正しい答え 作:はい
決戦の日。
指定された時刻まで、あと十分。
零無は車両の後部座席で、支給された通信端末を確認していた。
表示されているのは、自分が担当する部隊の情報だけだった。戦場全体の配置図ではない。最後の作戦会議でも説明された通り、零無に渡される情報は必要最低限に制限されている。
「……問題ありません」
確認を終え、端末を膝の上に置いた。
隣の隊員が顔を向ける。
「何か気になることでも?」
「いえ。通信が正常に繋がるか確認していただけです」
「そうか」
車内には、他にも数名のヒーローが乗っていた。
零無と同じく、主戦力が交戦している間は後方で待機することになっている者達だ。敵の撃破ではなく、負傷者の救出や搬送、撤退経路の確保を担当する。
そのため、車両には救急資材が積み込まれていた。
止血帯。
包帯。
担架。
酸素ボンベ。
零無はそれらの位置を、もう一度確認する。
前回と変わっていない。
「……落ち着いているな」
隣のヒーローが言った。
零無は顔を上げる。
「そう見えますか?」
「ああ。これから戦争が始まるっていうのに」
「落ち着いていなければ困るでしょう」
零無は答えた。
「僕の仕事は負傷者を助けることです。慌てて手順を間違えるわけにはいきません」
「……それもそうか」
ヒーローは小さく笑った。
零無は窓の外へ視線を移す。
以前は人の往来があったはずの道路も、今は車両が少なく、建物の窓には板が打ち付けられていた。
戦争が終われば、元に戻るのだろうか。
……いや。
今考えることではないな。
零無は背もたれへ身体を預けた。
『各部隊、最終確認』
通信が入った。
『予定地点への移動を開始してください』
車内の空気が変わる。
隊員達が装備を確かめ、それぞれの端末へ短く返答した。
零無も通信を開く。
「金木零無。準備完了しています」
『了解。指示があるまで待機』
「承知しました」
通信を切る。
車両がゆっくりと動き出した。
◇
作戦の第一段階は、予定通りに進んでいた。
雄英を離れた緑谷の居場所について、敵側に情報を掴ませる。
その情報が罠である可能性を、AFOが考えないはずはない。だが、緑谷本人がそこにいることは事実だった。
そして、ワン・フォー・オールを手に入れるためには、いずれ接触する必要がある。
AFOがどう判断するか。
それだけは、こちらで決められなかった。
『……反応あり』
通信の向こうで声がした。
『対象地点、空間の異常を確認』
零無は目を開いた。
『敵、出現!』
続けて、複数の声が重なる。
『AFOを確認! 他にも複数!』
車両の中で、誰も口を開かなかった。
零無は端末を見る。
画面上の表示が切り替わる。
第一段階。
成功。
次の瞬間、通信が大きく鳴った。
『ヒーロー部隊、投入!』
物間がコピーしたワープゲートによって、待機していたヒーロー達が一斉に現れる。
敵が状況を把握するより先に、周囲の地面から巨大な構造物が立ち上がった。
仮設要塞、トロイア。
AFOを含む敵を、個別の区画へ閉じ込めるための装置だった。
『拘束開始!』
『転移先、準備完了!』
敵の攻撃によって、区画の一部が破壊される。
だが、長く閉じ込める必要はない。
必要なのは、転移するまでの僅かな時間だけだ。
『転移開始!』
黒い霧が、次々と開く。
ヒーロー。
ヴィラン。
それぞれが、異なる戦場へ送り出されていく。
零無は車内で、その報告を聞いていた。
『死柄木、雄英方面へ転移!』
『荼毘、神野へ!』
『トガヒミコ、奥渡島!』
そして。
『AFO、群訝への転移を確認!』
零無は、僅かに目を細めた。
予定通りだった。
ただし、全てが成功したわけではない。
『緑谷がいない!?』
通信の向こうで、切迫した声が響いた。
『確認しろ! 雄英に緑谷がいない!』
『奥渡島に緑谷出久を確認!』
「……」
零無は端末を見た。
奥渡島。
トガヒミコ。
緑谷出久。
……トガか。
転移の瞬間に何かがあったのだろう。
しかし、詳細を確認している時間はなかった。
『群訝方面の部隊、移動開始!』
零無の乗る車両が加速する。
『金木、聞こえるか』
ホークスだった。
「はい」
『こっちは予定通り。君達も配置について』
「承知しています」
『あと、言うまでもないと思うけど』
「何です?」
『勝手に前へ出ないでね』
零無は僅かに眉を寄せた。
「……僕を何だと思っているんです?」
『一応、確認した方がいい人』
「それなら、もう少し信用していただきたいものですが」
『信用してるから確認してるんだよ』
「意味が分かりませんね」
ホークスが笑った。
『まあ、よろしく』
「ええ。そちらもお気をつけて」
通信が切れる。
零無は車窓の向こうへ目を向けた。
目的地が近づいていた。
◇
群訝山荘跡。
そこは、かつて超常解放戦線の拠点が存在した場所だった。
山林の一部は大きく破壊され、地面には以前の戦闘で生じた傷跡が残っている。
その上空に、黒い霧が開いた。
現れたのは、生命維持装置を顔面に装着した男。
オール・フォー・ワン。
その周囲には、共に転移させられた敵達の姿もあった。
対するヒーロー側には、エンデヴァーとホークスがいる。
他にも複数のヒーローが配置されていたが、AFOと正面から交戦するのは、基本的に二人だけだった。
AFOには、他人の個性を奪う能力がある。
多数で取り囲めば、それだけ接触の機会を与えることになる。
そのため、エンデヴァーの火力とホークスの速度を利用し、接触を避けながら撃破する。
他のヒーローは周囲の敵への対応と、戦場の維持を担当する。
そして、零無の配置はさらに後方だった。
「……到着」
車両が停止する。
零無は他の隊員達と共に降り、指定された位置へ移動した。
上空には既に、赤い炎が見えている。
エンデヴァーだ。
少し離れた場所には、赤い羽を展開したホークスの姿もあった。
その二人の向こう。
黒い衣服を纏った男が、空中に浮いている。
「……」
零無は足を止めた。
生命維持装置。
全身を覆う黒い衣服。
そして、あの異様な威圧感。
見間違えるはずがない。
AFOだった。
直接顔を合わせるのは久しぶりだったが、随分と昔のことのように感じられた。
零無は数秒、その姿を見つめた。
AFOがこちらに気づいたかどうかは分からない。
少なくとも、今は零無を相手にしている暇などないはずだった。
「……金木!」
隊長に呼ばれ、零無は顔を向けた。
「はい」
「救護地点を確認しろ。負傷者が出たら、まずこちらへ運ぶ」
「分かりました」
零無は地図を確認する。
搬送経路。
退避場所。
予備の医療資材。
一通り確認し、端末を閉じた。
もう一度、空を見る。
……僕の出番がなければ、それが一番良い。
零無は小さく息を吐いた。
◇
戦闘が始まった。
最初に動いたのは、エンデヴァーだった。
上空へ噴き上がる炎。
それを迎え撃つように、AFOの周囲で空気が歪む。
複数の個性が同時に発動した。
衝撃波。
鋭い刃状の攻撃。
そして、周囲の地形を抉るほどの破壊力。
「……っ!」
後方のヒーロー達が身を低くする。
零無も地面へ片膝をついた。
頭上を抜けた衝撃が、背後の木々を薙ぎ倒した。
土砂が降り注ぐ。
「負傷者は!?」
「こちらは問題ない!」
「了解!」
零無は立ち上がり、再び上空を見た。
エンデヴァーは怯まない。
炎を推進力として距離を詰め、AFOの進路へ回り込む。
その僅かな隙を、ホークスが埋める。
赤い羽が飛ぶ。
AFOが回避する。
そこへ、再び炎。
……上手い。
エンデヴァーが攻め、ホークスが相手の移動を制限する。二人の役割が明確だった。
だが、AFOもそれを理解している。
あの男が真正面からの力比べだけで終わるとは思えなかった。
「……」
やがて、戦闘中の会話が通信に混ざり始めた。
断片的に聞こえてくるのは、轟家の話だった。
燈矢。
焦凍。
そして、エンデヴァーが過去に犯した過ち。
零無は小さく息を吐いた。
……やはりな。
AFOが相手の弱みを利用するのは、今に始まったことではない。
零無自身、何度も経験してきたことだった。
だが、エンデヴァーにとっては違う。
AFOは、燈矢の失踪に自分が関わっていたことまで持ち出した。
その瞬間。
エンデヴァーの動きが変わった。
ほんの僅かだった。
しかし、AFOにとっては十分だった。
「――!」
上空で、何かが膨れ上がる。
巨大な口のような構造。
次の瞬間、エンデヴァーの右脇腹を抉った。
「エンデヴァー!」
ホークスの叫び声が響いた。
炎が乱れ、エンデヴァーの身体が落下する。
零無の視線が動いた。
「……」
すぐに通信を開く。
「エンデヴァーの状態は?」
『呼吸あり! 致命傷ではない模様!』
「意識は?」
『確認中!』
零無は上空を見る。
エンデヴァーはまだ生きている。
だが、即座に戦闘へ復帰出来る状態ではなさそうだった。
ホークスが一人でAFOの攻撃を捌いている。
……まずいな。
二人で成立していた戦いだ。一人が抜ければ、当然負担は増える。
零無は足元の装備を確認した。
ここでホークスまで倒されれば、戦線が崩れる。
「……隊長」
零無が口を開こうとした、その時だった。
「――っ!」
空中へ、二つの影が飛び込んだ。
一つは、巨大な黒い鳥のような姿。
その上に、もう一人。
零無は目を細めた。
「……常闇?」
そして、彼の背に乗っている人物を見た。
「……耳郎?」
予想していなかった二人だった。
◇
常闇踏陰。
耳郎響香。
二人は、後方の援護要員として群訝へ配置されていた。
AFOとの戦闘へ直接参加する予定ではなかったが、エンデヴァーが負傷したことで状況が変わった。
ホークスの危機へ対応するため、常闇が黒影を展開し、耳郎と共に上空へ駆けつけたのだ。
「……何をしているんだ、あいつらは」
零無は思わず呟いた。
相手が悪すぎる。
常闇の黒影は強力だが、AFOとの実力差は大きい。耳郎の音響攻撃がどこまで通用するかも分からなかった。
零無は通信を開いた。
「常闇と耳郎が接敵しています。指示は?」
『ホークスの援護に入った! こちらからも撤退を促している!』
「……そうですか」
零無は上空を見る。
既に、AFOは二人の存在を認識していた。
そして、狙いを変えた。
零無は僅かに目を細める。
……耳郎か。
この場で最も脆い相手。
AFOなら、当然そう判断する。
「……耳郎」
零無が呟く。
上空では、ホークスが必死に二人を守ろうとしていた。
だが、AFOの攻撃は速い。
常闇と耳郎も、それを理解したようだった。
黒影が大きく展開される。
耳郎が音響装備を構える。
その瞬間。
AFOの腕が、異様な形へ変化した。
複数の個性を重ねた攻撃。
放たれた衝撃が、空気を引き裂く。
「――耳郎!」
零無は叫んだ。
届かない。
距離が離れすぎている。
ホークスの羽が、耳郎の身体を押し上げる。
致命傷を避けるための、ぎりぎりの援護だった。
だが、攻撃を全て防ぐことは出来なかった。
赤いものが、空中へ散った。
「……」
零無の呼吸が止まった。
耳郎の左側。
そこにあったはずのものが、失われていた。
イヤホンジャック。
左耳から伸びていた器官が、途中で断ち切られている。
「……っ」
零無は、無意識に一歩踏み出していた。
直後、通信が入る。
『金木! 待機を維持しろ!』
隊長の声だった。
零無は返事をしなかった。
上空から、目を離せなかった。
耳郎が血を流している。
常闇が彼女を支え、ホークスがAFOとの間へ割り込む。
零無は距離を確認した。
ここから全速力で移動したとしても、すぐには届かない。
それでも、身体が前へ出ようとする。
「……金木!」
再び声が響く。
零無は一度だけ目を閉じた。
それから、通信を開く。
「……聞こえています」
『待機を維持しろ』
「分かっています」
返答は短かった。
零無は踏み出した足を戻した。
だが、拳は強く握られたままだった。
◇
耳郎とは、文化祭の時に随分と話した。
最初は、彼女が困っていることに気づいたからだった。
演奏のこと。
準備のこと。
機材のこと。
零無に出来る範囲で、手伝った。
特別な理由はなかった。
彼女が困っていたから。
それだけだった。
文化祭が終わった後も、耳郎は時々零無へ声をかけてきた。
以前ほど遠慮することもなくなり、何かにつけてからかってくるようになった。
内通者だったことが発覚した後は、当然、関係が変わった。
怒られた。
責められた。
それは今も、何もなかったことにはなっていない。
だが、耳郎は零無との関係を切り捨てたわけではなかった。
寮で食事を作れば、以前と同じように話しかけてくる。
時には、彼の言動へ呆れたように笑うこともある。
そんな彼女が、今、目の前で傷ついている。
零無は上空を見た。
耳郎は、まだ立っていた。
痛みで身体が震えているのは、ここからでも分かった。
常闇の黒影に支えられながら、それでもAFOへ向き直っている。
……もう十分だろう。
零無は、思わずそう考えた。
下がればいい。
これ以上、戦う必要はない。
しかし、耳郎は下がらなかった。
AFOが何かを言っている。
彼女は、それに言い返しているようだった。
零無には、内容までは聞き取れない。
だが、表情は見えた。
怯えている。
当然だ。
目の前にいるのは、かつてオールマイトと互角に戦った男なのだから。
それでも、耳郎はもう一度装備を構えた。
零無は、その姿を見ていた。
……全く。
彼女は、自分の意思で戦っている。
零無が何を思おうと、その判断を勝手に否定することは出来なかった。
握っていた拳を、ゆっくりと開く。
「……無茶をする」
小さく呟いた。
他人のことを言えた立場ではなかった。
◇
上空で、耳郎の攻撃が放たれた。
音が、衝撃となって広がる。
AFOは、その攻撃を正面から受け止めようとした。
彼にとって、耳郎は脅威になる相手ではなかったのだろう。
個性の規模。
経験。
身体能力。
どれを取っても、差は明らかだった。
だが、次の瞬間。
AFOの動きが、僅かに乱れた。
「……?」
零無が目を細める。
耳郎の攻撃が、想定以上に効いたのか。
いや。
AFOは回避しようとしていた。
しかし、動きが間に合わなかった。
何かに邪魔されたような、奇妙な反応だった。
ホークスが、その隙を見逃さなかった。
赤い羽が、AFOの顔面へ集中する。
生命維持装置。
幾度も攻撃を受け、傷ついていた部分へ、さらに一撃。
亀裂が走った。
耳郎の音響攻撃が重なる。
そして、常闇の黒影が、巨大な腕となって振り下ろされた。
轟音。
AFOの身体が、大きく揺れる。
仮面が砕けた。
「……!」
後方のヒーロー達から、歓声が上がる。
零無は、その光景を見ていた。
……まだだ。
仮面を破壊したところで、AFOが行動不能になったとは限らない。
そもそも、あの男がどのように周囲を認識しているのか、完全には分かっていない。
「……ホークス」
零無は通信を開いた。
『聞こえてる!』
「AFOの状態は?」
『確認中! 今のうちに――』
言葉が途中で途切れた。
AFOの身体から、無数の鋲が伸びた。
周囲へ向けて、一斉に放たれる。
「――!」
ホークスが羽を展開する。
常闇と耳郎を守るためだった。
だが、AFOの攻撃範囲は広い。
零無達のいる後方にも、鋲の一部が飛来した。
「伏せろ!」
隊長が叫ぶ。
零無は近くにいた隊員の肩を掴み、地面へ押し倒した。
頭上を、黒い塊が通過する。
背後の岩盤が破裂した。
土砂が降り注ぐ。
「……っ」
零無は身体を起こした。
周囲を確認する。
負傷者が二人。
一人は脚を負傷している。
もう一人は、倒れた際に頭部を打ったらしい。
「搬送します」
零無は近くの隊員へ声をかけた。
「そちらの方をお願いします。僕はこちらを」
「ああ!」
負傷者の意識を確認し、出血箇所へ圧迫を加える。
「聞こえますか」
「……あ、ああ」
「脚を動かさないでください。今、止血します」
返事を待ち、処置を進める。
手順は分かっていた。
以前、13号から教わったことがある。
救助では、最初に何を確認するべきか。
何を優先し、何を後回しにするべきか。
「……よし」
出血を抑え、隊員と共に負傷者を搬送する。
その間にも、上空では戦闘が続いていた。
AFOの鋲が動く。
砕けた仮面の破片が、引き寄せられていく。
零無は、僅かに眉を寄せた。
……修復するつもりか。
だが、次の瞬間。
赤い炎が、空を貫いた。
◇
エンデヴァーだった。
負傷した身体で、再びAFOへ向かっている。
その右腕は、既になかった。
失った腕の代わりに、炎が大きく燃え上がっている。
零無は、思わず目を細めた。
……まだ動けるのか。
右脇腹の損傷。
大量の出血。
さらに右腕の欠損。
到底、戦闘を続けられる状態には見えない。
それでも、エンデヴァーは止まらなかった。
AFOが攻撃を放つ。
エンデヴァーが炎で押し返す。
二人が激突し、周囲の地形が大きく変わった。
ホークスは無理に割り込まない。
常闇と耳郎を下がらせながら、エンデヴァーが攻撃を通すための援護へ徹していた。
零無は負傷者を搬送し終え、再び上空を見た。
……強いな。
エンデヴァーは、現役のヒーローの中でも最上位の実力者だ。
それは以前から知っていた。
だが、今の彼は実力だけで立っているわけではない。
自分の過去を暴かれ、身体を破壊されてもなお、AFOを止めようとしている。
「……」
零無は、少しだけ目を伏せた。
轟家について知れば知るほど、エンデヴァーという人物には複雑な感情を抱かざるを得ない。
それでも、今ここで命を懸けていることは事実だった。
零無は顔を上げる。
「……エンデヴァー」
小さく呟いた。
その声は、誰にも届かなかった。
上空では、AFOが反撃しようとしている。
だが、エンデヴァーは退かない。
炎が、さらに勢いを増した。
AFOの身体が、空中から地面へ叩きつけられる。
エンデヴァーが追う。
山林を引き裂きながら、二人が移動していく。
「全員、距離を取れ!」
ホークスの声が響いた。
零無も、周囲の隊員達へ退避を促す。
「搬送中の負傷者を先に!」
「了解!」
熱風が吹き荒れた。
木々が燃え、地面が赤く染まっていく。
AFOは、エンデヴァーへ手を伸ばした。
個性を奪うためだろう。
だが、その手も炎に阻まれる。
零無は、息を呑んだ。
エンデヴァーが、AFOを掴んでいた。
周囲の熱量が、さらに増す。
……まずい。
零無は近くの隊員へ声をかけた。
「もっと下がってください!」
「何が――」
「来ます!」
その瞬間。
視界が、白く染まった。
◇
プロミネンスバーン。
収束した炎が、AFOを焼き尽くした。
空気が震える。
地面が揺れる。
後方にいたヒーロー達でさえ、熱風に身を伏せなければならなかった。
零無も腕で顔を覆い、姿勢を低くした。
数秒。
あるいは、もっと長かったかもしれない。
炎が収まる。
徐々に、視界が戻った。
焦げた臭いが鼻を突いた。
周囲では、燃え残った木々が音を立てて崩れている。
「……」
零無は立ち上がった。
上空には、エンデヴァーがいる。
既に満身創痍だった。
炎の勢いも、先ほどより弱い。
だが、その眼下には。
炭化した肉体が、転がっていた。
AFO。
だったもの。
生命維持装置も、もはや原形を留めていない。
黒く焼け焦げた身体は、ほとんど人間の形を失っていた。
周囲のヒーロー達から、声が上がる。
「……やったのか?」
「AFOが……」
「倒した……?」
誰かが、そう呟いた。
零無は何も言わなかった。
目の前のものを、じっと見ていた。
AFOには、死柄木のような超再生がない。
あれだけの炎を浴びれば、生存は難しいはずだった。
……だが。
零無は通信を開いた。
「ホークス」
『……何?』
「確認は済んでいますか?」
『今やってる』
「分かりました」
零無は、再び焼け焦げた肉体を見る。
少なくとも、動く気配はない。
エンデヴァーも、警戒を解いていなかった。
まだ、誰も近づいていない。
それでいい。
確認するまでは、触れるべきではない。
「……」
零無は、焼け焦げた肉体から目を離さなかった。
その時。
何かが動いた。
「――!」
零無の目が細くなる。
最初は、熱によって肉体が崩れただけかと思った。
だが、違う。
炭化した皮膚の下で、何かが蠢いている。
「……ホークス」
『何?』
「AFOの身体が動いています」
『……見えてる』
ホークスの声が、僅かに低くなった。
エンデヴァーも、それに気づいたらしい。
上空で、再び炎が灯る。
焼け焦げた肉体が、ゆっくりと形を変えていく。
最初に現れたのは、皮膚だった。
次に、筋肉。
失われたはずの顔面が、徐々に形を取り戻していく。
そして。
目が。
耳が。
そこに生まれた。
「……」
零無は、息を止めた。
再生。
最初に浮かんだのは、その可能性だった。
だが、すぐに違和感を覚えた。
あの男の顔が、変わっていた。
「……若い?」
ホークスが呟く。
失った部位が戻っているだけではない。
顔立ちそのものが、以前より若くなっている。
……まさか。
零無の脳裏に、一人の少女が浮かんだ。
エリ。
そして、治崎廻。
死穢八斎會。
個性消失弾。
「……ホークス」
零無は通信を開いた。
『聞こえてる!』
「恐らく、通常の再生ではありません」
『……何?』
「AFOの身体が若返っています」
『……』
「失った部位の修復だけでは説明出来ません」
少し間を置く。
「……巻き戻っている可能性があります」
通信の向こうが静かになった。
やがて、ホークスが口を開く。
『……エリちゃんの個性?』
「断定は出来ません。ただ、現象としては近い」
零無はAFOを見た。
「治崎の研究が、何らかの形で利用されたのかもしれません」
『……なるほどね』
ホークスの声が低くなる。
『厄介だなあ』
「ええ」
零無は頷いた。
「……ただ」
『何?』
零無は、変化し続けるAFOの身体を見た。
先ほどより、さらに若くなっている。
「……止まっていませんね」
『……』
「元の身体を取り戻すだけなら、既に十分なはずです」
『……確かに』
「それでも変化が続いている」
零無は少し考えた。
「……制御出来ていない可能性があります」
『それって』
「まだ仮説です」
零無は即答した。
「ただ、仮に巻き戻しが止まらないのであれば、AFOにも時間制限がある」
ホークスは、しばらく黙っていた。
『……そうか』
やがて、小さく息を吐く。
『じゃあ、やることは変わらないね』
「……ええ」
零無は頷いた。
「時間を与えず、合流を阻止する。それだけです」
『ただし、相手はさっきより強くなってる』
「でしょうね」
『……分かってる?』
零無は僅かに眉を寄せた。
「見れば分かります」
『いや、君の場合、分かってても変なことするから』
「……随分と信用がありませんね」
『あるから心配してるんだよ』
零無は小さく息を吐いた。
「……全く」
その時だった。
焼け焦げた肉体の中から、男が立ち上がった。
もう、生命維持装置は必要ない。
呼吸は正常。
身体も、以前より若い。
かつてオールマイトに敗れる前の姿へ、近づいている。
AFOが、自分の手を見た。
指を動かす。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……」
零無は、その姿を見ていた。
昔、何度も聞いた声がする。
以前より若い声だった。
だが、その口調は変わらない。
まるで、何か面白い玩具を手に入れた子供のように、AFOが笑った。
そして、周囲のヒーロー達へ顔を向ける。
先ほどまでとは、明らかに違っていた。
戦場の空気が変わる。
ホークスが、翼を広げた。
エンデヴァーも、再び炎を灯す。
零無は、その二人を見た。
エンデヴァーは既に右腕を失っている。
ホークスの羽も、相当数が消耗していた。
それでも、まだ二人は戦うつもりだった。
零無は通信を開く。
「……ホークス」
『何?』
「僕の待機位置は、変更なしですか?」
『……うん』
ホークスは少しだけ間を置いた。
『まだ、君の出番じゃない』
零無は頷いた。
「……分かりました」
それだけ答え、通信を切る。
視線の先では、若返ったAFOが、ゆっくりと身体を浮かせていた。
……まだだ。
ホークスは戦える。
他のヒーロー達もいる。
零無が前へ出ることで、AFOへ個性を奪う機会を与える危険もあった。
今は、任された仕事を続けるべきだ。
零無は足元に置いた救急資材を持ち上げた。
少し離れた場所では、先ほど負傷したヒーローが搬送を待っている。
「……行きましょう」
近くの隊員へ声をかける。
「今のうちに、負傷者を下げてください」
「……ああ!」
零無も担架を持ち上げた。
頭上では、AFOの笑い声が響いている。
以前より、ずっと力強い声だった。
あの男が次に何をするか。
予想はついていた。
死柄木。
もう一人の自分。
目的を果たすため、AFOはいずれ群訝を離れようとする。
「……」
零無は一度だけ、空を見上げた。
そして、再び負傷者の搬送へ戻る。
その時まで、自分の役割を果たす。
零無は、担架を握る手に少しだけ力を込めた。