と止まる。
「いや、その……普通っていうか」
零無は上鳴を見る。
「何を言い直そうとしている?」
「分かんねぇ!」
「なら最初から訂正するな」
「お前がそれ言う!?」
耳郎が思わず吹き出した。
零無がそちらを見る。
「何だ」
「いや。別に」
「……?」
零無は分からないまま、再び爆豪を見る。
「それで」
「飯だ」
「まだ続くのか」
「来い」
「何故?」
「食うからだ!」
「説明になっていない」
「零無」
葉隠の声だった。
零無が止まる。
ダイニングの椅子の横に、葉隠が立っている。
「ご飯」
「……」
「食べよ」
零無は少しだけ黙った。
「君までか」
「うん」
昨日。
約束した。
自分の判断だけで、彼女の意思まで決めない。
零無は葉隠を見る。
「君は」
「何?」
「僕と食事をしたい?」
葉隠が一瞬止まった。
それから。
「うん」
即答だった。
「したい」
「そうか」
零無はそれだけ答える。
葉隠が待つ。
「じゃあ?」
「食べるよ」
葉隠の声が分かりやすく弾む。
「よし!」
椅子を引く。
「ここ!」
零無が見る。
葉隠の隣。
「……」
葉隠がすぐ反応する。
「何」
「いや」
「嫌?」
「別に」
「じゃあ座って」
「随分強引になったな」
「誰のせい?」
零無は一瞬考え。
「僕だな」
葉隠が止まった。
「……認めるんだ」
「最近、何度言われたと思っている?」
「学習してる!」
「馬鹿にしているのか?」
「褒めてる!」
「そうは聞こえない」
それでも、零無は座った。
その瞬間。
芦戸が耳郎の肩を小さく肘で突いた。
耳郎が見る。
芦戸が葉隠、零無、葉隠、零無と視線を往復させる。
耳郎は一度だけ、無言で頷いた。
麗日も横で少し笑っている。
葉隠が気付いた。
「何!?」
芦戸。
「何も?」
「絶対何かあるじゃん!」
「ないない」
「芦戸ちゃん!」
「はいはい、ご飯ご飯!」
◇
食事が始まった。
そして、全員がすぐに気付いた。
気まずい。
誰も何を話せばいいか分からない。
食器の音。箸が皿へ触れる音。椅子の僅かな軋み。
これまで。
普通に接していけばいい。
そう話した。
実際にやってみれば、それが恐ろしく難しい。
許したわけではない。忘れたわけでもない。何もなかったことにも出来ない。
けれど、ずっと内通の話をするわけにもいかない。
結果。
全員が「普通にしよう」と意識し過ぎて、普段より遥かに不自然になっていた。
零無は当然、気付いている。
だが、何も言わない。
十数秒。
上鳴が耐えられなくなった。
「……気まずっ」
耳郎が即座に足を出す。
「言うな!」
「痛っ!」
零無が食事を続けながら言う。
「何故わざわざ言語化する」
「だって気まずいだろ!」
「全員が共有している不快感でも、明示しなければ曖昧な状態へ留められる場合がある。それをわざわざ言葉にすれば――」
上鳴が頭を抱えた。
「早速始まった!」
零無が見る。
「何が?」
「その説明!」
「質問に答えただけだが」
瀬呂が吹き出した。
「なんか」
零無が見る。
「何だ」
「いや」
瀬呂は笑いながら。
「こういうの、久しぶりだなって」
零無の手がほんの一瞬止まった。
瀬呂も、それ以上何も足さなかった。
「……そうか」
零無は再び箸を動かす。
少しして、卓上を見る。
「瀬呂」
「ん?」
「それを取ってくれ」
「これ?」
「ああ」
瀬呂が調味料を取る。
手渡す。
「ありがとう」
「おう」
それだけ。
今度は誰も止まらなかった。
誰も「普通だ」とも言わなかった。
調味料を取る。礼を言う。
それで終わる。
少しして、砂藤が料理の味について話した。尾白が今日の訓練の話をした。口田が小さな声で、寮の周りへ来た鳥の話をした。
青山がいつもの調子で。
「君が戻れば、食卓の輝きも一つ増すというものさ」
と言い。
零無が。
「人数が増えれば照明効率が変わるのか?」
と真顔で返して。
青山が。
「……そういう輝きではないよ」
と少し困った。
上鳴が笑った。
峰田が。
「つーか戻って初日から葉隠の隣って、そこは普通なのかよ」
と余計なことを言い。
耳郎のイヤホンジャックが額を小突いた。
「痛っ!」
「食べな」
「俺だけ扱い雑じゃね!?」
「普段の積み重ね」
「理不尽!」
零無はそれを眺めていた。
何か重要な話をしているわけではない。
AFO。内通。社会。個性。責任。家族。
どれも今は出てこない。
ただ、食事をしている。
しばらくして。
上鳴が言った。
「そういや」
「何だ」
「後でゲームしね?」
「何故?」
上鳴が止まる。
「何故って……」
一度考える。
「俺がやりたいから」
「君が?」
「俺が」
「なら一人でやればいいだろう」
「一緒にやりたいんだよ!」
「僕と?」
「そう!」
零無は少しだけ考える。
「何故?」
上鳴の顔が歪んだ。
「まだ聞く!?」
「理由を確認しているだけだ」
「友達とゲームするのに理由いる!?」
その言葉で、ほんの一瞬、空気が止まる。
上鳴自身が、しまったという顔をした。
「……」
零無は上鳴を見る。
友達。
少し前まで、その言葉を自分に使っていいのかすら、全員が分からなくなっていた。
上鳴が言い直そうと口を開く。
だが。
零無が先に言った。
「そうか」
「……え?」
「君が僕とやりたいなら」
一拍。
「参加するよ」
上鳴が少し目を丸くする。
「……おう」
零無は続ける。
「ただし」
「何?」
「僕が楽しめる保証はない」
上鳴が数秒止まり。
「めんどくせぇ!」
零無の口元がほんの少しだけ緩んだ。
「冗談だ」
「お前!」
「どこまで説明するのか興味があった」
「性格悪っ!」
耳郎が笑う。
「今更」
瀬呂も。
「知ってただろ」
「お前ら慣れすぎだろ!」
葉隠も笑っていた。
その声に、零無が一瞬だけそちらを見る。
葉隠がすぐ気付く。
「何?」
「いや」
「何?」
「何でもない」
「絶対なんかある」
「ない」
「言って」
「嫌だ」
「何で!?」
「僕の自由だろう」
「そういう時だけ!」
また笑いが起きる。
◇
壁面モニターの向こうで、相澤はその様子を見ていた。
口を挟まない。
これを更生と呼ぶつもりはない。
許されたわけでもない。
明日になれば、また聴取がある。
AFOについて、確認すべきこともある。
学校側の会議も続く。
処分もまだ決まっていない。
何より。
AFOも、死柄木も、まだいる。
これから何が起きるか。
誰にも分からない。
クラスの中にも怒っている者がいる。完全には信用出来ない者もいる。怖さが消えていない者もいる。
零無自身も、社会への考えを撤回したわけではない。
何一つ解決していない。
それでも、食事はする。
その程度のことまで、全部が解決した後へ先送りする必要はない。
相澤はそれだけ考え、目を閉じた。
「先生」
飯田の声。
「寝ないでください!」
『監視中だ』
「目を閉じていました!」
『音は聞こえる』
「そういう問題ではありません!」
『うるさい』
「教師として――」
『飯田』
「はい!」
『飯食え』
「……はい」
零無が小さく言った。
「教師舐めんな、ではないんですね」
相澤の目が開く。
『金木』
「はい」
『黙って食え』
「分かりました」
上鳴が堪え切れず吹き出した。
◇
食事も終盤。
爆豪が零無を見る。
「おい」
「何だ」
「食うの遅ぇ」
零無は自分の皿を見る。
「普通だと思うが」
「遅ぇ」
「君が早いのでは?」
「黙って食え」
「会話を始めたのは君だろう」
「テメェ……!」
切島が笑う。
「まあまあ!」
「笑ってんじゃねぇ!」
零無はほんの少し笑っていた。
葉隠はそれを見る。
気付いた。
けれど、何も言わない。
言えば多分、本人が意識する。
だから、覚えておくだけにした。
◇
食事が終わる。
上鳴が勢いよく立った。
「よし!」
零無が見る。
「何だ」
「ゲーム!」
「気が早いな」
「言っただろ!」
「参加するとは言った」
「なら来い!」
零無は立ち上がる。
「少し待て」
「何だよ」
食器を持つ。
「片付けが先だろう」
上鳴が固まる。
「……」
耳郎が笑う。
「正論」
上鳴は信じられないものを見るように零無を見る。
「今日くらい誰かにやってもらえよ!」
「何故?」
「戻ってきたばっかだし」
「それは食器を放置する理由にはならない」
「真面目か!」
「普通だろう」
「普通の基準そこ!?」
零無は流しへ向かう。
その後ろから、葉隠も自分の食器を持って立った。
隣へ行く。
「手伝う」
「自分の分だけでいい」
「みんなのもあるじゃん」
「大した量ではない」
「二人ならもっと早い」
「それはそうだな」
あっさり。
零無が頷いた。
葉隠が止まる。
「……あれ?」
「何だ」
「もっと」
「何?」
「『君が手伝う必要性は』とか言うかと思った」
零無は一瞬黙った。
「言ってほしいのか?」
「嫌」
「なら問題ないだろう」
「うん」
葉隠は少しだけ笑った。
皿を洗う。
零無が拭く。
洗って、渡す。
拭いて、置く。
ごく普通の作業。
しばらくして、葉隠が声を落とした。
「ねえ」
「何だ」
「今」
「うん」
「ちゃんと入ってる?」
零無の手が止まった。
「何の話だ」
「分かってるでしょ」
「食器洗いと生存判断を同列に扱うのは――」
「零無」
「……」
葉隠が待つ。
昨日。
約束した。
自分が生き残る方法を、最初から消さない。
それ以前にも。
彼女の安全だけではなく、彼女自身が何を望むかも考慮すると約束した。
零無は小さく息を吐いた。
「今のところ」
「うん」
「昨日した約束を撤回する理由はない」
葉隠が少し眉を寄せる。
「言い方」
「事実だろう」
「もっと普通に言って」
「何を?」
「自分も入ってるって」
零無は少し考える。
「……入っているよ」
「ほんと?」
「ああ」
「最初から?」
「少なくとも」
一拍。
「以前よりは」
葉隠はその言葉で追及を止めた。
完全ではない。
でも、嘘ではない。
「そっか」
「うん」
「じゃあいい」
再び水音。
一枚洗う。
渡す。
拭く。
置く。
「毎回確認する気か?」
零無が聞く。
葉隠は即答した。
「必要なら」
「……」
「嫌?」
零無は少し考える。
「面倒ではある」
「ひどい!」
「だが」
葉隠が止まる。
零無は皿を拭きながら続けた。
「君が確認したいなら、止める理由もない」
葉隠の手がほんの少し止まる。
「……そっか」
「何だ」
「何でもない」
「そうか」
葉隠は今度こそ何も言わなかった。
◇
最後の皿を置く。
「終わった」
「うん」
二人で戻る。
ゲーム機の前には既に何人も集まっていた。
上鳴。瀬呂。切島。耳郎。麗日。芦戸。轟。爆豪までいる。
「金木!」
上鳴がコントローラーを投げる。
零無が片手で受け取る。
「操作は?」
「教える」
「頼む」
「お前これやったことないの?」
「ないな」
上鳴の顔が一気に輝いた。
「よっしゃ!」
零無が見る。
「何故喜ぶ」
「ボコボコに出来る!」
「なるほど」
零無は手元のコントローラーを見る。
「ではルールを説明してくれ」
「おう!」
「可能なら詳細に」
「任せろ!」
耳郎が横から、呆れた声を出した。
「上鳴」
「何?」
「多分それ、教え過ぎない方がいいよ」
「何で?」
八百万が少し離れた席から小さく笑う。
「学習されるのでは?」
上鳴が止まった。
零無を見る。
既に説明書を開いている。
一ページ。
二ページ。
かなり早い。
「……」
上鳴の顔が引きつる。
「金木」
「何だ」
「やっぱ説明なしでやろう」
零無が顔を上げる。
「何故?」
「男なら実戦で覚えろ!」
「先程までの発言と矛盾しているが」
「いいから!」
その横から。
爆豪が上鳴の手からコントローラーを取った。
「貸せ」
「え?」
「俺がやる」
零無が爆豪を見る。
「君が?」
「ああ」
「初心者相手に?」
「関係ねぇ」
「随分と大人げないな」
爆豪の額に青筋が浮く。
「殺すぞ」
零無はごく真面目に。
「ゲーム内で頼む」
数秒。
爆豪がニヤリと笑った。
「上等だ」
◇
ゲームが始まった。
最初の数分、零無は当然、操作がぎこちない。
上鳴が横から叫ぶ。
「そこジャンプ!」
「どこだ」
「右!」
「何の右だ」
「ボタン!」
「説明が曖昧だな」
「今そんな場合じゃない!」
爆豪。
「死ね!」
零無のキャラクターが吹き飛ぶ。
画面に敗北表示。
零無はコントローラーを見る。
「なるほど」
「何がなるほどだ!」
再戦。
また数分。
さらに数分。
十分後。
上鳴が徐々に笑わなくなった。
「待て」
零無は画面から目を離さない。
「何だ」
「お前」
「うん」
「初めてだよな?」
「そう言っただろう」
「何で普通に戦えてんの?」
「操作方法は理解した」
「早くない!?」
八百万が。
「やはり」
と小さく呟く。
耳郎。
「だから言ったじゃん」
爆豪が舌打ちする。
「余所見すんな」
零無は画面を見る。
「していない」
「死ね!」
「それはゲーム内の話だろうな?」
「今はな!」
上鳴が振り返る。
「今は!?」
切島が爆笑する。
麗日も、耳郎も、芦戸も笑っている。
葉隠も。
その中心で、零無はゲームをしていた。
ただ、ゲームをしている。
誰かを救うためではない。
情報を得るためでもない。
責任を果たすためでもない。
必要だからでもない。
上鳴に誘われ、自分で参加すると決めた。
それだけだった。
明日、何が決まるかは分からない。
学校へ残れるか。
ヒーロー科へ戻れるか。
警察側の判断がどうなるか。
AFOとの戦いが、この先どうなるか。
死柄木が何をしてくるか。
誰が最後まで自分を許さないか。
何も決まっていない。
自分自身、許されるべきだとも考えていない。
それでも今日。
寮へ戻った。
食事をした。
調味料を取ってもらった。
礼を言った。
皿を拭いた。
葉隠に約束を確認された。
ゲームをした。
そして、そのどれにも大した意味はない。
少なくとも今の零無には、それらへ生きる理由だの、人生の価値だの、そんな大層な名前を付ける気にはなれなかった。
ただ。
「おい」
爆豪の声。
「何だ」
「死んだぞ」
零無が画面を見る。
自分のキャラクターが倒れている。
「……ああ」
「考え事してんじゃねぇ」
「少しな」
「舐めプか?」
「違う」
「じゃあ集中しろ」
零無は再戦を選択する。
「もう一度」
爆豪が少し笑う。
「やっとやる気になったか」
「いや」
「何だ」
零無はコントローラーを構える。
少しだけ考えて。
「負けたまま終わるのは、気分が悪い」
爆豪の笑みが深くなる。
「ハッ」
そして。
「最初からそう言え」
再戦。
後ろから、葉隠の声が飛ぶ。
「零無頑張れー!」
爆豪が振り返る。
「テメェどっちの味方だ!」
葉隠は即答する。
「零無!」
「即答すんな!」
「だって初心者だもん!」
「関係ねぇ!」
上鳴が笑う。
「俺も金木!」
「テメェは元々俺に勝てねぇだけだろ!」
「関係ある!?」
切島が。
「俺は面白い方!」
耳郎。
「最低」
麗日も笑う。
轟が少し考えてから。
「俺も金木だな」
爆豪。
「何でだ!」
「初心者だから」
「テメェらまとめて潰す!」
「ゲーム内でね!」
葉隠が叫ぶ。
「うるせぇ!」
騒がしい。
本当に騒がしい。
零無は画面を見る。
自分のキャラクターがまた動き出す。
今度は、さっきより少し上手く爆豪の攻撃を避けた。
「チッ」
「今のは避けられたな」
「調子乗んな」
「事実を述べただけだ」
「死ね!」
「だからゲーム内で――」
笑い声。
怒鳴り声。
コントローラーの音。
誰かが次は自分もやると言う。
誰かが飲み物を取りに立つ。
誰かが明日の予定の話をする。
そして、その「明日」の先には、まだAFOもいる。死柄木もいる。
戦いが終わったわけではない。
むしろ、これからもっと大きなものが来る可能性がある。
零無も知っている。
ここに戻れたからといって、安全になったわけではない。
明日も自分がここにいる保証はない。
その次も同じだ。
以前の自分なら。
そこで終わった。
未確定。
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど。
今、ほんの一瞬だけ思った。
明日も。
ここにいられれば。
悪くはない。
それだけだった。
生きたい。
そんな言葉には、まだ遠い。
未来に希望を持ったわけでもない。
自分の命に特別な価値を見出したわけでもない。
これから来る戦いで、何が必要になるかも分からない。
ただ。
今日の続きを、自分から拒む気にはならなかった。
本当に、その程度の変化だった。
けれど。
少し前までの金木零無なら、恐らくそこにさえ自分自身を数えていなかった。
「金木」
爆豪の声。
零無が顔を上げる。
「何だ」
「余所見すんな」
「していない」
「してんだろ」
「証拠は?」
「今ぶっ飛ばした」
画面を見る。
また、自分のキャラクターが倒れていた。
「……なるほど」
「三回目だぞ!」
上鳴が叫ぶ。
零無は少しだけ笑った。
「なら、もう一度だ」
再戦を選ぶ。
爆豪も、すぐに選択する。
「上等」
ゲームはまだ終わらない。
零無も、コントローラーを置かなかった。
今は。
それでよかった。