「正しい答え」 作:はい
数日後。
雄英高校、校長室。
窓の外は、もう暗くなり始めていた。
根津の机を挟み、相澤、ミッドナイト、オールマイト、プレゼント・マイク。それに数名の教師が席に着いている。
相澤は数日前に退院し、既に雄英へ戻っていた。義足での生活にもまだ完全に慣れたわけではなく、負傷の影響も残っている。それでも、担任として校内で仕事をする程度には回復していた。
ミッドナイトも怪我はまだ治りきっていない。以前より長く歩けるようにはなったが、こうして会議に出るだけでも身体への負担は残る。
普段なら職員会議に近い顔触れだった。
だが、今日の机上にある資料は、一人分だけだった。
金木零無。
雄英高校ヒーロー科一年A組。
AFOとの継続的接触。
校内情報の漏洩。
敵側への協力。
その結果として生じた危険。
一方で、AFOが葉隠透を脅迫対象として利用していたことを示す断片的な記録。
本人の供述。
復元された通信記録。
教師陣の観察。
クラスメイトから得られた証言。
そして、本人が話すことを了承した範囲に限ってまとめられた、幼少期から現在までの支援記録。
生みの母。
育ての母。
父親。
三人の親。
ただし、そこに書かれていることが彼らの人生の全てではない。
特に父親について教師陣が把握しているのは、かつて精神科医だったこと。零無の生みの母を患者として診ていたこと。治療関係が終わった後も交流が続き、やがて交際し、結婚したこと。そして妻を失った後にヴィランとなり、多数の犯罪へ関与して死亡したという事実と、零無自身が語った範囲だけだ。
根津は最後の頁まで目を通すと、資料を閉じた。
「さて」
小さな前足が、紙の束の上に置かれる。
「学校として金木君の処遇を判断するための材料は、概ね揃ったと見ていいだろうね」
相澤が腕を組んだまま答える。
「金木本人についてはな。AFO側の事情はまだ掘れる」
「うん。そちらは警察と並行して調査を続けるよ。ただし今日の議題はAFOではない」
根津は全員を見る。
「金木零無だ」
ミッドナイトが椅子へ身体を預ける。
「零無の処遇?」
「それも含むよ」
根津は穏やかに笑った。
「より正確には――我々が彼を、何として扱うのか、かな」
プレゼント・マイクが眉を上げた。
「何としてって?」
「雄英の生徒」
根津は一つ。
「AFOへ情報を渡した加害者」
二つ。
「葉隠君を利用した脅迫によって行動を強制された被害者」
三つ。
そして。
「脅迫下にありながら、その中で自分自身の思想と判断によって選択した部分もある人間」
四つ。
根津は首を傾げる。
「どれだと思う?」
相澤が即答した。
「全部だ」
「僕もそう思う」
オールマイトが重く息を吐く。
「しかし、それを同時に扱うのは……簡単ではありませんな」
「簡単だったら、こんな人数集めてねぇよ」
相澤の答えは素っ気ない。
ミッドナイトが僅かに笑った。
「そもそも、零無を一つの言葉で片付けようとする方が無理よ」
「昔から?」
マイクが聞く。
「昔から」
迷いのない答えだった。
何人かがミッドナイトを見る。
根津は、その視線が集まるのを待ってから尋ねた。
「ミッドナイト」
「はい」
「君は、この中では最も早い時期から金木君を知っている」
「ええ」
「小学校高学年の頃からだね」
「そうね」
「では聞こう」
根津の声音から、僅かに柔らかさが消えた。
「彼の過去を、今回の処遇にどの程度反映すべきだと思う?」
ミッドナイトはすぐには答えなかった。
「どういう意味で?」
「例えば」
根津は資料の一部へ触れる。
「処分を軽くする事情として」
ミッドナイトは少し考えた。
「事情として見るのは当然だと思う」
オールマイトが僅かに目を上げる。
「ただ」
ミッドナイトは資料を見る。
「免罪符にはしない方がいいわ」
そこに書かれている文字よりも、自分が実際に見たものの方を覚えている。
最初にあの家へ入った時の、妙に片付いた室内。
整理された薬。
洗われた食器。
必要最低限の食料。
子供が暮らしていたというより、子供が暮らしそのものを止めないよう維持していた家。
それから、母親が亡くなった日。
救急隊が到着した少し後に駆けつけた時、泣くより先に、自分はこれからどうすればいいのかを考えていた少年。
「生みの母親は、生まれ持った個性によって、普通に生きること自体が難しかった」
一つ。
「育ての母親は精神的に不安定で、零無は子供の頃から自分と母親の生活を維持する側に回っていた」
二つ。
「父親は社会に強い疑問を持ち、最後にはヴィランになった」
三つ。
「そんな家庭で育った子が、社会は自分達を必ず助けてくれる、時間をかければきっと良くなる、なんて簡単に信じられなかった」
一度、息を吐く。
「分かりやすいでしょう?」
誰も答えない。
「だから危ないのよ」
相澤が僅かに目を動かした。
「全部」
ミッドナイトは続ける。
「零無が今の零無になった理由として説明出来ちゃうの」
『いつか良くなる』では納得出来ない理由。
被害者と加害者を単純に二分しない理由。
愛していることと傷つけることが両立すると、あまりにも自然に理解している理由。
他人が苦しむことは問題にするのに、自分が耐えられる苦痛は問題として数えない理由。
「でも」
ミッドナイトは顔を上げた。
「理由が分かることと、許されることは別よ」
根津が頷く。
「同感だ」
「過去が悲惨だった。だから情報を流したことを軽くしましょう。あの子には事情があったから仕方ない」
口元が僅かに歪む。
「そんな話にしたら駄目」
相澤が短く言う。
「本人が一番嫌がる」
「でしょうね」
オールマイトが少し考える。
「自分の責任を、過去によって減らされたと考えるからか?」
「それもある」
ミッドナイトが答える。
「でも、多分もっと単純よ」
「単純?」
「事実じゃなくなるから」
マイクが眉を寄せる。
「どういうことだ?」
「脅された」
ミッドナイトが指を一つ折る。
「でも、自分でも選んだ」
もう一つ。
「社会を信用していなかった」
もう一つ。
「でも、クラスメイトは大切だった」
もう一つ。
「AFOを信用していなかった」
さらに。
「でも利用した。利用もされた」
手を下ろす。
「全部、本当なのよ」
室内が静かになる。
「被害者だったから加害者ではない、にもならない。裏切ったから友人じゃなかった、にもならない。思想があったから脅迫は関係ない、にもならない」
少しだけ苦笑した。
「どれか一つにすると、零無にとっては不正確なの」
根津が目を細める。
「実に面倒だね」
「今更だ」
相澤が即答する。
「今更ね」
ミッドナイトも続く。
マイクが二人を見る。
「息合ってんな、お前ら」
「一緒にするな」
「嫌よ」
「何で俺まで嫌がられてる」
ほんの少しだけ空気が緩んだ。
根津は小さく笑ってから、次の資料を手元へ寄せる。
「では、教育機関としての話へ移ろう」
空気が戻った。
「退学」
一つ。
「一定期間の停学」
二つ。
「在籍は認めた上で、授業や実技への参加を長期的に制限する」
三つ。
「あるいは、現在の監視下で在籍を継続させ、段階的に通常の学校生活へ戻す」
四つ。
「その場合にも、通常授業、実技、校外活動、通信、資格取得など、個別に制限することが出来る」
オールマイトが尋ねた。
「校長は、どれを?」
「その前に」
根津は相澤を見る。
「担任へ聞こう」
相澤も見る。
「何だ」
「金木零無を」
根津の声が僅かに固くなる。
「雄英へ残すべきだと思うかい?」
数秒。
相澤は黙った。
迷っているというより、何を言葉にする必要があるか選んでいるようだった。
「残す」
短い。
ミッドナイトもオールマイトも、相澤を見る。
根津だけは特に驚かなかった。
「理由は?」
「生徒だからだ」
「担任としては?」
「十分だ」
「制度上は足りないね」
「面倒臭ぇな」
「君の生徒ほどではないよ」
「否定出来ないのが腹立つな」
相澤は小さく息を吐いた。
「なら追加する」
腕を組み直す。
「退学させることが、責任を取らせることになるとは思ってない」
誰も口を挟まない。
「雄英から外へ出して、『もう学校の生徒じゃありません』『あとは警察と本人の問題です』で終わらせる」
一拍。
「一番簡単だ」
根津が頷く。
「そうだね」
「だが」
相澤は続ける。
「今の金木にそれをやれば、どう受け取る」
ミッドナイトが答えた。
「当然の結果」
「ああ」
「裏切ったんだから、学校を失って当然。友達を失って当然。将来を失って当然」
「そうだ」
「……それで」
ミッドナイトの表情が少し硬くなる。
「自分から全部捨てる」
「そうなる可能性が高い」
オールマイトが眉を寄せた。
「処罰を恐れない、という意味か?」
「少し違う」
相澤は言った。
「罰を受けたいわけじゃない」
「では?」
「自分を減らすことに抵抗が薄い」
沈黙。
「学校を失う。友人を失う。ヒーローになる将来を失う。自分の人生そのものを狭くする」
相澤の声は変わらない。
「それが責任を取るために必要だと判断すれば、あいつは受け入れる」
マイクが顔をしかめた。
「それ、反省とは違ぇな」
「だから言ってる」
「罰を重くすれば?」
「重くした分だけ受け取る」
「それで変わるか?」
「保証はない」
「じゃあ何のための罰だよ」
「そこだ」
相澤は机上の資料へ初めて目を落とした。
「責任を取らせることと、自分を壊させることは別だ」
根津の目が細くなる。
「重要な区別だね」
「あいつはそこを混同する」
ミッドナイトが小さく訂正した。
「混同するというより」
相澤が見る。
「何だ」
「分かってて、同じ計算に入れるのよ」
「……ああ」
相澤は否定しなかった。
「そっちの方が正確だな」
自分の生命。
自分の将来。
自分の人間関係。
それらも損失としては認識する。
ただ、他人の生命や安全と比較した時、自分だけが異常なほど軽い。
「だから残す」
相澤は言った。
「ここにいれば、勝手に全部終わらせられない」
「どういう意味かな」
「毎日クラスメイトと顔を合わせる」
相澤は淡々と並べる。
「裏切った相手と話す。怒られる。許されないこともある。信頼が戻らないこともある。それでも飯を食う。授業を受ける。試験を受ける。明日の予定を立てる」
一拍。
「自分が壊したものが、どうなっていくのかを見る」
その声が僅かに低くなる。
「責任を取らせるなら、生きてここにいさせる」
「……」
「自分だけ途中でいなくなることを、責任と呼ばせない」
ミッドナイトが僅かに笑った。
「厳しいわね」
「優しくしてるつもりはない」
「知ってる」
「お前も同じこと考えてる顔だろ」
「ええ」
迷いはなかった。
根津が彼女を見る。
「では、ミッドナイト」
「はい」
「君は?」
「残してほしい」
即答だった。
「個人的感情も含む?」
「当然」
そこも隠さない。
「私は零無を助けた」
一度。
「生きていてほしい」
もう一度。
「学校から追い出されて、『これで僕が失うべきものは全部失いました』なんて勝手に処理されるのも嫌」
少しだけ笑う。
「昔から、そういうところがある子だから」
根津は何も言わず続きを促した。
「でも、それだけじゃない」
ミッドナイトは椅子へ座り直す。
「零無は、この学校に残った方が苦しいと思う」
マイクが思わず顔をしかめる。
「それ、残す理由として言っていいのか?」
「いいわよ」
「怖ぇよ」
「何が?」
「何でもねぇ」
ミッドナイトは続ける。
「毎日、裏切った相手と顔を合わせる。許されてないことを知る。怒っている子もいる。それでも、ご飯を食べる」
一拍。
「授業を受ける。笑うことだってあるかもしれない。次の日の予定を立てる」
そして。
「生きる」
静かだった。
「死んで終わり。消えて終わり。退学して終わり。全部失って、『これで支払いは終わりました』」
ミッドナイトは苦く笑った。
「そっちの方が、あの子には簡単よ」
相澤が僅かに彼女を見る。
「だから」
ミッドナイトは言った。
「終わらせない」
根津が静かに笑った。
「君達は、本当によく似た結論へ到達するね」
「一緒にするな」
「私も嫌」
「だから何で俺まで嫌がられる」
「日頃の行い」
「お前には言われたくない」
マイクがとうとう吹き出した。
オールマイトも口元だけを緩める。
根津はしばらく二人を眺めてから、表情を戻した。
「では、最大の問題へ行こう」
笑いが消える。
「再び、同じことをする可能性だ」
誰も軽く扱わなかった。
「金木君は、社会に対する考えそのものを撤回していない」
相澤が答える。
「してない」
「本人も明言しているね」
「ああ」
「裏切ったことへの評価と、社会への評価は別の問題だ、と」
「その通りだ」
「実に彼らしい」
「面倒だがな」
根津は首を傾げた。
「でも」
「……」
「僕は、それ自体を処分理由にするべきだとは思わない」
マイクが眉を上げる。
「言い切るなぁ」
「当然だよ」
根津は平然としている。
「ヒーロー社会に問題があると思う。現在の制度では救われない人間がいると思う。社会が一度大きく壊れたことで、従来なら起こらなかった変化が進んだと評価する。場合によっては、漸進的改革より大きな崩壊の方が変化を早めると考える」
一拍。
「考えるだけなら思想だ」
相澤が小さく頷く。
「本人にも言った」
「学校が正しい思想を定めて」
根津は続ける。
「それに反する考えを持った生徒を排除するなら」
目が僅かに鋭くなる。
「それこそ、金木君が批判している社会に近付く」
「思想だけで退学にはしない」
相澤が言った。
「考えるのは勝手だ。実行した分は責任を取れ」
根津が笑った。
「まったく同感だよ」
「嬉しくない」
「何故?」
「また議論する羽目になる」
「教育熱心だね」
「違う」
「ただし」
根津の声が変わる。
「行動は別だ」
静かになる。
「情報を流す」
一つ。
「他者を危険に晒す」
二つ。
「AFOへ協力する」
三つ。
「他者の意思を無視し、本人に選択させず、自分だけで結果を決める」
四つ。
そこで、ミッドナイトと相澤の視線が僅かに動いた。
二人とも、最近本人へほとんど同じことを言ったばかりだった。
「そこには明確に線を引く」
オールマイトが頷く。
「思想の自由と、行動への責任」
「ああ」
根津は言う。
「そこを分けることが、彼にとっても最も公平だろう」
ミッドナイトが尋ねた。
「具体的な制限は?」
根津は一枚の資料を取り出した。
「現在行っている制限は、当面継続する」
「外部通信」
「継続」
「行動範囲」
「同じく。通常授業への復帰は段階的に判断する。実技は教師監督下。AFO関連情報については警察及び教師陣への全面協力を義務とする」
「校外活動は?」
「停止」
「監視は?」
「継続」
「無断外出」
「認めない」
相澤が頷く。
「妥当だ」
「そして」
根津は次の紙へ移る。
「クラスメイトとの接触についても、現在の方針を継続する。本人達の意思を確認しながら、学校側から一律には切り離さない」
マイクが眉を上げた。
「葉隠も?」
「もちろん」
「いや」
マイクは少し身体を起こす。
「一番直接的に脅迫材料にされた子だぞ」
「分かっているよ」
根津は穏やかに答えた。
「だからこそ、本人への意思確認を外すことは出来ない」
「……ああ」
マイクが少しだけ考える。
「会いたくないなら会わせない。距離を置きたいならそれを尊重する。会いたいなら、安全管理を続けた上でその意思も尊重する」
相澤が頷いた。
「それでいい」
ミッドナイトが少し笑う。
「零無本人にも耳の痛い話ね」
「かなりな」
「透ちゃんの気持ちまで、自分一人で決めた結果が今なんだもの」
根津の耳が僅かに動く。
「そういえば、葉隠君との間では何か約束したそうだね」
相澤が答える。
「ああ」
マイクが二人を見比べる。
「何だ?」
「葉隠本人の意思を無視して、自分一人で決めない」
ミッドナイトが補足する。
「透ちゃんを守るためだからって、透ちゃんがどう思うかまで零無が勝手に決めない。それについては約束したそうよ」
根津の目が僅かに細くなる。
「彼が?」
「ええ」
ミッドナイトは少し笑う。
「かなり押されたみたいだけど」
「相談することについては別だ」
相澤が続ける。
「誰かに話すことも、最初から選択肢から外さないように努力する、だ」
「自分が生き残る方法についてもね」
ミッドナイトが言う。
「最初から除外しないように考える。でも、無条件には約束出来ない」
マイクが少し黙った。
「……あいつらしいな」
「だから大きく評価しすぎるな」
相澤がすぐに釘を刺した。
「次も絶対に相談するとは言ってない」
「そうね」
ミッドナイトもそこは同意する。
「危険なら黙る可能性はまだある。自分が正しいと思えば、最後には自分の判断を優先する可能性だってある」
「でも」
根津が言う。
「他者の意思を、最初から無視していいものではなくした」
「そういうことだ」
「それだけでも」
根津は少し考える。
「判断式は変わる」
ミッドナイトは、そこで少しだけ黙った。
そして。
「もう一つあるわ」
相澤が見る。
「何だ」
「私が本人と話した時」
少し迷った。
零無との会話の全てを話すつもりはない。
母親が死んだ朝の細部も。
「先生に救われたことを後悔していません」という言葉も。
「あの日、僕を見つけてくれて、ありがとうございました」も。
ここで共有する必要はない。
けれど、処遇を決める教師達が知っておいた方がいいことはある。
「零無に、自分自身も救う側の計算へ入れなさいって言ったの」
誰も口を挟まない。
「もちろん反論されたわ」
「だろうな」
相澤が言う。
「かなりね」
「で?」
「最後に」
ミッドナイトは、零無の言葉をなるべくそのまま伝えた。
「『僕自身を救える可能性も、最初から除外しない』」
静かになった。
マイクが数秒して。
「……それ」
「ええ」
ミッドナイトは頷く。
「零無にしては、かなり大きい」
相澤も否定しなかった。
ただ。
「約束じゃない」
「分かってる」
「自分を必ず優先するとも言ってない」
「分かってるって」
「状況によっては自己犠牲を選ぶ余地を残してる」
「消太」
「何だ」
「私だって浮かれてないわよ」
「ならいい」
「腹立つわね」
根津が小さく笑った。
「でも」
全員を見る。
「重要な変化だよ」
笑みを消す。
「これまで彼は、自分の生命や将来を計算していなかったわけではない」
相澤が頷く。
「そこは誤解しない方がいい」
「そう」
根津は続ける。
「計算した上で、極端に低く評価していた」
自分が傷つく。
他人が傷つく。
自分が死ぬ。
大切な誰かが死ぬ。
その比較で、自分だけがいつも異様に軽い。
「そこへ」
根津は言う。
「『自分が救われる可能性も、最初から除外しない』という条件が一つ加わった」
オールマイトが静かに頷く。
「結果が変わる可能性はある」
「そうだね」
少しして。
オールマイトが口を開いた。
「論理だけでは」
全員が見る。
「ないのかもしれない」
相澤が眉を寄せる。
「どういう意味だ」
「彼は論理を重視する」
「……」
「だが、今回の行動全てが論理から始まったわけではない」
オールマイトは言葉を選ぶ。
「葉隠少女を守りたかった」
一つ。
「ミッドナイトを死なせたくなかった」
ミッドナイトが僅かに目を動かす。
「救われなかった母親達のことを、単なる過去として切り捨てられない」
そして。
「父親についても、単なる一人のヴィランとして片付けてはいない」
相澤は黙って聞く。
「彼は」
オールマイトは続ける。
「人を大切に思うからこそ、極端な選択をすることがある」
根津が尋ねる。
「つまり?」
「なら」
オールマイトは少し考え。
「彼を止めるものも、人なのではないか」
沈黙。
ミッドナイトが最初に笑った。
「本人に言ったら嫌がるでしょうね」
「間違いなく」
相澤が即答した。
「『人間の感情に依存した安全保障は再現性に欠けます』」
ミッドナイトが吹き出す。
「言う」
マイクも頷く。
「言うわ」
根津は楽しそうに耳を動かす。
「でも、現に彼の判断へ影響を与えているものは何だろうね」
誰も否定しない。
根津は、そこで別の束へ視線を移した。
「次に、彼の家庭環境について」
空気が少し変わった。
「生みの母親」
「……」
「育ての母親」
「……」
「父親」
ミッドナイトが目を伏せる。
「我々が把握しているのは、本人が話した範囲と、支援記録等から確認出来る範囲に限られる」
オールマイトが資料を見る。
父親についての欄。
精神科医だった男。
患者だった女性。
治療。
交際。
結婚。
妻の死。
そして、ヴィラン。
「特に父親について」
根津が続ける。
「金木君の思想との連続性は無視出来ない」
相澤が答える。
「似てる部分はある」
「ただし」
ミッドナイトがすぐに言った。
「同じじゃない」
「もちろんだ」
根津も即座に認める。
「金木君は、父親の犯罪を擁護していない」
「してないな」
「それどころか、明確に間違いだったと評価している」
「ああ」
「それでも」
根津は少し目を細めた。
「父親が犯罪者だったことを理由に、父親が見ていた社会問題まで誤りだったことにはしない」
相澤が低く言う。
「父親が間違えたことと、自分が間違っているかは別の命題」
「そう」
「だから」
ミッドナイトが息を吐く。
「『お父さんと同じになるわよ』じゃ止まらない」
「恐らくね」
「分かっています、で終わる」
「その後に」
根津が少し笑う。
「『それは僕の主張への反論になっていません』くらいは付くだろう」
マイクが頭を抱えた。
「めんどくせぇ……」
「今更よ」
「今更だ」
相澤とミッドナイトの声が重なった。
「だから息合ってんだよ!」
二人が同時にマイクを見る。
「何だよ!」
根津はしばらくその様子を眺めてから、資料を閉じた。
オールマイトだけが、父親についての頁へもう一度視線を落とした。
妻を失ったことが、その男にとって大きな転機だった。
そこまでは、もう知っている。
だが。
人を救う側にいた精神科医が、その喪失の後に何を考え、どうして自分の知るヴィランへ変わっていったのか。
そこまでは、まだ知らない。
自分が知っているのは、その後の男だ。
多くの人間を傷つけたヴィラン。
自分が止めるべきだった敵。
オールマイトは何も言わなかった。
根津が最後の資料を手元へ引き寄せる。
「では」
全員の視線が戻る。
「方針をまとめよう」
静かになる。
「金木零無は」
一拍。
「無罪ではない」
誰も動かない。
「AFOによって脅迫されていた」
「……」
「葉隠君を人質として利用された」
「……」
「幼少期から、社会を無条件に信用出来なくなるだけの経験を重ねてきた」
「……」
「それらは全て、彼を理解するために必要な事実だ」
しかし。
「彼自身が選択した行動も存在する」
根津の声が少し強くなる。
「被害者であることは、加害行為を消さない」
相澤が頷く。
「逆もだ」
根津が相澤を見る。
「もちろん」
すぐに続ける。
「加害者であることは、被害を受けた事実を消さない」
ミッドナイトの表情が僅かに緩む。
「過去に救われなかったことも」
「……」
「過去に誰かを傷つけたことも」
「……」
「今後、教育を受ける価値がないという結論には直結しない」
一枚。
資料を閉じる。
「思想を持つ自由」
「……」
「友人との関係を、自分達で決める機会」
「……」
「将来について考える機会」
「……」
「そして」
少し間を置く。
「生き直す可能性」
根津は全員を見る。
「それらを、我々が直ちに奪う理由にはならない」
相澤が言う。
「責任は取らせる」
「ああ」
「甘くする必要もない」
「もちろん」
「ただ」
相澤の目が鋭くなる。
「自分を壊すことを責任だと言い出したら止める」
根津は頷いた。
そして。
言葉にする。
「自己破壊を、責任と呼ばせない」
ミッドナイトが目を細めた。
オールマイトも、静かに頷いた。
「それでいい」
相澤が言う。
「そして」
根津は続ける。
「我々も、金木君の問いから逃げない」
オールマイトが顔を上げる。
「彼がクラスへ問いかけた」
『いつまでに?』
「社会を変える」
「……」
「制度を整える」
「……」
「今度は見落とさないようにする」
「……」
「その言葉が実現するまでに、零れる人間をどうするのか」
誰も口を挟まない。
「既に死んだ人間に、『これから良くなる』という言葉が届かないことを、どう受け止めるのか」
ミッドナイトが僅かに視線を落とした。
零無の母親達。
もう、どれだけ社会が良くなっても助けることは出来ない。
「簡単な答えはない」
根津は言った。
「だからといって」
その目が、教師達を一人ずつ見る。
「『裏切り者が言ったことだから』と捨てるのは簡単だ」
一拍。
「簡単すぎる」
オールマイトの拳が僅かに握られる。
「理解することと、肯定することは別だ」
相澤が言う。
「ああ」
根津が頷く。
「理解しようとすることと、許すことも別だ」
オールマイトの目が僅かに動いた。
「彼を教育するなら」
根津は笑う。
「我々の方も、彼が突きつけてきた問題を考える必要がある」
相澤が眉を寄せた。
「言い方に気を付けろ」
「何故?」
「本人が聞いたら面倒になる」
ミッドナイトが笑う。
「『つまり校長も、僕の問題提起には一定の妥当性があると認めたということですね』」
マイクが吹き出した。
「言う!」
相澤が真顔で頷く。
「絶対言う」
オールマイトまで苦笑した。
根津だけが楽しそうだった。
「なら、『問題提起の妥当性と結論の妥当性は別だよ』と返せばいい」
相澤が即答する。
「お前がやれ」
「担任の仕事だよ」
「校長舐めんな」
「それは僕が言う側じゃないかい?」
「知るか」
また、ほんの少しだけ笑いが起きる。
それが収まるのを待って、根津は資料を閉じた。
今度こそ、結論だった。
「金木零無」
一度。
「在籍継続」
相澤は黙って聞く。
「監視及び現在の各種制限は継続」
「……」
「通常授業への復帰は段階的に判断」
「……」
「実技、校外活動、外部通信は当面制限」
「……」
「AFO関連捜査への全面協力を義務付ける」
「……」
「学校内での具体的処分については、警察側との調整を踏まえて別途決定する」
根津は全員を見る。
「クラスメイトとの関係については、双方の意思を確認しながら、学校側から一律には切り離さない」
そして。
少しだけ笑った。
「その上で」
一拍。
「逃げずに、卒業まで面倒を見ようじゃないか」
相澤が椅子から立ち上がる。
まだ義足での動作には僅かな硬さが残っている。
それでも、病室の画面越しに生徒を見ていた頃とは違う。
今は、自分の足で学校へ戻っている。
「卒業出来ればな」
「厳しいね」
「担任だからな」
「便利ね、その言葉」
ミッドナイトもゆっくり立ち上がる。
机へ手をついた。
一瞬だけ身体が揺れる。
相澤が何も言わず、半歩だけそちらへ寄った。
ミッドナイトは気付いた。
けれど、何も言わなかった。
拒みもしない。
その視線が、机上に残った一枚の資料へ落ちる。
金木零無。
幼い頃。
何を聞いても。
『僕のことは大丈夫です』
そう答えた子供。
母親が亡くなった日。
救急隊の後から駆けつけた自分の前でも、泣くより先に次に何をすればいいのかを考えていた少年。
助けた。
少なくとも、自分はそう思っていた。
けれど、大きくなったその子は、自分より遥かに面倒な理屈を並べ、社会を疑い、仲間を裏切り、人を守るためなら自分だけを平気で差し出そうとした。
森の中では、自分を助けるために本当に死にかけた。
それを。
『借りがありますので』
などと呼んだ。
だから、言った。
命で返すような恩を売った覚えはない。
そして、ほんの数日前。
ようやく。
『僕自身を救える可能性も、最初から除外しない』
そこまで言わせた。
約束ではない。
決意ですらないかもしれない。
条件付き。
留保付き。
いつもの零無らしい、僅かな譲歩。
それでも、昔のあの子なら言わなかった。
ミッドナイトは、ほとんど独り言のように呟いた。
「……ちゃんと生きて卒業しなさいよ、零無」
相澤だけが聞いた。
「そのために残すんだろ」
ミッドナイトは相澤を見る。
少しだけ笑った。
「ええ」
一度、資料から目を離す。
「今度は」
小さく。
けれど、はっきりと。
「学校全体でね」
相澤は何も返さなかった。
ただ、否定もしなかった。
校長室の机の上には、まだ金木零無の罪を示す記録がある。
情報を渡した。
仲間を危険に晒した。
選択を誤った。
その隣には、脅迫された記録。
葉隠透を守ろうとしていた痕跡。
幼少期の支援記録。
教師による観察。
クラスメイト達の意思確認。
どれも、同じ人間について書かれている。
一つだけ選べば、簡単だった。
裏切り者。
被害者。
思想を持つ危険人物。
家庭環境に問題を抱えて育った子供。
問題児。
友人。
生徒。
どれか一つにしてしまえば、判断は楽になる。
けれど、それでは金木零無という一人の人間を扱ったことにはならない。
だから、雄英がその日選んだのは全部だった。
罪を消さない。
受けた被害も消さない。
過去を免罪符にしない。
思想を奪わない。
行動には責任を取らせる。
友人関係を学校が勝手に決めない。
彼が社会へ向けた問いも、裏切り者の言葉だからという理由だけで捨てない。
そして何より、責任という計算の中から、金木零無自身の人生だけを勝手に差し引かせない。
自分を壊すことを、償いとは呼ばせない。
生きて。
怒られて。
考えて。
反論して。
時には認めて。
許されないものを抱えたまま。
それでも次の日を迎える。
その機会を、学校の側から奪わない。
それが、教師達が出した金木零無への答えだった。