「正しい答え」 作:はい
麗日の声が届いた、あの日。
雄英の前で緑谷を拒んでいた人々は、すぐに全てを受け入れたわけではなかった。
それでも、麗日の言葉を聞いた。
緑谷を見た。
そして最後には、雨に濡れ、立っていることさえ辛そうな少年を雄英の中へ迎え入れた。
緑谷出久は、帰ってきた。
A組の皆も、ようやく彼を連れ戻すことが出来た。
その日の夜は騒がしかった。
風呂へ入れられ。
飯を食えと言われ。
寝ろと言われる。
以前なら当たり前だったやり取りが、今では随分久しぶりのものになっていた。
翌日になっても。
その次の日になっても。
A組の空気は、完全に以前と同じには戻らなかった。
当然だった。
戦争があった。
社会が壊れた。
学校は避難所になった。
大勢のヒーローが辞めた。
そして。
緑谷も変わった。
それでも。
飯田が注意し、上鳴が余計なことを言い、芦戸が笑い、爆豪が怒鳴る。
透も笑っていた。
緑谷も、その中にいた。
少しずつ。
本当に、少しずつ。
日常に似たものが戻り始めていた。
零無は、それを見ていた。
何かに参加するわけでもなく。
避けるわけでもない。
いつものように、その中にいた。
ただ。
考えていた。
麗日の言葉を。
あの言葉を聞いて、人々が緑谷を受け入れたことを。
一人で雄英を出た緑谷を、A組全員が追いかけたことを。
そして。
自分自身が、ずっと抱えてきた問いを。
数日後。
放課後。
緑谷が一人になったところで、零無は声をかけた。
「緑谷」
「ん?」
緑谷が振り返る。
「少しいいか」
「うん。どうしたの?」
「話がある」
緑谷は零無の顔を見る。
「ここじゃ駄目?」
「あまり他人に聞かせたい話じゃない」
「……分かった」
少しだけ不思議そうにしながらも、緑谷は頷いた。
「どこに行くの?」
「裏の山」
「山?」
「ああ」
「結構歩く?」
「大した距離じゃない」
「ならいいけど……」
緑谷は苦笑した。
「まだみんなに、あんまり無茶するなって言われてるから」
「それは聞いた方がいい」
「金木君まで言う?」
「どうせ聞かないだろう」
「……反省してます」
「なら結構」
そんな会話をして。
二人は並んで歩いた。
雄英の校舎を離れていく。
今の雄英は避難所でもある。
校舎だけでなく、その周辺も以前とは比べものにならないほど厳重に警戒されていた。
裏山も例外ではない。
学校の外周を、雄英に協力するプロヒーロー達が定期的に巡回している。
それでも。
零無は迷わず山へ向かった。
緑谷は何も知らない。
零無も、それ以上は何も言わなかった。
◇
裏山へ入ってしばらく歩いたところで、零無は立ち止まった。
校舎は木々の向こうに隠れている。
「ここでいい」
緑谷も止まった。
「それで、話って?」
零無は振り返った。
少しだけ間を置く。
「君は、今のこの世界を正しいと思うか?」
「……え?」
予想していなかった質問だったのだろう。
「急だね」
「そうか?」
「うん。かなり」
「なら悪かった」
「いや、いいけど……」
緑谷は少し考えた。
「正しい、か」
「難しく考えなくていい」
「……正しいとは思わない」
「何故?」
「今回のことで、色々見たから」
緑谷は答える。
「ヒーローがいなくなった街も見た。ヒーローを信用出来なくなった人達も見た。それに……ヒーローだけに全部任せてきたら、どうなるのかも」
「君自身も?」
「うん」
緑谷は少し俯いた。
「僕も、一人で全部やろうとした」
「そうだな」
「みんなが来てくれなかったら、多分……」
そこから先は言わなかった。
零無も聞かなかった。
「今までと同じに戻すだけじゃ、駄目なんだと思う」
「なら、変えられると思うか?」
「変えたい」
「聞いたのは、変えられるかだ」
「……そこは金木君らしいね」
「答えは?」
緑谷は少し考える。
「変えられると思う」
「壊さずに?」
緑谷が零無を見る。
「うん」
「何故?」
「壊したら、そのせいで傷付く人がいるから」
「少しずつ変えている間にも、傷付く人はいる」
「……うん」
「間に合わない人間もいる」
「いると思う」
「なら?」
「それでも、壊していいことにはならない」
零無は黙った。
緑谷は続ける。
「壊した方が早いのかもしれない。でも、その時に傷付く人を『仕方ない』って言うのは、僕は違うと思う」
「そうだな」
緑谷が少し驚いた。
「僕は、世界を壊せば正しくなるとは思っていない」
「じゃあ、どうしてそんなことを?」
「確認したかった」
「僕に?」
「ああ」
「どうして?」
零無はすぐには答えなかった。
「……壊れなければ、変われなかったのかと思ったことがある」
緑谷が黙る。
「今回、社会は壊れた。それまで当然だと思われていたものが、一気に疑われ始めた。ヒーローと市民の関係もそうだ」
「……うん」
「麗日の言葉も届いた」
「麗日さん?」
「あの言葉自体は、社会が壊れる前でも正しかったはずだ」
緑谷の表情が変わる。
「なのに、今になって届いた」
「……」
「僕は、それが嫌いだ」
静かな声だった。
「壊れてからでなければ間違いに気付けないなら、あまりにも遅い」
緑谷は、しばらく黙っていた。
「……だったら」
「何?」
「壊れる前に気付けるようにすればいい」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ」
緑谷は即座に返した。
「僕にも方法なんて分からない。でも、分からないからって、壊れるまで待つのは違う」
「間に合わなかったら?」
「次は間に合わせる」
「次も間に合わなかったら?」
緑谷は詰まった。
それでも。
「それでも、諦めない」
「随分都合がいいな」
「うん」
緑谷は認めた。
「でも、僕はそれでいいと思ってる」
零無は緑谷を見る。
「一人で無理なら、誰かに手伝ってもらえばいい。僕も……みんなに、それを教えてもらったから」
「……そうか」
「金木君もいるでしょ」
「僕?」
「うん」
緑谷は当然のように言った。
「A組なんだから」
零無は答えなかった。
緑谷が首を傾げる。
「金木君?」
「……いや」
ほんの僅かに視線を外す。
「十分だ」
「十分?」
「ああ」
零無は再び緑谷を見る。
「聞きたかったことは聞けた」
「待って。結局、何の話だったの?」
「もう一つある」
「何?」
「USJを覚えているか?」
緑谷の表情が変わる。
「……もちろん」
「林間合宿は?」
「忘れるわけないよ」
「そうだな」
「それがどうしたの?」
「敵が、どうして雄英の情報を知っていたと思う?」
緑谷の目が止まった。
「……え?」
「USJ。林間合宿。それ以外にも、AFOへ渡った情報がある」
「待って」
緑谷の声が低くなる。
「金木君、何を言ってるの?」
「分からない?」
「……分かりたくない」
零無は黙った。
緑谷が一歩近付く。
「何を知ってるの?」
「全部だ」
「どうして?」
「僕が渡したから」
緑谷が止まった。
「……何?」
零無は、その目を正面から見た。
迷わなかった。
言い淀みもしなかった。
「僕が、内通者だ」
緑谷の思考が止まった。
ほんの一瞬。
零無の背中から、赤黒い尾が飛び出した。
「――っ!」
緑谷は反射的に身体を捻った。
尾が腹部の横を通り過ぎ、背後の地面へ突き刺さる。
土が弾けた。
「金木君!」
尾が地面を薙ぐ。
緑谷が跳ぶ。
「待って!」
返答はない。
尾が追ってくる。
空中。
緑谷は身体を捻る。
先端が頬の横を掠めた。
着地。
同時に、零無が踏み込んでくる。
「何で!」
拳。
緑谷が受ける。
重い。
身体が後ろへ滑る。
「何で攻撃するんだ!」
「戦闘中だ、緑谷」
「そんなの分かってる!」
「なら集中しろ」
尾が来る。
横薙ぎ。
緑谷は屈む。
頭上を通過。
「集中出来るわけないだろ!」
「なら負ける」
尾が折り返してくる。
緑谷は腕で弾いた。
衝撃。
痛い。
だが。
知っている。
この個性は知っている。
何度も見てきた。
授業。
訓練。
実戦。
零無の背中から伸びる、赤黒い尾。
速い。
強い。
硬い。
形状も、ある程度変化する。
それでも。
見慣れている。
緑谷の呼吸が変わった。
動揺を切る。
今は止める。
全部聞くのは、その後だ。
零無の肩が動く。
来る。
右。
尾が突き出される。
緑谷は避ける。
次。
薙ぎ払い。
跳ぶ。
尾が追う。
「黒鞭!」
木の幹を掴み、身体を引く。
攻撃が空を切った。
――いける。
「金木君!」
「何?」
「僕はまだ、何も聞いてない!」
「聞いたところで、今は何も変わらない」
「変わるよ!」
尾が突き出される。
緑谷は身体を横へ。
避ける。
そのまま前へ。
「少なくとも僕は変わる!」
零無の目の前へ。
尾が戻ってくる。
分かっている。
緑谷は身体を沈めた。
頭上を通す。
もう一歩。
零無が後退する。
追う。
距離を取らせない。
尾は強力だ。
だが。
近距離で、自分自身を巻き込む軌道は取りづらい。
何度も見た。
知っている。
――緑谷は、そう思っていた。
だから。
懐へ。
「黒鞭!」
黒い鞭が右腕へ巻き付く。
一本。
左腕。
二本。
さらに胴体へ。
締める。
「捕まえた!」
緑谷が一気に拘束する。
「もうやめよう、金木君!」
零無は、自分の腕へ巻き付いた黒鞭を見た。
それから。
緑谷を見る。
「……やっぱり、そうするか」
「え?」
その瞬間だった。
緑谷の目の前で。
赤黒い尾の形が変わった。
「――え?」
見たことのない変化だった。
尾が。
崩れた。
違う。
組み替わっている。
一瞬で。
別の形へ。
何になったのか。
緑谷が理解するより先に。
赤黒いものが視界から消えた。
危機感知。
頭の奥で、警告が鳴り響く。
「――!」
遅い。
警告を認識した時には、もう。
腹部。
衝撃。
「がっ――!」
切られてはいない。
刺されてもいない。
鈍い。
巨大な何かで、腹部を真正面から殴り抜かれた。
まともに入った。
防御出来なかった。
肺の中の空気が、一瞬で押し出される。
足が地面から離れた。
「――ぁ……!」
身体が吹き飛ぶ。
地面へ叩き付けられた。
一度。
転がる。
止まる。
「……っ……!」
息が。
吸えない。
腹部が熱い。
遅れて、激痛が来る。
「……げほっ……!」
立とうとする。
腕に力を入れる。
上がらない。
足。
動かない。
黒鞭を出そうとする。
集中出来ない。
雄英へ戻ってから数日。
食事もした。
眠った。
それでも、一人で戦い続けて削れた身体は、まだ完全には戻っていない。
だとしても。
今の一撃は。
それだけでは説明出来ない。
何が起きた。
今のは。
尾じゃない。
いや。
尾だったものが。
「……何、今の……」
掠れた声しか出なかった。
足音が聞こえる。
零無が近付いてくる。
緑谷は顔だけを上げた。
「……金木、君……」
零無が目の前まで来る。
止まった。
緑谷は動けない。
今なら。
何でも出来る。
もう一撃。
それだけで、意識を奪える。
それ以上だって。
だが。
零無は何もしなかった。
緑谷を見下ろしているだけだった。
「……どう、して……」
零無は答えない。
遠くから声がした。
「緑谷!」
零無がそちらを見る。
木々の向こうから、複数の人影が現れる。
雄英の周辺警備に当たっていたプロヒーロー達だった。
「動くな!」
零無は動かなかった。
逃げない。
個性も使わない。
ヒーロー達が一気に距離を詰める。
腕を取る。
背中へ回す。
拘束具が掛けられる。
抵抗しなかった。
緑谷は地面に倒れたまま、それを見ていた。
連れていかれる。
行ってしまう。
聞かなければ。
何とか息を吸う。
「……金木、君……」
零無が足を止めた。
僅かに振り返る。
「……どうして……自分から……」
腹部が痛む。
声が続かない。
それでも。
緑谷は絞り出した。
「僕に……言ったの……?」
零無は緑谷を見た。
そして。
一言だけ。
「君達なら、分かると思った」
前を向く。
それ以上は何も言わなかった。
プロヒーロー達に連れられ、木々の向こうへ消えていく。
緑谷は動けないまま、その背中を見送った。
――君達なら、分かると思った。
何を。
何故、自分達なのか。
何故、内通者であることを自分から明かしたのか。
何故、自分を殺さなかったのか。
何故、逃げなかったのか。
何故。
自分を拘束した時、あんな言葉を口にしたのか。
何一つ、分からない。
ただ。
零無は見つかったのではない。
追い詰められたのでもない。
自分から名乗った。
そして。
自分から、捕まった。
その事実だけが残った。