正しい答え 作:はい
群訝山荘跡。
戦況が変わったのは、AFOが再び立ち上がってからだった。
焼け焦げた肉体が元の形を取り戻し、さらに若返っていく。失われた生命維持装置も、もはや必要としていなかった。
零無は後方の救護地点から、その様子を見ていた。
AFOが右手を持ち上げる。指を開き、閉じる。自分の身体を確かめるような仕草だった。
次の瞬間、周囲の空気が歪んだ。
「伏せろ!」
零無は近くにいた隊員の肩を掴み、地面へ引き倒した。直後、頭上を衝撃波が通過し、背後の岩盤が爆ぜる。
砕けた石が降り注ぐ中、零無は身体を起こした。
先ほどとは明らかに違う。攻撃の威力も、速度も。
……厄介だな。
若返りによって、肉体の状態も変化しているのだろう。
「金木!」
隊長から声がかかった。
「はい」
「南側に負傷者が出た! 搬送を手伝ってくれ!」
「分かりました」
零無は救急資材を持ち上げ、指示された場所へ向かった。
上空では、ホークスがAFOへの対応を続けている。エンデヴァーもまだ動けるが、先ほどまでのような戦い方は難しかった。
右腕を失い、脇腹にも深い傷を負っている。その状態で、あれだけの炎を使ったのだ。消耗していないはずがない。
ホークスも同様だった。羽の大半を失いながら、AFOの進路を妨害し続けている。
対するAFOは、以前よりも強力な攻撃を繰り出していた。
零無は移動しながら通信を開いた。
「ホークス」
『何?』
「AFOの若返りは、まだ続いていますか?」
『ああ。止まる気配はないね』
「そうですか」
『何か分かった?』
「断定出来ることはありません。ただ、今も変化が続いているなら、元の身体に戻すだけの能力ではなさそうですね」
『……そうだね』
短い返答の向こうで、爆発音が響いた。
零無は前方に倒れているヒーローを確認する。
「こちらは負傷者の搬送を続けます」
『了解。そっちは任せた』
「ええ。お気をつけて」
通信を切り、負傷者の傍へ膝をついた。
「聞こえますか?」
「……すまない」
「動かないでください。状態を確認します」
上空から再び轟音が響いたが、零無は顔を上げなかった。
目の前の負傷者には、今すぐ処置が必要だった。
◇
異変を知らせたのは、通信だった。
『セントラル病院、緊急事態!』
『黒霧が――』
そこで声が途切れた。
零無は手を止めた。
黒霧。
物間がコピーしたワープゲートの、本来の所有者。
続けて、別の通信が入る。
『神野区上空にワープゲートを確認!』
『雄英にも反応あり!』
『群訝、上空を警戒!』
零無は顔を上げた。
AFOのいる位置から少し離れた場所で、空間が黒く歪んでいた。
ゲートが開く。
そこから現れたのは、青い炎だった。
「……荼毘」
神野区に配置されていたはずの男。
全身に酷い火傷を負いながらも、その炎は衰えていなかった。
むしろ、周囲の空気が歪むほどの熱を放っている。
荼毘はエンデヴァーの姿を認めると、そちらへ向かった。
零無は僅かに眉を寄せた。
……分断が崩れたか。
だが、異変はそれだけではなかった。
別のゲートから、次々と人影が溢れ出してくる。
黄色い髪。
黒い服。
顔を覆うマスク。
見覚えのある姿だった。
「……分倍河原?」
零無は思わず呟いた。
しかし、分倍河原仁は既に死亡している。
ならば。
「……トガか」
奥渡島に配置されていたはずの少女。
変身した相手の個性まで使える彼女なら、分倍河原の『二倍』を再現出来る。
零無は増え続ける人影を見た。
「……随分と派手にやったな」
ゲートから現れた分身達は、瞬く間に地上へ広がり始めた。
『全隊員に通達! トゥワイスの大量発生を確認!』
『本体はトガヒミコの可能性が高い!』
零無は近くの隊員へ声をかけた。
「搬送経路を変更してください」
「何?」
「南側は間もなく塞がれます。西側を使った方がいい」
隊員が地図を確認する。
「……確かに。分かった!」
零無は担架の片側を持ち上げた。
周囲では、分身を迎撃するヒーロー達が動き始めている。
だが、倒しても次が現れる。さらに荼毘の炎によって周囲の温度が上がり、救護地点にまで熱風が届いていた。
『トゥワイスを増やさせるな! あれが広がったら止められない!』
ホークスの声が響く。
零無は担架を運びながら、もう一度隊長へ声をかけた。
「救護地点も下げた方がいいと思います」
「しかし、まだ前線に負傷者が――」
「救護地点を失えば、後から運ばれてくる負傷者にも対応出来ません。ここは危険です」
隊長は周囲を見渡した。
すぐ近くで、分身の一団がヒーロー達と交戦している。
「……分かった。移動する!」
零無は頷き、搬送を再開した。
その途中、通信から聞き慣れた声が響いた。
『奥渡島の状況は!? ウラビティ、フロッピー、応答出来る!?』
耳郎だった。
返答を待つ声には、僅かに焦りが混じっている。
零無は足を止めかけた。
先ほどAFOに左耳を負傷させられた姿が、脳裏をよぎる。
……耳郎。
少なくとも、意識はあるらしい。
だが、出血の状態までは分からない。
零無は一度端末へ手を伸ばしたが、途中で止めた。
今は、奥渡島との連絡を邪魔するべきではない。
「金木、こっちだ!」
隊長に呼ばれ、零無は顔を上げた。
「はい」
担架を持ち直し、西側の退避地点へ向かった。
◇
戦況はさらに悪化した。
トガが生み出した分身は群訝の各所へ広がり、荼毘の炎も勢いを増している。
一方、AFOは死柄木のいる方角へ移動を始めていた。
『AFOが離脱を図っている!』
『分かってる!』
ホークスの声が返る。
上空では、残された羽を使ってAFOの進路へ回り込んでいた。
AFOが攻撃を放つ。
ホークスが回避し、再び前へ出る。
だが、長く続けられる動きには見えなかった。
零無は通信を開いた。
「ホークス」
『何!?』
「こちらの救護地点は移動しました。負傷者の搬送も進んでいます」
『了解!』
「そちらは?」
『見ての通り、何とかしてるところ!』
「……そうですか」
一度だけ上空を見る。
「援護が必要なら連絡してください」
『分かってる! でも、まだ君は――』
言葉が途切れた。
AFOの攻撃が、ホークスを捉える。
身体が空中で引き裂かれた。
「――!」
零無は思わず足を止めた。
だが、落下するはずの身体が、光のように崩れた。
血も肉片もない。
代わりに、色鮮やかな光が空中へ広がっていく。
「……幻覚?」
零無が呟いた直後、別の方向から声がした。
「いやあ、危なかったね!」
そこには、三人の生徒がいた。
士傑高校。
現見ケミィ。
肉倉精児。
夜嵐イナサ。
零無は、かつて確認した資料にあった名前と顔を思い出した。
「……なるほど。援軍か」
どうやら、現見の幻惑によってAFOの攻撃を逸らし、その隙に肉倉が本物のホークスを救出したらしい。
夜嵐が両腕を広げた。
次の瞬間、猛烈な風が群訝を吹き抜ける。
「――っ!」
地面を埋め尽くしていた分身達が、次々と空中へ巻き上げられた。
さらに風がAFOの周囲へ収束し、その動きを妨害する。
零無は思わず目を細めた。
……凄まじい出力だな。
夜嵐の個性が強力であることは知っていた。
だが、実際に見ると規模が違う。
「士傑の連中か!」
近くの隊員が声を上げた。
「ええ。助かりますね」
零無は頷いた。
夜嵐の風によって分身の進行が鈍り、肉倉の個性もAFOへの妨害に使われている。
現見の幻惑も、敵の判断を狂わせていた。
援軍の到着によって、戦場は再び動き始めていた。
ただし、AFOの若返りも止まっていない。
零無はその姿を見上げた。
「……まだ続いているのか」
通信の向こうで、ホークスが答える。
『ああ。どんどん若くなってる』
「なら、やはり時間制限はありそうですね」
『問題は、いつまで持つかってところかな』
「ええ」
完全に消滅するまで巻き戻るとしても、その時刻は不明だった。
どちらにせよ、AFOを死柄木と合流させないことが最優先になる。
『金木君』
「はい」
『負傷者の搬送が落ち着いたら、東側の経路を確認しておいて。AFOが抜けるなら、そっちの可能性が高い』
「分かりました」
零無は端末の地図を開いた。
山林と尾根。
その先に続く地形。
空を飛ぶAFOにとって、道路や山道は障害にならない。
それでも、死柄木のいる方角へ最短で移動するなら、通過する範囲はある程度絞れる。
零無は一箇所へ印を付けた。
その時だった。
上空に、巨大な影が広がった。
「……?」
零無が顔を上げる。
黒影。
常闇の個性だった。
ただし、先ほどまでとは比べものにならない。
周囲の光を遮られた場所で、黒影が急速に膨張している。
巨大な腕。
翼。
全身を覆う闇。
まるで、山そのものが動いているようだった。
「……常闇」
零無は小さく呟いた。
黒影が暗い場所で強くなることは知っている。
だが、ここまでとは思わなかった。
夜嵐の風が巨大な黒影を支え、ホークスも残された羽で動きを補助する。
そして、黒影がAFOへ向かって振り下ろされた。
轟音。
大地が揺れる。
AFOの身体が、巨大な闇に押し潰された。
「……!」
後方のヒーロー達から歓声が上がった。
零無も、その光景を見ていた。
「……やるじゃないか」
僅かに口元を緩める。
同じ教室で過ごし、何度も一緒に訓練を受けた相手だった。
その実力が、ここまで上がっていた。
驚きはある。
それ以上に、少し嬉しかった。
しかし、巨大な黒影の中で何かが動いた。
AFOだった。
押し潰されたはずの身体から、強烈な衝撃が放たれる。
黒影が揺れた。
常闇が声を上げる。
ホークスが援護に入り、夜嵐が風の方向を変える。
それでも、AFOは止まらなかった。
損傷した身体が巻き戻り、さらに若返っていく。
「……」
零無は目を細めた。
攻撃で負った傷まで戻っている。
それだけでなく、若返りの進行も早まっているように見えた。
零無は通信を開く。
「ホークス」
『何!?』
「今の攻撃で、また若返っています」
『見えてる!』
「損傷を戻すことで、巻き戻しが進んでいる可能性があります」
『だったら、攻撃を続ければ――』
「ええ。ただ、こちらが先に倒されなければ、ですが」
『……分かってる!』
短い返答の後、通信が切れた。
上空では、常闇がもう一度攻撃を加えようとしていた。
その時、遠くから地鳴りが響いた。
一定の間隔で地面が揺れている。
何かが走っているらしい。
しかも、かなり大きい。
「……まさか」
山林の向こうから、巨大な影が現れた。
岩盤を砕き、木々を薙ぎ倒しながら進んでくる。
ギガントマキア。
かつて超常解放戦線の戦いで、甚大な被害を出した怪物だった。
零無は眉を寄せた。
確か、別の場所に拘束されていたはずだ。
『ギガントマキア、群訝へ接近!』
『敵に奪還されたのか!?』
零無はその頭部に目を向けた。
二人の人影が見える。
赤い髪。
そして、紫色の髪。
「……切島?」
もう一人。
「……心操か」
零無は少しだけ目を見開いた。
心操の個性なら、マキアを操れる可能性がある。
もっとも、あれほどの相手に個性を使うには、相応の準備が必要だったはずだ。
「……随分と危険な賭けに出たな」
次の瞬間、マキアが巨大な岩を掴んだ。
そして、AFOへ向かって投げつける。
轟音。
岩塊がAFOのいる位置へ直撃した。
周囲のヒーロー達から歓声が上がる。
零無も、その光景を見ていた。
「……頼もしいな」
小さく呟いた。
◇
状況は、一時的にヒーロー側へ傾いた。
常闇の黒影。
ギガントマキア。
マウントレディ。
夜嵐の風。
他のヒーロー達も連携し、AFOへ攻撃を加えていた。
AFOはその中心にいた。
攻撃を受ける度に身体が損傷し、巻き戻しによって修復されていく。その結果、若返りはさらに進んでいた。
零無は後方から戦況を確認していた。
これだけの戦力を投入しても、倒せない。
それでも、AFOはまだ群訝にいる。
時間を奪うという意味では、成果が出ていた。
零無は端末へ視線を落とした。
先ほど確認した東側の地形が表示されている。
……そろそろか。
今はヒーロー側がAFOを押さえている。
だからこそ、次に備える時間があった。
「……隊長」
零無が口を開いた。
「何だ?」
「東側の予備待機地点へ移動したいのですが」
「東側?」
「AFOが突破した場合に備えます。先ほどホークスからも、経路を確認するよう指示されています」
隊長は地図を開いた。
「……この尾根か」
「ええ。ここを抜けると、その先は開けた地形になります。上空を移動する相手に地形そのものは関係ありませんが、進路を妨害するなら、この辺りが適していると思います」
「しかし、まだAFOは交戦中だぞ」
「だから、今のうちに移動したいんです」
零無は上空へ視線を向けた。
「突破されてから向かっても、間に合わないでしょう」
隊長は少し考えた。
「……お前が抜けても、救護は回せる。ただ、単独での行動になるな」
「はい。戦闘への参加は、改めて指示を受けます」
「分かった。司令部に確認する」
隊長が通信を開く。
零無は、その間に救急資材を他の隊員へ引き継いだ。
負傷者の搬送は続いている。
ただし、新しい救護地点への移動は既に完了していた。零無一人が抜けても、必要な人員は残る。
『金木』
通信から、相澤の声がした。
「はい」
『東側への移動を希望してるそうだな』
「ええ」
『AFOが突破する前に備えておきたい、と』
「そうです。現状では、まだ皆が押さえていますから」
『……分かった。予備待機地点への移動は許可する』
「ありがとうございます」
『ただし、勝手に戦闘を始めるな。お前の役割は足止めだが、実行するかどうかは戦況を見て判断する』
「承知しています」
『継戦不能だと判断したら撤退しろ。負傷した場合も報告だ』
「分かりました」
『……本当か?』
零無は少しだけ眉を寄せた。
「何度も確認されると、少々不安になりますね」
『お前が言うな』
「失礼しました」
相澤が短く息を吐いた。
『それと、金木』
「はい」
『相手はお前のことを知ってる。余計な話に付き合う必要はねぇ』
零無は少し考えた。
「……そうですね」
『何だ、その返事は』
「話の内容によります。無視することで不利になる場合もありますので」
『……』
「ですが、会話が目的ではありません。それは理解しています」
少しの沈黙。
『……分かった。通信は繋いでおけ』
「承知しました」
続けて、塚内の声が入った。
『金木、聞こえるか』
「はい」
『司令部から、東側の予備待機地点への移動を認めると連絡があった。現段階では待機が任務だ。AFOの迎撃については、必要になった時点で改めて指示する』
「分かりました」
『一つ確認したい。君の個性で、空中を移動するAFOの進路を妨害することは可能なのか?』
零無は少し考えた。
「手段はあります。ただ、相手の移動速度や現在使える個性によっては、効果が限られると思います」
『そうか』
「いずれにしても、接触は避けます」
『分かった。こちらも戦場全体の状況を見て判断する。君には現地から、状況を正確に伝えてほしい』
「承知しました」
塚内は一拍置いた。
『……彼が君について詳しいことは、私達も理解している。十分注意してくれ』
零無は僅かに目を細めた。
「ええ。僕もその点は承知しています」
『分かった。それでは頼む』
「はい」
通信が終わる。
隊長が零無を見た。
「許可は下りた。移動してくれ」
「分かりました」
「AFOがまだ押さえられている間に、配置についておけ」
零無は頷いた。
「そのつもりです」
端末を装備へ固定し、東側へ移動を始めた。
まだ、群訝では激しい戦闘が続いていた。
◇
群訝の東側。
山林を抜けた先に、小さな尾根があった。
零無は、その頂上付近で足を止めた。
周囲には既に戦闘の影響が及んでいる。木々は折れ、斜面の一部が崩れていた。遠くでは、まだ炎が上がっている。
端末を開き、地図を確認する。
AFOが死柄木のいる方角へ向かう場合、この周辺を通過する可能性は高い。
もっとも、空を飛ぶ相手にとって、尾根そのものは障害にならない。
問題は、どうやって進路を妨害するかだった。
零無は周囲を見渡した。
斜面。
崩れた岩場。
むき出しになった地面。
少し離れた場所には、戦闘の衝撃で出来た亀裂もある。
「……ここなら」
小さく呟いた。
背中から赤黒い尾が一本伸び、地面へ突き刺さる。
零無はそのまま、しばらく動かなかった。
やがて尾が引き抜かれると、数歩移動し、別の場所でも同じことを繰り返した。
地表には、小さな亀裂が残った。
その様子を確認してから、零無は再び端末を開く。
「指定地点へ到着しました」
『了解。そちらから群訝の状況は確認出来るか?』
「上空の様子は見えます。ただ、細かい状況までは分かりません」
『分かった。こちらからも随時情報を送る。待機を続けてくれ』
「承知しました」
通信を待機状態に戻す。
遠くでは、まだAFOへの攻撃が続いていた。
巨大な黒影。
ギガントマキア。
マウントレディ。
そして、その他のヒーロー達。
その全員が、AFOを押さえようとしている。
零無は、しばらくその光景を見ていた。
……出来れば、出番がない方がいいんだが。
それが一番望ましい。
自分が戦う必要もなく、AFOを止められるのであれば、それに越したことはなかった。
だが、そうならなかった場合の準備は必要だった。
零無は地図を閉じた。
その時。
遠くの空が、激しく光った。
「……!」
直後、遅れて轟音が届く。
巨大な黒影が大きく揺れた。
その近くで、マウントレディの身体が傾く。
「……」
零無は目を細めた。
さらに、ギガントマキアの巨体が崩れ落ちた。
それまで一箇所に集中していたヒーロー達が、次々と吹き飛ばされていく。
……まずいな。
零無は通信を開いた。
「司令部、こちら金木。群訝の戦況を確認したいのですが」
『現在、AFOが大規模な反撃を開始。複数のヒーローが負傷している』
「常闇とホークスは?」
『確認中だ』
零無は顔を上げた。
遠方では、巨大な黒影が消えかけている。
その中から、小さな人影が放り出された。
常闇だろうか。
距離が遠く、はっきりとは分からなかった。
「……」
零無は一度、周囲を確認した。
ここから群訝へ戻れば、救援に参加することは出来る。
だが、戻ったところで間に合う保証はない。
何より、東側の予備待機地点が空いてしまう。
零無は通信を切らず、報告を待った。
やがて、再び声が入る。
『常闇、戦闘継続困難! ホークスも負傷!』
「……そうですか」
短く答えた。
その直後だった。
『AFOが常闇へ接近!』
『個性を奪うつもりか!?』
零無の目が細くなった。
……黒影か。
先ほどの出力を見れば、欲しがるのも不思議ではない。
さらに通信が続く。
『ホークスが割り込んだ!』
『……待て、剛翼が!』
僅かな混乱。
そして。
『AFOがホークスの個性を奪った!』
零無は何も言わなかった。
視線の先では、先ほどまでAFOの周囲を飛んでいた赤い羽が見えなくなっていた。
「……」
ホークスも、ここまでか。
その直後、通信の向こうから切迫した声が聞こえた。
『峰田が常闇の前に出ている!』
「……峰田?」
零無は思わず呟いた。
詳しい状況までは分からない。
だが、AFOの前に立っているのなら、危険なことに変わりはなかった。
「……全く」
小さく息を吐く。
……君まで何をしているんだ。
しかし、すぐに次の報告が入った。
『AFO、常闇への接触を中止!』
零無は顔を上げた。
遠くの空に、一つの影が浮かび上がる。
AFOだった。
傷ついたヒーロー達を残し、東へ向かおうとしている。
「……」
零無は静かに息を吐いた。
どうやら、時間切れらしい。
AFO自身も、これ以上群訝に留まるつもりはないのだろう。
『AFO、群訝から離脱!』
通信が響いた。
『東方面へ移動を開始!』
零無は端末を開いた。
「こちら金木。AFOの進路を確認しています」
『了解。現在位置を送る』
画面上に、AFOの現在位置が表示された。
移動方向。
速度。
そして、零無が待機している地点。
予想していた範囲だった。
「……司令部」
『何だ?』
「予定地点への接近を確認しました。足止めへ移行したいのですが」
『待機してくれ。指示を確認する』
「承知しました」
零無は再び空を見た。
AFOはまだ遠い。
少なくとも、今すぐ交戦が始まる距離ではなかった。
零無はその場で返答を待った。
数秒後。
『金木』
塚内だった。
「はい」
『司令部から、足止めへの移行が承認された。作戦会議で決めた範囲で対応してほしい』
「分かりました」
『AFOの進路に変化があれば報告を。こちらも他の戦場の状況を見ながら判断する』
「承知しました」
『……金木』
「何です?」
『撤退が必要になったら、ためらわずに報告してくれ』
零無は少しだけ目を細めた。
「ええ。そのつもりです」
『分かった。では、頼む』
「はい」
通信は繋いだままにした。
零無は端末を装備へ固定し、ゆっくりと立ち上がる。
AFOが近づいてくる。
かつて、何度も話した男だった。
社会。
個性。
ヒーロー。
ヴィラン。
父。
母。
そして、AFO自身について。
随分と多くのことを聞いた。
答えなかった質問さえ、覚えている。
だが、その過程で零無自身も多くのことを知られた。
透のことも。
彼女を守るためなら、自分が何を差し出すのかということも。
あの日、AFOはそれを利用した。
零無は最後まで思想を拒絶しながら、命令に従った。
「……」
零無は僅かに眉を寄せた。
目の前の男が何を優先するのかは、よく知っている。
だからこそ、今この場所にいる。
零無は一度、足元を見た。
既に準備は済んでいた。
後は、相手が来るのを待つだけだった。
◇
AFOは、真っ直ぐ東へ向かっていた。
以前より若い身体。
生命維持装置もなく、周囲には複数の個性が発動している。
その飛行速度は速かった。
零無は尾根の上から、その姿を見ていた。
やがて、AFOの顔が僅かにこちらへ向いた。
気づいたらしい。
だが、速度は落ちなかった。
零無の姿を確認した後も、進路を変えずに接近してくる。
もちろん、零無へ向かっているわけではなかった。
AFOが向かっているのは、あくまで死柄木のいる場所だ。
零無がそこに立っていようと、気にする必要はない。
少なくとも、今のAFOにとっては。
「……」
零無は顔を上げた。
AFOとの距離が縮まっていく。
そして、男が尾根の上空へ差しかかった。
「……お久しぶりです」
零無が声をかけた。
AFOが顔を向ける。
「おや。零無君じゃないか」
聞き慣れた声だった。
以前より若くなっていても、その話し方は変わらない。
「随分と若返りましたね」
「おかげさまでね」
AFOは小さく笑った。
「君と話すのは久しぶりだけれど、今日は少々急いでいるんだ」
「でしょうね」
「では、またの機会にしよう」
それだけ言うと、AFOは前を向いた。
飛行速度を緩めることなく、零無の頭上を通過する。
零無は追いかけなかった。
ただ、空を見上げていた。
そして。
AFOが尾根を越えた瞬間、斜面の一部が砕けた。
「……!」
赤黒いものが、地中から飛び出した。
進行方向ではない。
AFOの横。
視界の外に近い位置から、鋭い一撃が放たれた。
AFOが即座に腕を振るう。
衝撃波が赤黒い組織を吹き飛ばした。
だが、完全には防げなかった。
先端が腕を掠め、皮膚が裂ける。
「……ほう」
AFOは一瞬、その傷へ目を向けた。
傷口は、既に塞がり始めている。
それと同時に、腕の形も僅かに変化していた。
若返り。
AFOは再び前を向いた。
だが、その直後。
今度は進行方向の地面が裂けた。
先ほどとは別の場所。
そこから伸びた赤黒い組織が、AFOの正面へ迫る。
「――!」
AFOは身体を捻り、攻撃を避けた。
さらに腕を振るい、伸びてきた組織を叩き潰す。
岩盤が砕け、赤黒いものが千切れて飛んだ。
それでも、AFOは止まらなかった。
高度を上げ、そのまま飛び去ろうとする。
零無は、尾根の上からその動きを見ていた。
……そちらか。
次の瞬間、三度目の攻撃が来た。
今度は、斜面の反対側から。
AFOが進もうとしていた空間へ、赤黒い組織が伸びる。
「……!」
AFOが反射的に腕を交差させた。
衝撃。
身体が僅かに押し戻される。
その間に、別の方向からも攻撃が迫った。
AFOは即座に衝撃波を放ち、まとめて吹き飛ばす。
だが、その攻撃によって飛行速度は大きく落ちていた。
「……」
AFOは上空で体勢を立て直した。
そして、ようやく零無へ顔を向けた。
零無は、先ほどと同じ場所に立っていた。
こちらへ追いつこうとしているわけではない。
最初から、この周辺で迎撃する準備をしていたのだ。
AFOが周囲を見渡す。
赤黒い組織は、零無が立っている場所から直接伸びてきたわけではなかった。
離れた斜面。
崩れた岩場。
尾根の反対側。
複数の場所から、異なる角度で攻撃が飛んでくる。
どこまで仕掛けられているのか、目に見える範囲だけでは判断出来なかった。
「……なるほど」
AFOが、小さく笑った。
「随分と用意がいいね」
「貴方がここを通る可能性は、事前に考えていましたから」
零無は答えた。
「そうか」
AFOは一度だけ東へ顔を向けた。
そして、再び加速した。
今度は、進路を大きく変えていた。
尾根から距離を取り、上空へ抜けるつもりらしい。
零無は、その動きを見ていた。
……当然だな。
攻撃範囲が分からないなら、離れる。
無理に付き合う必要などない。
だが、それも想定していた。
AFOが高度を上げた瞬間。
今度は、これまでとは違う位置から攻撃が伸びた。
尾根の向こう側。
AFOが迂回しようとしていた方角から、赤黒い組織が空中へ飛び出す。
「――!」
AFOは即座に反応した。
直撃を避け、すれ違いざまに組織を破壊する。
だが、無傷では済まなかった。
脇腹に浅い傷が走る。
すぐに修復されるものの、身体の若返りも進んでいく。
AFOは、今度こそ飛行を止めた。
零無は遠くからその姿を見ていた。
追撃はしなかった。
AFOが再び移動を始めれば、また攻撃する。それだけだった。
数秒。
AFOは周囲を確認していたが、やがて零無へ顔を向けた。
「……なるほど」
小さく笑う。
「随分と用意がいいね」
「貴方がここを通る可能性は、事前に考えていましたから」
「そうか。最初からここで待っていたわけだ」
「ええ」
AFOは一度、東の空へ顔を向けた。
「それにしても、君がここにいるとはね」
「意外ですか?」
「いや。いずれ出てくるだろうとは思っていた」
AFOは零無へ視線を戻した。
「君は昔から、他人が傷つくことを嫌っていたからね」
零無は答えなかった。
「随分と多くのヒーローが倒れた。君の友人もいたようだ」
「……それで?」
「いや。君がここにいる理由は、十分に理解出来ると思ってね」
零無は僅かに眉を寄せた。
「僕が出る必要があれば、出ます。今まで出なかったのも同じ理由です」
「……なるほど」
AFOが楽しそうに笑った。
「相変わらず、無駄を嫌うね」
「貴方ほどではありません」
「ふふ。そうかな?」
AFOは軽く右手を持ち上げた。
その動きに合わせ、周囲の空気が僅かに歪む。
零無は姿勢を変えず、相手の手元を見ていた。
「ところで、君は私を倒すつもりなのかな?」
「さて」
「おや?」
「それを教える理由がありますか?」
AFOは小さく笑った。
「……ないね」
その直後、衝撃波が放たれた。
零無の立つ斜面が大きく抉られる。
だが、零無は既に別の場所へ移動していた。
舞い上がった土砂の向こうで、赤黒いものが一瞬だけ動く。
AFOはそれを見た。
「……ほう」
零無が離れた岩場へ着地する。
「随分と楽しそうですね」
「君の個性については、以前から興味があったからね」
「そうですか」
「もっとも、今はゆっくり観察している時間もない」
AFOは再び東へ顔を向けた。
「出来れば、退いてもらいたいところなんだけれど」
「お断りします」
即答だった。
AFOが笑った。
「そう言うと思ったよ」
再び右腕が動く。
零無は地面を蹴り、攻撃の射線から外れた。
背後の岩盤が砕ける。
それでも、AFOは先へ進まなかった。
先ほどまでの迎撃を考えれば、無理に飛び去る方が時間を失いかねない。
零無は、その判断を理解していた。
「……零無君」
AFOが口を開いた。
「君は昔から、自分の命を随分と軽く扱うところがあった」
「……」
「それでいて、他人の命となれば簡単には切り捨てられない」
零無は少しだけ目を細めた。
「よく覚えていますね」
「もちろん。君との会話は、私にとっても印象深かったからね」
「そうですか」
零無は短く答えた。
「ですが、以前ほどではありません」
「……ほう?」
「僕自身の命についても、多少は考えるようになりました」
AFOが僅かに眉を上げた。
「それは意外だね」
「そうですか?」
「ああ。何かあったのかな?」
「色々と」
「聞かせてもらいたいな」
「お断りします」
AFOは笑った。
「残念だ」
しかし、それ以上は尋ねなかった。
若返りは今も続いている。
零無がそのことを知っている以上、無意味に会話を引き延ばせば相手の思う壺だった。
AFOは零無の周囲へ視線を向けた。
破壊された斜面。
地表に残る亀裂。
そして、零無自身。
「……時間稼ぎかい?」
「さて」
零無は僅かに首を傾げた。
「それを教える理由がありますか?」
「……ふふ」
AFOは笑った。
「本当に、君はよく見ている」
「貴方が見せているんでしょう」
その返答に、AFOの笑みが僅かに深くなった。
かつて何度も繰り返したやり取りだった。
だが、今は違う。
AFOは零無から視線を外さず、ゆっくりと身体の向きを変えた。
死柄木のいる方角ではない。
零無を正面に捉えている。
「……ところで」
AFOが言った。
「葉隠透は元気かな?」
零無の目が、僅かに細くなった。
「今、その話をするんですか?」
「久しぶりだからね」
「貴方に話す必要はありません」
「冷たいな」
「貴方に言われたくありませんね」
AFOは小さく笑った。
「彼女のことが気にならないのかい?」
「気になります」
即答だった。
「ですが、貴方に尋ねても意味がありません」
「……ほう」
「答えを信用出来ませんから」
AFOは一瞬黙り、それから笑った。
「それもそうだ」
零無は相手から目を逸らさなかった。
あの日、透を脅された時と同じだった。
AFOは、零無が何を大切にしているのかを知っている。
そして、その知識を利用することに躊躇がない。
「……君が何を守りたがるのか、私は知っている」
AFOが言った。
零無は静かに答えた。
「僕も、貴方が何をする人間なのか知っています」
「……ふふ」
AFOは笑った。
「そうだったね」
それで会話は終わった。
AFOの両腕が持ち上がる。
周囲の空気が大きく歪み、複数の個性が同時に発動した。
零無は姿勢を低くする。
今までの攻撃とは違う。
先へ進むために邪魔なものを払い除けるのではなく、零無自身を排除するための攻撃だった。
……ようやくか。
零無は静かに息を吐いた。
相手は、かつてオールマイトと戦い、敗れながらも生き延びた男だった。
今では、その時に負った傷さえ失われている。
正面から戦えば、勝つのは難しい。
だが、今の零無に求められているのは、必ずしも勝利ではなかった。
AFOをここに留める。
一秒でも長く、死柄木との合流を遅らせる。
それでいい。
「……では」
零無は足を開き、姿勢を低くした。
「始めましょうか」
AFOが笑った。
「そうだね」
次の瞬間。
零無の足元で、地面が小さく軋んだ。