正しい答え 作:はい
地面が砕けた。
零無は既に動いていた。踏み込んだ足が岩盤を割り、身体が斜面を横へ駆け抜ける。直後、先ほどまで立っていた場所へ凄まじい衝撃が叩きつけられた。
土砂が舞い上がり、周囲の木々が根元から折れる。
零無は振り返らなかった。
背中から伸びた赤黒い生体組織が岩盤へ突き刺さる。一本を収縮させて身体を引き寄せ、その勢いで地面を蹴った。
AFOの左側面。
そこへ回り込んだ零無が、赤黒い尾を振るう。
AFOは腕を上げた。
衝突。
硬質化した先端が防御に弾かれ、甲高い音が響いた。
だが、零無は攻撃を止めなかった。
弾かれた尾が柔らかくしなり、そのままAFOの腕へ巻き付こうとする。AFOが身体を捻ると、先端が幾つにも枝分かれした。
鋭い刃。
それらが別々の方向から迫る。
AFOは衝撃波を放った。
赤黒い組織が押し返される。しかし、零無は既に地面を蹴っていた。
衝撃の及ばない側面へ回り込み、低い姿勢から再び接近する。
AFOが身体を浮かせた。
その足元を、赤黒い尾が掠める。
空中へ逃れたAFOの周囲で、尾の先端が変形した。
細くなる。
伸びる。
枝分かれした組織が互いに交差し、空中へ格子を形成していく。
一瞬のうちに、赤黒い網がAFOを囲んだ。
「……ほう」
AFOが目を細めた。
格子の内側から、無数の刃が突き出す。
男は腕を振るった。
衝撃波。
網が内側から引き裂かれ、赤黒い組織が四方へ飛び散った。
しかし、零無はそれを待っていた。
千切れた組織の向こうから、一本の太い尾が伸びる。AFOがそちらへ腕を向けた瞬間、零無は地面を蹴った。
真下からの接近。
背中の組織が平たく広がり、巨大な刃となる。
AFOは咄嗟に防御した。
衝突。
男の身体が横へ弾かれる。
零無は追撃せず、少し離れた岩場へ着地した。
AFOは空中で体勢を立て直していた。
「……面白いね」
その顔には笑みが浮かんでいる。
「以前、君の個性を見た時は、もっと単純なものだと思っていたけれど」
「そうですか」
「形状だけではない。動かし方も随分と器用だ」
零無の背後で、枝分かれしていた組織が元の四本へ戻っていく。
「説明が必要ですか?」
「いや」
AFOが笑った。
「自分で確かめるとしよう」
次の瞬間、男の姿が消えた。
「――!」
零無は反射的に身体を沈めた。
頭上を巨大な腕が通過する。
衝撃だけで地面が抉れ、背後の岩壁が崩れ落ちた。
零無は片手をつき、身体を横へ滑らせる。
だが、AFOは既に次の攻撃へ移っていた。
男の左腕から、無数の鋭い突起が伸びる。
右側。
零無が回避しようとした方向だった。
「……っ!」
赤黒い組織が右腕へ巻き付く。
肩から前腕までを覆う、薄い装甲。
零無はその腕で突起を弾き、地面を蹴った。
人間離れした脚力が、身体を一気に加速させる。
突起の間を抜け、そのまま岩壁へ跳ぶ。
一度。
二度。
ほとんど垂直に近い斜面を蹴り上がり、AFOの頭上へ飛び出した。
男が顔を上げる。
零無は背中の組織を振り下ろした。
鋭い刃が、AFOの左肩へ向かう。
AFOは腕で受け止めた。
だが、零無は刃を押し込まなかった。
途中で形を変える。
硬質化した先端が柔らかくしなり、AFOの腕を外側から囲んだ。
「……!」
組織が収縮する。
AFOの左腕が、強引に引き下ろされた。
そこへ、もう一本。
死角から伸びた刃が、男の肩を切り裂いた。
血が散る。
AFOが右手を伸ばす。
零無は即座に身体を引いた。
その手に触れるわけにはいかない。
個性を奪う男の指先が、眼前を通過する。
零無は空中で身体を反転させ、背中の組織を岩盤へ突き刺した。
収縮。
一気に距離を取る。
直後、先ほどまでいた空間を衝撃波が通過した。
零無は着地し、AFOを見上げる。
左肩の傷は、既に塞がり始めていた。
若返り。
その顔立ちも、先ほどより僅かに幼くなっている。
……やはりな。
AFOの身体は巻き戻り続けている。
損傷した組織も修復されるが、若返りが止まるわけではない。
つまり、無理に倒し切る必要はない。
ここで時間を奪い続ける。
それだけでも、十分に意味があった。
もっとも、相手がそれを理解していないはずもなかった。
「……随分と用心深いね」
AFOが口を開いた。
「私の手が怖いのかな?」
「当然でしょう」
零無は短く答えた。
「貴方が何をする人間なのか、知っていますから」
「そうか」
AFOは楽しそうに笑った。
「それなら、少しやり方を変えよう」
男の右腕が、大きく膨張した。
複数の個性が組み合わさり、巨大な腕のような構造体が形作られていく。
零無は目を細めた。
……厄介なものを。
巨大な腕が振り下ろされた。
零無は横へ跳ぶ。
岩盤が砕け、土砂が吹き飛んだ。
だが、腕はそこで止まらなかった。
地面を抉りながら横へ薙ぎ払われ、零無を追いかける。
零無は背中の組織を地面へ突き刺した。
身体が持ち上がる。
その真下を、巨大な腕が通過した。
零無は落下しながら、背中の組織を広げる。
四本の尾が細く分裂し、地面へ向かって伸びた。
巨大な腕の周囲。
そこへ、赤黒い線が次々と突き刺さる。
岩盤。
木の根。
崩れかけた斜面。
それぞれの場所へ固定された組織が、巨大な腕を囲むように張り巡らされた。
「……?」
AFOが僅かに目を細める。
零無は地面へ降り立った。
そして、全ての組織を収縮させる。
巨大な腕が引き絞られた。
岩盤へ縫い付けられるように、動きが止まる。
AFOは腕を引こうとした。
だが、零無は既に動いていた。
地面を蹴る。
一気に接近。
右肩から伸ばした組織が、細長い刃へ変わる。
AFOの胴体へ向かって振るわれた刀身。
しかし、AFOは左腕を向けていた。
「――っ!」
零無は咄嗟に刃を折り畳んだ。
胸元へ重ね、盾へ変形させる。
直後、凄まじい衝撃が叩きつけられた。
身体が後方へ吹き飛ばされる。
岩盤へ激突。
「……っ、ぐ」
零無は地面へ手をついた。
息が詰まる。
胸の奥に、鈍い痛みが走った。
……肋骨か。
少なくとも、一本は損傷している。
零無はゆっくりと身体を起こした。
背中の組織が動く。
固定していた部分が岩盤から引き抜かれ、再び背中へ戻っていく。
AFOは、少し離れた場所へ着地していた。
巨大な腕の拘束は、既に破壊されている。
ただ、その右腕には幾つもの細い傷が走っていた。
組織が巻き付いた際に付けられたものだった。
傷はすぐに塞がっていく。
「……なるほど」
AFOは自分の腕を見た。
「拘束するだけではなかったのか」
「そうですね」
「随分と細かいことをする」
零無は短く息を吐いた。
「必要ですから」
AFOが笑った。
「……君らしいね」
◇
戦いは続いた。
しかし、互いの動きには少しずつ変化が生まれていた。
AFOは、零無が組織を伸ばした場所を見ていた。
地面へ突き刺す。
岩盤へ固定する。
そこから身体を引き寄せる。
あるいは、組織を変形させて相手の進路を塞ぐ。
一度見せた動きには、次から対応してくる。
零無が斜面を蹴って接近すれば、その着地点へ攻撃が飛んだ。
背中の組織を広げれば、枝分かれする前の根元を狙われる。
空中で方向を変えようとした時には、既にその先へ腕が向けられていた。
……速いな。
零無は、AFOの攻撃を避けながら考えた。
若返りによって、相手の身体能力は向上している。
反応速度も、先ほどとは明らかに違う。
だが、それだけではない。
AFO自身が、こちらの戦い方へ適応し始めていた。
零無は一度、距離を取った。
左腕に傷がある。
脇腹にも浅くない切創が出来ていた。
ただし、出血は既に弱まっている。
裂けた皮膚が、少しずつ塞がり始めていた。
零無の身体は、普通の人間より遥かに高い再生力を持っている。
しかし、だからといって無制限に回復出来るわけではなかった。
骨の損傷は、すぐには治らない。
傷が塞がっても、痛みが消えるとは限らない。
何より、個性の使用と身体の再生には、相応のエネルギーが必要だった。
……長くは続かないな。
零無は呼吸を整えた。
対するAFOは、こちらを見ていた。
「随分とよく動くね」
「どうも」
「だが、いつまでも続けられるものではないだろう?」
零無は答えなかった。
事実だった。
このまま同じ戦い方を続ければ、先に限界を迎えるのはこちらだろう。
もっとも。
だからといって、退くわけにはいかなかった。
AFOが顔を上げる。
視線の先。
死柄木のいる方角だった。
零無は、その動きを見た。
……来るか。
男の身体が浮き上がる。
次の瞬間、東へ向かって加速した。
零無は即座に動いた。
背中の組織を地面へ突き刺し、身体を射出する。
だが、AFOの速度はそれを上回った。
「……っ」
零無は追いかけながら、背中の組織を大きく広げた。
しかし、AFOへ直接伸ばすことはしなかった。
進行方向の斜面。
そこへ、赤黒い組織を突き刺す。
次の瞬間、岩盤が砕けた。
零無が組織を引き上げたのだ。
巨大な岩塊が持ち上がり、AFOの進路へ飛び出す。
AFOは即座に腕を振るった。
衝撃波。
岩塊が粉々に砕ける。
だが、その隙に零無は距離を詰めていた。
砕けた岩の間を抜け、AFOの進路へ回り込む。
赤黒い組織が大きく広がった。
今度は格子ではない。
幾つもの太い帯が、左右の岩壁から伸びてくる。
それらがAFOの前方で交差し、進路を塞いだ。
「……!」
AFOが上空へ逃れようとする。
零無はそれを見ていた。
背中の組織を一本、地面へ突き刺す。
収縮。
身体が一気に持ち上がり、AFOより高い位置へ飛び出した。
そこから、赤黒い刃を振り下ろす。
AFOが防御する。
衝突。
男の身体が、再び地面へ押し戻された。
零無は着地すると同時に、相手から距離を取った。
AFOも少し離れた場所へ降り立つ。
数秒。
互いに動かなかった。
「……本当に、しつこいね」
AFOが笑った。
「貴方が先へ進もうとするからでしょう」
零無は短く答えた。
「僕としては、ここにいていただければ十分なんですが」
「それは困るな」
AFOは東の空を見た。
「私にも、やるべきことがある」
「知っています」
零無は背中の組織を広げた。
「だから止めているんでしょう」
AFOは、しばらく零無を見ていた。
その笑みが、少しだけ深くなる。
「……そうだね」
男の周囲で、複数の個性が発動した。
零無は姿勢を低くする。
だが、攻撃は来なかった。
代わりに。
「……そういえば」
AFOが口を開いた。
「君に会わせた少女がいただろう?」
零無は僅かに眉を寄せる。
「……?」
「トガヒミコ」
零無の視線が、僅かに動いた。
AFOはその反応を見て、楽しそうに笑った。
「覚えているね」
「……ええ」
「あの子は、随分と君を気に入っていたようだった」
零無は答えなかった。
AFOが続ける。
「今も、あの子とは仲が良いのかな?」
「……何が言いたいんです?」
「いや、何」
AFOは笑った。
「彼女もこの戦場にいるようだからね。君は気にならないのかと思って」
零無は、相手の右腕を見た。
既に攻撃の準備が整っている。
「……」
その脳裏に、一人の少女の姿が浮かぶ。
金髪。
セーラー服。
いつも笑っている、騒がしい少女。
『零無くん、血ください!』
『嫌だ』
『一滴だけ!』
『断る』
『ケチ!』
何度も繰り返した会話。
それから。
『私のこと、嫌いになりました?』
『君がやったことを嫌っているのと、君を嫌っているのは別だろう』
『……やっぱり変です、零無くん』
『今更だな』
別の日。
『零無くん、私が死ぬの、嫌ですか?』
『……嫌だ』
『⋯⋯本当です?』
あの時、随分と嬉しそうに笑っていた。
そして。
『……またね、零無くん』
『⋯ああ』
いつもと同じ別れ方だった。
「……」
零無は、AFOを見た。
男は相変わらず笑っていた。
「……気になりますよ」
短く答える。
「おや」
「彼女がどうなっているのか、気にはなります」
「そうか」
「ですが、今ここで僕が出来ることはありません」
零無は姿勢を低くした。
「少なくとも、貴方を放置して会いに行くわけにはいかないでしょう」
AFOが僅かに目を細めた。
「……冷たいね」
「そう思うなら、それで構いません」
零無は短く答えた。
AFOは、しばらく零無を見ていた。
「君は本当に、変わらないね」
「そうですか?」
「ああ。随分と多くのものを大切にするようになったらしいけれど」
AFOの右腕が、僅かに動く。
「それでも、全てを守れると思っているのかな?」
零無は相手を見た。
「思っていませんよ」
即答だった。
AFOが僅かに眉を上げる。
「……ほう?」
「出来ないことは出来ません。それくらいは理解しています」
零無は背中の組織を動かした。
「ですが、出来ることまで諦める理由にはならないでしょう」
AFOは少しだけ黙った。
それから、小さく笑う。
「……なるほど」
次の瞬間。
男の右腕が膨張した。
◇
零無は横へ跳んだ。
衝撃波が地面を抉る。
しかし、AFOは止まらなかった。
先ほどまでとは違う速度で、一気に距離を詰めてくる。
零無は背中の組織を広げた。
ただし、今度は防壁ではない。
赤黒い組織が、全身へ薄く巻き付く。
肩。
胸。
腕。
そして脚。
体表を覆うように、硬質化した組織が広がった。
AFOが目を細める。
「……ほう」
零無は地面を蹴った。
常人とは比較にならない脚力。
さらに、脚を覆った組織が収縮し、身体を加速させる。
AFOの右側面へ。
しかし、男は既に反応していた。
左腕が伸びる。
零無は身体を捻った。
指先が眼前を通過する。
そのまま相手の背後へ回り込み、赤黒い刃を振るう。
AFOが防御する。
零無は刃を引いた。
同時に、背中から伸びた別の組織がAFOの足元を薙ぎ払う。
男が身体を浮かせた。
零無は追った。
地面を蹴る。
そのまま空中で身体を反転させ、AFOの頭上へ回り込む。
赤黒い組織が平たく広がる。
巨大な刃。
振り下ろす。
AFOが右腕で受け止めた。
轟音。
だが、零無はそこで形を変えた。
刃が柔らかくしなり、AFOの腕を外側から囲む。
そのまま収縮。
AFOの身体が、強引に下へ引き寄せられる。
零無はそれに合わせて落下した。
背中から伸びた組織が、細い槍へ変わる。
AFOの胸元へ。
「――!」
AFOは咄嗟に左腕を向けた。
衝撃波。
零無は槍を折り畳み、身体の前へ重ねた。
防御。
そのまま衝撃を受け流し、斜め下へ移動する。
着地。
しかし、零無は足を止めなかった。
地面を蹴り、再びAFOへ向かう。
右肩を覆っていた組織が、鋭い刃へ変わった。
AFOが右腕を上げる。
零無は、その動きを見ていた。
……今だ。
刃を途中で折り曲げる。
AFOの防御を避け、別の角度から伸ばす。
硬質化した先端が、男の脇腹を切り裂いた。
血が散る。
AFOが身体を捻る。
零無は即座に距離を取った。
だが。
今度はAFOが追ってきた。
「……!」
速い。
先ほどとは、明らかに違った。
零無は背中の組織を地面へ突き刺した。
身体を横へ引き寄せる。
しかし、AFOはその動きを読んでいた。
零無の移動先。
そこへ、既に右腕が向けられている。
「――っ!」
零無は反射的に身体を捻った。
だが、完全には避けられなかった。
衝撃波が、左肩を捉える。
身体が大きく弾き飛ばされた。
そのまま岩盤へ激突する。
轟音。
「……っ、が……!」
零無は地面へ転がった。
肩に鋭い痛みが走る。
骨に損傷がある。
それだけではない。
胸の奥にも鈍い痛みが残っていた。
先ほど傷めた肋骨だろう。
零無はゆっくりと身体を起こした。
左腕を動かす。
痛む。
しかし、動く。
背中の組織も、再形成は続いていた。
ただし。
……まずいな。
零無は短く息を吐いた。
今の一撃。
防御が間に合っていなければ、戦闘を続けられなかったかもしれない。
AFOが、少し離れた場所へ降り立った。
「……なるほど」
男は零無を見ていた。
「君の個性は、思っていた以上に応用が利くね」
零無は答えなかった。
「それに、君自身の身体能力も随分と高い。傷の治りも早い」
「そうですね」
「だが、それでも限界はある」
零無はゆっくりと立ち上がった。
「……当然でしょう」
AFOは小さく笑った。
「そうだね」
その右腕が、再び持ち上がる。
「そろそろ、終わりにしようか」
零無は身構えた。
だが。
今度の攻撃は、先ほどまでとは違った。
AFOの周囲で、複数の個性が同時に発動する。
右腕が膨張する。
同時に、周囲の空気が大きく歪んだ。
零無は即座に身体を横へ移動させた。
しかし、AFOの攻撃はその先へ向けられていた。
「――っ!」
回避は間に合わない。
零無は全身へ組織を纏わせた。
同時に、背中の四本を広げる。
盾。
衝撃。
硬質化した組織が大きく軋んだ。
零無は残る組織を地面へ突き刺し、身体を支える。
だが、AFOの攻撃はそれを上回った。
防御が崩れる。
衝撃が、零無の身体へ届いた。
「――ぐっ!」
地面へ叩きつけられる。
そのまま斜面を削りながら後退した。
岩盤へ激突。
零無は歯を食いしばった。
身体を覆っていた組織がなければ、戦闘を続けられなかったかもしれない。
……いや。
零無は、ゆっくりと身体を起こした。
呼吸が乱れている。
胸の奥が痛む。
左腕も、先ほどより動かしにくい。
背中の組織は、損傷した部分を補っている最中だった。
今の攻撃に、これまでの防御では対応出来なかった。
そして、AFOはまだ余力を残している。
零無は顔を上げた。
男は上空から、こちらを見下ろしていた。
「……零無君」
穏やかな声だった。
「これ以上は、君も保たないんじゃないかな」
零無は答えなかった。
地面へ手をつき、ゆっくりと立ち上がる。
「……そうですね」
AFOが僅かに首を傾げる。
「おや?」
零無は静かに息を吐いた。
「今のままでは、難しいでしょうから」
「……ほう」
AFOの目が細くなる。
零無は、自分の身体を確認した。
傷は塞がり始めている。
しかし、今すぐ完全に治るわけではない。
骨の損傷も残っている。
個性の使用による消耗も大きい。
このまま同じ戦い方を続ければ、先に限界を迎えるのはこちらだ。
それは分かっている。
ただ。
ここで倒れるわけにはいかなかった。
AFOが死柄木の元へ辿り着けば、状況はさらに悪くなる。
自分がここで止められるなら、止める必要がある。
そして。
……死ぬつもりもない。
零無は背中の組織へ意識を向けた。
赤黒い生体組織。
これまで、必要以上に見せることを避けてきた力だった。
雄英でも、教師達の前でも。
AFOに対してさえ、その全容を見せたことはない。
だが、今は違う。
ここで出し惜しみをする意味はなかった。
零無は姿勢を正した。
そして、背中の赤黒い尾がゆっくりと動き始めた。
◇
最初は、僅かな変化だった。
四本の尾が、零無の背後で広がる。
その表面が波打つように蠢いた。
AFOは上空から、その様子を見ていた。
「……?」
赤黒い組織が、少しずつ形を変えていく。
太くなる。
伸びる。
そして、先端が枝分かれした。
一本。
二本。
四本。
それまでとは、明らかに違う形状だった。
零無は静かに息を吐いた。
背中へ強烈な負荷がかかる。
だが、痛みによって動きを止めることはなかった。
赤黒い組織が、さらに広がる。
その中心で、硬質化が始まった。
表面が滑らかになり、輪郭が鋭くなる。
やがて、一本の巨大な構造体が形作られた。
十字。
その形を認めたAFOが、僅かに目を細めた。
「……おや」
零無は答えなかった。
背中の組織が、さらに変化を続ける。
二つ目。
三つ目。
四つ目。
十字架状の構造体が、零無の背後へ次々と展開されていく。
それらは、ただ大きいだけではなかった。
それぞれが独立して動き、先端の角度を変えている。
まるで、幾つもの巨大な刃が浮かんでいるようだった。
AFOは、しばらくその光景を見ていた。
「……なるほど」
小さく笑う。
「まだ隠していたんだね」
零無は、ゆっくりと顔を上げた。
「貴方に見せる理由がありませんでしたから」
「それは残念だ」
AFOは笑った。
だが、その視線は零無の背後から外れなかった。
赤黒い十字架。
その一つが、ゆっくりと持ち上がる。
その瞬間、AFOが右腕を振るった。
衝撃波。
零無の前方へ、巨大な十字架が倒れ込む。
轟音。
硬質化した組織が攻撃を受け止め、表面に亀裂が走った。
だが、砕けない。
零無はその奥で、静かに顔を上げた。
「……ほう」
AFOが僅かに目を細めた。
これまでの格子や盾とは、明らかに違う。
強度。
厚み。
そして、攻撃を受けても形を保っている組織そのものが。
AFOは、もう一度右腕を持ち上げた。
しかし、その前に変化が始まった。
「……?」
最初に変わったのは、十字架の先端だった。
赤黒い表面が、薄く色を失っていく。
灰色。
さらに淡く。
やがて、白へ。
その変化は止まらなかった。
十字架の先端から、根元へ。
一本目。
二本目。
三本目。
赤黒い色が、徐々に消えていく。
代わりに現れたのは、真っ白な表面だった。
骨のようにも見える。
だが、単なる骨ではない。
硬質化した組織は滑らかで、鋭い輪郭を持っている。
赤黒い部分が、白へ置き換わっていく。
その境界を、細い赤い線が走った。
まるで、内部を流れる何かが透けて見えているようだった。
零無の背後で、幾つもの巨大な十字が持ち上がる。
その全てが、白く染まっていく。
やがて、最後の赤黒い部分が色を失った。
「……」
AFOは、何も言わなかった。
先ほどまでの赤黒い生体組織とは、明らかに異なる。
巨大な十字架。
幾つもの鋭い先端。
真っ白な表面。
それらが零無の背後で、ゆっくりと広がっていた。
零無は自分の右手を、一度だけ開いた。
指を閉じる。
背中の構造体が、それに合わせるように動いた。
……問題ない。
零無は顔を上げた。
その視線の先には、AFOがいた。
「……随分と」
AFOが口を開く。
「印象が変わったね」
「そうですか?」
「うん。こちらの方が、君らしいかもしれない」
零無は少しだけ眉を寄せた。
「……どういう意味です?」
AFOは笑った。
「さて。どういう意味だと思う?」
零無は数秒だけ相手を見ていた。
それから、小さく息を吐く。
「……貴方は本当に」
そこで言葉を切った。
無意味な会話を続ける必要はない。
AFOも、既に両腕を持ち上げていた。
その周囲で、再び複数の個性が発動する。
零無は姿勢を低くした。
白い十字架が、一斉に動く。
一本が前方へ。
二本目が上方へ。
残りが左右へ広がった。
AFOの笑みが、僅かに深くなった。
「……実に興味深い」
零無は答えなかった。
代わりに、地面へ足を置く。
白い十字架が、背後で静止した。
一瞬。
周囲の音が遠ざかったように感じられた。
零無は真正面からAFOを見た。
その目に、迷いはなかった。
次の瞬間。
白い十字架の一つが、ゆっくりと前へ傾いた。
そして。
二人の間で、空気が震えた。